最新更新日:2024/05/20
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☆船井幸雄の人間学から学ぶ教育のありかた

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☆船井幸雄の人間学から学ぶ教育のありかた

0・はじめに
 船井幸雄氏の人間学からいくつかのキーワードを拾いだし、それを教育に適用してみよう。ここでは、この世の中の人間の原理・社会の原理について述べ、それが教育の原理につながることを述べていく。同時に、どのように人を伸ばせばよいか、生き方としてどのような見方をすればよいか、さらに運のつけ方についても述べていく。ぜひとも参考にしてほしい。
1・船井幸雄氏との出会い
 東京在住のとき、近くの本屋で氏の本を見つけた。『成功のセオリー』と『包み込みの発想』である。それまで私は船井幸雄氏について全く知らなかった。この2冊の本を読んでみてとても興味深いことがのってあった。例えば、ジョセフ・マーフィの「よいことを思えばよいことが起こる」ということが引用されていた。また、「人間って何だろう」という章があり、脳の研究などもふれてあった。船井幸雄氏は不思議な人だなというのがその時の印象であり、それから氏に興味を持ち始めた。

8/2 「つき」を提供する

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8/2 「つき」を提供する 「船井幸雄の人間学」完本より  PHP

 <私はここ二十年余り、この上に立つ人、特にトップの人に「つき」を提供するのを日々の業としてきた。
 それは、おおむね成功したし、今では非常に上手になった。その理由は、私なりに「つきの原理」を知ったからだが、それはそんなにむつかしくない。
  それは、(1)とりあえず現状で「つく」状態にし、(2)ついで、「つくものむをつくり、(3)「つきをおとさないように「つき管理」をすればよい。>

経営コンサルタントの秘訣 その1

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8/1  経営コンサルタントの秘訣 その1   「船井幸雄の人間学」完本より  PHP

「ところで、相談に見えると、まず応接室に通ってもらうのだが、はじめに拝見するのは、人相と雰囲気である。
 人相がよく、明るい雰囲気の人なら、まず相談内容がどんなにむつかしくとも、必ずよいほうに解決すると考えられる。積極的アドバイスがよい。
 しかし、人相が悪く、暗く冷たい雰囲気の時は、うまくいかないことが多い。このような人には消極的アドバイスのほうが合っているのである。」
「具体論に入る前に、四つの質問からさせてもらう。
 一つめは、『あなたは、ご相談されることを感情的にみて、やりたいのですか、やりたくないのですか』という質問である。意に沿わないこと、やりたくないことは成功しないのである。』
「二つめの質問は、一つめの質問にハイ(イエス)と答えた人のみにするのだが、『そのやりたいことに自信がおありになるのですか』ときくことにしている。なぜなら、自信がなないことは成功しない確率が非常に高いからである。「自信がない」という場合、』「自信をどうしてつけるおつもりですか?」と聞くこととになる。
「三つめは、一つめと二つめの質問に、「イエス」と答えた人だけにするのだが、「それをやることで、あなたやあなたの部下がネアカになりますか?」という問いを投げかける。
 そして、四つめ、最後の質問は、いままでの三つの質問に「イエス」と答えた人のみに行うのだが、「万が一、失敗したときは、他人に迷惑をかけず、あなたの責任で終戦処理をなさいますね」ということである。

 この四つの質問は、これからの行動を決断するときにだれにでも問われることである。
 一つめの質問は、「やりたいか、やりたくないか」という意志の確認である。
 二つめの質問は、「自信があるかどうか」は、見通しである。
 三つめの質問は、希望が見えてくるかどうかである。
 四つめは、失敗したときの「覚悟」である。


☆札幌での反響

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☆札幌での反響
 札幌での北の教育文化フェスティバル実行委員長の山田洋一先生よりお礼のメール
が届いたので紹介しよう。


「志水廣先生
                  北の教育文化フェスティバル
                             山田洋一
 先生,先日は講座そして夜の懇親会にまで私どもにおつきあいいただきありがとうございました。
 先生の講座3時間終わっても,まだ伺っていたいそんな気持ちでした。
 どの参加者のお顔も,明るく元気になって,講座を修了したのがたいへん印象的でございました。
 問題解決学習が悪なのではなく,あるのは「よい問題解決型学習」と「悪い問題解決型学習」の二つであると先生の講座で教えていただきました。
 その「よい問題解決型学習の具現」が先生の師範授業なのですね。
 先生,私はこのところ内心,苦々しい思いをしてきました。
 先輩教師たちが積み上げ,私もそれなりに実践してきた問題解決型学習が,「悪の権化」のように扱われ全否定されるということにです。
 そんな折,先生の講座は胸のすくような思いがいたしました。
 それにしても,あつまった皆様は幸せでした。
 先生の授業を拝見し,それを「よい像」としてこれから授業研究をすることができるのですから。
 また,私は,先生がビデオを紹介されたとき,鳥肌が立つような思いをいたしました。
 その1つは,あのひごの問題で,子どもたちができたときのあの「かお」あの「からだ」。
 もう一つは,先生がご自分がされた「ずれ」を隠さずにお話しされということにです。
 いままで,指導的立場にあるグループのリーダーは,本人の好むと好まざるとに関わらず,完璧な存在として君臨し,カリスマ性を誇示してきました。
 でも,先生は違いました。
 先生の誠実なお人柄があらわれ,ますます私は先生のご主張が,本物・真理であることを,確信しました。
 この度は,誠にありがとうございました。
 おかげさまで,よい会にすることができました。
 先生,これから全国を津々浦々回られることと思いますが,お体ご自愛ください。
 そして,日本中の子どもたちに,「算数大好き」という笑顔を与えてください。」

 私としては,素直に話しているつもりである。それをどのように理解しようがかまわない。本音で語る方が気が楽である。そんな講師がいてもよいではないか。
 ありがとうごさまいました。ともかくも札幌での研修会はみんなが熱い思いがあったと思う。



☆北海道での研究会 (だいぶ前のことですが)

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☆北海道での研究会
 7月27日から29日まで「北の教育文化フェスティバル」の研究会の講演のために札幌に行ってきた。
 北海道で講演するのは2回目であるが,札幌で講演するのは初めてである。
 このフェスティバルは地元の人達の自主的な集まりである。28日と29日の二日間実施された。二日間で10000円の会費制である。代表の山田洋一先生によれば全くどこにも頼らない会だという。どこで私のことを知ったのかというと,どうも群馬のT氏との縁のようだ。
──────────────────────────────────────
 28日のプログラム
講演 北海道大学 傳田健三先生『子どものうつ病−その心に何が起きているのか?』

講演 杏林大学  金田一秀穂先生『日本語面白塾』
 29日のプログラム
講演 愛知教育大学 志水 廣 『算数・数学科の確かな学力の定着を目指して
        〜志水流の授業づくりと「○つけ法」と「意味付け復唱法」のこつ』

講演 都留文科大学 粕谷貴志先生 『Q−Uによる学級経営スーパーバイズ』
 この他,実行委員によるミニ講座も実施されている。
──────────────────────────────────────
 実行委員の先生方は北海道各地から集まってきている。しかも地元の札幌はだれもいないという。それでも利便性を考えて会を実行している。ある人は朝3時に出発して札幌に8時半についたという。すごいなあ。その人はオホーツク海に面したところだという。
 今回が第6回にあたるそうだ。研修会には自腹を切ることだと常々言ってきた。他人の懐を当てにする教師の根性が卑しい。授業力をあげるのは人のためではない。自分のためなのだ。この心構えのある会に好感をもった。
 さて今回の参加人数は80名弱であった。みなさん熱心に私の話を聞いてくださった。初めは固い表情であったが途中からニコニコ顔になっていった。ある人は授業のようだったという。ありがたい話である。
 講演会の中休みと終了後に書籍の販売かつサイン会をした。この研究会に間に合わせてできた「算数力がつく教え方ガイドブック」が60冊,あっという間に売れた。
80名の内訳は小学校の教師ばかりではないのだから,この数値にもびっくりした。
山田代表も驚かれていた。山田代表は「ぜひ,先生の本を北海道の人に出会わせてください」とお願いしてきた。この熱意がみなさんに通じたのだと思う。
 私のお世話をしたのが平島大先生である。天塩郡の先生である。地図で天塩郡ってどこか調べてみられるといい。よくお世話していただいた。タクシーの中で講演会の感想を率直に語られていた。ありがとうございました。

 28日には事前の前夜祭があったので懇親を深めてきた。みなさんとても感じがよかった。何の得にもならないんだけど,集まっているのですと言っている。
 愛知にも小牧に教師力アップセミナーがある。やはり,時代は,官制のものから自主的なものへと変化してきているようだ。

 

3つ目

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<三つ目は,「自分の経験+他者の経験」から学ぶことだ。本当にすごい人は,他者
の経験からも学んでいる。自分の経験から学べるものは「1」だから,他者の経験か
ら学べることは「N」になる。>

 これには,人の授業をたくさん見るということもあるし,著名な人の本をたくさん
読むということもあたる。特に,教育の場合,ある師を見つけて徹底的に学ぶことか
ら始まる。そして,その人のよさを学ぶことである。さらに示範授業などで書かれて
いることで,その人が悩んだところを見つけてどのように解決していったのかを学ぶ
ことである。だから,冒頭に「予習より復習」とあるが,本を読まない人はいつまで
も「1」の世界に止まることになる。さらに,反省的思考が働かない場合は,「1」
以下の世界になる。
 この休みに,たくさん本を読んでみてはどうだろう。

御立氏の話に戻る

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 御立氏の話に戻る。
<二つ目は,知識を取り入れること以上に『使う力』を意識した訓練と実践に時間を使うことである。「直感と論理の二重奏」の必要性を知ったら,実際にやってみて,身につけることに時間を使う。>

 この内容は,特に授業力をあげることに有効である。だから,私は,大学の講義の中でも解説ばかりしていないで,実際に役立つ教材研究,実際に体が動く授業という「行動化か」を目指しているのである。頭で考えることは大事である。でも,頭で考えたこととそれが実際にやってみれるかどうかは別である。また,実際にやってみても,それが授業にとって望ましいかどうかも別である。このあたりことについて,ほとんど研究されてこなかったと言えるだろう。志水塾では○つけ法や復唱法という単純なことを実技訓練しているのは『使う力』を意識してのことである。
 30分間,学年会などで机を囲んで教材研究するのならば,せめて10分間は実際にやってみることだ。特に,その人なりの特性・力量があるからまずやってみることなんだ。
 最近,ミニ授業と称して5分間授業,10分間授業を学生たちにやらせてみた。すると,たった5分間でもかなりの情報量が存在する。そして,5分間に表現できる力の差もかなりあるということを目の当たりにした。このときお手本のビデオとして使ったのが藤江小学校のN先生の導入である。本当に素晴らしい導入だった。大学院生に真似させてみたが,それがなかなかであった。特に院生の講義では,ビデオ撮影してそれを再生して見た。つまり振り返ってみた。すると,様々なくせが見つかった。

院生たちはこれを自覚した。ある院生は,あれからテレビのアナウンサーの様子を意識的に見るようになったという。大いなる進歩である。


☆「本質が見える人,ダマされる人」はどこが違うか

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☆「本質が見える人,ダマされる人」はどこが違うか
 プレジデント誌が上記のテーマで特集していた。
 冒頭の記事は,御立尚資氏(ボストンコンサルティング日本代表)である。タイトルは<「3×3のレンズ」と「定石+α」の思考法>である。
 氏の「3×3のレンズ」は,(1)拡散,(2)フォーカス,(3)ヒネリである。
 拡散とは,視野を広げることである。フォーカスとは,狭く深く見ることである。
ヒネリとは,思考をジャンプさせることであるという。これらのことについてはあまり記述されていないのでここまで。
 次に「なぜ今の時代は予習より復習が大事なのか」とある。
 20〜40年のビジネス人生を経験しているミドル層や経営者に対するメッセージである。
<一つ目は,予習より復習を重視すること。何かを面白いと感じたら,それだけで済まさずに「何が面白いのか」としつこく考える。成功したとき,失敗したときに「なぜだろう」と復習し,何回も反芻できる人はやはり伸びている。>

 この前提条件は,学校に予習をしてきている人に対して述べられていることである。

若い人には向かない。予習より復習を重視することはやさしいようでなかなか難しい。

 学校の授業でこの原理はどう活用されるのか。
 教師の立場でいえば,毎日の授業を振り返ることである。反省的な思考,つまりリフレクションである。これによって教訓が得られる。心理学では教訓帰納という。 この教訓を,まず出そうとしているか。
 次に,その教訓を書き出しているか。できれば,手帳や部屋の中で掲示して意識するとよい。教訓は身についたかという評価が必要である。
 身につかなければ身につくまでやることである。
 ○つけ法も復唱法も実際には結構大変なことである。スピードが遅いという教訓があればそれに対して日々練習して速くなっているかどうかである。
 声かけができないならば,授業中に少しでもでた「声かけ」をメモしているか。その中でうまくヒットした声かけをめもしているか。教師が忘れるというならば,子どもに算数作文で,先生からの助言でわかった一言をノートに記入してもらえば,それはその子自身にとっても貴重な財産となるし,教師にとっても貴重なものとなる。子どもにとっては,助言を意識化することでメタ認知化できるのである。なんとなくわかったのではない。この言葉のきっかけでわかったのだと意識化できるのである。

☆「ありがとう」を外化する

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 ☆「ありがとう」を外化する

 私の講演会の最後の部分で,否定的な言葉と肯定的な言葉について検討した。
 具体的には,否定的な言葉を見せて,反対の肯定的な言葉を書くように会場の先生
方に求めた。すると,楽しい,グッド,ナイス,素晴らしい,いいね・・・などと書
かれていた。
 一列の人のメモを見ながら取り出して読みだしていった。そうすると,なんと書か
れていないな言葉があった。
 それは,「ありがとう」と「感謝」そして,「幸せ」である。
 これらは肯定的な言葉ではないの?
 これが会場に来られた教師の言葉にないのである。頭にないからでてこないのであ
る。これでは教育はできないだろう。
 M先生はありがとうは書きましたよと発言した。いいですね。たぶん,90%の
人が書いていなかったと思う。ぜひ,教室で学校で「ありがとう」ワールドを実現し
ていってほしい。                                

研究授業のねらい

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■ 研究授業の大きなねらいは、授業者と子どもに自信を持ってもらいたいことだと思います。だから、周りの参観者も協力すべきだと思うのです。例えば、演劇を見るとき、観客がしらけていたらどうなるでしょう。反対に、拍手をして場を盛り上げたらどんなによいことでしょう。そうやって、成功すれば、観客も喜びですね。研究授業の場合も参観者も場の創造を心がけましょう。
 私は仕事柄研究会に呼ばれます。教室に入るときには、意識的に笑顔で望むようにしています。それが役目だと感じるからです。授業者は外部の講師に対して緊張します。その緊張を意識的に解き放すことなのです。そうして、授業者が頑張ってくれたらいいのですから。
 授業参観は、校内研究会・研究発表会は、教師が参観します。父母参観には父母が参観します。そのどちらも、授業参観には応援するような気持ちで望みたいものです。                                                                                   

研究授業が成功するために

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■成功するために
 では、どうすれば成功するでしょうか。
 そのための教師の上達論については、私もいろいろな著書で表しましたのでそちらをみてほしいのです。ここでは、研究授業の雰囲気づくりという視点で述べます。
 つまり、研究授業を参観する教師に問いかけたいと思います。あなたは、どのような立場で研究授業を見ていますか。                           
 ・どんな教材をするのだろうか。
 ・どんな指導法や指導技術を使うのだろうか。
 ・この先生の授業レベルはどの程度か。
 などが一般的のところでしょう。
 私は、参観する教師にこう願います。授業は、教師と子どもだけで作るものではない。参観する教師も作る責任があるということです。そんな馬鹿なという人がいるかもしれません。でも違うのです。授業は一つの生命場です。教室に存在する人が授業空間を作っていると考えて下さい。参観者が温かい目で見るのと、きびしい目で見るのとどれほど差が出ると思いますか。
 私はかつてとても雰囲気の悪い地域で示範授業をしたことがあります。とてもやりにくいものでした。
 ですから、授業者に対しても子どもに対しても、温かい目で応援すべきものなのです。なるほど、いい発問だとうなずいてみたり、とてもいい考えを発表したねと心から応援を送ってやりたいものです。そうすれば、授業も子どももいつもの教室の雰囲気にもどって授業を行うことができるはずです。船井氏の言葉で言えば、「親身法」で授業を参観するということです。
 ついつい、参観者は自分と比較します。特に、欠点を見つけて比較します。「ああ、あそこで間違ったな。」という具合です。こういう参観者は、教師としての力量がまだまだだと思います。より高いレベルの人は、どんな人からも長所を見つけることができます。初任者の場合も自分が未熟なので素直に学ぼうとします。ところが、ある程度授業がうまくなった人が、今度は自分が上だよといいたいために、つまり優越感を持ちたいために、人の欠点を見つけようとするのです。できれば、長所を見つけてうなずき学びたいものです。どんな授業だって長所はあるはずですから。
 船井氏は、「長所しか見えなければ本物である。」(「これから10年生き方の発見」サンマーク出版)と述べています。できれば、あなたも本物人間になってみませんか。そのようになるように努力してみませんか。そうすると、運がついてきますし、人も集まってきます。
 「新入社員をつれて、いろいろなお店や向上を見せて回り、『どうだ。君の感想をいってみなさい。』と聞くと、だいたい欠点ばかりならべるものです。長所のほうはめったにいいません。なぜかというと、新米さんの目には欠点ばかりが見えるからです。優秀な人間ほど、その傾向が強い。指摘はいちいちもっともで、その指摘がいかに正しくても、結果がよくなることは少ないのです。そのことがまだ新入社員には分からないのです。
 これが十年選手になると、欠点が目についてもいわなくなります。経験で欠点指摘や欠点是正が効果的でないことわ学ぶからで、欠点には目をつぶっても長所だけしかいわなくなります。ここまでくると、コンサルタントとしてはまあ一人前になっています。    さらに私のように経営コンサルタントを三十年もやっていますと、こんどは欠点が目に入らなくなります。いくら見ても欠点が見えなくて、長所ばかりが目に入ってくる。これがポイントで、ここまでくると自分も企業も面白いように伸びてきます。>


授業を参観するときの心得 親身法・本物は長所を見る

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授業を参観するときの心得 親身法・本物は長所を見る

■研究授業について (1)                               研究授業というのは何のためにあるのだろうか
 そのことが分かっていないから研究授業は現場を忙しくなるので必要ないという議論になるのではないだろうか。
 私はこう思います。
 教師は授業で勝負します。授業で子どもの知的な部分や精神的な部分を変容させます。だから、授業がへただとどうしようもないわけです。
 授業がうまくなりたいというのは、教師の願望です。ところがなかなかうまくならないのです。うまくなるというのは日頃の授業はなんとか子どもと対話しながらすすめますからどうにかこうにか進みます。
 でも、その毎日の授業が感動ある場面かどうかということになると疑わしいのです。私の18年の経験をもってしても毎日が感動だったなんてとても言えません。でも、最後の4年ぐらいはとても気楽に授業ができて子どもが意欲的になりました。そのきっかけはなんと言っても研究授業だったと思います。
 つまり、人は他人に認められて成長するのです。私の場合は、附属小学校での研究発表会がそれにあたります。この修羅場を何度もくぐりぬけると本当に授業って面白いものになります。たくさんの先生がきて、認めて下さる。そこには、嘘はありません。現実に子どもが楽しく算数の授業を受けていたかどうか、目の前にあるのですから。
 その後の協議会は楽しい一時です。どうだ、私は、コミュニケーションわここまで育てたぞ。という自負心でいっぱてです。
 さて、そこで研究授業は、教師だけが認められるのでしょうか。そんなことはありません。子どもも認められるのです。子どもの成長が認められます。そうすると子どもも自信がつくのです。何ヵ月も前から教材を考えてきて、子どもをきたえてきてその成果が評価されます。    
 そうすると、研究授業は、教師と子どもの両方にとって自信がつくチャンスというわけです。でも、逆の場合だってありえます。つまり、何ヵ月も前から教材を考えてきて、子どもをきたえてきてその成果が評価されます。授業をして失敗したとしたらどうなるでしょう。教師は自信をなくすのです。子どももその教師をみてまどいます。そうなると成功への道が転落への道へと進みます。だから、研究授業は、とても怖いものです。

三.学校経営の場面において包み込むこと

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三.学校経営の場面において包み込むこと

 A県のある研究校の話をしましょう。
 その学校は,私がかかわって3年目に算数科の研究発表と公開授業をしました。とてもうまくいきました。算数部会に所属している人はゼロという中で研究会が成功したのです。
 後日,校長先生からうかがった話です。
「先生,私は先生方に力をつけてほしいと願っていました。ですから,研究発表会をすることには賛成でした。でも,算数の専門はいないし,自信はありません。研究指定を受けるべきかどうか先生方の抵抗がもっとあると考えておりました。
 いよいよそれを決める職員会のことです。一番抵抗を示すと思われていた先生が,『村が希望するのならやらねばならない。』と力強く発言したのです。あれで情勢は傾きました。不思議なことです。
 また,二番目に抵抗した先生は,研究会が近づくと他の先生よりも頑張り始めたのです。私は,大げさにしないでいいといったのですが皆が頑張ってくれたのです。そして,研究会を迎えることができました。志水先生の支援があったこそ安心感がありました。」   この校長先生はとても謙虚な方です。週に3冊の本を読む読書家でもあります。音楽の堪能な方ですがそれも決して自分から職員にもらさず,先生方を支援してきました。第一,私の前では,抵抗を示した先生の悪口は決して述べたことはありません。また,責めません。  
 そういう意味では,若い先生方の力を肯定して成長を見守り,包み込んできたからこそ職員が一体化していったのだと思います。
 あなたのまわりで対立すること,矛盾することがありましたら,包み込むことを考えてみて下さい。

二.授業の場面において包み込むこと

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二.授業の場面において包み込むこと


 一年生の算数科の授業のことです。何番目の問題です。「子どもが10人ならんでいます。ただし君は,まえから7ばんめです。うしろからなんばんめでしょう。」
まえ○ ○ ○ ○ ○ ○ ● ○ ○ ○  
 このとき,慎一君は,考えこみました。
「うしろから4ばんめというのは分かる。でもこれでは簡単すぎる。算数の問題はもっと難しいはずだ。ひょっとしてただし君はもう一人いるのではないか。うしろから7ばんめか8ばんめにいる?」と反応しました。
 私は,このとき,「う−−ん。なるほどね。どうしてそう思ったの」と聞き返しました。すると慎一君は「だって,問題には,ただし君は一人です。とかいていないもの」と答えました。
 これにはまいりました。慎一君の考えは筋道がたっています。そうこうするうちに,洋介君が「それなら,ただし君が全員だったらどうなるのだろう」と言いました。
 さて,こんな反応がでてきたらあなたならどうしますか。生意気だと考えますか。
 私は,肯定しました。「なるほど,いい考えです。では,一人だとするとうしろから何番目ですか。」「うしろから4番目にするには,問題の文にどんな言葉を付け加えればいいでしょう。」
 こう切り返せば,子どもたちの考えは認められるのです。
 この事例から,授業のこつは「肯定して包み込む」ことだと言えますね。
 もう一つ,一年生の例をあげます。8+3の指導の場面です。子どもたちは,数えて答えをだします。指導のねらいは「8に2をたして10,10と1で11」という加数分解の考え方です。
 多くの教師は,数えることを否定します。しかし,数えることを否定しないで肯定するのです。「数えることのチャンピオンだね。では,10のかたまりを作る考え方も分かるかな。では,これからの算数で使う考え方なのでこれに挑戦してみましょう。」と話しかければ,素直に頑張るのです。子どもは新しい考え方に挑戦しようという意欲があります。それを,否定することから始めるか,肯定することから始めるかは,とても違いがあることですね。
 とすれば,教師は,子どもの発言をできるだけ肯定して包み込めるように,教材研究する必要がありますし,また,予想外の反応のときにも謙虚に受け止めるようにすればいいのです。   



包み込むことを考えよう

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包み込むことを考えよう     
                                                                                                    
一.包み込むことの定義
 最近,「船井論語」(ダイヤモンド社)という本がベストセラーになっています。この本は,船井幸雄氏の愛弟子ともいうべき中島孝志氏が船井氏の言葉を引用しながら,「人生編」や「成功編」について自由に語っているものです。
  ちなみに私のこの稿は,船井氏の言葉を借り手教育を語っているので「船井論語・教育編」といったところでしょうか。
 さて,今回は,船井氏の思想の原点ともいうべき「包み込みの発想」です。
 では,船井氏の言葉を引用してみましょう。
「大事なのは,それらの人や会社の生いたちが,自分の意にそわないからといって否定しないことである。
 この世の中に存在することは,どんなことでも,正しいとと肯定できるようになるのが,私は人間の努力目標だと思っている。
 すべてを包みこんで理解しようと考えてほしい。吉田茂元首相は,『俺は人を喰って生きている』といったが,すべての人をよいと考え包み込むことこそ大事である。そのときは毒であってもいつかは薬になる。食っても食あたりしないで栄養になる。
 なんでも包みこもうと努力すること。・・実行できることこそ,最大の努力目標だと考えてほしい。」(「包みこみの発想」サンマーク文庫)
 この包み込みの発想は,いろいろな思想を生み出します。例えば,包み込むためには,AorBからA&Bと考えること,すべてをプラス発想で現状を肯定すること,また過去オール善と考えて肯定することなどが連なってくるわけです。

◆長所を作る機会を持つ

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◆長所を作る機会を持つ

 ところで,長所伸展法でもう一ついいたいことがあります。子どもの長所が見えないときはどうするかという問題です。そのとき,教師の役目は,子どもに長所をつくってあげる機会を持つということです。例えば,係活動で仕事を持たせるのです。その仕事をまっとうさせて,そこをほめるようにすることです。長所を引き出すような場面の設定こそ,教師がなすべき仕事です。  
 教科指導でもこの手は使えます。例えば,発表することが苦手な子どもがいます。その子どもをいきなり黒板の前で発表させることは冒険です。そこでお勧めなのが二人対話法と呼ばれる方法です。算数の問題を子どもが解きました。それをいきなり発表させず,座席のままで隣の子どもに説明させるのです。説明を受けた子どもは,質問するのです。「この式はどういうことですか」と。5分もあれば,隣どうしでの説明は終わります。つまり,説明することに自信を持たせるのです。それから,発表させるのです。特に発表が苦手な子どもを意識して指名します。その瞬間をとらえて発表がうまくなったことをほめればいいのです。たった5分の訓練で子どもが発表に自信を持つわけです。       
 子どもの長所を見つけること,また長所をつくるような機会を設定することが教師の役目です。



◆長所伸展法が正しい方法

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◆長所伸展法が正しい方法

 船井氏はいいます。「会社の業績を伸ばす方法として,私がアドバイスする基本は『短所に目をつぶり,長所をほめる』やり方です。この方法は人を育てるにも役立つそうです。この方法にであってから,私は意識してこの方法を使うことにしています。例えば,仕事がら,現場の授業を見てアドバイスするのですが,基本的に長所を見つけるように心がけでいます。
すると,どんな授業でも見つけることができます。たとえば,「ノート指導がいい,板書がいい,あの子供の発言がいい」というように見つけて指導します。もちろん短所も見えますが,あまり触れないようにします。本人が「あそこの指導が悪かった。反省します。」と言えば,そうですね。よく気がつきましたね,と応対します。それから,指導の改善策についてお話しさせていただきます。これだけで,その先生は,元気になります。自信を持ちます。案外これだけでうまくいくのです。
 この方法はまどろっこしいようですが,その現場の小学校からもう一度来てほしいという依頼を受けることが多いので,長所伸展法は正しい道だといえそうです。

◆「ある」と思うことから始まる

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◆「ある」と思うことから始まる

 そもそも,船井氏の教育の原点は,「人間には能力はある」としている点です。「ある」と考えていることが大きいのです。「ある」から引き出す(educate)ことができます。引き出すの教師の役目です。
 反対に,「人間には能力がない」と考える立場もあります。「ない」と考えるから「教えてあげる」のだという立場です。「ない」と考えているのは,それは,人間の研究がたりない人です。脳の研究からいっても,「ない」のではなく,生まれつき「ある」のです。人間の脳は,一生かかっても5%しか使われていません。5%ですよ。後の95%は眠っているのです。使われずに一生を閉じるのです。5%の脳だけでも,人間はこれだけの素晴らしい文明を作り上げてきたのです。他の動物にはできなかったことです。
 だとすると,後の95%が使われだしたらとてつもなく大きなことができるはずです。現在の科学では,また,教育学では,残りの95%を使うノウハウが未知なだけです。ですから,「人間には能力がある」という立場で,子どもを見ていくべきだと思います。
 あるとき,中学1年生のある生徒が英語が苦手で困っていました。テストをしても一桁の点です。英語の教師は,この生徒に能力がないとあきらめました。ところが,その生徒の母親は,そんなことはない。この子どもには能力があると思って,一から特訓を始めたのです。そうして,3ケ月後,80点をとりました。英語の教師は,担任に「あの生徒ははどんな生徒か」と質問したそうです。そして,その後は,母親の力も借りずに英語を勉強していったそうです。
 この事例を聞いて,私は思いました。「人間の能力は無限である」と。母親とその子どもにはよい機会だったわけです。しかし,本来は,英語の教師がやるべきことです。週に4時間も生徒と接しながら,何一つ有効な手立てをうたなかった教師は失格です。その教師は,他の生徒にも評判が悪く,親からも不平が出ていたそうです。複数の親の証言があるからまちがいないでしょう。当然,その教師の運も落ちているわけです。
 そこで,「能力はある」という立場にたったら,いかに「引き出す」かということが問題なわけです。それが,船井氏のいう「長所伸展法」なのです。以前にも他の論文で,この長所伸展法について論じましたので,要点だけのべます。


船井幸雄の人間学から見た教育のあり方

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 ◆人間の能力は無限である

 船井幸雄氏は今年相次いで,単著をだされました。その第一は,6月に「百匹目の猿」(サンマーク出版」,7月に「エバァへの道」(PHP研究所)です。
 第一の「百匹目の猿」に教育について述べられている所が多いので,この本の中から取り上げてみましょう。
 「人の知的能力、人間性などいくら引っ張り出してても枯渇することがありません。きたえればきたえるほど豊じょうになります。他の資源と異なり有限ということがありません。人の器にはくめども尽きぬ能力が眠っているのです。」
 この3行と船井氏の人間の能力に対する基本的な態度です。つまり,人間は無限の資源を持っている,と言っているわけです。教師にとってこの言葉を信じるかいなかで教育の方向が変わってきます。
「あの子どもは,どうせこの程度だから」「いくら支援しても変わらないから,この程度でいいや」などど考えてはいませんか。上の発言をする教師は,能力の無限性を信じていないと思われます。「そんなこと言われるけれど,あの子どもはこのような思考しかしないではないか」と反論されることがあります。
 でも,私はそれは子どもの能力が眠っているからだととらえます。

鏡の理の応用

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■教師と子どもとの関係
 あなたは、教室に入るとき何に気をつけて入りますか。私は、ニコニコ顔で入るようにします。
 特に、最近示範授業で飛び込みの授業をすることがありますが、教室に入るときには、笑顔で入るようにします。そして、座席表をもとに全員の名前を呼びます。初対面なのでこの5分間が決め手なのです。名前を呼びながら、元気な声には「いい声だ」と励まし、元気のない声には「給食食べたのかな」などと冗談をいいながら進めるのです。全員の名前が終わると、子どもは安心感に包まれます。それから、本時の課題に入ります。
 どんなときでも教師は、笑顔でいたいものです。例え、体の調子が悪くとも、また心の悩みがあっても、それを顔に出してはいけません。そんな顔は、子どもとは関係のないことです。プロなら出すべきではありません。
 笑顔の効用は、第一に子どもたちに安心感を与えます。第二に、子どもの心にゆとりが生じます。このゆとりが知的好奇心へのとびらを開く鍵となります。授業とは何かということを私は「子どもの心をオープンにさせて、教材に出会わせることによって問いの発生を生じ、解決させていく活動である。」ととらえています。
 付け足していうと、「教師と子どもの波動現象の生命体である。心の波を起こし、知的好奇心から探究心がもととなって解決していく活動である。」となります。
 ですから,授業は,まず、心ありきですから、教師の笑顔が授業の出発点なのです。船井氏は、「温顔無敵」ともいっています。いつもニコニコしていれば、心配は無用ということでしょう。
 現在、私は大学で教鞭をとっていますが、講義をするときもニコニコして話します。また、講演も同様です。すると、学生も先生方も安心して私の話を受け入れてくれます。
 ところが、以前の私は,反対の授業もありました。顔にいやな感情を表して授業をしていたこともありました。私が未熟だったせいです。やはり、笑顔を出すためには、日頃から感情のコントロールをして、しかも教えることに自信を持つ必要があります。教育実習生がドキドキした表情をしているのは、自信がないので当然です。いやいや教育実習生だけではありません。私が参観した授業の中で、自信のない表情をした教師もいました。当然、表情は暗いのです。これだと、教えられる子どもは、この教師の言うことが本当なのかどうか疑心暗鬼といったところです。そのためにも教材研究は必要ですね。


 
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