最新更新日:2024/06/01 | |
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種1つずつ種をまいて育てていく。 個の花が咲くようにと願って。 「ゆう&ゆう」に掲載内容はエッセーで2ページ、タイトルは「得意なことが天職になる」で書かせていただきました。 夏頃に執筆依頼があり書かせていただきました。 小見出しだけ書くと ・国語力の乏しさ ・算数も苦手から出発 です。 愛知県の方は、お近くの学校にあるはずのでご覧いただければ幸いです。 元気に会って話すと元気にさせてくれる人がいる。 こういう人は、相手をおもんばかって行動している。 しかし、おべっかを使っているのではない。 自分のプライドを保ちつつ、面談しているのである。 昨夜もある人と話していると、志水先生は打てば響きますねと評価いただいた。 ありがたいことである。 こんなふうに言われると、こちらも相手を元気にさせてあげたいと思う。 真似るある新任教師の話。 あまりにも授業がうまくないので、教務主任に授業を見せてお手本を見せ続けている。 ところが、真似ができないと校長は言う。 真似る素直な気持ちがないのか、それとも真似る力がないのか。 不明である。 教師の動作を真似るには、まずは、言葉の台詞と動作をそっくり見抜くことから始まる。見抜いているかどうかそこを判断してみよう。 もしかしたら、見抜いていないかも。 しかけ学ぶことの連続のためには、常に問いの発生と面白さがなければ続かない。 そのためには、教師からの「しかけ」が必要。 21世紀の教育では、資質と能力の育成のが必要で、そのためには、「学ぶことの連続性」が不可欠。 この意味で、緑丘小学校の研究は意義深い。 目の前目の前の人を心地よい状態にしてあげる。 すると、その人は頑張る。 たったそれだけのことであるが、これがなかなかできない。 私の仕事は授業診断を通して教師の授業力、学校の改善力を上げることである。 心がけていることは、常に善なるものを見つけ出し励ますことだ。 毎回、修行である。これまで6000人以上の人にアドバイスしてきた。 いろいろあった。 授業を見るたびに手強い授業が出現する。 それを面白い仕事だと思ってやっている。 全身全霊を絞ってその人にふさわしい診断を下していく。 そこが面白い。 ストレス「知」のストレスがたまる状態というのは、わからないことがが多いときである。 つまり、学力が低くて溜まる場合。 反対に学力が高い場合もある。 新しい難易度の高い問題を解決していて、ストレスが溜まる場合でがある。 きかく力授業づくりには、企画力、規格力がいる。 規格をそろえるということは、ユニバーサルデザインのこと。 企画するということは、企てるということであり、言い換えると、仕掛けるということ。 しかけについては、みよし市立緑丘小学校の研究が参考になる。 騒がしくなるとき子どもが騒がしくなるときはどんなときか。 1 やることが簡単過ぎて、すぐ暇になるとき。 2 先生の指示がわからないとき 3 指示はわかるけど、指示の意味がわからないとき 平衡ストレスを感じると自律神経がおかしくなる。 右側に傾けば、左側からのエネルギーがきて、平衡を保とうとする。 これが人の体の恒常性維持機能である。 新任教師の心構え1に 体力、2に 体力、3にも 体力、4に 精神力、5に 知力。 とにかく、教師が不登校にならないこと。 病気で休んだり、精神がめいって休んだりしないこと。 子どもは毎朝、あなたを待っている。 山のように山のようにある仕事を見て嘆いていたら、ちっとも進まない。 まずは、仕事の書き出しをして見える化して、優先順度の高いものから始めるしかない。 足りないという発想では何が足りないかを考えている限り、新しい発想は出てこない。 足りないのなら、補充しようということになる。 でも、補充したら、それでお終いということになる。 突き抜けた改革をしようとするならば、もっとこうなりたいという思いから施策を考えることである。 宇宙語どうし教師からみたら、子どもたちの会話は何を言っているのかわからない。 特にな1年生は単語とオノマトペの世界。 まさに宇宙語を話しているようだ。 ここまでは普通の話。 ところが、この反対の話を伺った。 子どもにとっては、教師の言葉は宇宙語だという。 確かに、新しい言語を駆使する教師の言葉を子どもは理解できない。 そうすると、教室空間は宇宙語の響き合いである。 だから、ずれが生じてもやむをえない。 そこで、理解しあうためには、復唱とその意味を問い返すことである。 よって、意味付け復唱法が不可欠なのである。 生徒の気持ちある授業で生徒が数学の問題の説明の発表から始まった。 私にとってははじめての問題なので、途中でついていけなくなった。 このような説明が2問続くと、黒板を見る気がなくなった。 できない生徒ってこんな感じなんだろうなと思った。 ちなみに、私はノートに問題を解いてみた。すると、解けた。 この後、他の説明の板書も見る気になった。 なるほどそうか。 人の解法の説明は、自分なりに解けてからでないと、受け入れがたいものがある。 たった10分間ほどの時間に生徒の気持ちがあらためて分かった。 その場の迫力授業を場で見ること。 その場で見ると、授業の空気を感じることができる。 教室の張り詰めた空気、またはゆるんだ空気、などなどを感じる。 良い授業は、教師と子どもとが一体化してお互いに考えている。 それそぞれの発言が的を射ていく。 この空気感はたまらない。 ゴールゴールを見定めると、その前の手立てが決まる。 教材研究はゴールを決めることから始まり、その前の場面では何をすればよいか、さらに、その前の場面は何をかればよいかを考えていくことである。 この教材研究の順序を逆思考の教材研究と呼ぶ。 さて、そこで、このゴールの見定め方が一番問題である。 1.知識・技能が授業の最後に身に付いて、「できる」ようにしたい。だから、問題解決の仕方を教える。 2.解決の仕方を生み出すこの思考方法を身につけさせたいから、思考方法に重点を置いて教える。 3.単なる解決の方法だけでなくて、他の分野にも応用可能な学び方を身につけさせたいから学び方に重点を置いて教える。 1か2か3のいずれかが大事という区別した見方では、偏った指導になってしまう。 実際に知識・技能は身に付けさせたいし、考え方も身に付けさせたい。 これらの調和を取るためには、やはり自ら「考える」場がなくてはならない。 苦労して考えたことは忘れないからである。 また、学力差も考慮に入れて、1と2と3の配分を考えるとよい。 よくできる子どもには、3までを求めたい。 普通にできる子どもには、1と2を求めたい。 指導に手がかかる子どもには1を求めたい。 つまり、その子どもの力に応じて指導に当たりたいのである。 では、その証拠はどこに現れるか、ノートである。 ノートを見れば、その子の学びの足跡がある。 特に、振り返りを書かせたノートにはそこが現れている。 今一度、振り返りを点検して見てはどうだろう。 あなたの授業のレベルが見えてくるだろう。 |
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