最新更新日:2024/04/26
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紫におう 雲見が峰の 日々新しき 光をあびて 今に花咲く 若草若木 みんな元気に 元気にのびる ああ下品野 たのし学びや

1947年 終戦直後の思い出 昭和22年

 下品野小学校の先生が思い出を綴った資料を見つけましたので記載します。
 昭和18年9月30日に新卒で赴任をし、途中で兵役でぬけていますが、30年3月31日まで奉職をしていました。その間、最も印象に残っているのは終戦直後のいろいろな出来ごとです。
 午後、早引をさせてくださいと女の子が言ってきました。わけを聞いてもなかなか教えてくれませんでしたが、午後、山へヨーノメを採りに行かねばならぬとのことでした。何にするのか見当もつかなかったので問いただしたら、お米が足りないのでヨーノメ(食用になる若い木の芽)の雑炊を炊くのだと小さな声で答えてくれました。悪いことを聞いたなと今でもその子の顔をはっきり覚えております。
 学校にウシが飼ってあったのもこの頃です。各地でウシ泥棒が横行していたので、宿直を2人でして一晩中ウシの番をしたことも幾度かあります。寒い夜などは、手綱を宿直室まで引き込んで、布団の中から手綱の手ごたえでウシの存在を確認したものでした。これは当時の若い先生の大事な仕事でした。滑稽と言うか、時と共に流れた世の移り変わりを痛感いたします。
 上の写真は、運動場でとれたかぼちゃのの品表会の様子です。下の写真は筆者の先生と5年生の学級の子どもたちです。1クラス何人だったか数えられますか。
 歴史ある下品野小学校です。

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1946年 子どもたちの服装 昭和21年

 これは昭和21年、終戦直後の高等科卒業生(今の6年生)の写真です。はきものはわらぞうりかげたで、くつをはいている子は学級へ配給になったくつが抽選で当たった幸運な子です。女子はみんなモンペですが、モンペもズボンもみんなつぎはぎです。当時のお母さんの苦労、暖かい愛情がにじみ出ています。子どもたちはみんなドッヂボールをしました。ドッヂボールといってもゴム製品がないので、お茶の実とサヤヌカを中につめて、ボロをつなぎよせ集めて自分たちでぬい合わせたドッヂボールでした。
歴史ある下品野小学校です。
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子どもたちの服装の変遷(明治から昭和初期)

 子どもたちの服装に注目してみました。上から順に明治40年、大正9年、昭和9年の撮影です。着物から少しづつ学生服に変わってきています。履物は順にげたからくつに変わっています。明治のころは女の子はまげを結っているようです。男の子はみんな学生帽をかぶっています。今は見かけなくなりました。
歴史ある下品野小学校です。
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