最新更新日:2024/05/23 | |
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南風あったかげん記−705−今日は犬山市民総合大学−中近世史学科を受講してきました。テーマは、〜付家老の成立と成瀬家の歴史〜の1講目、「家康と成瀬氏」でした。 成瀬氏は、ご存じの通り犬山の殿様で、元和三年以降、代々犬山城の城主を務めました。今日は、成瀬家として初代城主の成瀬正成とその父正一、正成の前の犬山城主 平岩親吉、そして大久保長安を通して、家康の側近の実態に迫るのがねらいでした。とても興味深く聴くことができました。 成瀬正一は、はじめは武田信玄に仕え、姉川の戦いで家康に仕えるようになりました。有名な「長篠合戦屏風図」では、武田軍の旗指物の識別や鉄砲隊の指揮を行っています。○印が正一で、「あの旗はだれそれ」と教えているところです。武田軍に詳しいため重宝されました。 その息子、正成は、本多正純、安藤直次とともに閣老、すなわち側近を務め、政務を司ります。小牧長久手の戦いで、17才ながら武功を挙げ、根来組といわれる百人組の鉄砲隊の長となります。これは家康軍の最年少記録です。 この後、尾張徳川家の家老で、犬山城主となりました。 家康は、経済官僚タイプの大久保長安、武力に長けた側近中の側近としての成瀬正成、その両者の中間に当たる平岩親吉をうまく使い分けていたという話が続きました。 話の合間に、軍役負担は土地台帳に基づき、そのために検地があったとか、朱印が仕えるのは将軍のみなど、いろいろなエピソードを交えた興味深い講義でした。 第2講は1週間後です。 |
岩倉市立南部中学校
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