最新更新日:2024/05/08
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笑瀾万丈 夢現大8 Web公開

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はじめに

2月で63歳になりました。定年退職の年です。この後、再雇用で二年間愛知教育大学に勤めさせていただきます。
ここに至るまで皆様には大変お世話になりました。あらためて感謝の意を表します。ありがとうございました。
22歳で神戸市の小学校教員をスタートして、41年間、筑波大学附属小学校、愛知教育大学数学教育講座、そして、愛知教育大学教職大学院と、ここまでがむしゃらに働いてきました。
 私のこれまでの道は、算数教育一筋だったと言えるでしょう。こんなにも好きな道を歩むことができたのは、とても幸せなことです。この本では、私の人生の歴史を振り返ってみます。これまで誰にも語ったことがありません。
 人生は時には笑い、時には悲しみ、時には喜び、時には苦しみます。人生にも四季があるように思います。今の私に言えるのは、全て「お芝居」であったということです。このお芝居を如何にして演じてきたか、これをこの本で振り返ってみたいと思います。
 そして、結論としては、波瀾万丈というよりも笑瀾万丈(わらんばんじよう)という言葉がふさわしい人生であったと思います。過去形ではなく現在進行形として笑瀾万丈の人生を紹介したいと思います。
 後から振り返ってみると、全くもって、人生とは笑い話です。
 あのとき、ああすれば良かったという思いはありますが、所詮過去のこと。ユーミンの歌にもあるようなあの日に帰りたいとは思いません。
 すべて必要・必然な出来事だったのです。しかも、ベストな出来事だったと思います。これを受け入れてきました。この受け入れる言葉が関西弁で「しゃあないなあ」です。標準語で言えば「仕方がない」です。仕方がないというとあきらめの気持ちのようですが、実は、現実のありのままを受け止め、さらに新しい行動へと向かうという意味が「しゃあないなあ」にあります。過去や現在を肯定し、明るい未来をつくるために「しゃあないなあ」で諦観の境地に立つことができます。
 この本では、ヒロシの過去をお話するとともに、そこから得た教訓を明示します。全くの書き下ろしです。「しゃあないなあ」という笑瀾万丈の人生をお楽しみください。 始まり〜始まり。
                愛知教育大学 志水 廣






笑瀾万丈 夢現大8 Web公開

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第一章 大学編


笑瀾万丈劇1 受験番号がない

☆「ない」、「ない」、「ない」、「ないよー」
 「♪ ない ない ない 恋いじゃない」という台詞ではあるまいが、合格発表ボードに私の受験番号がない。これが4回続いた。「ないないないない」である。関西の某市立大学2校、北九州の某公立大学、高知の某国立大学の4回連続連敗である。偏差値に見合った大学を選択したつもりであるが、相手の大学からは、顔でも洗濯して出直して来いということか。
 18歳のヒロシは、ひどく落ち込んでいた。あの三年間の長い長い受験勉強は何だったんだろうか。受験生ブルースのぼくがいた。朝から英単語テストに備えるため豆手帳を徒歩で30分間見ながら登校する。学校に着けば早朝模擬テスト、気が張り詰めた授業、帰宅すれば明日の授業の予習と別の参考書での受験勉強。時には、息抜きに近所の屋台に通い、ワンタン入りラーメンを食べた。そして、また勉強。一日七時間の受験勉強は当たり前の毎日であった。 
 合格の発表を期待している親への報告ほど辛いものはなかった。でも父親も母親もただ黙っているだけだった。担任への報告、これも苦しいものがあった。四連敗はこたえた。担任の永田先生は電話で「しっかり頑張れ」と励ましの言葉をいただいた。
 そして、三月の半ばに国立二期校である大阪教育大学を受けることになった。こちらが本命の受験である。しかし、四連敗の私は足取り重く受験会場の高校に入った。
 当日の朝、寒い時期で雪がちらついていた。
 なんとか答案を書いて出した。この後、不安な日々が続いた。もしも落ちていたらどうなるのだろうか。親の給料からすれば、たぶん浪人はありえない。
 
☆合格発表の日
そして、合格発表の日が来た。運命の日である。♪ダ、ダ、ダ、ダーン。ベートーベン交響曲第5番。
 弱気なヒロシは、同級生の平岡君に一緒に行ってもらうようにお願いしていた。平岡君は、神戸市立商科大学にいち早く合格していた。余裕の彼だった。平岡君はふんわりしていて聡明であった。高校二年生、三年生と友達であったので、神戸からに大阪まで同行してくれたのであった。大阪環状線寺田町の駅を降りて徒歩三分で大阪教育大学の門をくぐった。合格発表を見る勇気がヒロシにはなかった。また、「ないない」が続くかと思うと、恐怖で発表の掲示板を見る気になれなかった。
 「発表を見てきてほしい」と弱気な声で平岡君に伝えた。
 すると、平岡君は、「ええよ」とフランツェンのような響きとはほど遠く、淡々と応えた。
 しばらくして帰ってきた。走ってきた。「おゃっ?」。走ってくるということは…という意味さえ気づかないでいた。
「どうやった」
「あったよ。」
「ほんまか??」
 四連敗のヒロシは、その言葉が信じられず再度尋ねたのであった。
「ほんまやで」
「あったあ!!やったあ!!本命合格や」
「では見に行こう」
 この後、一瞬で青ざめることになる予感もなく、ただただ喜ぶヒロシであった。
「ほんと、どこや、どこの掲示板や」
「ほなら、行こうか」と掲示板に平岡君はヒロシを連れて行った。
 教育心理学科の掲示板を見た。
 ガツーン!!
 教育心理学科の掲示板にはヒロシの受験番号はなかった。またもや、「ないない」の連続で、五連敗か。一瞬、平岡君の言葉が嘘かなあと思った。
 受験番号が掲示板にないので、平岡君に「ないやないか」と抗議した。
 すると、平岡君は平然として「こっちにあるで」と左側の掲示板を指さして言った。 「そうかあ、どれどれ?!」
 左側の方向の掲示板を見ると、数学科の欄にヒロシの受験番号があった。
「あった。あった。」合格したのだ。短い足で喜んで100回ジャンプした。(そんな大げさな〜。 はい、大げさです。冗談ですよ。)
 ええっ!?
 じゃじゃじゃーじゃーん。(トーンを下げて)
 教育心理学科を希望していたのに、数学科に合格。真坂の坂道に転げ落ちた。いやいや、合格したのだから、重力に反して坂道に転げ上がった。ヒロシは第二希望に数学科を選択していたのであった。だから、数学科に合格したのである。
 ああそういうことね、と一瞬でこの状況をヒロシは納得した。数学科に行くしかない。一瞬で転向生となった。数学科の番号を見た瞬間に、ヒロシの人生は文科系から理系に転身となった。宇宙が理系に転向せい!という指令であったのだと今から振り返ると思う。理系へ華麗なるデビューである。

☆貴重な一勝
 ヒロシは、高校時代、二年生から三年生と文系コースにいた。なのに、入試が終わると理系だった。何なんだろう??と普通ならば思うが、そこは気変わりの早いヒロシ、すぐに家と高校に電話をした。母はもちろん担任の永田先生も喜んでくださった。よほど嬉しかったのか、大阪からの帰り、あわてて帰る必要はないと思ったヒロシ。「そうだ、京都へ行こう」というキャッチフレーズのように、「子園球場へ行こう。高校野球だ。ヒロシと平岡君は、午前の重い思い雰囲気から脱出して、青春している高校野球に思いっきりひたったのであった。その後の数学の苦しみもわからずに…。

教訓:合格すれば全てを忘れることができる。

 連戦連敗のヒロシにはこの一勝が貴重だった。贅沢は言っていられない。両親の経済的な負担を考えると、国立が本命であり、この道しか残されていなかった。選択肢は一つだけだった。この一勝が数学道への第一章であった。それが、一生の道になるとは・・・。(笑)
 こうやって、人生には不可思議なことが起きる。ある日突然、生き方が変わる事件が起きる。今から振り返ってみると、神様が 「志水よ。あなたの本来のコースは数学科ですよ。」と目覚めさせてくれたのだろう。
文系にいたために苦手の物理も学習せずに、数学科に入ることができ、なんてラッキーな人生。

教訓:ある日突然、人生が変わる出来事がある。
教訓:4連敗をプラスの面でみると、入学金を1校にも納入していない。なんと親孝行のことだろうか。

☆選択肢は一つだけ
 さて、ある日突然、人生が変わったら、みなさんはどう思うか?びっくりするよね。でも、選択肢は一つしかないこともある。有無を言わさずにそこしかないのである。このことを憂いしても仕方がない。
 

愛の現れ

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どの子も「わかる」「できる」「身に付く」教育をするために志水メソッドは開発されてきました。


その根底が上のフリップの「愛の現れ」です。
子どもをしっかり見ましょう、また、声をしっかり聞きましょう。
すると、子どもの「知」と「こころ」の叫びが見えてくるし、聞こえてきます。

そこから、教育は始まり、そして、そこに帰着するのです。
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