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紫におう 雲見が峰の 日々新しき 光をあびて 今に花咲く 若草若木 みんな元気に 元気にのびる ああ下品野 たのし学びや

1891年 今井鎌三郎先生の略歴

 初代校長の今井鎌三郎先生の略歴を紹介します。
明治元年(1868)愛知県西加茂郡高橋村寺部の農家に生まれる。
明治12年(1879)小学校卒業後校長に望まれ、母校の授業補助となる。(11歳)
明治20年(1887)愛知県師範学校へ入学。
明治24年(1891)中品野学校に校長として赴任。(23歳)
明治40年(1907)4月6日登校前に机に向かって読書中に脳溢血(のういっけつ)で倒れ、そのまま死亡。(39歳)
 今井先生が校長先生になられた1年後に中品野学校から下品野村立下品野尋常小学校と改名しました。これが下品野小学校の創立と捉えたらいいのでしょうか。
 明治35年(1902)には、下品野植田に新校舎が建てられました。下の写真が現存する一番古い写真です。歴史ある下品野小学校です。
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1891年 今井鎌三郎初代校長 明治24年

 明治24年から40年まで初代校長として勤められた今井鎌三郎先生の像が校内3カ所にあります。今井先生は、次のような記録が残っています。
 教育の効果大いに上がり、今井校長の名声がひろまるや諸方より高給で招聘したいとの話があっても、彼はいつも「私はここで死にます。」の一言だった。今井先生の教育行脚の成果大い上がり村民は先生に傾倒し、我が村に一身をささげていただくため「住宅を建設しようと決まった。」と申し出たところ「教育者が村から金を恵まれて生活して真の教育ができるか。」と斥けられた。
 教育熱心な今井鎌三郎校長先生をスイスの教育学者ペスタロッチの名をかりで「今ぺス」と親しみを込めて呼び、校内に3カ所も像があるのです。3カ所の像を探してみてください。歴史ある下品野小学校です。
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1873年 草創期 明治6年〜20年

 下品野小学校の歴史を調べているうちに、次のような記述を発見しました。
 江戸時代の寺子屋教育を守りついで、明治5年8月に身分、性別にかかわらずすべての子どもが就学するように「学制」が発布されました。当時この品野地区にも寺子屋がありましたが、どこを「学校」として発足させるか協議の結果、上品野の祥雲寺に「同帰学校」として明治6年に発足しまた。しかし、下中品野地区の人たちが通うのに不便なので、明治9年7月に下品野の火の見下付近に品野学校として下、中品野2ケ村の学校として分離しました。当時は生活も貧しく子どもは家の手伝いをしなければ生活が成り立たない時代だったので子どもを就学させる家も多くありませんでした。
 明治20年に現在の中品野神明神社境内に芝居小屋があったものを改造して中品野学校(中品野他四ケ村立尋常小学校)を造りました。間口3間(1間=1.8m)、横5間、入口の両脇に教官控室と下駄箱がありました。中は教室の境はなく、背中合わせで先生の授業をうけていました。(分かりやすく表現した部分があります。)
 これから、「同帰学校」(明治6年)⇒「品野学校」(明治9年)⇒「中品野学校」(明治20年)ということがわかります。しかし、この間、写真や記録がないので詳しいことはわかっていません。歴史ある下品野小学校です。
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