最新更新日:2024/06/19 | |
本日:35
昨日:33 総数:441729 |
1時間じっくりとある研究会で、「1時間じっくりと算数・数学の問題を考えることは大事だと考えますがどうですか」と質問された。 私は、やんわりと、「算数・数学の授業ではどの子もできることが大事なんだよ、また、年間150時間近くのカリキュラムがあってバランスよくやらないといけませんよと答えた。」 この話を同僚のI教授に話してみた。 「それが理想なんだけれど、でも1時間じっくりと全ての子どもが考える良い問題があるかというとそうではない。」 教師の手助けなしにじっくりかけることができるかどうかとなるとなかなか良い問題がないんだよね。」 これに対して、私は、「そうなんだよね。進んだ子どもが1時間じっくり考える問題だと、遅れがちな子どもはすぐに投げ出してしまう。反対に遅れがちな子どもがじっくり考える問題だと、進んだ子どもは早く終わってしまう。」 授業の構成要素が、「教材」と「子ども」、しかも「全ての子ども」となれば、なかなか良い問題がないのは確かである。 [志水廣の公式ホームページ] なぜ活動するのかなぜ 算数的活動をするのか。 事象に働きかけるため。 ある事象に対して、数学的なきまりを見つけるために働きかける。 だから、数学的なきまりを見つけないと活動は意味をなさない。 [志水廣の公式ホームページ] 子どもの愛学級の中でおとなしい子がいる。 教師が声をかけないと、だまって自主的に判断して処理してしまう子である。 たとえ、問題ができなくても、教師に言うと迷惑だと思って、隣の子のノートを写して済ませてしまう子である。 物言わぬ子はいわゆる手間がかからない子なので、教師にとってありがたいのであるが、本当にそれでよいのか。 子どもの「愛」に甘えてよいのであろうか。 ○つけ法は、悉皆で見る。くまなく見る。 だから、情報の取りこぼしが減る。 どの子どもも教師のあなたの声かけを待っている。 [志水廣の公式ホームページ] 限界を破る30代の初めの大学院時代、 また、附属小学校時代、いずれも限界への挑戦だったように思う。 特に附属時代は、かなりの仕事量であった。 だから、はじめはマイナス思考であった。それでまた仕事がはかどらない。 ところが、ある時、割り切ることができるようになった。 すると、不思議なことに仕事が速くなった。 これがよかった。 つまり、限界を破ることが人間には可能だと思う。 わくわくしてやれば病気にもならない。 [志水廣の公式ホームページ] 当たり前初めて良い経験をしたときは感動する。 ありがたいと感じる。 それが続くと慣れがでてきて、当たり前という感覚になる。 これが怖い。 一瞬の出来事に、当たり前はない。 ありがたいの連続である。 [志水廣の公式ホームページ] 「WHY」よりも発問では、「なぜ□□なの?」「どうして□□なの?」ときくと、 詰問調になる。だから、なるべく使わない方がよい。 ではどうすれば、よいか。 「どうやって考えたの?」・・・・・how 「□□ってどういうことなの?」・・what 「□□はどこにあるの?」・・・・・where がよい。 これは、10年ほど前に研究してわかったことである。 授業で使ってみてほしい。 [志水廣の公式ホームページ] マイナスでもマイナスの状況下でいかにして、明日への明るい光を見いだすことができるか。 そこを常に問われている。 [志水廣の公式ホームページ] 授業は、学級は授業では、どの子も本時のねらいを達成することが大事。 学級は、全ての子どもにとって安心感のあるところ、自己重要感のあるところでなければならない。 一部の子どもだけがヒーローではいけない。 理解の早い子どもも、普通の子どもも、理解の遅い子どもも、満足するような空間。それが学級である。 ○つけ法も理解の早い子どもだけに○をつけるとしたら、とんでもない誤解である。 他の子どもたちも教師であるあなたの○を待っている。 ○を待つということは、○にする手だてをうつということである。 時間をかければ、自力解決できるであろうという仮説は全く空虚である。 5分間も手が止まっている子どもに、一言も声をかけないというのは、罪である。 これを放置罪という。 放置してはいけない。救うことである。 困っている子どもは教師であるあなたの支援を待っている。 [志水廣の公式ホームページ] おにぎり志水塾の朝、後藤先生がおにぎりを作ってくばってくれた。これが温かい。 みんな元気がでた。 学級の子どもたちと一緒に作った米で炊いたという。 1このおにぎりに詰められた子どもたちの思いがみなんを元気にさせてくれる。 [志水廣の公式ホームページ] お仕置きへたをすると、お仕置き復唱法になってしまう。 温かい気持ちで教師も復唱し、子どもにも復唱させてみよう。 できないことの一宮の指導主事からうかがった話。 1.「体育科の授業では、できない子どもの気持ちを考えてくださいよ。 跳び箱でも『できない子どもは飛べないという事実を人前でさらすことになるのですよ』この気持ちを考えてやってくださいよ。だからこそもどの子どもにも『できる』ことを保障すべきなのです。」 2.運動の技は簡単なものから高度なものまであります。「できる」子どもにより高度なことを求める授業は可能です。でも、体育科の授業ではそれを求めません。どの子も「できる」技があればそこをまず求めます。 この話をうかがっていて、『「愛」で育てる算数数学の授業』の精神と全く同じだと感じた。 算数・数学科の授業でも特定の「できる」子どものためになってはいないか。 「できないこと」をみんなの前にさらすことの危険性を感じて授業をしてていないか。 「できない」事実が分かれば、できるように 指導したか、また、できるようになったかどうか、確認と見届けをしたかどうか。 「いいでーす」「わかりました」「伝わりました」と一斉連呼で終わる授業で本当によいのだろうか。考えてみてほしい。 [志水廣の公式ホームページ] 目立つこと世の中では目立ったらいけないと言われている。 それは、変なことをして目立ったらいけないからであって、良いことでは目立つ方がよい。 いてもいなくても良いような存在であっては困るのである。 あなたの特徴を出して、世の中を改善していくことについて目立つような人であってほしい。 だから、教育の役割は、改善・改革していくことができるような人材の育成である。 [志水廣の公式ホームページ] 活用力の育成活用力の育成のためには、教師の目利きがいる。 身の回りの生活のなかで、かけ算はありますか。わり算はありますか。 比例はありますか。 などと、考えてみることである。 30円というのは、10円玉が3こである。 10を単位とした考えとみることもできるが、10の3こ分だから、かけ算である。 さて、1円玉にはどんな数学があるでしょう。 よく知られているのは、1円玉は1グラムということ。 次に、直径が2cm。だから、半径は1cm。 さて、ここで質問。1円玉の面積は、何平方センチメートルでしょうか? ほら、1円玉にも数学がある。 [志水廣の公式ホームページ] 数学的コミュニケーションとは数学的コミュニケーションの定義(2009.11.8 志水) 「算数・数学科の授業において、数理情報について教師と子どもとの「知」と「心」の変容をもたらす交流過程」 子どもだけではなくて、教師も変容することも大切な要素と考える。 [志水廣の公式ホームページ] 行きつ戻りつ人間は、何かを「わかろう」とするとき、一つのことばかり考えていると飽きてしまう。 特に、子どもは飽きが早くくる。 だから、45分間同じ問題を考え続けるのは普通は苦痛である。 途中で何か面白い事実にでも出会わないと飽きてしまう。 まして、また、少しわからなくなると投げだす。 だから、同じ内容でも目先を変えて提示すればよいのである。 すると、気を戻してまた考えることができる。 幸いなことに人間の頭は 全部が完全にわからなくても、先へ進むことを許す。 これがパソコンと大違いなところ。パソコンは、手順を間違えると先へ進まない。 人間は融通がきくのがよいところである。 [志水廣の公式ホームページ] 教えたとしても教えたとしても「分かる」とは限らない。 子どもが「分からなければ」、授業が成功したとは言えない。 [志水廣の公式ホームページ] 優しい言い方一昨日の講演会でのできごと。 ○つけ法を教えていた。ペアで参加者は○つけ法をしていた。その中でとても上手な声かけをしていた男性がいた。思わず、「優しい言い方ですね」と話した。すると、その後ろの方が「そうです。この方は優しいんです」という。 後でわかったのだけれど、その方は保護者だった。 教員ではなかった。それでも、優しい声のリズムと高さ。 声かけに、教員も保護者もないんだ。あるのは、人間性なんだと思った。 [志水廣の公式ホームページ] 悩みを引き出す手分かり合えるとは、 告白から始まる。 自分の悩みはここなんだけれど・・・。 そうかあ、ぼくもここで困っているんだ。 どうすればいいのかなあ。 こんなことを子どもはなかなか発言しない。 それを引き出す手がある。授業の最後の場面で、 教師からの誘い。「ねえねえ、みんなね、今日の問題を解いていたら、鉛筆が止まっていたよ。それはどうしてかなあ。困っていたわけを教えてください」 というとよい。 そうすると、結構、話してくれるものだ。 もちろん、授業の最後ではなくて、途中で質問してもかまわない。 [志水廣の公式ホームページ] 式と答えの発表式と答えがでたとたん、式はプロセスではなくて、結果である。式を発表させてもプロセスを語らせているとは言えない。 式を立てる事ができない子どもは、上の発表を聞いても共感・共有できるとは限らない。 なぜ、そんな気づきに至ったのかがわからないからである。 もっと子どもが式を立てる前には、問題に対する思いがある。不安、疑問、驚き、困ったことなどがある。そこから語らせたい。そして、式を立てる。 [志水廣の公式ホームページ] 自助努力「天は自ら助くる者を助く」というが、 まさにその通りで、自助努力をした人に対してご褒美をくれるのである。 運がいいというが、何も自助努力しない人にはご褒美の運はこない。 ご褒美をもらえる人、もらえない人の差はそこにある。 [志水廣の公式ホームページ] |
|