最新更新日:2024/06/10
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笑瀾万丈14 五位の池小学校

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☆五位の池小学校時代
 神戸市の初任者は、3年間で転勤するという約束になっていた。転勤した学校は長田区にある五位の池小学校であった。学校の規模は、各学年5クラスあった。赴任しておどろいたのは、運動場の向かい側は団地群であった。だから、運動場の声が団地に響くのである。また、団地からフェンス越しに丸見えであった。
 前任校は、各学年2から3クラスであったから職員室の広さ、職員数の多さにびっくりであった。この学校は、ミドルリーダーになる先生が多く、活気があった。当然学年で行動することが多かった。当初、3年生を受け持ったが、ベテラン教師が2人、私、そして新任教師が2人いた。1つの学年に2人の新任とは驚くべき配置であった。学年主任の寺谷先生は書道家でもあった。この先生から斉藤喜博全集をお借りして読みあさった。
 校長先生は、神戸市の校長会の会長であり、その方のもとに優秀な教員が集まっていた。だから、いろんな教科に精通した人が多く職員研修も活発であった。学べきことがたくさんあった。
 住居は、灘区青谷から垂水区の学びが丘に転居した。ここは公団住宅で5階建ての1階であった。ベテランだごしに見える芝生は我が家の庭のようであった。
 通勤はバスと電車で1時間10分かかった。山陽電車の板宿駅から学校までは徒歩で12分ほどであったが、最後の200mの登坂がきつかった。
 五位の池小学校時代は張りきりボーイであった。


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