最新更新日:2024/05/02 | |
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なんぱ安定と動乱のどちらを好むかと言われれば、多くの人は安定を好む。 心穏やかに生きたいからである。 それでも安定は永遠かというと、それはない。 どこかで、動乱がやってくる。 そこで無理矢理、安定に持ち込もうとすると、難破する。 宇宙から見れば「なんばしちょっとか!」という感覚であろう。 変わらざるを得なければ受け入れて変わって行こう。 すると、新しい道が開かれる。 決意現在、授業力アップわくわくクラブでは、毎月の機関誌として「悠・愉」を発行している。また、毎学期に示範授業などのDVDを配布している。さらに、今年度(昨年の6月から)音声通信を毎週配信している。 初めに、何かを起こすというのはとても不安なことであるが、決意すればなんとか継続できるものである。 決意の後は、なんらかのアイデアが生まれてくる。 1年間たってみれば、結構な蓄積となっている。初めの決意こそがすべてを決める。 温泉場で福岡県の温泉で直接耳にしたこと。 露天風呂からでて着替えていた。 親子が風呂上がりに体重を量っていた。 小学生の子どもは39.5kgだった。 その子が父親にたずねた。 お父さんは何kgかと。 80のkgだとこたえた。 すると、約2倍だね。とその子は言った。 そうかあ、こんなときに「2倍」を使うんだと。 生活への活用がここにあった。 感謝感謝という文字を分解すると、「感じて謝る」となる。 謝るという意味は、「すまない」ということ、また「敬服する」ということではないかと思う。 退職を前に、感謝の日々で心穏やかに生きる。 愛知教育大学教職大学院 修了報告会M2の院生が発表しました。 志水研究室では、基礎領域1名、応用領域1名(写真)が発表しました。 2年間のわたる研究をまとめて発表しました。 理論を構築し、それに基づく実践をまとめることはとても大変です。 特に応用領域は、現職で勤務しつつ、実践し、なおかつ理論にまとめるのは並大抵ではありません。粘り強い性格で頑張りました。しっかりとした態度で成果を発表する姿を見て、大いなる歩みを確信しました。 今後の発展に期待しています。 組織の動かし方1年前、ある学校の教務主任から相談をうけた。 教職員の動かし方である。 その際、ちょっとしたこつを話した。 すると、先月会ったときに報告を受けた。 だんだんと教職員が動いてくれるようになったという。 良かったね。 素直に私のアドバイスを受け入れて実行したからである。 そのこつは、うふふ−。 3月になったら音声「悠・愉」で報告したい。 動向授業力アップわくわくクラブでは各地でセミナーを行っている。 最近の動向としては、20代の教員の増加である。 この人達は、学びたいという姿勢が見られる。 だから、そこに会わせたプログラムが求められている。 受講者の声 <今回も、皆様のおかげで、楽しく、しかも学びの多い2日間となりました。ありがとうございました。みなさんがおっしゃるとおり、今回は若い先生や、男性の参加者が多いことに、ビックリでした。私の学校からも、若手、そして男性も含め、5人参加していて、昨日感想を尋ねてみると、「とにかく勉強になった」「がんばろうと思った」と、やる気満々でした。そして、「先生、凄い先生方と知り合いですね」と言われました。株がグ〜ンと上がりました。 初任者で、男性のU先生は、昨日は私より早く出勤し、キビキビと働いておりました。「すごいね」というと、「なんか、今日は早く来てしまいました」という返事でした。やはり、何でも『はじめの一歩』が大切ですね。> 微妙なアヤ子どもがふざけているとき、叱ってほしい場合がある。 叱ってあげると、子どもはほっとする。叱られるだろうなと思っているので、叱られてほっとするのである。 ところが、教師から叱られないで、引かれるとかえって教師への信頼が揺らぐ。 結果と過程の混同自己有用感が上がったという研究について、それは大事なことであるが、研究の成果はそれでよいのか。 問題は、何をしたから上がったのかどうか。 問題ができるようになったから上がったのか、分かるようになったから上がったのかである。 すると、「何をしたから」の方に焦点を当てるべきである。 つまり、「分かる」「できる」ことの研究の方が優先度は高い。 分かるようになった過程、できるようになった過程を分析し、そのときの教師からの働きかけ、つまり指導(しかけ)はどのようなものであったか。また、絶え間ない指導(しかけ)の過程こそが解明され、語られるべきである。 自己有用感は指導の結果であって、その前の指導について解明されるべきである。 本気に本気になるときは、次の3つ。 1.学ぶことが楽しいとき 2.学ぶことが役に立つとき、 3.やばいとき。これをなんとかいないと、窮地に陥るとき。 だから、どれかの場面を用意するとよい。 宮崎宮崎市に来ています。 潮見小学校で授業をさせていただきました。 ありがとうございました。 とても楽しい授業でした。 だんだんと盛り上がる授業でした。 明日は教師力アップセミナーです。 1本の重みピンチのときに、電話1本でかけつけて修繕してくれる人がいる。 こういう人をもつことこそ、最大の財産である。 そのためには、普段からの関わり合いがものをいう。 普段から相手にサービスしておくことが大事なんだよね。 山内一也校長先生より今回は、学校長の山内一也先生からお手紙が届きましたので抜粋して紹介させていただきます。 「先生に何度かお越しいただくなかで、職員の意識を喚起し「算数の授業とは」「教材研究とは」「しかけとは」「授業での切り返しとは」など、基本的なことからちょっとした工夫まで教えていただき、よい方向にお導きいただけたと思っております。 先生と本校の牧野教頭の関係、教務主任の井上と緑丘小の太田先生との偶然のつながりにも感謝です。」 人と人との関係で言えば、志水と牧野教頭先生とは、今から20年前に愛知県総合教育センターにおいて中学校数学科教員の10年目研修で出会いました。それ以来のお付き合いです。志水塾などのお手伝いもしていただけました。 丹陽の井上先生は、それも20年前くらい?新任がみよし市の教員で、そこで学年主任だったのが太田先生であった。こちらも親しいという。お互いの学校を訪問して刺激し合うなんて考えられないことである。私との関係で言えば、どちらも顧問学校であったということ。 さて、山内先生は、前任の中野芳廣校長先生のあとを受けて1年間弱で学校公開にいたった。追いつくのに必死だったと思いますが、先生方にまかせつつフォローしたことが大きかったと思います。 ありがとうございました。 情報情報は向こうからやってくる。 突然の来訪者。 こちらも会いたいと思っていた人。 いろいろと情報交換をする。 前向きな話が決まる。 エピソードある小学校の指導に関わってのエピソード。 3年前と比較して、教師たちの授業が「分かる・できる」ように自信をもって指導できるようになった。 保健室のけがの変化。 養護教諭が話すには、 「子どもどうしによるケンカの怪我がなくなりました。」 「自分が原因の怪我はありますが…」という。 授業でのわかり具合は子どもの心の安定に影響を与えるということであろう。 教室での子どもの立場、授業での子どもの立場、そこに自己肯定感が保たれれば心が安定するということ。 嬉しい結果である。 考える過程上の1/2+1/3ではどのような事が過程であろうか。 C(1) あれっ? 分母が違うよ。だから、できないよ。 C(2) 分母が同じだったらたし算できるよ。 たとえば、2/4+3/4だと5/4だよ。 C(3) では、分母を同じにすればいいんだ。 C(4) どうすれば分母を同じにできるのかな。 C(5) 2つの分数があって、分母を同じにするには、通分という仕方があったよ。 C(6) そうかあ、通分してやってみるか。 C(7) でも、通分は、2つの分数を同じ分母にするだけだよ。 1/2は3/6,1/3は2/3だよ。 たし算していいのかな。 T(8) たし算していいですよ。等しい分数(同じ大きさの分数)だからね。1/2は3/6に,1/3は2/3に置き換えてたし算みればいいよ。 C(9) それならできるよ。 (1)から(7)までは、児童の気持ち。このやりとりを協働でやってもよい。この場合の協働はグルーブでも一斉でもよい。 (8)は教師から押し出すひとことである。 この過程を振り返ると、「□□だからできない」から「□□ならできる」への転換がポイントである。 たった農協でネギを買った。 100円と110円があった。 よく見ると、品質は変わらない。 だから、100円を選んだ。 たった10円のことであるが、にんまり。 そうか、買い物は消費活動だけれど、お得な買い物をすることで、10円ゲットした気持ちになる。 この時期バーゲンに向かう気持ちが分かった。 ギブとテイクgive と take の関係 段階1 take & take はもらいっぱなしの世界。多くの人はこの世界を好む。 なぜなら、あげないで済むから。 段階2 give & take は、あげたんだから返してもらうのは当然だという世界。 段階3 give & give は、あげっぱなしの世界。この世界にはよほどのゆとりがないとできない。人のゆとり、物のゆとり、おかねのゆとりがあってこそできる世界。 理想だけれど、それはなかなかできない。 この3つの段階は昔から言われている。 数年前にきづいたのだが、段階1と段階2の間に take & give という段階がある。 つまり、もらったら返すという原理。これを実行するだけで運はかなりよくなる。 メディアの役割メディアの役割は正確な情報を提供して、大衆に判断してもらうこと。 特に、明るい希望をもってもらうこと。 なのに、メディアが悪口ばかりいっているのは悪いお手本を示すようなもの。 せめて教師は、正確な情報を得て、判断してもらうようにしたい。 また、明るい未来を創るためにどうすればよいかを説きたい。 それがどうした?「算数の授業なのに黒板に問題文がない。」と話したら、怪訝そうな顔? つまり、「それがどうした?」という反応。 なぜ、算数の授業に問題文が必要なのか考えてほしい。 ここではあえて答えは書かない。 ps 内緒の話。上の回答は、「算数授業のユニバーサルデザイン−指導技術編」のpp20-21にあります。 |
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