最新更新日:2024/05/19 | |
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有限の中に我々は有限の「いのち」の中で生きている。 この有限を自覚することで、今を大事に生きることができる。 肉体は有限だけれども、心は無限である。 だから、心を生かせば、もっと自由に生きることができる。 あなたの心を制約しているのは何か。 解放してあげよう。 酸化と抗酸化酸化と抗酸化がある。 酸化はさびる。 抗酸化はさびない。 むしろ良くなる。 今、取り組んでいる方法が酸化の方向なのか、 抗酸化の方向なのかによって 結果は大きく異なる。 自由人は、「心」の自由を得るとき、 「行動」の自由を得る。 二元論からの脱却「分かる」「できる」授業を保証していくと、算数の面白さが伝わらないという主張がある。 これは本当だろうか。 本当に「分かる」と面白いし、「できる」と面白い。 「分からない」と面白くないし、「できない」と面白くない。 これが子どもの事実である。 問題も解けなくて面白いという子どもはかなり少ない。 この事実に目を向けるべきである。 学習指導要領の目標には、基礎基本の知識と技能を身につけと、共に数理のよさに気づきとある。 どちらも必要である。 そこで、私はさらに、「分かる」の中に3段階あると考える。 第1段階 知っている段階。 第2段階 意味を理解している段階 第3段階 よさを理解している段階。 第2、第3の段階の「分かる」ときには、算数の面白さを分かることがあると考える。 二元論ではどちらかに偏る。 段階論、内包論ならばどちらも生きることになる。 機会物事の終わりと始まりには、諸般の事情がある。 その原因はなぞのまま終わる。 説明の機会はなかなかない。 しかし、やがて説明の機会がやってくる。 不意にやってくる。 まさに、必要・必然に世の中は動いている。 高学年の児童、中学校の生徒に宇宙貯金の話、1cm伸ばすこと、テイクとギブの関係 これらを話せば、明るい未来が見えてくる。 宮崎県明道小学校を訪問して6年生の下石学級に公開授業をした。その最後に、1cm伸ばすことを話した。するととても耳を傾けてくれた。 分かる児童には分かるものだ。 ではなぜ、このような話をしたのか。 校長室の前の廊下に学級だよりが掲示されていた。下石先生の学級だよりをめくっていくと、なんと私の本の宇宙貯金の話が登場していた。児童の感想が掲載されていたが、とても心に残ったようだ。 この話を下石先生とまた同僚の永田先生に話をもちかけた。 すると、下石先生は、「6年生に私なりのメッセージを送りたいと思っていた。その中で内田樹の教育の消費者論を児童に話したそうだ。これがきっかけとなって行動が変化した児童が現れたという。その後、「夢現大」の宇宙貯金も話したという。 だから、私は、翌日の公開授業の最後に下石学級にメッセージを残したいと思ったのである。実際には、夢の実現のためには1cm伸ばすことを話すと、児童はとても真剣に聴き、頭の中でぐるぐると回転しているのが見えた。 一期一会の出会いではあるが、このメッセージを残すことができて幸せである。 ともに共に、友に、朋に集まり、ともに語らう仲間がいることはとても幸せである。 心響「心」に響く授業をやろう。 教材の奥底にある波動を感じよう。 すると、その波動が響き渡ることになる。 「知」と「人」知人とはよく言ったものである。 「知」と「人」に分けるとどうなるか。 「知」が増えると「人」に出会い、「人」が増えると「知」に出会う。 「知」の蓄積と「人」の蓄積がからみあって、 新しい知と人とが増えて行く。 構え教えるにも、学びたい構えがなければ、 入っていかない。 学びたいという構えはどうあればよいかについて、 普段から指導しておきたい。 教室での学び手は子どもである。 授業カウンセラーの立場で言えば、クライアント、つまり授業診断を受ける立場の人(教員)である。 面白いおも‐しろ・い 【面白い】 [形][文]おもしろ・し[ク]《もと、目の前が明るくなる感じをいった語》 1 興味をそそられて、心が引かれるさま。興味深い。 2 つい笑いたくなるさま。こっけいだ。 3 心が晴れ晴れするさま。快く楽しい。 4 一風変わっている。普通と違っていてめずらしい。 5 (多く、打消しの語を伴って用いる)思ったとおりである。好ましい。「結果が―・くない」 6 風流だ。趣が深い。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− では、授業は面白いですか。 教師にとって面白いですか。 子どもにとって面白いですか。 教師にとって面白いと、次もやりたくなります。 子どもにとって面白いと学ぶ意欲がでてきます。 「面白い」とは単なるギャグではありません。 教科の本質に迫る面白さです。 この教材はどこが面白いのかを考えて授業しましょう。 算数の面白さメールブック「悠・愉」に8回連載した私の記事「算数の面白さ」を読ませた。 すると、その人は、「まだまだ私は数学の世界が狭いですね」と答えた。 「先生の言われる面白さには至っていません」という。 私は、若いときから算数のことを考えてきた幸せな環境にいたので、当然のことである。 私なりに考えてきた算数の面白さがある。 だから、面白さという着眼点はとてもよいので、これから一緒に教材研究しながら面白さの枠を広げていこうとアドバイスした。 ちなみに、この連載は、上の本の第1章にまとめた。 興味ある方はこの本を見てほしい。 http://www.meijitosho.co.jp/detail/4-18-123415-7 Chapter1 「愛」を育てるから「愛」と「心」を育てる算数授業へ /志水 廣 1 「愛」と「心」を育てる算数授業とは 1 はじめに 2 「愛」の現れ 3 授業とは何か 4 「学ぶ心」を育む志水理論 5 「愛」で育てることと外化との関係 2 算数の授業を「わくわく」させよう! 1 「わくわく」する算数の授業づくり 2 算数・数学の授業での「わくわく」とは? 3 算数の面白さを感じる7つの場面 3 子どもが「わくわく」する算数の面白場面7 1 答えは1つ,問題を解決したとき 2 視覚的・操作的に実感したとき 3 数理を導き出せたとき(きまりを見つけたとき) 4 わけ(理由,方法)がわかったとき 5 問題から新しい問題を作成したとき 6 1つの手順,きまりを使って問題を解いていくとき 7 新しい視点が投入されたとき 4 「心」を受け止めるのも「愛」で育てることである 1 「心」の変化を質問する 2 「心」の変容をとらえる 3 「知」と「心」の変容をとらえた介入授業 4 「心」を問うことで真の原因がわかる 授業力アップわくわくクラブを始めたのも「面白い」授業にしてほしいから情報を発信したいと考えたからである。その情報は、毎月のメールブック「悠・愉」、毎学期の特典DVDである。 やってくる昨日、お昼時に印刷会社Aの方が突然アポもなしに研究室にやってきた。 ちょうどよかった、以前にお願いしておいたある出版物の細やかな相談ができた。 突然であった。 その3時間後、別の印刷会社Bの方が算数の新聞記事を見つけたので大学にきていてますと電話が入った。 これまた、突然である。早速来てもらった。そこで、またまたお願いしておいた出版物のきめ細やかな相談ができた。 どちらの印刷会社にも相談ができた。見積もりをとっていたので、詳しい相談したいと思っていた。ところが、私の時間調整がうまくいがす、電話ができない状態であった。 それなのに相手の方から研究室に立ち寄ってくださった。 大学にいても、授業、会議、ゼミなどで研究室にじっとしていることはまれである。 その隙間をねらってきたのだから確率的にはものすごく低い。しかも、ダブルである。 教訓 本当にほしいことは、向こうからやってくる。必要・必然ベストである。 かきたてる気持ちすべての子どもにわかってほしい、できるようになってほしいという愛の気持ちが、教師の行動をかきたてる。 この気持ちがいい加減だと、子どもに強く外化を求めることはできないし、外化の後の評価と指導ができない。 生きている授業は生きている。 集合体として生きている。 教師と子ども、子どもたちどうしの息が合っていると、生きている。 心「意気」が合っていると、生きている。 合っていないときは、呼吸困難な状態。 つまり、息苦しい。 教師のやらせたいこと、子どものやりたいこと、この合致こそが生きている授業を保証する。 即行動6月の終わりに研究会があった。 その場で、「算数授業のユニバーサルデザイン」の本を紹介した。 回覧した。 会が終わって、その町の書店に行った。 ある本を買ってレジに行ったとき、となりから「志水先生、こんにちは」と声をかけてきた。 見れば、先ほどの研究会にいた方である。 「先生、算数授業のユニバーサルデザインの本がありましたので、買います」と言ってにこにこしながら、上の本をみせてくれた。 紹介したら、その足で、書店に行き買い求めるという行動が素晴らしい。 有望な方だと思った。 情報を知らないのは仕方ない。でも、情報を知った後にどのような行動をするかで、その人の道は決まる。 普段からの普段からのおつきあいがあってこそ、 義理と人情が発生する。 2文字漢字2文字でいやな出来事を受け入れることができる。 それは、 「修行」 である。 コトバンクによれば、「修行」とは、 「 悟りをめざして心身浄化を習い修めること。仏道に努めること。」 とある。 いきなりそういう心境には慣れないが、 やがて、仕方ないかなと思えるようになる。 この過程が修行である。 死ぬまで続く。いや死んでからも続くかもしれない。 ただし、人生は、嫌なことばかりではない。 たくさんの幸せな出来事に囲まれて生きている。 これを忘れないようにしたい。 まあ、嫌なことがくれば、「修行」さんこんにちは‥という感じでくらしたい。 「志」 UD21志水 廣の「志」とは、「こころざし」のことである。 心の方向を示す。 志水の場合の「志」は、「どの子もわかる・できる」ということである。 教室の中で落ちこぼされていく子どもたちをなんとかしたい。 困っている教師たちをなんとかしたいという目標をもとに行動してきた。 高い志をもって行動すると、宇宙は応援してくれる。 最近の「算数授業のユニバーサルデザイン」(明治図書)の大大ヒットは宇宙からの応援である。 教育の世界で誰も注目されなくてもよい。私一人でもやるんだという「志」で行動している。 その結果、応援団が現れてくる。 ありがたいことである。 ○付け法、意味付け復唱法、定義・定理の整理、教科書の活用、教材開発、語彙研究など現場への応援団としてやり続ける。 必要・必然どんな出来事も必要で必然でベストである。 こう考えると、すべてのことを受け入れることができる。 さらに、感謝できる。 |
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