最新更新日:2024/04/23 | |
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仕事仕事とは何か。 大辞林 第三版によれば、 1 するべきこと。しなければならないこと。 2 生計を立てるために従事する勤め。職業。 … となっている。 すると、仕事が「ある」というのは、するべきことがあるということでとてもありがたいことである。 知り合い話。朝の10時から始めて18時30まで勤務なのだが、16時までにその日の仕事が終わってしまう。 でも、18時30分まで拘束される。やることがなくてとても辛いと話していた。 実際、暇がありすぎるとこれまた辛い。 やることがあること、やるべきことがあること、このことに感謝したい。 人事の時期各地の先生から異動のお知らせが来る。 長年にわたって、志水塾などでともに行動してきた方々の昇進は我がことのように嬉しい。 新しい華を咲かせてほしい。 お客様年度末ですが、毎日のようにお客様がおみえになります。 もちろんアポをとって来られます。 この時期ですから、来年度の作戦です。 ある学校は、前々からの企画を具体的な作戦に落とし込んで来られます。 また、別の学校はこれからの研究の方向を相談に来られます。 さらに別の学校は、4月スタートの授業計画についての相談です。 ともかくも各学校の事情は異なりますので、職員の顔を浮かべながら作戦を立てるのです。 いつも新しい問題解決なので、いつも新鮮です。 後輩へ後輩が頼もしく成長することは喜びである。 また、その成長に支援できることも喜びである。 空白からっぽでいたいけれど、脳は何かしら考えている。 あれこれ考え始めたら、からではなくて、満(みつ)である。 空(くう)こそ、一番密度の高い空間かもしれない。 体力が必要久しぶりに風邪をひいてダウンしました。 へとへとで出勤しました。 クルマの中でお笑いのCDがかかっていました。 笑えないのです。 いつもなら笑えるのが笑えません。 笑うのにも体力がいることが分かりました。 思いっきり笑えるだけの体力を維持しましょう。 KとSのちがい子どもの発言を見逃すと、これが空振りである。 三回見逃すと三振。三人見逃すとチェンジ。 子どもの言葉に関心(KANSHIN)があるのなら、感心するから見逃さないと思いますよ。 KANSHIN と SANSHINは 大きく異なる。 事前リサーチ知人の紹介で、F先生を紹介された。 F先生は、私の専門分野ではない。 F先生の要望で会食の場がもたれた。 とても楽しい会となった。 感心したのは、F先生は私のことをリサーチしていた。 やはり、関心があるから会う前にリサーチしている。 だから、話が奥深く進む。 会って価値ある人と時間を共に過ごしたい。 とてもありがたかった。 0はどこまでも00は、何けたか? 答え 1けた はい、これは間違い。 では、何けたか。 桁は「ない」が正解である。 春の訪れ春うららかの日よりです。 大学校内を歩いていると、ちょうちょうが飛んでいました。 研究室に入ると、窓の外からホーホケキョとウグイスが鳴いています。 一日、気持ちがいいですね。 エゴの脱却へ20代は、輝く前の準備期間。とにかく働いて、学んで力をつける。 30代は、自分が輝くために突っ走る。 40代は、少しは周りが見えてくる。 50代は、自分が輝くのは当たり前。その輝きを下の世代に与える時代。 60代は、余裕をもって輝き続ける時代。だから、よりマクロに冷静に判断ができる。 年代の分かれ目が生き方の岐路となる。 素のまま本当に面白いと感じると感心してしまう。 演技ではなくて、素のままで感心する。 マジかよー。 子どもの発言を聞いていて、教師はマジで感心する。 感心された子どもは、私の発言で本当に感心してくれているんだと思う。 それを見ていた他の子どもは、あの発言で感心されるんだったらぼくも発言するぞ。 感心の連続が授業でありたい。 聴いてほしい人は聴いてほしい。 ただ聴いてほしい。 聴いてあげれば、また歩み始める。 そんな事例が最近続けてあった。 相談できる場研究室に訪問者が訪れる。 訪問者は、学校長、教育委員会、教務、一般教員と幅広い。 相談事があるからこそ来られる。 いろいろな話を聞きつつ、その相手にもっとも最適な解を求めて聴く。 その話を紙に書いて見える化してあげる。 そして、私なりの回答をする。 その回答は、組織論、人間論、教育論、数学論、授業論、学校改善論、人材育成など、話題は多岐に亘る。 ともかくも研究室を出られるときに、明日へのエネルギーがわくように話す。 こういう役割が私にはあるのだろう。 ゆとりと充実について今から20年前のことである。 大学院の同窓会に呼ばれて講演したことがある。 その当時は、「ゆとりと充実」を進めるという意味での会であった。 これからいよいよ実施という段階にあった。 そのとき、私は率直に意見を述べた。 今回のゆとりと充実というのは、基本理念の方向性が間違っていると。 というのは、3割の内容を減らして(「厳選」と言った)、そして総合的な学習を進めるという。 どちらも誤りではないが、方向性は全く異なる。 減らすということは、知識を活用する道具が減るということである。 だから、これで総合的学習をするということ次第に無理がある。 例えば、ゴミの問題を総合的学習で扱おうとすると、単位は「t」トンを扱うことになるが、なんと、このときの改訂では削除してしまったのである。 だとすると、単位はkgだけとなってしまう。すると、扱う数は大きな数となる。 それなのに、小学校の計算の数値は難しい計算はしないことという。これで、実際に、ゴミ問題の計算は不可能であった。 道具もないのに、仕事をせよという。 ほとんど、お笑いの世界である。 このとき、知り合いの主催者からきびしいことを言われますなと助言された。 しかし、その結果どうなったか、ゆとりと充実路線は否定されたのである。 実施する前から学力低下問題が言われ火の粉を浴びたのである。 私の言うとおりになった。 厳選と総合的学習ではなくて、規制緩和して基礎と活用、さらに総合的学習だと言えばよかったのである。現在、その方向に向いている。 私の考えは20年早いのかもしれない。 でも、少し考えれば分かることである。 カリキュラムを創る人たちの見識は人間観・社会観をもって取り組みたい。 人間観の大本で言えば、「ゆとり」を与えれば勉強するか? という根源的な問題がある。 これは間違いである。ゆとりを与えれば「遊びたい」、これが真理である。 できない子どもに時間の余裕を与えれば勉強するのか、 「しない!」 これが真理である。 この真理を踏まえていかにして教育カリキュラムを創るかが大切である。 人材の育成管理のコツ組織はトップからひらの職員までで構成されている。 その際、トップはどこまで指導すべきか。 ひらの職員が20人いたとしたら、20人を1人1人指導していたらきりがない。 トップはすぐ下の立場の人を指導するのが基本である。 つまり、校長ならば教頭を指導し、教頭ならば教務主任(校務)を指導し、教務主任ならば学年主任を指導していくことである。 どうし何かを起こそうとしたとき、同じ気持ちのある人は、「どうし」である。 つまり、同志であり、動詞で共に動ける人である。 接点仕事の性格上、初対面のことが多い。初対面で何を話すのか。 今日は温かいですね。 これはごく普通。 1時間中、お天気の話題だけでは話は進まない。 私は何かしら相手との接点をさぐるようにしている。 相手と私との共通点は何か。 その共通点が会話の架け橋となる。 これさえ見つかれば次の話に移行できる。 特に、お互いが知っている人がいれば話題は盛り上がる。 それは、知人という信用がもつ裏付けである。 大いに利用したい。 偶然にも今日、O先生に研究室に来てもらって相談していた。 あとから、S先生も来られた。 2人はその後、一緒に美術館に行くところであった。 ところが、電話で問い合わせてみると、美術館はお休みであった。 だから、お二人の先生にまた相談にのってもらった。 結果的に大助かりとなった。 美術館のお休みは、必要で必然なのか。 行動すると行動すると、様々なトラブルが発生する。 そのトラブルを虎が出たからと言ってブルブルふるえていてはやられてしまう。 だから、トラブルを1つずつ解消するために、また行動することである。 そうしていくと、いつのまにか、トラブルは無くなっている。 |
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