最新更新日:2024/05/20 | |
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最後にいろいろと船井幸雄氏の主張を述べ、それの教育への適用を私なりに述べてきた。氏の本は前にも述べたようにかなりの数があり到底全部は紹介できなかった。本当に一部である。でも、 5つのキーワードは、教育にとって示唆の富んだものと言えよう。例えば、私がプラス発想を教えただけで研究会が成功した例だってある。ある小学校の研究主任からこのプラス発想についてその効き目を伺い、またお礼も言われた。でも、もとは船井幸雄氏の言葉である。それだけマイナス発想または0発想の人が多いということでもある。だから、 5つのキーワードを大切にして教育にとりくんでいただきたいと思う。 氏は競争の名人であるが、氏は最近、競争は悪で共生が善であるという。教育界の競争は、受験テストである。偏差値テストの追放事件は競争から共生への移り変わる前触れ現象かもしれない。 小倉金之助氏が昭和の初めになげいた現象は今日にいたっても変わっていない。だから、世間一般大衆が、数学は必要かもしれないが、数学に対して懐疑的であるのである。多くの人が不快感を持っているのだろう。学校教育で一生懸命算数や数学を教えた結果が数学嫌いを生み出しているとしたら算数・数学の教師は救われないではないか。これを救いのあるものとするためには、テストのみに心を奪われるのではなく、第一に算数・数学の問題解決の力をつけることであり、第二に算数・数学の真善美に触れることであると思う。そのほうが、結果として、テストの点も上がると思う。 プラス発想を教育に適用してみよう〔教育への適用〕 まず、子どもに未来を信じさせ、プラス発想を持たせることである。 このプラス発想は、過去や現在を肯定することから始まる。そうすると、子どもの現在の力を肯定して指導にあたるべきだということである。 例えば、三年生の子どもを受け持ったとき、何人かの子どもがかけ算九九をまだ覚えていなかったとしよう。そのとき、なぜ、覚えてこなかったのかと子どもに詰問したり、前担任のことを責めてもしかたがないのである。「そうか覚えてこなかったのか。でも、九九は算数では大事な内容だから、先生と一緒に覚えようではないか。」と子どもに問いかけてやりたい。これがプラス発想である。そうして、子どもに達成感を持たすことができれば、子どもから感謝されるのである。 昨年、広島県のある小学校の校長先生にあった。その校長先生が赴任したときは、先生どうし、また先生と校長とのあいだで亀裂があったそうだ。これは、子どもにも影響して荒れていたそうだ。この荒れた事実については、地元の父母から私は直接きいたから間違いない。普通なら校長先生はなんと運の悪いことだと思うだろう。 ところが、違ったのだ。「私は、運がよかった。先生方はこの学校が悪いということを自覚されていたので、これからなんとかしようと声をかけたから、みんなそうだそうだと意見がまとまったという。だから運がよかったという。」これぞ見事なプラス発想であった。もちろんこの学校の研究公開は成功したのであった。私もこれ校長先生の姿勢を見習いたいと思った。 どうも人生というのは困難な問題の連続であると言える。よくもまあ、つぎからつぎへと問題がやってくるものだと思う。だからこそ、この対処法としてプラス発想をしていかねばならないのだろう。ともかく、教師は子どもに対してプラス発想で見ていかねばならない。 (5) キーワード5:プラス発想「世の中のことには偶然はない」と船井幸雄氏は言う。どんなことも必要・必然であるから物事が起こったものだという。だから、嬉しいことも、悲しいことも必要・必然と考えて、感謝してプラス発想して受け取って対処していくことだという。 私は、ここ数年ほど運命論に関する本を40冊近く読んだが、そのどれもがプラス発想で生きることを強調していた。プラス思考、志向、積極思考、積極観念など言葉は違うが意味することはみな同じであった。数学の言葉で言えばプラス変換という言葉がぴったりだと思うが、一般の人でも分かる言葉でプラス発想を使う。 ここで大切なことは、人間悲しい時、嫌なときにすぐにプラス発想ができるかということである。これは本当に難しい。でもしていくほうが事態の改善には一番早いといえそうである。だから心の訓練をするほかなさそうだ。 算数のよさだから、品物でもまた組織でも複雑化していくものには?がつくと船井氏はいう。逆に単純化していくものには価値が高いと言えるだろう。数学でいうと単純化していこうと思えば、それは原理的なものになる。集合の考えもその一つだろう。いろいろな事象を数理化していく中でより原理的なものを見つけていこうとする態度は、数学のよさにほかならないわけである。このあたりに数学教育の目標論をおくこともできるだろう。 以前、学習指導要領で「算数のよさ」という言葉が登場したが、非常にシンプルであり的確である。しかも算数の専門の教師でなくともなんとなく分かることばである。そういう意味では「よさ」という言葉は本物といえそうだ。だから、私は、算数のよさというキーワードを支持するものである。 なお、算数科の授業ではよさの前に問題が解けるという状態が一番大事である。子どもが問題を解けなくて、先に進もうとする授業を見ることがある。こういう教師の態度を周りの参観者ばかり見て、子どもを見ていないと言うのだ。上っ面の教育理論ばかりみて、子どもの実態を見ていないのだ。だからこういう教師をみるとなさけなくなる。算数科の本質、授業の本質が分かっていないと思う。子どもの理解は一歩一歩である。できない子どもをできるようにさせること、これが根本である。その次に算数科のよさを感得させるようにするべきだろう。 (5) 長く続かないヒントカードでやっていましたが、やめました。」と言われた。私の主張の通りだと言われた。複雑で長続きしない方法は結局だめになるということである。 ただし、ヒントカードの役割を全面否定はしない。指導前に子どものつまずきの予想するためにヒントを予想することは大切であるし、また、問題を解くかぎとなる図をヒントカードとして用意することは必要なこともある。だから、要は程度の問題である。簡単な発問で済むのにもかかわらずヒントカードが絶対有効であるという主張は変だなと思うわけである。○付け法、復唱法、音読計算などはとても簡単で効果がある方法である。そして、それらは、持続可能であり、ローコストであるので本物の技法である。 現場の先生がたよりにするのは何かというと「教科書」である。教科書は上の本物の条件に見事にあてはまっているのだ。恐ろしいぐらいである。手軽で、ローコスト、ハイクオリティである。だから教科書をもとにして援業をするのはあながち思いとは言えない。もし、教科書を離れて授業をするには、上の本物の条件を満たすことを考えながら工夫すべきなのだ。 授業の中で本物もっとも、指導があっての評価であるから、授業で子どもが関心・意欲がないという評価をつけるということは、その人が指導できなかったことを意味する。変容させることができなかったので、本来は教師にとって恥ずかしいことである。医者が患者を治療できなかったことと同じことであるのだ。 本物昨年、四年生の授業で角の大きさを工夫して求める授業を参観した。ある子どもがその工夫が分かった瞬間、思わず担任の教師に表情で訴えたのだ。「先生、わかったわよ」 という表情であった。本当にいい顔だった。周りの参観者はその子どもに気がついた。 ところが、残念ながら、担任の教師は他の子どもの個人指導をしていたため気がつかなかった。惜しい場面だった。せっかく共感できる瞬間だったのだ。授業における波動エネルギーの共鳴現象が起きるチャンスだったのだ。たまたま、私はその子どものそばにいたので「いい考えだ。」とほめてあげた。 ただし、その担任の教師の授業技術には学ぶべき点があったことを付け加えておく。 本物とにせもの本物というキーワードは、商品以外でも教育の面で応用できる。 例えば、教育では子どもをほめるということである。ほめれば子どもは喜ぶ。そして、自信をつける。すぐに効くし、無料というのがいい。ただし、ほめるときには真剣に伸びたところをほめることが大切なことであるが。 では、その「伸び」はどこでみるかということになると、子どもの考えの表現だからノートに書いた考えである。ノートというのは単純、ローコスト、即効であると言える。だから、ノートに書かせること、またノートを見ることは本物の指導と言える。逆に、授業中にノート指導がない授業はにせものといえる。 (4) キーワード4:本物について船井幸雄氏は、最近の本の中で「本物」というキーワードを使っている。 本物の商品は、次の特徴を持つという。 「A 1.単純、2.万能、3.即効、4.よいことばかりで副作用なし、5.制約がない B 1.安全、2.快適、3.ローコスト、4.ハイクオリティ C 1.自然がお手本 2.蘇生化していくもの」 船井氏は経営コンサルタントだから、彼の会社にはたくさんの発明品がやってくるようだ。その中で上の条件にあてはまっているものがいい商品だと言っている。 教育の目的横道にそれたが、とにかく教育の目的は子どもに夢をもたせ、その夢の実現のために文化遺産、学び方、学ぶ意欲を身につけさせることであると考える。算数・数学教育ではその3つに対して場面を保証できると思う。だからこそ、算教科・数学科の存在意義があると思う。 学ぶ意欲最近の脳の研究でも快のホルモンが出るという文を見たことがある。脳生理学者の大木幸介氏によると、「人間や、人間精神にとって最重要な神経はA10神経だ。A10神経は覚醒作用もあるが、主として「快感」を生じ、後で述べるように「創造性」も生じ、人間精神にとって最重要な神経であるのだ。…やる気が快感につながる。…快感が人間精神の原動力になる。…やる気は、脳幹の橋と中脳にあるA6神経とA10神経によって主として駆動され、醸成される。」という。(講談社) このことから、次の私の仮説はどうだろう。「世の中の生成発展のために人間は学ぶ必要があるわけだから、学ぶ以上は、創造主は人間にご褒美をやろうということになった。」それが分かる喜びであり、創造したときの快感であろう。 学ぶことは本来快感だという立場に立てば、競争という概念で教育する必要はなくなると思う。受験競争の結果、大学では無気力な学生が入ってくるということは何という矛盾だろうか。競争が善だとしたのなら、大学生が意欲的であっていいわけだ。ところが現実は逆だ。大学生は、自ら学んでいく姿を示すべきだと思う。 教育への適用ここで教育の目的が生まれる。 教育の目的は、人間として一人前になることである。それは、創造の理を自覚して社会の生成発展に寄与することだと私は考える。子どもなりの表現で言えば「夢を持ち、夢を実現させていくために」学ぶことである。 学ぶためにはできるだけ効率よく学ばなければならないから、学校が存在して、教室で教師と相対して学ぶように制度と組織が作られた。その学ぶべきことというのが教育内容である。 それには、三つある。第一に、人類の文化遺産である。知識や智恵のかたまりといっていいだろう。第二に、その知識や智恵が生み出されてきた方法である。学び方を学ぶということである。自ら学ぶためにはこの二つが必要である。第三に、学ぼうという意欲である。 創造主夢の実現には私個人の力だけではなく何か不思議な力が働くという印象を強く抱いている。だから、私は創造主の存在を100%ではないにしても存在していそうだと思う。 なお、人間の思いは100%実現するかというとこれはあり得ない。そのあたりのことをさして船井氏は「確信をもち、イメージ化したのなら」という条件を付け加えているのであろう。その点誤解のないようにしてほしい。 不思議なこと例えば、第一作目の本『教科書を活用した算数の授業』を啓林館から出版した。この本を出版したとき、私が啓林館の教科書を執筆しているから啓林館の企画であろうと第三者は思ったことだろう。しかし、そうではなかった。啓林館の雑誌「理数」の内容をまとめることにしていたので啓林館には事前にこういう本を出しますからと了解はとっていた。 しかし、内容は啓林館の教科書の引用だけでなく他の会社の内容も扱い汎用性のあるものとし、出版社はA社にするという希望を伝えて交渉は私がした。A社の交渉は始めうまくいきそうになったが、結局だめだった。つぎにB社に頼んだ。企画会議では一発では決まらずあと一週間で決まる段取りになっていた。 このあいまいな状態の時に啓林館から電話がかかってきた。あの出版の話はどうなりましたかと。この時啓林館に始めに話した時から六ヶ月ぐらいたっていた。だから、私の頭の中には出版社のリストとして啓林館はなかったのだ。この電話をきっかけとして事態は急変した。それなら、啓林館のほうで出版してあげましょうということになった。あっという間に決まって進行していったのだ。今もってあの時なぜあの電話が入ったのか不思議で仕方がない。 創造の理このように考えてくると、船井氏は、人間の使命を「創造力を活かして、つぎつぎと良いものをつくり、世のため、人のために貢献するように生まれてきた」と定義しているわけである。 この創造の理についてもう少し私なりの解釈をする。創造主がいるかどうかは別にして、私は、この創造の理について賛成である。人間の歴史は何かの物をつくり出してきた歴史であったといってもよいのではないかと思う。そのとき、人間が体にまとう物が必要だと思うから衣服ができてきたし、海の上を移動できればいいなという思いは船を誕生させた。 月に行きたいという思いがあったからこそアポロ計画が成功したわけである。テレビ、携帯電話、自動車など自然以外の人工物はみな人間の思いの産物といえる。 私自身のことで振り返ってみても、大学を卒業する時に大学院にいけたらいいなという思いは29歳で実現した。また、前任校に赴任した時に一冊でもいいから本を出版したいと思ったら四年目に出版できた。いつか算数の教科書を執筆したいと願っていたらこれも実現した。また、雑誌の編集を手がけてみたいなあと思っていると、これも実現した。それらは、無理矢理自分から獲得したというものではなくて、ごくごく自然のお導きで実現した。不思議なことである。考えてみれば神戸にいたときには実現不可能なことであった。 さて、創造主の存在については、宗教では当然のことである。科学者で創造主の存在を公言する人もいる。例えば、エレキギターや自動炊飯器を発明した工学博士の政木和三氏も神様の存在を主張している。また、岡崎国立共同研究所の東晃史氏も「もはや、神仏を信じるか信じないか?という設問は、科学的に愚かであることを知るべきであろう。意識は、神々の序列によって動く生き物であり、意識が地球を変えているのである。…無神論者の良識では地球環境は守れない、ということを指摘しておこう」と述べている。 (3) キーワード3 :創造の理(3) キーワード3 :創造の理 船井幸雄氏は、人間の特性の一つとして創造性をあげている。つまり、「人聞には創造力」があるという。「思うことは実現するということ。」これを創造の理という。この創造について船井氏は、次のような説明をしている。 「私は、人間も含めて、あるレベルの者が、なにかを創造しようと思い、それができ上がるという確信をもち、そのことをイメージ化したなら、それは実現する。」この創造力があるということは、世のため人のために貢献できるし、逆に世の中や人類を破滅させることもできるということでもある。即ち、「よいことを思えばよいことが実現し、悪いことを思えば悪いことが起こるということです」。この仮説はマーフィを始め、中村天風などいろいろな人が言っている。だから、この仮説は正しいといえそうである。 そこで世の中の原理が登場する。そのために、創造主という存在を仮定している。 ある人は神様といい、また仏様といい、天ともいう。中村天風氏は宇宙霊と言っている。 船井氏は言う。「今創造力のことを言っていますので、創造力の根源ということで創造主ということにします。宇宙の創造主は『世の中は日々、生成発展し、すべてがよくなるようにつくられた』」 という仮説を立てている。 この生成発展説について松下幸之助氏も『人聞を考える』(PHP文庫)という本の中で同じことを主張している。「宇宙に存在するすべてのものは、つねに、生成し、たえず 発展する。万物は日に新たであり、生成発展は自然の理法である。」と。中村天風氏もこの生成発展説に立つ。不思議に一致している。 (2) キーワード2 :長所伸展法イの原理は船井幸雄氏の言葉を借りると「長所伸展法」という考え方である。 その人の運のいい所というのは、その人の長所に他ならない。長所を伸ばすという方法が人間でも組織でも本来あるべき方法であってしかも一番効率がよいと船井氏は述べている。 〔教育への適用〕 その人のいい所を見つけて伸ばしなさいというのは、教育では当然のことである。例えば、学力不振児がいたとする。その子どもは普通国語から体育にいたる八教科で不振になってしまっていたとする。この場合、八教科をどれも力を入れて指導しても効果はあがらない。八教科の内どれか少しでもできそうな科目があったとする。それに集中的に指導を加えるとよいのである。そうすると、例え、一科目でも自信がつくのである。この自信という力は大きい。ここからつぎに二科目目をねらえばいいのである。この方法論は私の過去の教職経験からいって正当だと言える。脳生理学者の千葉康則氏は『才能を伸ばす人、つぶす人』(PHP文庫)の中で、一点突破法ということを主張されている。多方面作戦よりも一点突破法のほうが脳機能全体の促進に役立つと述べている。船井氏の主張を裏付けるものである。 船井氏はまたこうも述べている。「長所伸展法の反対は短所是正法がある。短所是正法は最も効率が悪い方法である。なぜなら、長所伸展法の場合は自分の得意を伸ばすのだから楽しく取りかかることができる。これに対して、短所是正法の場合ははじめから苦手意識があるからいやいや進めることになる。だから、やらなければならないと思っていても力が入りにくい。その結果、あまり伸びないということになるからなかなか自信に結びつかないわけである。」つまり「長所はすぐに大きく伸ばすことができる。すると短所は相対的に目立たなくなるのである。」と言っている。 個性を伸ばす方法はこの長所伸展法がぴったりだと私は考える。 算数科でも運のいいところは何かと考えてみた。第一に、問題が解けることである。解けなければ算数科の学習は始まらないと言っても過言ではない。算数・数学の場合、問題解決はギャンブルそのものである。ギャンブルという言い方は不謹慎かも知れないが、子どもにとっては解ければ100点、解けなければ0点であるのでやはりギャンブルなのである。問題が解ければ最高に嬉しい状態となるのである。だからこそ、授業で提示する問題は子どもの力に合った問題でなくてはならないし、また問題を提示したら解けるように指導・支援しなければならないのである。解決の見通しを強調するのも解けるためには是非必要なことだからである。ただし、見通しは、子ども個人が持つものであって.集団で見通しをたてると模倣に終わるので気をつけたい。もし、集団で見通しを立てたい場合は少し暖昧な方がいいのである。その方が気づきの喜びがある。 第二に、算数・数学の運のいい所は、算数・数学のよさである。簡潔・明瞭・一般・統合などや単位の考え方のような「よさ」が運のいい所なのである。新指導要領で算数・数学のよさがうたわれたのは非常にいいことだと思った。だから、問題が解けたあとは、よさの認識化と定着が図られなければならないのである。 運くいい人と付き合うと運なんて教育へ適用できるとは普通思えない。しかし、これは教育にぴったりあてはまると気がついた。 アの原理は、子どもにとって担任の教師の運のよさは重要なポイントであることを示している。つまり、教師が運がいいと子どもも運がよくなるということになる。この場合の教師の運というのは、出世をさしているのではない。運がいい状態はその人が生きることについて楽しい状態なのである。授業がうまいのもその教師の運のよさなのである。また、教師の人間愛に満ちた状態も運のいい状態である。 船井幸雄氏によれば、「組織体の経営の99%は組織のトップで決まる」という。学級なら担任の教師であり、学校なら校長先生で決まるのである。私の経験によると、現場の研究発表会に参加すると校長先生と少し話しただけでその学校の雰囲気が分かるし、また今日の研究会が成功かどうかはすぐに分かる。また、教室に入ったとたん、教師をみれば授業がうまくいくかどうか私には判断できる。 子どもは担任の教師を選べないわけだから、子どもの運は教師次第ということになる。だからこそ、教師自身が教室で楽しい毎日を過ごすことである。そうなれば、子どもも学校が楽しくなる。その楽しさは後で述べる創造の理を使ったときである。 (1) キーワード1:運のつくこつ3・船井幸雄氏のキーワード 船井幸雄氏の理論をこれから紹介するわけだが、たくさんの本があるのでとても私一人でまとめきれるものではない。でも、要点だけは伝えたい。そこで、船井氏の主張のキーワードをとりあげて教育への適用を試みたい。 (1) キーワード1:運のつくこつ 氏は若いときに苦労された経験、私的な経験並びに仕事上での経験からどうすれば運がつくかを経営コンサルタントとして研究したそうだ。その結果、「ついているものにつき合う」という原則を見つけたという。運がつくためにはつぎの二つの方法がある。 ア・運のいい人にくっつく イ・自分の中の運のいいところを伸ばす。 アの方法は、周りの人で運のいい人がいたらその運のいい所につき合うということである。そうすれば、仕事のやり方、研究の仕方などのこつを身につけることができるというわけである。ただし、船井幸雄氏は、基本的に運というものはその人自身がつくるものであるとも述べている。つまり、運がいいのも悪いのもすべてその人の責任であるということである。ここは大切なポイントである。これは、自助論である。個人の努力が大切であるという。だから、身の回りで運のいい人がいなかったら、イの方法が有効であるということになる。 2・船井幸雄氏の人物像2・船井幸雄氏の人物像 では、この人は一体どういう人なのか。教育界にはなじみのない方なので少し詳しく紹介しよう。1933年に生まれ、今年77歳。京都大学農学部を卒業され、産業心理研究所、日本マネジメント協会理事をへて、現在の会社を設立された。仕事は経営コンサルタントである。また、その経営コンサルタントのプロ集団を作り、一つの会社にして株式会社「船井総合研究所」の会長を務められた方である。この会社は、わが国でも有数の経営コンサルタントの会社だという。1988年に一部上場している。世界で経営コンサルタントの会社が株を公開しているのはこの会社だけである。それだけ経営ならびに経済界にとって有名な人である。特に流通業界には詳しい人でどうやったら売上げが上がるかについては神様みたいな人だそうだ。ほんのちょっとアドバイスするだけで売上げがかなり上がるというのだからすごい人である。現在は、会長を辞め、第一線から退いている。 船井氏の理論はいまや企業経営論から始まり、人間論に移行し、現代社会のありかた論にまで広範囲にいたっているからである。つまり、単に一つの会社のもうけを考えるだけでなく、人間の使命を考え、しかも、これからの人類はどう生きるべきかというテーマにとりくんでいるからである。 会長の頃は、仕事のかたわら、年間に講演を二百数十回以上もこなしていたという。数年前には、氏の講演では、会社の幹部が多かったそうだ。その後、女性が5割、また若い人が多く来たそうだ。それだけ船井氏の人聞の生き方に共鳴するという人が多いということである。船井幸雄氏が書いた本は二百冊はある。私は船井氏の本の殆どを買い求め読んだ。 私が気に入っている本は、経営コンサルタントとしての本として例えば『船井流競争法』『ベイシック経営のすすめ』『船井流正攻法』『即時業績向上法』などがある。人間の生き方として『五輪の書』『上に立つ者の人間学』『人間の研究』『運を創る運を開く』がある。そのほか『エゴからエヴァへ』『百匹目の猿』という本がある。 これでだいたい船井幸雄氏のイメージが分かっていただけたと思う。 |
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