最新更新日:2024/09/26 | |
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9月26日(火)伊勢湾台風の日本校に残っている学校沿革誌によると、昭和34年9月26日の伊勢湾台風により、大きな被害を受け、当時のお金で約200万円の被害があったそうです。 「伊勢湾台風」では、全国で死者・行方不明者5,000人、家屋被害57万戸という甚大な被害をもたらしました。 令和5年9月、古知野南小学校は150年の誕生日を迎えました<古知野南尋常高等小学校> 明治の初めに於て,古知野村の古池鉞藏氏は私塾を開いて教授をしていたが、明治6年3月赤童子、北野、尾崎、中奈良大間、木賀の諸村が連合して小学校設立の件を誓願し、九月に許可を受け赤童子学校と名付け長幡寺を借り受けて授業を開始した。この長幡寺における学校は、明治16年9月栄村尋常小学校として校舎を現赤童子阿弥陀堂の南に新築するまで継続した。 明治8年7月古知野村は分離して独立の古知野学校を起し、現十一屋古池栄三方裏の倉庫を教室に改造して同年校舎の新築の必要を感じて字久保見に校舎を新築してこれに移った。元古知野町役場が其れである。 明治19年には学制の改革とともに北野、尾崎の二村は今市場小折分校に合併し、学区の減少、学校の合併校名の改称など行われ、第二十二学区は合併され、第13学区尋常小学赤童子学校となった。 明治25年市町村制の改正と共に古知野は古知野村立尋常小学校を旧校舎に設立し、赤童子は木賀、中奈良大間と栄村を組織して栄村立尋常小学校を設立した。この間、尾崎、北野の両村は秋津尋常小学校の区域に入っていた。 (中略) その後,本校下の発展に伴い児童数増加して校地の拡張校舎の増築等数回にわたって行われてきたが近年児童数の激増を見るに至り,最早校地拡張の余地なく昭和10年11月の議決以来着々準備を進めて昭和12年3月ついに現在地に移転並びに増築を完了した。 本校は,1873(明治6)年9月に赤童子学校として誕生し,いくつもの統合,分離を繰り返し,学校名を変えながら昭和12年に現在の土地に移転されてきたことが分かります。 ※写真は,現在の長幡寺の写真です。 |
江南市立古知野南小学校
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