医療関係者の皆さん、ありがとうございます!  がんばろう日本! がんばろう南中!

南風あったかげん記−728−

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☆★☆ 御台所の衣装 ☆★☆
 またまた篤姫関連です。
 昨日の総集編は、編集の巧さに感心しました。
 さて、篤姫の人気を支えた一つに、あの豪華な“衣装”があったことは間違いないでしょう。
 それでは、実際に、御台所はどれぐらい衣装を着替えたのでしょうか。調べてみました。
 御台所は、午前7時に起床。髪をとかされ、口をすすぎ、朝食は髪を結いながらとり、食後に化粧。この間が「朝御召し」、次に大奥に将軍がやってくる9時までに「総触れ御召し」に着替え、10時には総触れを行います。御目見以上の女中たちの挨拶を受けます。
 終えると「昼御召し」に着替えます。午後2時からはくつろぎの時間。茶の湯や双六などで過ごしたのでしょう。
 午後4時には「夕御召し」夕食をとり、読書などで過ごし、夜は「御寝御召し」に着替えます。
 こうして、毎日5回着替えを行うのです。しかも、「総触れ御召し」「昼御召し」は、毎日違うものを着ることになっており、係が帳面に記録をしていました。
 大奥で使う大量の衣装は、「呉服之間」の女中たちが仕立てていました。生地の選定や縫製を行っていたのです。その女中達は専門職で、お役替えはなかったそうです。
 針が1本でもなくなった時には、大騒動だったようです。
 総集編2日目は、篤姫が大奥に入ります。豪華絢爛な衣装を、とくとご覧ください。

南風あったかげん記−727−

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☆★☆ 武士の時代 ☆★☆ 
 長期休業恒例、“社会科こぼれ話”シリーズを復活させます。
 今日から篤姫の総集編が始まりますので関連した話題を…。
私がよく目を通すサイトに、「武士(もののふ)の時代」というサイトがあります。
 http://homepage1.nifty.com/SEISYO/index.htm
 「徳川将軍家」や「江戸武士」、「戦国武士」「知られざる名将列伝」「歴史散歩」など、当時の人々の暮らしぶりなどがよくわかります。また、「徳川将軍家と大奥のブログ」もあり、マニアックな話題も豊富です。
 そして、今回紹介するのが、「篤姫基本問題」です。3問間違えた時点で失格というものです。例えば、次のような問題です。
Q 篤姫が生まれ育ったのは何藩でしょうか
   薩摩藩  土佐藩   加賀藩   長州藩   水戸藩
Q 近衛家から篤姫付老女として大奥に入ったのは誰でしょう
  お志賀  お須賀  滝山  姉小路  幾島
 ぜひ挑戦してみてください。
 このほかにも、「武士の時代基本問題」、「将軍家・江戸武士問題」「戦国武士問題」とバリエーションがあります。なかには、1問の誤答で失格というものもあります。手強いですよ!

南風あったかげん記−726−

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☆★☆ アンサンブルコンテスト ☆★☆
 すでにお知らせしたとおり、今日はアンサンブルコンテストでした。
 写真でもおわかりの通り、広い舞台に照明が当たる中でわずか数人で立ち、多くの聴衆の前で演奏をします。今回のメンバーは1・2年生なので、こうした舞台は半数の生徒は初めての経験です。
 夏のコンクールでは、指揮者が前に立ち、多くの仲間と演奏するのでまだよいのですが、今日はさすがに緊張したと思います。
 みなさんはいかがでしょう。こうした経験はありますか?また、初めての時はどうでしたか?
 私も、こうした舞台を何十回も経験し、さすがに慣れましたが、初めての頃は緊張しっぱなしで、演奏もむちゃくちゃでした。本番前に何度もトイレに行き、のどは渇き、目はうつろ。頭は真っ白で、事前の約束はどっかへ飛んでいく。それも経験です。
 写真は今日の生徒の楽譜です。いろいろ書き込んであるのは練習の足跡です。しかし、本番はほとんど目に入る余裕はなかったのではないかと思います。それも経験です。
 世の中の多くのことは、やってみなければわからないことが大半です。今日の舞台の緊張は、立ったものしかわかりません。説明のしようがないのです。
 実は、学校の教科で教えることは、あくまでも机上のこと。実生活の基礎の部分であり、応用の部分は経験からつかむしか方法はありません。当然失敗もあり得ますし、それで次につながるのです。
 今日の舞台は、彼女らの大きな財産です。

南風あったかげん記−725−

☆★☆ サウンドトラック−2− ☆★☆
 篤姫関連を取り上げると、いつもメールをいただきます。人気の高さがわかります。
 質問の要旨は「クラシックで好きな曲は?」というものでした。
 思いついたまま列挙します。
 基本的には交響曲が好きです。特にブラームス、マーラー。ブラームスは全部好きですが、特に2番、4番。マーラーーも全部好きですが、選ぶなら2番、9番、5番の順でしょうか。
 ベートーベン9番はやはりはずせません。実際に合唱を歌うようになってから、特に好きになりました。次に3番、7番。共に特に2楽章が気に入っています。
 チャイコフスキーの6番、5番も人類の宝です。ラフマニノフ2番、ベルリオーズの幻想もすばらしい。ブルックナーなら7番を選びます。
 交響曲以外では、ヴェルディ、続いてフォーレ、モーツアルトのレクイエム。これらもはずせません。
そしてワーグナーの歌劇からもいくつか。
 ピアノ協奏曲では、まずブラームス2番、次にラフマニノフ、モーツアルトのいくつかが続きます。
 バイオリン協奏曲では、ブラームス、ベートーベン、シベリウス、チャイコフスキーの順です。
 室内楽ではブラームスのクラリネット五重奏曲。奇跡的な曲だと思っています。
 バッハのマタイ受難曲もはずせません。レスピーギの交響詩も好きです。
 ソナタでは、バッハのバイオリン、チェロ、ピアノの平均率。ラベルの夜のガスパール。ラベルといえば、ボレロ、ダフニスとクロエなどのバレエ音楽。ストラヴィンスキーの春の祭典も大音量で聴きます。
 他にもよく聴く曲はあり、ここに挙げたの好きな曲の代表です。
 お薦めの曲があればぜひ教えてください。

南風あったかげん記−724−

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☆★☆ サウンドトラック ☆★☆
 今日は、久しぶりに丸1日吹奏楽部の練習に付き合いました。曲想は言葉で伝えます。「ここはロシアの田舎の村。朝、霧が立ちこめている中、太陽の光が差してきた。霧が薄くなり、村人が家から出て仕事を始める…」という感じです。映画のBGMのイメージです。
 私は映画が好きですが、映画音楽も好きです。映画音楽がよくて映画がよくないものもありますが、ヒットした映画のほとんどすべての映画音楽はよくできていると思います。音楽を消して見る映画ほど味気ないものはありません。私は、BGMの映画に占めるパーセンテージは、かなり高いと思っている一人です。
 さて、大ヒットした大河ドラマ「篤姫」。これも、音楽が成功の一役を買っていると思っています。
 音楽は吉俣 良。NHK連ドラの「こころ」、サンデースポーツ、フジテレビ「Dr.コトー診療所」など、著名な作品も数多く手がけていますが、何といっても、今回の「篤姫」が代表作になるのは間違いありません。
 というわけで、帰りに「NHK大河ドラマ オリジナルサウンドトラック 篤姫」「同 篤姫其ノ二」の2枚を買ってしまいました。
 私は、クラシックか70年代のロック以外、CDを買うことはまずないので、とても珍しいことです。
「篤姫」が26曲、「其ノ二」が27曲収録されていました。
 まずはメインテーマ。これは、曲の良さもさることながら、井上道義の情感たっぷりの指揮が見事でした。お気に入りは、「其ノ二」の「いとおし意」。ピアノの伴奏でソプラノがせつなく歌います。
 なかには、ロック調あり、アコースティックギターありと、従来の大河ドラマにはない音楽ですが、ドラマの場面を思い出させます。
 26日からの総集編が楽しみです。

南風あったかげん記−723−

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☆★☆ 2学期終業式 式辞 ☆★☆
 今日は、サッカー部の秋季大会優勝などの表彰伝達の後、2学期終業式を行いました。
 ここでは、式辞のおよその内容をお知らせします。
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今日で、2学期76日間の課程を終わります。その証としての通知表を後ほど担任の先生から渡します。自分を飛躍させる材料にしてもらえればと思います。
 ここで、2学期の活動を写真で振り返ってみましょう。始業式には、笑顔の大切さの話から始まりました。(ここで93枚の写真のスライドショー)
 本当にいろいろありましたね。
 ここで、みなさんに感謝しなければなりません。
 この2学期間に、実に多くの笑顔に出会えることができました。その笑顔も、単に自分がおもしろいから、楽しいからというものだけではなく、相手を大切に思う気持ちから出た笑顔、心のこもった温かい笑顔が多かったように思います。あたたかくて元気な学校をつくってくれたみなさんに感謝します。
 相手のことを思いやって生きることができるようになる。実は、これが「子どもと大人の違い」だと私は思っています。
 人は生まれたすぐには、自分の力で生きて行くことはできません。親に育てられて、自分を守るだけで精一杯です。これは仕方のないことです。
 しかし、だんだん心が成長してくるとまわりが見えるようになってきます。相手の気持ちもわかるようになってきます。どんな言葉をかけると相手が傷つき、どんな言葉で相手が勇気付けられることかもわかってきます。
 たとえば、「おはよう」というよりも、笑顔で「おはよう」と言った方が相手は気持ちいいだろうな。そう考えるのが大人です。
 また、出された食事。体質に合わないものは別として、単たる好き嫌いで残すのは、食事を作ってくれた人、生産した農家の人に申し訳ないなと、ということを考えるのが大人です。
 しかし、社会では、年をとれば、法律上では大人になります。世の中には、大人になりきれていない大人がいるのも、残念ながら事実です。
 毎朝学校の周りをぐるっと回りますが、昨年よりも減ったとはいえ、今でも時々コンビにの弁当の容器が平気で捨ててあります。それは拾う人への思いがありません。大人になりきれていない子どもの行為です。
 南中生は、この2学期で、心も体も大きく成長しました。そうした行為が大人の行為かどうか、分かるようになっているとおもいます。せひ大人の行動を実践できるようになってください。
 さあ、2008年、平成20年がおわります。 
 新年に、再びこうして全員が元気に集えることを願って、以上で式辞といたします。
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 この後、校歌を斉唱して終業式を終えました。引き締まった中にも、温かさを感じる式になりました。

南風あったかげん記−722−

☆★☆ 能・狂言公演 ☆★☆ 
 教育界では、「知識が先か、興味・関心が先か」というのはよく行われる議論です。今日は、知識を得てから実物を見ると、いかに興味・関心が高まるかというのを身にしみて実感しました。
 生の狂言や能を見るのは初めてではありませんが、説明を聞いての公演は初めての経験です。そこでは、いくつかの疑問が解けました。一例を挙げましょう。
Q「なぜ右手と右足がいっしょに出るのか?」A「農耕民族である日本人は、鍬を右手で振り下ろすときに右足が出る。それと同じ。」
Q「なぜすり足で歩くのか?」A「能面は微妙な角度の違いで表情が変わってしまう。角度を安定させるためにすり足で歩く。」
Q「目付け柱の目的は?」A「面(おもて)をつけた能楽師は、極端に視界が狭くなり、しかも下を向けないため、柱を目印に、自分の位置を把握する。ないと舞台から落ちそうで怖い。」
 そして、実際に狂言「蝸牛」、半能「高砂」を間近で鑑賞しました。
 音響機器のない時代のこと、その発声には何度聞いても驚かされます。また、大鼓や小鼓の声を出しながらの演奏には圧倒されます。タイミングをどうはかるのか、その秘密は今回もわかりませんでした。
 やはり、生はすごい。能楽堂へ行ってみたくなりました。

南風あったかげん記−号外−

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☆★☆ 東浦マラソン ☆★☆
 大会が終わりました。10kmですが、起伏が多く、ハードなコースでした。

南風あったかげん記−号外−

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東浦マラソンのために、あいち健康の森公園に来ています。多くの参加者が集まっています。

南風あったかげん記−721−

☆★☆ アンサンブル発表会 ☆★☆
 お知らせしたとおり、今日は丹葉地方吹奏楽協議会主催のアンサンブル発表会でした。丹葉地方吹奏楽協議会というのは、丹葉管内の中学校(含 滝中学校)15校の吹奏楽部で作っている、丹葉地方小中学校長会の一組織で、私が会長を務めています。
 立場上、始めと終わりの挨拶を務めることになっています。ここでは、終わりの挨拶の一部を紹介します。例によって、いつもアドリブですので、多少の違いはお許しを…。
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 みなさん、天井、側面を見てください。個性的な建物ですね。(扶桑文化会館は)昔の芝居小屋をイメージしたものです。これは、誰かが考えたのです。それを、「設計」といいます。そして、だれかが、設計図に合わせて建物を「建築」したのです。音楽でいうと、「設計」が作曲家、「建築」が演奏家です。
 「設計」には2種類あります。大雑把な設計をし、白い模型を作り全体のイメージをつかむのが「基本設計」、それでよしとなれば、細かなミリ単位の百ページ以上にわたる設計をするのが「本設計」です。
 「楽譜」は、音楽の設計図といわれています。それでは、楽譜は、「基本設計」でしょうか「本設計」でしょうか?みなさん、どう思います?
 実は、楽譜は「基本設計」なのです。フェルマータ(音を伸ばす記号)といっても、何秒の伸ばすかわかりません。フォルテやピアノといっても、どれほど強く、弱くしてよいのかもわかりません。あいまいなのです。そんなあいまいさで建物を建てたら、地震で壊れてしまいます。
 そのあいまいな設計に解釈を加えて色を着けるのが、大きな合奏なら指揮者であり、アンサンブルならみなさん自身なのです。
 今日は、客席で全チームの演奏を聴きました。まだまだ色の着いていない、基本設計段階の演奏が多くありました。ぜひ、みんなで話し合って、色を着けていってください。
 いくつか印象的な演奏がありましたが、特に心に残ったのが、演奏順11番の江南西部中学校SAX二重奏でした。
 シンプルな曲でしたが、アンサンブルがしっかりとできていました。やるべき事ができており、「あっ、これで良いんだ」と思いました。
 2人で合わなければ、3人では絶対に合いません。3人で合わなければ、4人で合いません。少人数で合わなければ、全員の合奏で合うわけはありません。もしかして合ったような気がするのは、実はごまかしているのです。開会式で、「アンサンブルは合奏の基礎」と言ったのは、そういうことです。
 まず、少人数で合わせること、そこから合奏は始まるのです。(以下略)
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 と、口で言うのは簡単ですが、実際には難しいものです。今日をきっかけに、少しでも向上のきっかけになれば幸いです。
写真は、今日のゲスト演奏、愛工大名電高校吹奏楽部3チームのみなさんです。
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南風あったかげん記−720−

☆★☆ わたしたちの町 岩倉 ☆★☆
 かつて尾張上四郡を治めた岩倉城でしたが、信長に敗れてからの歴史はあまり語られません。昨日紹介した「わたしたちの町 岩倉」などから、その後の歴史を概観してみましょう。
 江戸時代になり、家康の子・義直が尾張藩主となります。岩倉は、国奉行・代官・郡奉行などにより治められました。天明年間には、小牧代官所ができ、尾張国の丹羽郡127村、春日井郡125村、美濃国の可児郡5村を治めていました。義直の別荘の一画につくられたもので、現在は看板があるのみです。
 明治になると、丹羽郡は犬山藩の知行所になります。その後、版籍奉還、廃藩置県が行われ、明治4年に犬山藩は犬山県となり、11月に名古屋県、翌年に愛知県になります。
 そのころの岩倉には、次の5つの役場が置かれていました。
 ○小折村(井上村、他に江南市の曽本村・小折村)
 ○石仏村(神野村・石仏村、他に一宮市佐野村・加納馬場村・芝原村)
 ○岩倉村(岩倉村・八剣村)
 ○伝法寺村(野寄村・北島村、他に一宮市伝法寺村など)
 ○岩倉羽根村(曽野村・大山寺村・岩倉羽根村・大地村・川井村)
 これらの村が、明治22年に合併し、次の4つの村になりました。
 ○岩倉村(岩倉)→ 明治25年 岩倉町
 ○幼 村(石仏、神野、八剣、井上、他に一宮市加納馬場・芝原)
 ○豊秋村(岩倉羽根、曽野、大地、川井、大山寺)
 ○島野村(北島、野寄)
さらに、明治39年5月1日、この一町三か村が合併して岩倉町が生まれました。このときに、加納馬場と芝原は千秋村へ分村しました。これが、昭和46年の市制へとつながるのです。
 岩倉市は、2年前が町制100年でした。そして3年後には市制40年を迎えます。

南風あったかげん記−719−

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☆★☆ 岩倉市の文化財 ☆★☆
 昨日の社会教育委員会に続き、今日は文化財保護委員会。市の会議が続きました。
 今日の会議で、「岩倉市が誇る文化財がある」という話題になりました。それが、この冊子の表紙になった宮廷式土器です。
 この冊子『わたしたちの町 岩倉』は、昭和40年発行の社会科副読本で、編集委員の名に、本校初代校長 長谷川芳郎先生の名前も見ることができます。
 この10ページに次のように説明されています。
−−−−−−−−以下引用−−−−−−−−
 宮廷式土器
 「わたしたちの町 岩倉」の表紙を一度見てください。すばらしい土器です。これが2000年も前にできた土器とはちょっと考えられないほどです。これは、昭和11年秋、石仏から出た土器で、世界美術全集にものせられ、全国的に知られています。うす赤色をおびた美しい土器で、宮廷式土器と呼ばれており、こうした土器は伊勢湾沿岸から多くでています。弥生式も後期になりますと、こんなすぐれたものが作られるまでに進歩したのです。宮廷式土器は石仏のほか、北島その他からも小型なものが出ており、破片は岩倉の各地からも見つかっています。
−−−−−−−−引用終わり−−−−−−−−
 補足しますと、この種の土器は、「日本近代考古学の父」とよばれた濱田 耕作がクレタ文明のパレス式と呼ばれる壺になぞらえて「パレス式」と命名したもので、尾張地方を代表する土器です。白い土器の表面が、赤く塗られています。
 その代表的な壺の一つが、石仏から見つかっているのです。これこそ、岩倉市が誇る文化財といえるでしょう。
 この壺は、現在研究用として、京都大学が所蔵しています。

南風あったかげん記−718−

☆★☆ 常識・非常識−2− ☆★☆
 さっそく、昨日の内容に対して賛成意見をいただきありがとうございました。私は反対意見も大歓迎です。賛否にかかわらず、ご意見をいただけたら幸いです。(syaraku@tcp-ip.or.jp
 ご批判を恐れずに書くなら…
 神奈川県立神田高校で、入試点数は合格なのに服装や態度で不合格にしたことがマスコミで報道されました。そこでは、校長や学校側の不適切な選抜方法を非難していました。 
 「教育者なら、入学させてから指導するべきだ。」「見かけで判断するのは差別だ。」
 この問題で、同校の校長は「不正」を働いたとして更迭されました。
 私は、マスコミ報道やこの「更迭処分」に、昨日と同様の印象を受けました。
 もう少し詳しく書くと、同校は、入学後の生徒指導の難しいと思われる生徒を、願書提出日と受験当日でチェックしていたそうです。
 その内容は、「まゆ毛をそっている」「スカート丈が極端に短い」「ピアスの穴があいている」「茶髪に染めている」「化粧をしている」などでした。
 髪が元々茶色の生徒もいますが、通常は誤解されないように事前に連絡をしておきます。今回の例は、初めから「学校のルールは守る気がない」というレベルの生徒たちなのです。知り合いの私学関係者は「私学なら一発でアウト」と言っていました。
 神奈川県教育委員会のHPによれば、前期選抜の選考基準として「各高等学校が事前に公表する“総合的選考にあたって重視する内容”に基づき、調査書及び面接の結果を資料として、総合的に選考し、合格者を決定する。」とありました。これが、愛知県では推薦入試に当たるものでしょう。「総合的」とあるので学校の裁量もあるはずです。
 ただ、後期試験(愛知の一般試験)では「各高等学校は、調査書及び学力検査の結果を資料として、第1次選考及び第2次選考を行うこととし、各受検者ごとに次に示す方法により選考を行う。」とあり、面接がありません。面接がないのに判断材料にしたことが問題になったのだと思います。愛知県では一般試験でも面接があるので、神田高校のようなことは問題にはならないと思います。
 現在、神田高校では、ここまで学校を建て直してきた前校長を戻すように、請願運動が起こっているそうです。

南風あったかげん記−717−

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☆★☆ 常識・非常識 ☆★☆
 今朝の読売新聞の一面トップは「小中に携帯 原則禁止を」でした。教育再生懇談会が提案する素案としての報道です。
 携帯電話に関しては、大阪の橋下知事の発言で波紋を呼んだばかりですが、これにより政府としての対応が求められることになります。
 私は、この報道には違和感を感じていました。「携帯電話を学校に持っていってよい学校があるの?」と驚きを覚えたからです。それどころか、報道では授業中でもさわっている子がいるとか…。
 知る限りの尾張の学校で、携帯電話を持ち込んでよい学校はないと思います。通院とかやむを得ない場合が仮にあったとしても、職員が預かるなどの処置をとっているのではないでしょうか。全国各地の知人に聞いても、それが主流なのではないかと思うのですが、こうした報道が流れると、一般の人は「学校に携帯を持っていくのはどこでもやっているの?」と勘違いされてしまいます。
 身の回りの常識と、こうした報道とのギャップを感じまるのです。
 先日、横浜で「トイレ掃除を復活させよう」という提案があり、波紋を呼んでいました。これも同種でしょう。昨日もお知らせしたとおり、南中では「トイレ掃除は心磨き」としてやっています。いわば「南中の常識」です。
全国的にも、学校のトイレを児童・生徒が掃除をするのは、まず圧倒的多数だと思います。
 しかし、横浜の反対論である「家庭でやらないことを学校でやらせるのはどうか」、「現場の教員からは衛生面を心配する声も挙がっている」などを読むと、常識・非常識の感覚が違うと感じました。
私たちは、広い視野で、バランス感覚を保っていかなければと考えています。

 なお、本校PTAが10月に行った携帯電話アンケートの結果は、12月18日発行の「岩南PTA第84号」でお知らせします。

南風あったかげん記−716−

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☆★☆ 今日の朝礼 ☆★☆
今日の朝礼の紹介をします。
 「COSMOS」の合唱をバックに、合唱コンクールのスライドショーを行なった後、冬休みの日誌「WINTER LIFE」の紹介をしました。
「WINTER LIFE」は、尾張小中学校長会が編集発行しているもので、知多を除く尾張の小中学校教諭が分担して執筆しています。丹葉地区は、中学校1年生を担当しており、各教科の代表20名ほどが集まり、編集会議を行います。
 そこで練られた原稿を持ち寄り、尾張10地区の代表、教科の専門委員が集まり、さらに検討をします。各地区の担当校長も15名参加します。表紙の絵も各校から募集をし、地区で選ばれたものを、さらに尾張で投票で選びます。こうして計6回練られた原稿を、最後に部会長のいる一宮地区で、さらに綿密に点検するのです。
 「WINTER LIFE」はこのように多くの人が関わり、時間をかけて作成したものです。大切にしてもらえたらと思います。
 次に、「名古屋電気鉄道」の路線図を紹介しました。校長日記−709−で取り上げたもので、岩倉駅がターミナル駅として、重要な役割を果たしていたことを説明しました。
 さらに、小牧線(岩倉支線)の当時の写真を紹介しました。
 最後に、問題を出しました。「岩倉中学校のあるところは、戦前は何があったのでしょうか?」答えは「競馬場です。」
 正月には親戚が集まる機会があることでしょう。ぜひ、その機会をとらえて地域の昔の話を聞いてみましょう。そこで聞いた話を、将来、自分の子どもや孫に語り継ぐことは、みんなの責任なのですから…。  

南風あったかげん記−715−

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☆★☆ D&Mフェスティバル−2− ☆★☆
 多くの感想をいただきました。
 「多世代が集まる良い機会だと思います。」
 「このような会をぜひ継続してください。」
 「それぞれの人が自分の力を発揮してすばらしいと思いました。」
 「若者の発表の機会を与えていただき、ありがとうございました。」
 おやじの会のあり方はいろいろあってよいと思います。このような統一性のない会の企画は行政では難しく、ボランティア団体だからこそできることだと思っています。 
 長い目で、育てていきたいと考えています。

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☆★☆ D&Mフェスティバル−1− ☆★☆
 今日で7回目の開催になりました。
 7年前におやじの会を立ち上げ、何か若い人たちが多世代の人と関わることのできる場はないかと考えて始めたのが「ダンス&ミュージックフェスティバル」です。当初はロックバンドから、胡弓、演歌までありましたが、ロックバンドは別の機会を設けて、今の形に落ち着きました。今日も、他世代が一堂に会して、フラダンスからヒップホップ、鳴子踊りなど、いろいろな踊りや音楽に触れることができました。
 その頃は、世代ごとに、ジャンルごとに楽しむ機会はあっても、交わるということはなかったように思います。それをひとつの場に集めたのがこのイベントです。

南風あったかげん記−号外−

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☆★☆ 第7回D&Mフェスティバル ☆★☆
 今日は、おおぐちおやじの会主催 第7回D&Mフェスティバルに来ています。現在琉球國 祭り太鼓のリハーサルが行われています。

南風あったかげん記−713−

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☆★☆ 付家老 成瀬氏 ☆★☆
 犬山市民総合大学の概略を報告します。
 「付家老」はご存じですか?
 付家老とは、家康が尾張・水戸・紀州へ送った子の補佐役として、側近の家臣であった五家を付けたということです。成瀬氏は家康の側近中の側近でしたが、尾張徳川家に付けられました。もちろん、これらの五家は、将軍に直属する大名と同格の待遇を与えられると共に、三家のそれぞれで執政の最高責任者に任じられていました。このように「付家老」は、一方では将軍に直属しており、他方では御三家の家臣でもあるという、二君に仕える特別な存在でした。
 具体的には、尾張家が成瀬家と竹越家、紀州家が水野家と安藤家、水戸家が中山家の五家を指します。
 私見ですが、尾張の徳川義直は、家康との考え方に若干のずれがあり、最も側近であった成瀬氏を付けたのではないでしょうか。
 古文書を見ると、成瀬氏は、次第に尾張藩の家老であるとの認識が明確になってきます。
 この時の文書には「尾張殿家老」(宝永四年『御触書寛保集成』)と書かれています。この「殿」も興味深いところです。
 敬称は「様」が最上級で、「上様」は将軍のことです。尾張藩の主も、はじめは家康の分身ということで「様」扱いでしたが、時が経つにつれて、他の大名と同様「殿」に変わっています。「殿」は、御三家が諸大名に成り下がったしるしなのです。
 江戸と尾張のそのあたりの認識の違いが、あとあと影響するのです。
 画像は、尾張と美濃における成瀬氏の所領を黒丸で表したものです。知多や美濃にも所領があったことがわかります。

南風あったかげん記−号外−

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☆★☆ 犬山市民総合大学 ☆★☆
 今日は、犬山市民総合大学に来ています。テーマは「付家老成瀬氏」。二代正虎についての話が中心です。詳細は後ほど報告します。
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岩倉市立南部中学校
〒482-0003
愛知県岩倉市曽野町江毛1
TEL:0587-66-3181
FAX:0587-37-9517