最新更新日:2024/04/27
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笑瀾万丈24 佐々木元太郎先生

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☆佐々木元太郎先生

 佐々木先生は、東京高等師範学校を卒業し、東京教育大学の附属高等学校に長年勤められていた。現在の筑波大学附属高等学校である。筑波大学附属高等学校は、東京の大塚にある。駅で言えば、丸の内線の茗荷谷である。そこの数学の先生であった。58歳くらいで滋賀大学の教授になられた。主に高等学校の学習指導要領の改定に力をつくされた。65歳で定年退官され、東京の自宅で悠々とされていた。ところが、兵庫教育大学大学院の準備にも少し関わられて、わざわざ兵庫教育大学大学院の教授になられたのである。私の入学試験の面接官であったそうだ。
 とても温厚な方で、私は29歳、先生は66歳くらいであったと思う。佐々木先生は、68歳まで大学院におられたと思う。先生にはかわいがってもらい、自宅までよく送った。奥様が東京から来られているときには、夕食をごちそうになった。二時間くらい、数学の教育のことを話してくださった。人材の本当の育て方は、徒弟制度にある。これはいつの時代でも変わりはない。
 一年目の秋に高血圧で倒れられた。そのため、夕方のお見送りは、私が担当することとなった。佐々木先生は大学から八km離れた大学の世帯寮に住んでいらした。世帯寮は社町のはずれにあり、大学の方がかなり奥の大地に切り開かれたところにあった。
 筑波大学附属小学校に赴任できたのも、佐々木元太郎先生のおかげである。直接的には、大阪教育大学時代の恩師の三輪辰郎先生が筑波大学附属小学校に来ないかと誘ってくださったのであるが、三輪先生と佐々木先生は同じ筑波大学附属高等学校の数学科の先輩と後輩の関係もからんでいた。後で、わかったことだが、私が筑波大学附属小学校に行くに当たっての推薦は、オーストラリアのアデレードで数学教育の学会のときに、佐々木先生と三輪先生が相談されたそうだ。そこで、大学院を修了して、神戸市の学校に勤めていた私に声がかかったのであった。


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