最新更新日:2024/04/30 | |
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悩みの解消悩みに解消策などあるのだろうか。 あると考える。 ここでは、1つだけ紹介する。 悩んでいるNさん、志水(S)があなたに尋ねます。 S「あなたの悩みは解決できそうですか」 N「なかなか解決できそうにありません」 S「そうですか、それなら悩む必要はありません。」 N「ええっ??悩んでいるのですよ」 S「だから、解決できそうにないと自覚なさっているということは、答えが見つからないということです。よって、答えがないのですから、悩むのは無駄です」 N「そうかあ、答えがないんだから悩んでも仕方ないのだあ。ではどうすればいいのですか」 S「ほおっておきなさい。つまり、放置するのです。時間が解決するかもしれませんし、問題は残ったままずうっと放置されているかもしれません。でも、悩まなくて済むからいいんじゃないのかな」 N「そんなものかなあ・・・まあ、いいかあ」 学力の向上の成果愛知県一宮市の小学校の校長先生より報告がありました。 学力テストの結果が前年度よりも向上しているとのことでした。 しかも、数年間にわたって少しずつ向上しているということです。 この学校は、志水メソッドを活用しています。 1.○付け法と意味づけ復唱法 2.フラッシュカードの適用問題を定着させる。 3.音声計算トレーニング 4.「どの子もできる10分間プリント」(授業力アップわくわくクラブ) 特に、4番目の「どの子もできる10分間プリント」は全学年にわたって児童用を使っている。このプリントで子どものつまずきを克服している。きめ細かく教師達が指導の手を入れています。 教職員の努力に感謝します。 指導にかかわった者としては、ありがたいことです。 1回転のgiftが1回転の動きが2回転、3回転へと転がり膨らんでいく。 まるでジェットコースターのようだ。 なんだか不思議な波だね。特上の波がやってきている。 一瞬昨夜、仕事の帰りに久しぶりに温泉に行った。 そして、館内のかどを曲がった所に「あれっ?」 Sさんだ。 こちらが見ると、Sさんはびっくり。 ずこい偶然である。 娘さんのMさんもそこにいた。 クロスする所だったのでまさに偶然である。 ついてるね。 運の「なみ」運には波がある。 上や特上の波をゲットしよう。 なぜなら、「並」の運では変化は少ない。 どうせ得るのならば、並々ならぬ運であることが求められる。 よって、上運、特上運の波をゲットしよう。 うれしいこと講演会が終わり、私の信頼している人が本当に喜ばれているのを見て、話してよかったと思う。 お役に立てて嬉しいです。 運はたまたまか運やツキは、偶然に良いことが起きることだと思っていませんか。 だから何もしなくてただすたすらに待っているのだと。 それは違うのです。 運やツキは引き寄せる法則があるのです。 運やツキについて、船井幸雄先生に学びました。 そのひみつはこちら http://www.schoolweb.ne.jp/weblog/files/2370003... ターニングポイント人生にはあのときが変わり目だったと思う時がある。 今日の会は、確実に第二の人生のターニングポイントだと思う。 新たな決意と覚悟で動き出す。 「変える」と「変わる」人は変わらない。 保守的なものだからである。 だから、人を変えるというのは、おこがましい。 でも、人は変わる時がある。 それは、「気づき」があったときである。 では、どんな時に気づきが起きるのか。 それは、相手の話を傾聴するときに、「はっ」と我にもどって気づくのである。 よって、傾聴こそが一番の出発点なのだ。 「あって」よかったね物があってよかったね。 家があってよかったね。 仕事があってよかったね。 友だちがあってよかったね。 「あって」は存在を意味する。 「□□があってよかったね。」の文に当てはまるように、 あなたの□□を見つけてみよう。 縁結びとても貴重な助言をいただきました。 一つの縁が二つにつながることを実感しました。 感情理路整然と話されても人は納得しない。 そこに、感情が込められていないといけない。 その理論を伝えるのにどれだけの思いが入っているか。 入るような表現をしているか、そこが問題なのです。 感情がないのは「あっかんじょ−」 事後の報告最近学校訪問した教務からこんなメールが届きました。 「先日は志水先生にお越しいただきましてありがとうございました。 志水先生にご指導いただいたことを取り入れて、早速本校のMさんは 他学年で、九九ビンゴの授業を行いました。 志水先生のご指導通り授業を行ったら「今までで一番の手応えのある授業ができた」と 満面の笑みをMさんは浮かべておりました。 志水先生には、心よりお礼を申し上げる次第でございます。 また、志水先生の行った示範授業を、六年生で担任が追試する予定です。」 学校訪問時には、アドバイスを喜んでくださる。 でも、その後の事後の報告は殆ど無い。 そんな中、上のようなメールがあると、助言者としてとても嬉しいことである。 ありがたいことです。 わざと脳の性質として初めてのことはわくわくして理解しようとしてふるに動く。 ところが、理解できてしまうと、自動化が起きて、動きが少なくなる。 授業はわくわく楽しいものでなくてはならない。 だからこそ、楽しい教材、楽しい発問、楽しい活動の設定が不可欠になる。 しかし、途中で自動化の作業に入るとそのわくわく感も止まってしまう。 だから、わざと楽しくない作業も入れると脳はまた考え始める。 勉強は「強いて勉める」ものであるから、わざと楽しくないように強いることも必要かもしれない。 自主研勤務時間は限られている。 でも、授業の勉強がしたい。 そんなときこの指止まれの自主研がお薦めである。 60分程度の研修会でも得るものがある。 学校内には何かの道で得意な人がいるのでそういう人を講師としてやればよい。 ある学校では、夕方の自主研に参加できない人もいる。 その人達のために、簡単な自主研レポートを公開掲示しているそうだ。 ここから、コミュニケーションが生まれることもあるという。 少しずつ研修していこう。 誉められたことは昨日の笹島小・中学校を訪問したときのことである。 休憩時間にお茶を入れてくれた先生がいる。 この先生がお久しぶりですという。 といって、私はよく分からない。 愛知教育大学の卒業生で社会科コースの学生だったという。 20年前のことか。 小学校の社会科コースの学生には算数科教育法を教えたことがある。 そのときの印象で私のことを覚えてくれたのである。 その先生が、今でもなぜ覚えいるかというと、 レポートで分数のことをまとめるように課題を出して、それがとてもよかったので、「そのコピーを私の研究室の袋に入れてください」と話したそうである。 昨日、さらに話されたのは、「誉められたことは覚えているということですよ」と校長先生に話された。 そうかあ、20年もの月日がたつのに、誉められたことはとても印象に残っているのである。 教師のあなたは、今、誉めたことが20年先も覚えられている可能性がある。 誉めることは、未来への希望である。 たったの2分間であるが、ほのぼのとした瞬間だった。 教わるのか、作り出すのか教師はなぜ教えたくなるのか。 それは、子どもが自力解決できることを知らないからである。 正しい見通しを立てれば自力解決は可能である。 教師がやり方を教えると、子どもは教わるものだと思い込む。 子どもが自力解決できると、自分達で解決するものだと思い込む。 現実は、自力解決できない子どももいるので、教師からのヒントが必要となる。 それでも、自分で解けたという気持ちにさせたい。 オセロ返し一般的な場面での常識と、特殊な場面での常識が全く異なることがある。 黒が良いと思っていたら、白が良いと分かった。 まさに、オセロ返しだ。 今は一般が良いのか、特殊が良いのかそれを判断する知識が不可欠である。 写真はきんぴらゴボウ(by shimizu) 教師にとっての「嬉しさ」教師の楽しみとして子どもの成長がある。 大学教員だった私にとっては、卒業生の活躍を見ることはとても嬉しいことである。 19日の名古屋市算数数学研究会では多くの卒業生に出会った。 彼らが教育を語る言葉に真実身がある。 「よく成長しましたね」という感覚である。 いつまでも成長を願うのは教師の宿命だね。 1月の談話会テーマは、「働く」ということでした。 働くことの意味を考え、キャリア教育につなげてみました。 談話会は年齢層が幅広いので多様な意見が展開されて学びが多かったです。 ありがとうございました。 |
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