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東部中たより「東風」

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東部中学校通信 Vol.19
平成30年12月 野呂一彦

「人は見た目で判断する!?」

 なんとひどい題でしょう。誤解を避けるために解説をしますので、題だけ見て、なんじゃこれはと思わず、どうぞ最後までお読みください。
 人はいろいろな材料から情報を得て物事を判断しています。人によって違いはありますが、五感と言って、視覚、味覚、聴覚、嗅覚、触覚が一般的です。第六感が非常に敏感だという人もいるようです。中でも視覚と聴覚からの情報は大きなウエイトを占めています。会話をするときは、言葉以外に相手の顔色や表情、声のトーンや大きさは特に重要です。それに比べると、文字によって伝えることができる情報量は非常に少ないのです。試しに、西郷隆盛という人を大まかに説明した文章を書いてみました。
○幕末から明治時代初期の政治家。薩摩藩(今の鹿児島県)の下級武士の家に生まれ、大久保利通らとともに、薩摩藩を公武合体から倒幕運動へと動かし、薩長同盟を作りました。彼は常に庶民の生活を第一に考えて行動していました。その後、王政復古というクーデターを指導し、新政府軍の総参謀として戊辰戦争に勝利して、犠牲者を出さずに江戸城の無血開城を実現しました。目的のためには手段を選ばない厳しい一面もあったようですが、明治新政府では参謀となり、廃藩置県を成し遂げた背景には西郷の率いる軍事力が大きな力を発揮しました。征韓論をめぐる争いに敗れたのち、職を辞して鹿児島に帰り、私学校で若者の教育をしました。1877年、西南戦争を起こしましたが、新政府軍に敗れ、鹿児島で自決しました。今でも彼を慕う人は多く、維新の三傑の一人と言われています。
 前の文章の一部分をカットしてみました。
 ○幕末から明治時代初期の政治家。王政復古というクーデターを指導し、新政府軍の総参謀として戊辰戦争に勝利しました。目的のためには手段を選ばない厳しい一面もあったようです。明治新政府では参謀となり、西郷の率いる軍事力が大きな力を発揮しました。征韓論をめぐる争いに敗れたのち、職を辞して鹿児島に帰り、1877年、西南戦争を起こしましたが、新政府軍に敗れ、鹿児島で自決しました。
 どうでしょうか?西郷どんのイメージがずいぶん違ってきませんか?
SNSをお使いの皆さん、文字による情報伝達には限界があることを知っておいてください。使い方を間違え、噂話を拡散させると、大きな誤解やトラブルを生んでしまうことがあります。道具は上手く付き合って便利に使いましょう。良いお年を。
1月 行事予定            
4日(金)学校閉校日
9日(水)3年実力テスト
16日(水)1・2年4限給食後下校、
3年期末テスト〜18日(金)
19日(土)土曜授業
31日(木)2年みえスタディチェック

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学校行事
4/26 文化講演会(岸川さん・5限)、クラブ集会(放課後)
4/29 昭和の日
5/1 1年みえスタディーチェック、、クラブ週休、定時退校日
5/2 2年みえスタディーチェック4.5.6限、3年第1回実力テスト、とまとーず(5限目)1年生
松阪市立東部中学校
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