最新更新日:2024/05/20 | |
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一文字違いあなたは、どちら。 いかしているひと。 いかれているひと。 「し」と「れ」で大違い。 自ら学び始めると自ら学び始めると、失敗ばかり。 なぜなら、自分流に行動してしまうから。 でも、失敗していくうちに改善したくなる。 試行錯誤を繰り返して、少しずつ良くなる。 また、他の人に助言を求めて、その助言を取り入れて 良くなっていく。 時間はかかるけれど、こういう歩みは着実である。 写真は、福岡県福智町の産物で赤池梨です。 大きい実です。高さが12cmあります。美味しいです。 福智町 http://www.town.fukuchi.lg.jp/kankou/index.html 生きる力とは生きる力とは、失敗から立ち直ることができる力のことである。 失敗したとき、立ち直るためにドンマイという「心の力」と、考え抜く「知の力」のことである。 福岡より明日は女子大学で講演です。 充実していて楽しいです。 必要・必然ととらえると物事は必要で必然なことしか起きない。 偶然のように見えて偶然ではない。 この必要・必然だったと気がつくのは、数年後、数十年後のこともある。 だから、目の前に起きる出来事に右往左往しつつも必要で必然なんだと思えば、心が落ち着く。 ステキな授業ステキな授業は、子どもも輝き、教師も輝く。 ステキな発言、声がいっぱい。 わかるときの喜びの声、 わからないときの苦悩の声、 いずれも心地よい響きを奏でる。 まるでオーケストラの音楽のようだ。 ステキな授業を創ろうよ。 口数 (くちかず)口数が多い人ほど弱し。 強い言葉を吐くのは、弱気の裏返し。 段階別指導「教師は子ども達にやりましょう」と言う。 子どもがやらないとする。 今度は、指示・命令の段階となる。 やりたくない子どもには、「やるのです」、「やれ」と言わなければならない。 子どものやる気、動機を待っていても心臓に悪いだけである。 待っている身はつらい。 動悸息切れしてしまう。 (もちろん、動機付けが大事なことは前提ですよ) 裏目良かれと思ってやったのに、逆に反撃を喰らうとやる気をなくす。 さらに言うと、裏目にでたら、恨めしい。 役割人にはそれぞれ長所もあれば短所もある。 長所を伸ばすのが基本であるが、短所も役立つことがある。 むしろ短所があるからこそ、人の気持ちが分かったりもする。 短所を嘆くのではなくて、短所も特性だと思っていかせばよい。 マイナス100がプラス100に変換される。 すると、プラス200点である。 もしかすると、短所も神様からのプレゼントかも。 気のエネルギー生気はとても大事。 命を支え、体中に「気」を巡らせてくれる。 つまり、生気とは命の炎である。 生気が無くなったら、生気末である。 命の炎を燃やし続けるために、明るい未来を展望し、行動していこう。 「長」は社長、市長、教育長、校長という文字には「長」がついている。 「長」はリーダーだから、普通の人では困る。 普通の思考・判断・知恵では針路を見誤る。 「超」思考、「超」判断、「超」知恵でなくてはならない。 社長が普通の人ならば、「社長」の代わりに、「社普通」と呼べばいい。 現場感今週は、みよし市の黒笹小学校、豊川市の豊川市、西尾市の平坂中学校、そして、今日は一宮市の教育センター。県内ばかりである。 ところが毎日異なる内容である。 特別支援、4−5年目教師、中学校数学科、教務主任と4通りの話である。 脳はフル回転。 現場を見て現場から理論を得て、現場に還元する。 これが楽しいからやっていけるのだろう。 おもてなし昨日、豊川市で研修会がありました。5時前には終わった。そのあと、市教委の皆さんと食事会がありました。スタートは6時30分。 時間がある。 ほんの少しの間であるが、ミニ観光を企画してくださいました。 砥鹿神社、大イチョウを見ました。 立派な神社です。すがすがしい気分になりました。 大イチョウも巨大なスケールです。 こういうお気持ちが食事会のときにも現れていた。 とてもありがたいことだと思った。 ありがとうございました。 愛されたい愛されたい。 でも、先に愛さないと愛されない。 ここに悩みがある。 腕は確かか授業の運転技術が普通車レベルなのに、教材としてポルシェをもってきて運転しようとしても、乗りこなせない。 錯覚だよ、自己のレベルを認識しないと事故するよ。 「いいこと」無しの授業子どもの発言に対して「いいこと言ったね」と言う教師の発言がみられない。 なぜか。 原因1 ある発言が「いいこと」だと思っていないからである。 原因2 「いいこと」の基準が違うからである。 原因3 「いいこと」言うはずかないと思っているからである。 原因4 「いいこと」を言わせる場面がないからである。 さてさて、教師のあなたはどれに当てはまりますか。 すごいタイミング昨夜、長野県のY先生に電話した。そのときのことで、メールがきました。紹介します。 「志水先生 お電話ありがとうございました。 実は昨日、学校の文化祭であるにも関わらず、携帯の行方が分かりませんでした。 文化祭の後、懇親会も行われましたが、気にしていました。 探し回ったところ、家に置き忘れただけでしたが発見し、 手にした瞬間に志水先生から電話が入りました。 偶然にしては出来過ぎているように感じました。」 こういうことってありますね。 主体的への転換主体的にするためには、「子どもが何をしたいか」を問うことである。 算数の問題を提示したとき、「わかっていることは何ですか。求めることは何ですか」と当たり前のように教師は問う。 これは教師側の要望である。 子どもはどう思っているか。 すぐに解きたいのである。 だとすると、「どうしたい」と問うべきである。 または、この問題から「何を知りたいか」を問うことである。 そうすれば、子ども側の要望となる。 下の写真は、求答文を隠している。この1行を考えさせるだけでも主体的になる。 ただし、子どもに考えさせると必ずしも上のような問題になるとは限らない。 だから、交通整理が必要である。 |
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