最新更新日:2024/05/16 | |
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持続可能持続可能な社会をつくるということは、まごのまごの世代へと続く社会を考えることである。 言い換えると、我々が死んだ後の社会までも想像して今の社会を改善していくことにほかならない。 わいわいがやがや何かを企画して行動しようとするとき、「わいわい、がやがや」の場が不可欠である。 この場があるからいろいろいな問題点のあぶり出しができ、さらには問題点の解消へと向かう。 腕を磨く同じレベルものどうしなら競争が起きる。 競争を避けるためには、同じ分野では、圧倒的な差があれば競争を避けることができる。 違う分野であれば、もともと競争相手はいないから競争そのものはない。 そこで、大事になってくるのが、腕を磨くということである。 毎日毎日、ある分野に打ち込んで腕を磨けば圧倒的な差が生まれる。 日本の伝統として、茶道、華道、剣道というような「道」の概念がある。 これらは、腕を磨く世界である。 教師の世界も教師道、授業道、生徒指導道を磨くようにしたい。 競争を回避する競争すると、お互いがくたびれる。 競争しないと堕落する。 このどちらも回避するのにはどうすればよいか。 競争しないで勝つことを考えることである。 同じ土俵で勝負するから競争が発生してしまう。 違う土俵を作り上げることである。 作り上げるためにはたえず進化しなければならないから、堕落しない。 論理は論理から創造は生まれるか? どうもあやしい。 創造は、論理を超えたところに生まれるからである。 メンターメンターは、教え導く。 きびしい現状も伝えないと、 その人は変わらない。 その学校は変わらない。 研究室訪問中部中学校の現職教育の方向性について協議してアドバイスした。 生き生きとした授業を目指すことで一致した。 勝負ここぞという勝負には勝たねばならない。 学校で言えば、授業参観である。 父母が参観に来る、このときに信頼を得ることである。 これを誤ると1年間響く。 ところで、あなたは、どんな勝負手を持っているか。 ごちゃごちゃ年度末からいろいろあって、頭の中がごちゃごちゃしている。 ああでもない、こうでもないと思考が入り乱れている。 同じ回路を何度往還したことか。 これではいけないと思い、書き出した。 すると、順番が見えてきた。 とにかくやらねばならないことをメモに書き出すことである。 とっさとっさの行動は、普段からの経験知 から発する。 授業は大学の授業が始まった。 本日は、第一回目なので、オリエンテーション。 学生とのご対面。 その上、TT形式なので、他の4人のTとも対面。 パワポを使いながらも即興的に話題を変えていく。そして、ねらいに迫る。 まさに、授業はライブである。 決まり切った台詞を言うのは当たり前。 それを超越して、その場その場で変化させて学生に合わせていく。また、ゆさぶりをかけていく。 こういうことを意識して授業した。 しんか「しんか」を漢字を当てはめてみよう。 深化、進化、真価、新価、神化、新華 それぞれの関連を想像すると含蓄がある。 裏表本音と建て前がある。 自分の本音で生きることができれば、気は楽となる。 もちろん、自分の本音がエゴから発すると人様の迷惑になる。 よって、自分の本音と人様の幸せが一致すると、気は楽でしかもお役に立てる。 最高の人生となる。 突然朝から授業の打ち合わせ、問題集作成、 午後は、1人突然のお客さんで、タケノコの刺身の差し入れ。 大学院基礎領域新入生ガイダンス、それが終わってほっとしていたら、 突然のお客さんが1組きた。 その来客中に、予約しておいたお客さんがきた。 来客が2組続くと、何がなんだか…。 しかも、6月の公開セミナーの講師について電話で確認と依頼をして続々決定。 夜は大学院応用領域の院生の入学式。 そして、メールブック「悠・愉」の発行。 また、問題集作成。 めちゃくちゃ働きました。 「空」は「そら」と「くう」露天風呂に入っていたら。見上げるそこは、空。 これは私の空だ。と思うと、 心が広くなってきた。 見上げてごらん、昼の空を。ぼくの空を。 すると、ひらめきがきた。 露天風呂×そら(空)×くう(空)のコラボでひらめきがきた。 何度もこの経験がある。 やっぱりきた。 そら見たことかではなくて、そら見たことよ、でした。 幸せな状態熱中できることがあることは、 幸せなことである。 高く…志は高く、行動は強く素早く、姿勢は謙虚な人。 こういう人がかっこいい。 定年を迎えて 10その中のお一人であるKさんが私との出会いについて語ってくださった。 「百匹目の猿」(船井幸雄 著)の中に、私の名前が紹介されていたのでびっくりされたという。こんなにも身近な所に船井先生の推薦される方がいたという。 この話をうかがって、そういえば5年前くらいのときに、「百匹目の猿」のことを指摘されていたことを思い出した。 この本は、1996年に刊行されたものである。 つまり、約20年前の本である。 20年後にあの本に紹介されたことが生き返る。 不思議なことである。 |
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