最新更新日:2024/06/10 | |
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笑瀾万丈7 Web 公開大学は大阪教育大学であったが、就職は神戸市にした。神戸で生まれ育ったから当然である。その頃、高校の同窓生で大阪教育大学に入学した者では、神戸から大阪に就職する友人もいた。たぶん、将来を考えてのことだったと思う。私には、なぜ大阪に就職するのかが分からなかった。世間知らずであった。 私は、神戸に恩返しをするつもりでいたから不安はなかった。ただし、その頃の倍率は2倍を切っていた。大げさに言えば、誰でも合格可能であった。でも、私は採用試験の勉強をかなりした。というのも、父がガンだから、試験で失敗するわけにはいかなかった。だから、周りの人よりも勉強をした。だから、採用試験の問題はけっこう解けたと思う。高得点だったと思う。 面接試験の時に、面接官がにこにこしていた。そして、「夢野台高校出身ですね」と面接官から質問された。「この方はご存知ですか」と。私はわからなかった。その方は女性で、夢野台高校の同窓会長だった。確か、白井さんだったと思う。面接の雰囲気からして、神戸市は来てほしいという感触を得た。 教訓:絶対、勝たねばならないときがある。そのためには、徹底してやることである。 |
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