最新更新日:2024/05/01 | |
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力を伸ばすには決められたセリフを決められた時間にこなすだけでは、力は伸びない。 例えば、この時期、授業参観に「□□の学習発表会」を当てることが多いが意義のあることではあるが、教師の授業力は伸びないし、また子どもも発表するだけだから授業を受ける力は伸びない。 教師の授業力は、しっかりとした準備の中で、子どもと真剣に向き合う場で伸びることになる。子どもも同様である。 人は動かせられない人を動かそうとすると、ストレスが貯まる。 動かせられないのだから、ゆっくりやるしかない。 検査データ各月で検査データをもらっている。 今月は前のデータよりも少し良くなっていた。 これだけでも安心する。 なんとなく体の調子が良いのは体感で分かる学習、データで見せられると、確信がいく。 時間時間とはある時刻と時刻との間のことである。 それはその通りである。 人生で言えば、過去と現在と未来がある。 そこで、自分の時間はどこにあるのか。 過去に戻ろうとしても戻れない。未来に移行としても行けない。 すると、今の自分にあるのは時刻だけで時間はない。 ただ今という瞬間のみが、否、瞬時のみがあるだけである。 よってこの瞬時を生き続けるしかない。 人生の壁を突き抜けるためには何か事を起こそうと思って行動しても壁にぶつかることがある。 その壁を突き抜けるためには、エネルギーを貯めておくことが不可欠である。 上りたい上れないという状態、一進一退の状態を続けてエネルギーを貯めておくことだ。 そして、貯まったら一気呵成に動くとよい。するとどんどん上がる。 1つの仕事が1つの仕事が次の仕事を呼ぶ。 先日のある講演会の数日後、新しい講演会の依頼が舞いこんだ。 ありがたいことです。 開いたけれど教師は授業の始まりに 「教科書を開いて」と言った。 すると、子どもは教科書は開いたけれど、 開いた瞬間、これは難しいと思って、心は閉じた。 教科書も心も開かせて学ばせたい。 変われない人は、周りの人に変化してほしいと願う。 つまり、自分は変化しないで、周りの人に願う。 これって変だよね。 自分が変わる、自分を変えるのは難しいと、思っているから自分は変われないのである。 その「変われない」ことをなぜ、人に強要するのだろうか。 無理だと思うよ。 だから、お互いに変われないままでよいのではないか。 変わりたい時期がくれば変わることになる。 それまで待とう、ホトトギス。 子どもの本音研究室にやってきた子どもが話してくれました。 算数の授業では教科書にある図は使いません。 映像機器はめったに使いません。 普段の授業の様子を知ることができて面白い。 大丈夫かなあ。 世間は狭いある仕事をしていて、全く関係のない人と話しているのにもかかわらず、 親密に話していくと、AさんとBさんとがつながっていたりする。 不思議なご縁である。 ありがたみ昨日は、福岡県の金田小学校を訪問しました。 写真の通り、車イスに乗っての授業参観・指導そして、示範授業でした。 空港でのサービス、車での送迎など、多くの人に助けられて仕事を無事に終えることができました。 本当に感謝です。 特に、事務局の近藤さんには車イスを押すだけでなく、けがでへこんだ心まで押されて元気がでました。 ありがたいことです。 やろうと思ってたのに「これをしたらどうか」と上司は話す。 部下は、「やろうと思っていたのに、言われちゃった」 と腹を立てる。 上司はアドバイスしたのにもかかわらず、部下は機嫌を悪くした。 上司は、腹を立てないで腹を寝かせればよいのかな。 やりたいことをやれる人生幸せな人生とは、やりたいことがあり、それがやりたい時期にやれることだと思う。 人生にはいろいろな制約がある。 この制約から少しずつ解放されていけばありがたいことである。 情報の蓄積ある行動を起こすと、情報が自然と集まってくる。 その情報が全く別の場面で役立つことになる。 そんなことを最近多く経験している。 ありがたいことである。 言わなければ本当にそのことがいけないことなら、アドバイスすることに躊躇はいらない。 ただし、言い方は配慮した方がよい。 その人の感度がどこにあるのかを明確にもっていないと、アドバイスしたのに無意味になったり、反発されたりもする。 どんな人も配慮が必要なんだよね。 帰り道昨夜、帰宅の途中、車を運転しながら、今の車もいいが、 前の車(コペン)もいいなと思いながら走った。 すると、目の前に旧型の黄色のコペンが現れた。 これには驚いた。色まで同じだ。 引き寄せの法則かもしれない。 口頭テクニック子ども達に聴く力を伸ばすためには、話し言葉で語りかけるのがよい。 そして、今どんなことを話したかを質問するとよい。 ただし、ユニバーサルデザインの観点から言えば、話し言葉だけの授業は子どもにとって辛い状況も生まれる。 例えば、算数の問題を話し言葉だけで説明して、黒板にその問題を書かなかったらどうなるか。 聞き取れなかった子どもはお手上げである。 一度しか言いませんよという教師の意図は理解できるけれど、子どもによっては視覚優位の子どもも存在する。つまり、聴覚は苦手なのである。 せめて、問題提示の冒頭は、口頭で話し、かつまた文章を板書することである。 これぐらいの優しさは当然ほしい。 暇な時間対話と協働という美名のもとで、子どもが考えなくなっている。 教師も暇な時間となっている。 授業はもっと真剣な場である。 なんとかわからせたいという教師の熱量とわかりたいという子どもの熱量がぶつかりあう 場である。 主人公はだれ?いつも楽しく生きたいね。 ただし、目の前の現実は楽しいこととはかぎらない。 だけれども、心は楽しくするのはできる。 なぜなら、心はあなた自身の持ち物だからである。 自分の心はだれがコントロールするのかというと、あなた自身なの。 となりの人や周りの人がコントロールはしないの。 いつも明るく、楽しく生きるといいよ。 どちらも・・・途中の階段を示さないで、目標だけあおるのは単なる理想主義者。 反対に、途中の階段を示しているのにやらないのは単なる臆病者または頑固者。 どちらも? マークだよ。 |
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