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最新更新日:2024/06/19 |
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感情![]() ![]() 理路整然と話されても人は納得しない。 そこに、感情が込められていないといけない。 その理論を伝えるのにどれだけの思いが入っているか。 入るような表現をしているか、そこが問題なのです。 感情がないのは「あっかんじょ−」 事後の報告![]() ![]() 最近学校訪問した教務からこんなメールが届きました。 「先日は志水先生にお越しいただきましてありがとうございました。 志水先生にご指導いただいたことを取り入れて、早速本校のMさんは 他学年で、九九ビンゴの授業を行いました。 志水先生のご指導通り授業を行ったら「今までで一番の手応えのある授業ができた」と 満面の笑みをMさんは浮かべておりました。 志水先生には、心よりお礼を申し上げる次第でございます。 また、志水先生の行った示範授業を、六年生で担任が追試する予定です。」 学校訪問時には、アドバイスを喜んでくださる。 でも、その後の事後の報告は殆ど無い。 そんな中、上のようなメールがあると、助言者としてとても嬉しいことである。 ありがたいことです。 わざと![]() ![]() 脳の性質として初めてのことはわくわくして理解しようとしてふるに動く。 ところが、理解できてしまうと、自動化が起きて、動きが少なくなる。 授業はわくわく楽しいものでなくてはならない。 だからこそ、楽しい教材、楽しい発問、楽しい活動の設定が不可欠になる。 しかし、途中で自動化の作業に入るとそのわくわく感も止まってしまう。 だから、わざと楽しくない作業も入れると脳はまた考え始める。 勉強は「強いて勉める」ものであるから、わざと楽しくないように強いることも必要かもしれない。 自主研![]() ![]() 勤務時間は限られている。 でも、授業の勉強がしたい。 そんなときこの指止まれの自主研がお薦めである。 60分程度の研修会でも得るものがある。 学校内には何かの道で得意な人がいるのでそういう人を講師としてやればよい。 ある学校では、夕方の自主研に参加できない人もいる。 その人達のために、簡単な自主研レポートを公開掲示しているそうだ。 ここから、コミュニケーションが生まれることもあるという。 少しずつ研修していこう。 誉められたことは![]() ![]() 昨日の笹島小・中学校を訪問したときのことである。 休憩時間にお茶を入れてくれた先生がいる。 この先生がお久しぶりですという。 といって、私はよく分からない。 愛知教育大学の卒業生で社会科コースの学生だったという。 20年前のことか。 小学校の社会科コースの学生には算数科教育法を教えたことがある。 そのときの印象で私のことを覚えてくれたのである。 その先生が、今でもなぜ覚えいるかというと、 レポートで分数のことをまとめるように課題を出して、それがとてもよかったので、「そのコピーを私の研究室の袋に入れてください」と話したそうである。 昨日、さらに話されたのは、「誉められたことは覚えているということですよ」と校長先生に話された。 そうかあ、20年もの月日がたつのに、誉められたことはとても印象に残っているのである。 教師のあなたは、今、誉めたことが20年先も覚えられている可能性がある。 誉めることは、未来への希望である。 たったの2分間であるが、ほのぼのとした瞬間だった。 教わるのか、作り出すのか![]() ![]() 教師はなぜ教えたくなるのか。 それは、子どもが自力解決できることを知らないからである。 正しい見通しを立てれば自力解決は可能である。 教師がやり方を教えると、子どもは教わるものだと思い込む。 子どもが自力解決できると、自分達で解決するものだと思い込む。 現実は、自力解決できない子どももいるので、教師からのヒントが必要となる。 それでも、自分で解けたという気持ちにさせたい。 オセロ返し![]() ![]() 一般的な場面での常識と、特殊な場面での常識が全く異なることがある。 黒が良いと思っていたら、白が良いと分かった。 まさに、オセロ返しだ。 今は一般が良いのか、特殊が良いのかそれを判断する知識が不可欠である。 写真はきんぴらゴボウ(by shimizu) 教師にとっての「嬉しさ」![]() ![]() 教師の楽しみとして子どもの成長がある。 大学教員だった私にとっては、卒業生の活躍を見ることはとても嬉しいことである。 19日の名古屋市算数数学研究会では多くの卒業生に出会った。 彼らが教育を語る言葉に真実身がある。 「よく成長しましたね」という感覚である。 いつまでも成長を願うのは教師の宿命だね。 1月の談話会![]() ![]() テーマは、「働く」ということでした。 働くことの意味を考え、キャリア教育につなげてみました。 談話会は年齢層が幅広いので多様な意見が展開されて学びが多かったです。 ありがとうございました。 目に見えないお金![]() ![]() 目に見えないお金。 それが、宇宙貯金。 宇宙貯金で直接、何かを買えるわけではないが、 福をもたらす。 宇宙貯金は、人にした親切の貯金。 だから、「無料」でできる行為。 だから、「ただ」の元手で、「ただならぬ」効果がある。 とても歩合が良い貯金である。 カリスマになると![]() ![]() カリスマになると、自慢が自慢に聞こえない。 むしろ共に喜びたい気分になる。 ファンクラブで応援しているような立場になるからか。 「間」の効用![]() ![]() 会話では「間」が大事だと言います。 では、「間」を持つとどんな良いことがあるのでしょうか。 加藤俊徳医師は、「脳の強化書」(あさ出版)において、次のように述べています。 「3秒の間を置いて話すと、自分のコメントに対する相手の反応にちがいが生まれることに気づくはずです。同意を求めてきているのに、3秒空けて「・・・・そうだね」と答えれば、相手は「あれ?おかしいな」と不安になるでしょう。また、意見の相違から口減価になったときには、あえて3秒置くことで、怒りが収まることがあります。」 「一呼吸できる間をつくることで、意見の言い合える状況ができ、相互理解が深まるのです。」 加藤医師は、人間の脳の性質として6秒以上は待てないといいます。このことを伝達系脳番地のトレーニングとして「間」を置くことに活用したそうです。 会話の中で、ときに「間」を置いてみることをお薦めします。 しかければ、生徒は動く![]() ![]() ![]() ![]() 昨日の中部中学校で、社会科の授業診断をしました。 上の写真を冒頭に提示しました。 「これはどこの国ですか」 これだけで、生徒は反応します。 第一次の予想が上のフリップの左側です。 そのあと、東方見聞録の一部を読み上げてまた予想させました。 それが右側の第二次の予想でした。 なかなか「日本」ということが出てきませんでした。 ジパングという言葉を聞いてもピンときませんでした。 上の挿絵がまさか日本だなんて想像できません。 ここが生徒にとってとても驚きでした。 そして、授業は、元寇の話へと進みました。 とてもうまい展開でした。 「しかけ」るからこそ、生徒が動きます。 この「しかけ」を考えることが教材研究だね。 「わかりました」のレベル![]() ![]() 「わかりました」の返答にはいろいろなレベルがある。 本当に納得したかどうかは、「わかりました」の声だけで判断できない。 いやいや納得しても「わかりました」というからである。 例えば、トラブルが起きて、教師から保護者に説得して親が「わかりました」と言っても その後に、「今後は気をつけてくださいね。」と付加したら、それはしぶしぶわかったと 言っているだけである。だから、教師は安心してはいけない。火種は残ったままだと。 本当に納得していれば、「わかりました」の後に、「ありがとうございました。」と感謝の言葉が続く。 ここがトラブル解決の終着点である。 数年前〜現在![]() ![]() ある研修会をもった。 私が呼びかけたのはごく少数。 当日、集まったメンバーを見て驚いた。 殆どの人を知っているのである。 数年前や10数年前に出会った人達であった。 優秀だなあと思っていた人達だった。 現在になってそれなりの役職についている。 伸びる人は、若い頃から違う。 あらためてそう思った。 経験は![]() ![]() 「近頃の若者は」と言うと、年寄りじみたセリフで嫌なのだが。 すぐにお金に換算する若者がいた。 簡単な仕事を2時間ほど依頼したら、「それはお金はでますか」と言う。 思いっきり引いた。 親しい人なのにそう言うから引くのだった。 そして、時給を払った。 その後、彼には一切のお手伝いの仕事は頼まなかった。 新しい経験はお金以上の価値を生むことを学んでいないようだ。 別に時給を払いたくないわけではない。頼むほうからの配慮としてお金を出すことはある。でも、出さないこともある。 気持ちよく引き受ければ、お金以上のもの・知恵を与える。 社会に出たら経験の価値を感じることになるだろう。 淡々と生きる![]() ![]() 思うことは実現する。 これは真理である。 ところが、なりたいのになれない、ことがある。 つまり、思っても実現しないときがある。 その原因は、機が熟していなかったということだ。 でも、数年後に機が熟すときがくる。 問題は、なりたいのになれないときに、どういう行動を取ればよいかである。 与えられたことを淡々と心を込めてやるしかない。 遠回りのようであるが実はその方が早いことがある。 とにかく、周りの人をハッピーにして、宇宙貯金を貯めることだ。 定型と非定型の順序![]() ![]() 定型と非定型には順序がある。 「予測不能の時代だから教育はそれらに対応しなければならない」という主張は理解できる。 しかし、学校教育の定型と非定型には順序があることも事実である。 まずは、答えがある問題で子どもに考えさせて、正確に正しい答えを出させることが1番目である。 定型の指導がなく非定型を行けば混乱するに決まっている。 非定型ばかりを先に教えるというのは、交通信号のルールを教えないのと同じである。赤信号の意味を知らずに道路を渡ったらどうなるのか。 学校教育の第1の役割は、定型の問題を考えさせて答えを出させることだ。正しいものの見方を教えることである。 プロ意識![]() ![]() プロとは、働いてお金を生み出せる力のことを言う。 あなたの今の仕事に対して、人はお金を払ってまで来てくれますか? 普通レベルでは、お金を払いたくない。 かなり上でないとお金を払う気持ちにはならない。 給料をもらうということは、プロレベルの仕事をしてこそ価値が生まれる。 教師ならば、あの先生の授業は面白いなと思われて、明日も聴いてみたいなというレベルである。 まずは、プロを目指すこと。そして、プロになれば、さらに磨いてプロの中のプロになっていこう。 慣例を省くには![]() ![]() ある仕事を慣例通りするのが普通。 ところが、慣例通りするには、時間、人員が不足している場合がある。 さあ、どうしよう。 こういうとき、慣例はできないのだから、慣例を破るしかない。 それでも、ゴールは同じかまたはそれ以上になるように思考する。 つまり、ゴールを明確にして、そこに致る別の道を探せばよい。 うまく探せたとき、ステージが一ランク上がる。 |
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