最新更新日:2024/10/31 | |
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愛知教育大学名誉教授これまで皆様に支えられて研究・実践してきたおかげです。 感謝しております。 上下と左右人は対面したとき、上か下かを判断しようとする。 なぜなんだろうか? その位置関係でその後の対応の仕方を決定する。 上とか下とかは生きていく上で、不可欠なことなんだろうか。 上下ばかりになると意気苦しい。ときには左右の関係でつきあえるのもつくりたい。 ○付け法へ招待142 できていないときはどうするのか 3前回の○付け法へ招待141では、下線を引く短所指摘法では、正答にたどりつく子どももいけばそうでない子どももいる。 どこまでが合ってして、どこからが間違っているかを合っている部分を指摘する方法が志水式である。 その上で、具体的な助言をすることである。 これがなければ、子どもはただじっと待つだけとなる。 垂直に名前をつける垂直・平行と四角形の第2時であった。 いろいろな垂直がでて、子どもが名前をつけた。 イメージに合う言葉がでてきた。 つけた名前は、今後の四角形の授業に生きることになる。 安心感のある授業とても安心感のある授業であった。 発問・説明がとても吟味されているので、少ない数の発問・説明で子どもたちがしっかり思考していた。恐れ入りました。 しかも、グループ学習も取り入れていました。 板書もすっきりしています。 授業を通して、育てたい子ども像が明確にある教師はとても素晴らしい。 新採4年目とは思えない教師でした。 ○付け法へ招待141 できていないときはどうするのか 2「間違っているところに下線を引く」と10人中7人の方が答えました。 これを短所指摘法といいます。 本当に、これで直るでしょうか。皆さんに考えてほしい。 どこに露天風呂に入った。 空は青く広い。 ただし、屋根の部分は暗く狭く。 どちらに目を合わせるかで物事は変わってくる。 青く広いところか、暗く狭いところかである。 でも、よく考えてみると、屋根の上は空である。 だから、透視術を使って、空に焦点を合わせればどうってことない。 ○付け法へ招待140 できていないときはどうするのか上のような場面のとき、教師は「×」をうった。 テストのときはこのように×をよくうつことがある。 間違っているから。 ○はうてないから。 でも、待ってほしい。 テストの採点と机間指導とは異なる。 この違いが分からないと志水式の○付け法はできない。 「×」をもらった子どもは嬉しいか。 また、「×」をうっただけで、子どもは正しい答えにたどり着くのか。 正しいと思って「7」を書いた子どもは、お手上げとなる。 だから、教師はどうすればよいのか。 みなさんに考えてほしい。 あなたなら、どうするのか。 本気になると内容は午前中に4人の授業診断。午後は、特別公開授業、公開授業の検討会、そして、講演。 特に午後は、5校時授業できりあげ、その後、公開授業の検討会とともに私の授業に対する指導講話、そして、授業づくりの講話をした。途中、飲み物の差し入れもあった。 ここではね午後の特別公開授業について報告する。 2年の長さの計算のところを授業された。3人TTという贅沢な構成であった。 計算の場面をとらえさせる動機付けはとてもよく、子どもたちは長さの計算をやりこなした。 ほとんど見通しらしい見通しも立てないで自力解決し始めたけれど、途中思考がずれた子どもに対しても○付け法の声かけで乗り切れた。 つまり、教師も頑張り、子どもも頑張ったのであった。 ここのところがすごいと思った。 ただし、講話では注文をつけた。 長さの計算は量と測定の計算でも初めてのところである。たがら、できて当たり前ではなくて、できたことをすごいねとほめてふあげたい。だから、このことを教師として素直に認めてあげるとさらなる意欲がわいてくるはずだと。 全員がともかくも解決できたことから、そんなにすごい子どもたちだから、わけはいえますかと問いたい。教えてくれるかなとなげかけたい。 子どもたちの内発的な力のすごさを参観できてとても嬉しかった。 最後のほうで、思わず介入して、4TTの授業となった。このことも印象に残っている。 個と全体改革を行うためには、一人一人の力を伸ばすことと組織の力を伸ばすことが不可欠である。 学校では一人一人の教員の力を高めるとともに、同僚性を高めて連結力を高めることである。 忙しい職場だからこそ、ほんの少しでも話し合える場が必要である。これはフォーマルであれインフォーマルの形であれ、仕掛けていくことで場は作れる。 良い組織とは、緊急のときにお互いに連携を取り合って動けることである。そのためには、ふだんからのコミニュケーションがいるのである。 学級では、授業でも個別指導は必要ではあるが、組織として学級全体が動く力が必要である。○付け法は個別の力を伸ばし、意味づけ復唱法は全体の力を伸ばしていく。また、時に応じてグループ学習での行動が力を発揮させる。 個と全体を同時に伸ばしてこそ、改革は進む。 増刷 定義と定理事典すごいことです。 地味な本ですが、作成に2年間と半年かかりました。 ご利用いただきとても嬉しいです。 広島県宮島口にきています宮島口のホテルにいます。 さきほどまでも大野東小学校の有志と会食していました。 とても明るい話題で楽しくいただくことができました。 明日の学校訪問が楽しみです。 それにしても本日の一日はタイトなスケジュールだった。 朝、9時に車屋にいき、点検した車を受け取り、その足で、学生の実習指導に行き、数学の授業を参観し指導した。すぐに大学に戻り、桑名市の大成小学校の校長先生、研究主任と学校改善の相談にのり、昼食もそこそこに、午後のゼミがあって、広島行きである。 その間、ある単行本の原稿がきたのでその処理をした。 桑名市立大成小学校から研究室訪問今年度の研究推進のための方策のご相談です。 昨年度、志水メソッドを通して学校がよくなってきていることを村田先生は報告されました。 その上で、今年度の次なる目標に対するアドバイスです。 職員の同僚性を高めるアドバイスをしました。 ○付け法へ招待139 机間指導の心構え机間指導ではどのような心構えで、子どもに対応したいか。 そこから考えたい。 その1 子どもの式と答えに○をしたい。○をするのと、○をしないのでは大違い。この違いは分かりますか。 その2 声かけをしたい。 上のフリップは、正答の場合は、「いいね」「合っているよ」「グッド」「○だよ」と言って声をかけて○をしたものである。 元気に力強く声をかけたい。すると、子どもは自信にみなぎる。 ところが、多くの○付け法もどきの机間指導をみるが、この声かけがまずはできていない。つぎに、声かけをしたとしても小さな小さな声である。 これでは、子どもは元気がでないし、自信ももたない。 もう少し大きな声をだしたい。 馬鹿でかい声ではいけない。 「ちょうどええ」のは、少し周りに届くような声の大きさである。 また、全員に○つけが終わったときに、子どもたちが自信をもってにこにこしてしる顔になっていることである。 ○付け法へ招待138はこちら http://www.schoolweb.ne.jp/weblog/index.php?id=... 修行毎日、楽をしたいと思うが、楽にはならない。 楽にならないことを楽しいと思えること。 これが生きるこつ。 修行は続きますよ。 ペーパー会員飛行機に乗るとき、優先搭乗というのがある。 プレミアム会員、ゴールド会員、プラチナ会員…などとアナウンスされて、先に乗り込む。 ふと、私は何会員かなと思っていると、搭乗券は「かみ」だからペーパー会員だと気づいた。 「かみ会員」である。 「儀式では、かみさまは最後に登場するものである。」 だから、ペーパー会員は堂々と入場することになる。 皇學館大学で講演しました杉野裕子准教授の研究室がやっている部会です。 学生のみなさんの卒論発表をきき、とても熱心にやっているという印象をもちました。 松坂市立第五小学校から山中先生、日置先生がこられて卒論指導や実践報告をされました。 日置先生は勤めて四年目ですが、とてもしっかりされていてびっくりしました。 私も講演をしました。 教科書での教材研究の仕方、特に、算数の「きまり」についてお話しました。 プレゼンはこちらです。 本日、皇學館大学で講演しました。 杉野裕子准教授の研究室がやっている部会です。 学生のみなさんの卒論発表をきき、とても熱心にやっているという印象をもちました。 松坂市立第五小学校から山中先生、日置先生がこられて卒論指導や実践報告をされました。 日置先生は勤めて四年目ですが、とてもしっかりされていてびっくりしました。 私も講演をしました。 教科書での教材研究の仕方、特に、算数の「きまり」についてお話しました。 プレゼンはこちらです。 http://www.schoolweb.ne.jp/weblog/files/2370003... 変化に対応変化に対応する力は、生きる力の重要な要素である。 よく考えてみると、これは、変化が先で、対応が後である。 つまり、後手の対応である。 むしろ、変化を先読みして対応するともっとよい。 さらに、一番強い手は、自ら変化を作り出すことである。 ここには、対応なんて言葉はない。先手先手を打っていくから、怖い物はない。 引き合う引き合うものか゜あるときは、縁がつながる。 志水 廣の算数教育観と廣幸和校長先生の教育観が一致している。だから、引き合う。 それは、どの子も分かる・できるようにしたいという願いである。 仕掛け与那国島の久部良小学校の1年生の授業より 6の合成分解の授業であった。 上の右の写真が問いの発生を促す仕掛けであった。 教科書を拡大してパウチにしたものである。 担任は、子ども達に教科書の場面を見せて行った。すると、活動を始めた。 そして、面白いことがおきた。 「3と3」は数が同じになるから、6の「いくつといくつ」ではないと言い出したのであった。 確かに5の分解では、同じ数はでなかった。 だからこそ、6では却下したのであった。 そこで、担任は、もう一度おはじきに戻って気づかせていた。 子どもから学んだずれであった。 |
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