最新更新日:2010/06/11
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閉校にはなりますが、4月以降もこのサイトは存続します。「過去の記事」の2009年度をクリックすると、見られます。更新するとはありません。アクセス、ありがとうございました。

皆さん、ありがとう

 3月31日午後4時過ぎから校長室で最後の「打ち合わせ」を行った。解散式ともいえよう。
 私がいくつか話をした。閉校の関係の作業は通常の学校教育には入っておらず、まったくの余分の仕事であること。にもかかわらず職員の誰1人として、愚痴を言うこともなく、怠けることもなく、与えられた仕事をしっかりと責任を持ってこなしてくれた。むしろ、この場に居合わせることに誇りと充足感を持っているのかとすら思えた。

 閉校記念行事には多くの方が集まってくださり、思い出に残る盛大なものとなった。しかし、決して子どもたちに無理はさせなかった。職員も無理はしなかった。閉校式で歌う歌は音楽の時間などに学習したものである。子どもたちは歌詞をしっかりと覚え、長谷先生の厳しい指導をむしろ楽しみに目に見えて伸びていった。
 その成果が3月21日の子どもたちの歌声であった。あのカラフルなTシャツの子どもたちが左右からのライトに光っていた。今もはっきりと浮かんでくる。太郎生の教育を象徴していたともいえる。

 そしてそれから10日が経ち、いよいよ最後の日。子どもたちはきっと美杉小学校に夢を抱き、準備していることであろう。

 最後になった。大げさな言葉で締めくくることはしない。太郎生小学校が目指した教育はスローガンを語ることではなかった。教室で子どもたちの力をつけることを目指した。そのことを、何人かの先生に評価していただいたのだと思う。

 太郎生小学校で学んだ子どもたち。学ぶことの楽しさ、努力することの楽しさを知ったはず。
 太郎生小学校に勤務した仲間たち。実践することの楽しさを味わったはず。
  
 そのことにはこれからも変わりはない。                   
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ありがとう

 三重テレビのニュースを見ました。さすがプロ!
 たった4分間なのに太郎生小のことが本当によくまとめられていましたね。涙もろい温かい校長先生。よく遊びよく学ぶ子どもたち。素敵な歌声。しっかり話を聞くたろうっこ。
 愛ある谷口さんのことを谷口さんがいけられた花を見せながら子どもたちに伝えようとする愛ある大澤先生。
 厳しさの中にも愛ある藤田先生のじんちゃんとじゃれあう笑顔。
 保護者や地域の方に支えられている太郎生小学校。
 そして雄大な自然。
 太郎生の大事なところがちゃんとおさえられていました。

 藤田先生が、最後に言われた「有り難い」の言葉が胸に残っています。本当に私にとってもこの2年間は、「有り難い」貴重な2年間でした。

 校長先生が、製本して下さった「たろうっこ」は、その2年間の大切な記録です。今読み返しても熱いものがこみ上げてきます。校長先生は、校長先生のお言葉でいう「泥縄の実践」を、藤田先生のお言葉をお借りすると「意味のある価値付け」をいつもして下さいました。
 愛をもって職員も子どもたちもいつも見守り助けて下さいました。でも、校長先生は「指導したつもりはない。好きなことをしていただけだ。」とおっしゃいます。本当に天職なんですね。

♪春なのに〜、涙がこぼれます〜♪という歌がありましたが、今日までにします。

 素敵な出会いもたくさんありました。堀田先生、玉置先生をはじめ、太郎生を応援して下さった先生方には、「これからもよろしくお願いします。」と言える自分でありたいと思うし、明日からの新たな出会いにも期待したいと思います。

 この2年間、何度も言いましたが最後にもう一度、本当に幸せでした。
 太郎生小学校にかかわっていただいたみなさん、本当にありがとうございました。

最後の日の教室

 今日は3月31日。いよいよ最後の日です。
 もっと感傷に浸るかと思いきや、そんな間もないほどひたすら片付け作業でした。
 
 いろんな荷物を片付けて教室はがらんとしました。もっと淋しいだろうと思っていましたが、不思議に気持ちはさっぱりしていました。
 きっとがんばれる。そう思っています。この教室でのいろいろな思い出と子どもの笑顔がよみがえりました。その思い出が胸にいっぱいあります。だから大丈夫。太郎生で得たことの大きさを思えば、太郎生で出会った人たちの笑顔を思えば、太郎生の空の高さと青さを思えば、きっと大丈夫。
 
 明日はきっと良い日になるはず。
 ありがとうございました。                  大澤由美乃

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太郎生小学校最後の日が終わる

 明治8年2月8日に創設された太郎生小学校。135年の歴史的な使命を終え、平成22年3月31日をもって閉校となる。今日はその最後の日。
 
 いつものように今日も、朝から忙しかった。私は午前中は文書作りなどの仕事をし、午後は校長室の片付けを始めた。もう大半の私物は持ち出している。後に残るはパソコンのみ。ネットがつながる間は使えるようにしておいた。
 
 午後、コピー機や輪転機が持ち出された。

 でもカラープリンタはまだ使える。これは美杉小に持って行くもの。本来であれば引っ越し日の26日に運ぶのだが、職員の便宜を図り、移動を後にしてくれた。きっと福井教頭は4月になってから取りに来てくれるのだろう。そんな愚痴っぽいことは何一つ言わない教頭だった。4月になってから、きっと何事なかったかのようにプリンタを運び出してくれるのだろう。職員が働きやすい職場を作るということを身をもって示してくれた。私も学んだ。
 
 美杉中学校の山本教頭が転勤の挨拶に来てくださった。小中連携にも触れた気持ちの入った言葉をいただいた。太郎生小学校と美杉中学校とはとてもいい関係が出来ている。それが美杉中を卒業した高校生にも引き継がれている。高校生が小学校のグライドで遊ぶとき、必ず職員室に声をかけてくれる。
 太郎生小学校が閉校になっても、太郎生の子どもたちは美杉小学校で学ぶ。美杉小学校と美杉中学校に引き継がれるだろう。
 美杉中の生徒が太郎生小の運動畳で遊ぶとき、職員室の電気が付いていることはない。

 午後4時を過ぎたところ、校長室に残っている職員に集まってもらった。講師の3人の先生をソファーの真ん中にすわってもらってお礼を言った。貴重な、そして欠かすことの出来ない戦力として太郎生小を支えていただいた。
 校長室に職員のみんなに集まってもらったのは初めてである。記念写真を撮った。セルフタイマーで。太郎生小学校の最後の写真。
 
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三重テレビのニュース

 午後5時40分のニュースを見た後、三重テレビの山口アナウンサーに電話しました。
 「あれ、使ったらだめだと言ったでしょう!! もう出入り禁止するからね。2回目の放送も見ないよ」とクレームをつけてしまいました。山口さんには「そんな〜」と笑ってごまされてしまいました。
 テレビは涙が好きだというをうっかりしていました。

 谷口さんをうまく撮ってくれてありました。生けていただいた花の素晴らしさが画面を通して十分に分かりました。しかも、谷口さんの取材のために山口さんは4回太郎生に足を運んでいます。あるとき、私が三重テレビに電話したら、お休みだと言われました。でも、来てくれました。オフなのに取材してくれたのです。
 谷口さんには最初はカメラを持たないで訪問。2回目はビニルハウスの取材。3回目は花を生ける様子の取材。これは卒業式の前日です。そして、卒業式当日。
 山口さんはこのほかにも2回ほど太郎生小にきてくださいました。4分間の番組ですが、太郎生滞在だけでも10時間をはるかにこえています。
 そして使うのはほんの一部。放映の前日に当たる30日の夜にも電話がかかってきました。内容はここには書きません。山口さん、武士の情けですよ。あんな扱いをされたのに(^^)/

 子どもたちの歌声を何度か使ってくれました。また、子どもたちが歌っている様子も映りました。もう見られない姿です。ビデオ映像でしか見られません。貴重な記録になりました。プロが撮った画面、さすがにきれいです。
 
 でも、2回目も見てしまいました。2回目のコメントはすっきりしていましたね。山口さん、太郎生のファンになってくれましたか。太郎生でイベントするとき、司会に来てくれますよね。

太郎生小学校最後の日・3

 ケーブルテレビの方がきてくださった。これからケーブルモデムの撤去。

 ここからはつながらなくなる。

 学校から、職員室から、そしてこの校長室から。

 いろんな発信をした。
 
 そして、多くの学びがあった。

 そして、いったんは終止符を打つ。

 後は自宅から、最後の更新をしよう。

 アクセスしていただいた皆さんに心からの感謝を。
   
 平成22年3月31日午後3時過ぎ。

   太郎生小学校 中林則孝


太郎生小学校最後の日・2

 本来は津市教育委員に出向き、あいさつをしなければいけない。
 
 でも、学校を閉じるというのは思いもかけない作業がいくつもでてくる。それに、ゴミも今は出しにくい。
 みんな忙しく動いている。お昼を食べたのは午後1時30分。それもカップラーメンを職員はすすっている。その間も、教頭先生と藤田先生は美杉小へ荷物を運んで行っている。
 
 教育長さんに電話した。普通は電話できる立場ではないが、遠いため電話で無事に閉校することを報告させていただいた。教育長さんからは「素晴らしい閉校式で,子どもたちの思い出になったでしょう。職員の皆さんにもよろしくお伝えください」と言っていただき、おもわずまた涙が。このところ、気持ちを切り替えていたが、やっぱり最後の日という思いは断ちがたい。
 私は校長という職責にあるだけで、ずいぶん目立たせていただいた。最後の校長として。閉校記念行事を行う校長として。しかし、私が難しい判断をしなければいけないことは何もなかった。頭を下げてお詫びしなければ行けないこともなにもなかった。すべて福井教頭を先頭に、職員のみんなが進めてくれた。
 大きな問題なく閉校できるのは、職員が自分の仕事を果たしてくれたからである。職員ががんばれるエネルギーは保護者に信頼されているという手応えがあったから。
 きっと職員のみんなも、閉校という大きな節目に関わったという充実感を持っていると信じたい。

太郎生小学校最後の日・1

 平成22年3月31日、太郎生小学校最後の日。135年の歴史を閉じる。

 そういった感慨にふける間もないほど、作業がいっぱい。朝から、太郎生区に配るお礼状を作り、400部印刷した。これを後で連合自治会長にお届けする。
 その後、校長会の文書。封筒を印刷して入れる。竹森さんが来てくれたのでお願いしたい。ありがたい。
 
 インターネットがつながるのは昼過ぎまで。モデムが撤去されることになっている。

 忙しく仕事があるのはありがたい。
 職員はみんなそれぞれに忙しく動き回っている。でも、温かい。ところどころで笑い声も。柘植先生も来てくれた。ボランティアとして。ありがたい。太郎生小学校はこんな職員集団だった。

3月30日の仕事日記

 3月30日も忙しかった。朝、登校してすぐに学校便りの製本作業をする。表紙を作った。上巻と下巻の2冊に分けたので、表紙も2種類必要になる。
 9時30分に学校を出る。4月からの勤務先での引き継ぎ。校庭の周りの桜が咲きかけている。太郎生よりも暖かい。全般的な説明を受けた後、校舎を回る。体育館に入ると、入学式の準備がある程度できていた。卒業式を手直しして入学式を行うのだろう。慣れ親しんだ太郎生小学校の体育館とは雰囲気がことなるが、ここで入学式があり、そこであいさつをすることになる。そう考えるとこの学校が自分の勤務校になるのだ、毎日ここに通うのだと思えてきた。

 最後に校長先生が一言。「この学校の一番大きな問題は運動場の草引きです。技能員さんが、今度の校長先生、草引きをしてくれるかなあと言っていました」と。ここも学校と保護者の信頼が厚いという。職員が努力してこのようないい学校を作ってきたのだろう。私もがんばりたいと思う。

 午後は別の会議。校長会関係。4時に終わる。学校にもどる。車の中では、来年度のことを考えていた。校長会の文書作りや、最初の職員会議で話すことなど。

 閉校式も、修了式も終わり、職員室の机は少なくなっている。机の上にには荷物はほとんどない。ロッカーの書類も整理された。みんな次のことを考えている。それでいい。私も、太郎生小の閉校を既成事実として受け止めることができてきたようだ。次の環境にうまく進まないことには、太郎生小のこの1年のがんばりが意味のないことになる。子どもたちが美杉小学校でしっかりと勉強するためにこの1年教育活動を行ってきた。
 散り散りになる職員もまた、太郎生小学校で実践したことをこやしに次の職場でも活躍するだろう。それが太郎生小学校が果たしてきた役割といえる。 

 「たろうっこ」の製本を続ける。私の保存用までは手が回らないが、保護者用だけは終えておきたい。7人の保護者が製本のために「たろうっこ」を持って来てくれた。たろうっこは保存することを前提にしているわけではない。いわば新聞のようなもの。でも、それを残しておき、製本してまで保存してもらえるのはありがたい。目次をつけた。

 三重テレビの山口アナウンサーから電話。31日の太郎生小の閉校関係の放送は5時40分からと9時55分からとのこと。何度も取材に来てくれた山口さん。どんな切り口か楽しみ。三重テレビを見られる人は是非みていただきたい。

 新聞社から電話。閉校関係のことではなかった。教科書のことで何点か聞かれた。

 夜、遅くまで片付けをした。途中、警備会社から電話があった。

 3月31日になった。全国で、異動する教職員は数え切れないほどいるだろう。閉校になる学校も少なくはないという。涙に暮れる人も多い季節だ。
 3月は出会いと別れの季節。いい出合いを求めて、前向きにがんばりたい。
 
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次年度へ

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 2009年度は終わった。すでに2010年度が動き出している。29日、引き継ぎや運営委員会が行われた。
 私は終日、校長室を出たり入ったりしながら、片付けを進めた。戸棚の中はほぼ片付いた。でも、机の引き出しはまだ手をつけていない。
 校長室は今は段ボールと荷物が無造作に置かれている。倉庫に近い状態。
 
 この校長室で、2年間仕事をしてきた。保護者からのクレームは一度もなかった。真に建設的な仕事が出来た。大澤先生が息せき切って入ってきて「校長先生、やっぱり授業が大切ですね」と言ってきたこともあった。廣崎先生が写真を持って来て、「データにしてください」と言うので、その場で複合機のスキャナで読み込んでデータにし、gmailで送ったこともあった。
 この校長室には仕事ができるものがだいたいそろっていた。スキャンスナップも活躍した。閉校記念の音楽CDはこの部屋でマスタリングをしたものだ。
 そして何よりも、日々の「たろうっこ」やHPはこの部屋から発信した。
 しかし、私はあくまでPRマン。教室での、体育館での、運動場での素晴らしい実践を行う教師がいた。
 この2年間、やれることはすべてやった。そう思う。職員も、私も手応えを感じた。子どもたちが自信を持った。多くの保護者に喜んでもらえた。

 30日は異動先の学校での引き継ぎを受ける。職員はすでに新しい学校でのことを考えている。私は少し遅れたが、30日から異動先での仕事を考えよう。私を待ってくれている子どもたちがいると思いたい。

 写真下は、雪の降る寒い中、花を整理し、洗面台をそうじしてくれている職員。
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あるブログ

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 こんな記事がありました。

 きつい日程の中、太郎生小に来てくださいました。ありがとうございました。

 今日は太郎生は1日中、みぞれと小雪。寒いです。
  
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いつものように更新

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 いつものように、風呂上がりの深夜、HPを更新する。2年間続けてきた。
 HPに書くのは、直接は保護者のためであるが、同時に自分の足跡を記録するためでもある。

 いわば日記。
 いわば実践記録。
 いわば備忘録。
 いわば私の教師修行の場。
 いわば太郎生小学校のPRの場。

 太郎生小学校のHPはなんでもありだった。美杉中の野球部のおっかけをしたこともあった。美杉中の野球部の真剣な姿はきれいだった。堀山先生の指導の一言一言を聞き逃さないようにした。甲子園球児という看板だけではなかった。そんな看板がなくても一流だった。
 その野球部のメンバーも、大きな体で、太郎生小の合唱練習に参加し、21日も歌ってくれた。うれしかった。素晴らしかった。
 
 今、BGMにシューベルトの即興曲がなっている。ブレンデルが奏でるシューベルトを聴きながら、太郎生小のHPを更新できる幸せ。あと3日もそれができる。
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片付け

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 卒業式も、閉校式・閉校記念行事も、修了式も終わった。でも、なかなか片付けができていなかった。ほかにすることがいろいろとあった。

 午前中はあるレポート作成。6000字。昼前に完成。提出の準備も終わる。

 午後、元校長の益川先生に電話する。そして、閉校記念行事のDVDのことを話す。合唱を指導した長谷先生とメールをやりとりする。閉校記念行事のこのDVDはぜひとも保護者に配りたいと思う。
 保護者もビデオカメラを回していた人がいるが、小学校の職員が録画したもののほうが、位置がよかったので、きれいに撮れているはずだ。体育館とは思えない。左右からの照明に、タロウTシャツが映えている。何よりも、子どもたちの顔。神々しくも見える。中学生も顔を上げて歌っている。

 28日の夕方、ようやく校長室の戸棚の書籍類を運び出した。書籍と雑誌を合わせると200冊以上の本を持ち込んでいる。もちろんそれが私の教育書のすべてではないが、今、関心があったり、最近購入した書籍が並んでいる。
 昨年の10月、堀田先生が来校されたとき、これらの書籍をご覧になった後、「6割は私も持っています」と言ってくださった。たまたま太郎生小学校の書棚の教育を見て、6割といわれることは、膨大な書籍をお持ちのことなのだろう。そうじゃないと、私が読んでいる書籍を見て、6割という数字がでることはない。
 
 校長室の荷物を片付けながら思うこと。「退職じゃなくてよかった」と。私にはこれらの私物を次に持ち込める学校がある。もう一度、学校で子どもたちと関わることができる。職員の皆さんとの出合いもある。閉校になるさびしさや子どもたちと別れるさびしさがあっても、1週間後にはあらたな学校で、あらたな子どもたちと出会える。あらたな夢を描くことができる。
 そう考えると、校長室の片付けも、少しは元気が出る。

 燃えるゴミを透明のビニル袋に入れた。でも、もう用務員さんの勤務は終わっている。講師として太郎生小学校を支えてくれた職員も、すでに最終の勤務日が終わっている。月曜日からはもう出勤しない職員が何人もいるのだ。愛すべき職員だった。でも、すでにちりぢりになっている。
 私にはあと3日の時間がある。

 写真は、太郎生小学校の子どもたち、本当の最後の合唱風景。平成22年3月25日午前10時。卒業生も歌っている。38人全員が歌っている。後ろの保護者も立っている。
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表彰式

 東京で行われた「第10回インターネット活用教育実践コンクール」の表彰式の様子です。残念ながら卒業証書授与式と重なり、太郎生小学校からは参加できませんでした。代わりに津市教育委員会の指導主事が参加し、賞状やトロフィーを受け取ってきてくれました。

 代理とはいえ、指導主事先生は、太郎生小が7月8日に出発するときは、太郎生まで見送りに来てくれました。また、9日は答志島に来て、子どもたちと一緒に活動もしました。宿にも来てくれています。
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皆勤賞

 5年前からこの学校に勤めていますが、太郎生小学校の子どもたちは本当に学校を休みません。昨年の卒業生には6年間皆勤という子どももいました。(ちなみに中学生になった彼女は皆勤賞7年目に突入だそうです。)

 おうちの事情で休む場合はしかたがありません。しかし「病欠」が全学年を通して非常に少ないのには本当に驚きます。
「子どもが健康だから病欠が少ない。」一言でいえばそれで済むのでしょうが、親でもある自分としては「子どもがいつも健康な状態でいる」ということが簡単なことではないと知っているつもりです。
 健康な体のための基本的な生活習慣、もっと言えばおうちの方が子どもの健康管理を毎日きちんとして下さっていることが根本にあるおかげでこのような結果になるのでしょう。本当に頭がさがります。

 また、子どもでも「なんだか今日は行きたくないなあ。」と思う日もあるはずです。(大人でもありますものね(^^;))それでも、きっとおうちの方が明るく子どもたちを学校に送り出してくださっていたのだと思います。

 おうちの方々にしっかりと支えられて、毎日があったことを改めて感じました。
 ありがとうございました。

※皆勤賞を渡しているところ。19日に卒業した6年生にも、渡しました。おそくなってごめんなさい。
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またブログに

 涙がとまりません。どうかしています。

 こんな記事を書いてくださいました。太郎生小学校という名前を全国に最初に紹介していただいたのが、このサイトでした。そして何度か、話題にしていただきました。検索すると、11回も取り上げてくださっています。こんなに多いとは。

 そして、今回のコンテンツには次のようなことが。
「修了証書をもらう子どもたちの堂々とした姿勢、きりりとした表情。実に美しい。この姿勢は練習を積み重ねればできるというものではない。子どもたち一人一人がとてつもなく大きな自信を体の芯に持ったからこそ、自然に生まれてくる姿だと思う。まさに太郎生小学校の教育ここにあり!」
 
 保護者の皆さん、皆さんのお子さんのことなのですよ。これは。
 保護者が学校を信頼することが、このような教育を可能にする学校を作ったのです。職員だけの力ではありません。

 一番下は、職員(ピアノを弾く長谷先生とカメラウーマンの廣崎先生は写っていないが)。子どもたちと同じように、顔を上げ、背筋を伸ばして、立っています。手にはPTAからいただいたこれまたサプライズのマグカップが。児童と職員の集合写真とTAROシャツのオリジナルデザインも。これもいつ、どこで相談がまとまり、どうなったのか、未だに分かりません。大好きなコーヒーをこのマグカップで飲みます。自宅で使います。ありがとうございました。
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いただいた感謝状

 3月25日、修了式の直後、「PTAの皆さんから」ということで始まったサプライズ。
 いただいた分厚いファイル。そこには90ページにわたり、写真やメッセージがずらり。メッセージを書いていただいたかたは190人にも。

 読むのに1時間近くかかりました。「感謝状」も。一体誰が、いつ書いたのでしょうか。
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修了式から

 どうどうとしています。
 

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修了式から

 胸を張り、顔を上げる子どもたち。太郎生の子です。
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修了式から

 みんなかっこいいですね。
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学校便り

データ

津市立太郎生小学校
〒515-3536
三重県津市美杉町太郎生2128-1
TEL:059-273-0324
FAX:059-273-0746