最新更新日:2024/05/19 | |
本日:3
昨日:15 総数:440874 |
プロプロになるとは 直感で臨機応援の行動をとることができることである。 定年を迎えるにあたって定年退職は3月31日である。 41年間も働いてきた。 41年前には想像もつかない世界である。 私自身のことでいえば、 まずは、身体に感謝したい。 次に、心に。 最後に、頭に。 今のみ今この瞬間は、過去にも行けないし、未来にも行けない。 だから、不安とも言えるし、面白いとも言える。 今、刻々と変わっていくから人生はわくわくする。 もちつもたれつもちつ、もたれつとは、仁義のことである。 このことは、人間関係の初歩である。 もっと易しいことばで言えば、親切にしてもらったら、親切を返すことである。 返すことを忘れると、いつかはバランスがくずれて崩壊する。 キャリア教育における人間関係形成能力はもちつもたれつを教えることである。 ゆったりと前の車は、軽自動車だけれど、4気筒でターボ付スポーツタイプだからなめらかで素速い。 運転するだけで、ワクワクする。 今の車は、1600ccだがこちらもターボがついているので180ps出る。 だから、加速はとてもいい。 だけれど、不思議なことに、飛ばそうという気持ちが起きない。 ゆったりとした気分である。 こちらの方が豊かな気分になることができる。 不思議なものである。 排気量が大きい方のほうがゆったりとして走っている。 心の豊かさ心の豊かさは、「愛」を感じることであり、与えることである。 ところで、「愛」を感じない行為とは何だろうか。 憎しみであろうか。 マザーテレサの言葉を借りれば、無関心である。 関心があれば、それなりに行動するものである。 かかわりのある人たちに対して、まずば関心をもつことである。 そこが「愛」の行為の出発点である。 管理職として昨日の退官記念講演会では、茨城県木崎小学校の校長先生、教頭先生がかけつけてくださった。 桐原校長先生とは10年近いお付き合いとなる。 講演会後の交流会にて、桐原先生が2つのことを話された。 その1「志水メソッドをやれば、まず国語の学力が上がります。」 算数の学力の向上はもちろんのことであるが、国語の学力が上がったことを前任校、前々任校の経験から話された。 その2 「志水メソッドは技法が中心と考えられがちであるが、中心は『愛』である」と語られた。「『愛』の気持ちがなくて、○付け法や意味付け復唱法をやってもそれは伝わらない。」 この2点を管理職として断言され、とても嬉しく感じた。 不透明だから時代の先は不透明。 だから、おびえてじっとしているのか、それとも行動開始するのか。 行動開始すれば、不安をもっている暇はない。 次々と問題が発生するから、その解決に取り組むことになる。 やがて、時代の方向はこうだったんだと後から振り返ってみてそう思う。 15年前にこれからは教師が学ぶ塾が必要だとたちあげて行動開始した。 それが今となっては、正しかったことが分かる。 その間の行動は悪戦苦闘の連続であった。 しかし、成果は今となって現れている。 今は、全国の志水ファンのために動く。 これが10年先どうなるかは不透明。 でも、動くのである。 授業力アップわくわくクラブはそのための足場である。 明日、東京の代々木でわくわくクラブの会を開く。 とても楽しみである。 悩みからの脱却悩みはある? ない? ある人はさらに悩みが生まれる。まるで悩み生産工場のようである。 悩みのない人からは、悩みは生まれない。 3月3日今日はひなまつりの日。 3を2回使って計算をしてみよう。 3+3=6 3−3=0 3×3=9 3÷3=1 答えは0から9まである。 同じことをするのにも、結果は大きく違う。 6や9になるように行動したい。 日常の中の微分と積分毎日の生活は、変化という観点からすればとても微々たるものである。 ところが、1週間、1ヶ月間すると、学級はその特性を現してくる。 つまり、微々たる変化の集積が形として現れてくる。 だから、微々たることに心を込めてやることである。 すると、いつのまにか積分されて、大きな変化となる。 この人しかいない依頼を受けた仕事が迫っていた。 ところが、行けなくなってしまった。 本当に困った。 豊田のO先生にお願いするしかないと思った。 O先生に代理として行ってもらった。 素晴らしい講演だったと主催者からうかがった。 推薦して本当によかった。 本当にありがたいことだ。 生きていると言うこと定年間近な教師のAさんがいつも楽しみにしている研修会に参加した。 そのことを同僚から、「定年間近なのにまだ勉強するの?」と言われたそうだ。 勉強する年齢に早い遅いはない。 なぜなら、人間の脳の仕組みは、学ぶことが楽しいというふうに作られている。 それが生きている証である。 学ぶことが楽しいという現在進行形の教師に子ども達は教わりたいものである。 感謝のわき起こりふだんは気づかないが、事が起きると、 情を大いに感じる。 感謝、感謝の日々です。 行動すると行動すると、事態が変化していく。 失敗の変化、成功の変化。いずれも経験することになる。 失敗と成功の比は、90失敗して、10成功するくらいである。 だから、行動しないのではないの。 だから、行動するの。 行動しないと、成功する見込みは全くないから。 かけ算の場面最後の式は面白いですね。 国が違うと、式も反対になるのです。 ノートを改善すると、誰が喜ぶのか最近、ユニバーサルデザインについて話すことが多くなってきた。 具体的にどうあればよいか。例えば、ノートの改善があげられる。 ノートが整然としてポイントが見えてくることである。 子どものノートがきれいになってくると、お母さん、お父さんの見る目が変わってくる。 その見る目は、 1.子どもに対して褒め言葉がでる。 2.次に、授業に対して安心感が出る。 つまり、ノートを良くすると、親に対してとても良い情報を提供することになる。 さらに、教師からの赤丸がついていると、親は喜ぶ。授業中に教師は確認しているんだと。 人の特性人は、自分のことは棚において、他の人には変わってほしいと願う。 つまり、自分が変わるのは嫌。 これが人の特性である。 このことを適用すると、 教師は、子どもには変わってほしい。変容してほしい。 つまり、自分が変わるのは嫌。 ということになる。 言語力の育成まずは、場面と活動の用意。 プロセスの重視。 ようく観察して成功させる。 指揮と答えの結果を勝たせるだけではいけない。 経過のプロセスを語らせる。 また、そのときの思いを語らせる。 そのとき出たことばが概念の基盤をつくる。 経験230日の今日のひとことで「自分の経験以上のものは見えない。」と書いた。 志水は、年間300人以上の授業を参観してアドバイスしている。 普通の教師は、生涯にわたって研究授業を50から100程度だろう。 志水の場合は、これまで4000人以参観及び指導をしてきた。 ほんとうにいろいろな授業があり、教師もいろいろな方がいるものだ。 だから、自分の狭い経験で見てああだこあだと批評しているだけでは、 力はつかない。 サンプル数が少ないのだから。 一方で素晴らしい授業をする人がいる。すごいなあと思う。 他方で、授業参観に言っても板書案のない人、発問案のない人など呆れ てしまう人もいる。 そういう人は、生涯にわたって教師をやっていても、並のレベルにもいかない。 それでも、せっかく出会ったのだから、私は淡々とアドバイスしている。 伸びてほしいと思うからである。 また、子どもがかわいそうだからである。 今の状態から授業力をアップさせたいのであれば、自ら求めて研究会に参加、教育の本を自腹をきって読むのがよい。それでも、だめなら、教育委員会訪問、保護者参観などをとらえてチャンスだと思って頑張ることである。 そうすると、問題意識ができてくる。 つまり、経験が少ないならば、新しい行動をして経験を積むしかない。 そして成功するかと思えば、実は失敗する。 だから、行動しないという人が多い。そこが違うんだなあ。 実はその失敗も成功へのステップである。 失敗したら失敗する方法を学んだのである。 だから、今度は、その手は避けるようになる。 人生はこの繰り返しである。 |
|