最新更新日:2024/09/21 | |
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マイ バラード♪みんなで歌おう 心を一つにして悲しい時も〜♪ これは、東京学芸大学附属大泉中学校教諭・松井孝夫先生のデビュー曲です。ボランティア活動で障害がある人達と一緒に音楽活動をしていた時に出会った仲間との活動により、この歌ができあがりました。わずか30分でできあがったそうです。 朝の会レイアですふれ愛ギャラリー 今日の「山の四季」展南風あったかげん記−432−写真は昨年の新入生歓迎会の入場場面です。ステージの横断幕の文字は「困った時はお互い様」。毎年、新入生歓迎会で掲げられるスローガンです。 いつも紹介しているニューモラル4月号のテーマが、「お互いさま」「お陰さま」。日本人の美徳の象徴であったこの言葉ですが、今では耳にすることが少なくなってきました。 7ページに、「仁美さんの不満」という話が載っていました。 仁美さんは、子どもが熱を出して欠勤する同僚への不満を、自分の母親に愚痴っていました。すると、仁美さん自身も保育園の頃よく風邪をひいて、母親が何度も仕事の途中で迎えに行ったこと。迷惑がかかるので会社を辞めようと思った母親が、周りの人に励ましてもらったことなどが書かれた母からの手紙をもらいました。そのような時、インフルエンザで1週間会社を休んた仁美さんに対して、その同僚が温かい言葉を掛けてくれ感激したという話です。 お互いに助け合い、支え合っていることを表現する「御互い様」。直接目に見えなくても、生活を陰で支えてくれるものに対して感謝する「御陰様」。さらに、自分の受けた善意を別の人におくる「恩おくり」。 かつて日本人が大切にしてきたこれらの言葉が、今の世の中ではより必要となっていると感じます。事あるごとに使っていきたいし、生徒にも伝えていきたいと思いました。 有志合唱練習部活動ミーティング1年生校内めぐり今日の授業H20 年間計画最新版今日の朝練習祭りのあと今日の五条川南風あったかげん記−号外−南風あったかげん記−431−大口町に勤務していた時も思いましたが、数十年前に五条川沿いに桜を植えた先人の先見の明には感服させられます。こうして、まちづくりの中核になり、シンボルになり、経済効果ももたらしています。 まちづくりが一気に進んだのが1988年です。いわゆるまちづくり3法(改正都市計画法、大店立地法、中心市街地活性化法)の出された年でありますが、それ以上にあの竹下首相のふるさと創生の年だったのです。 覚えていますか?時の梶山静六自治大臣が、竹下登首相の「ふるさと創世」政策の目玉として、全国約3,300の自治体に1億円ずつ地方交付税交付金を配ると言い出したのです。 まだまだまちづくりの発想が希薄だったために、その使われ方にはいろいろありました。全額宝くじを買った村、村営キャバレーを作った村、純金のこけしを作った市、1億円のトイレをつくった町、温泉を引こうとしたが出なかったなど、笑えるようなものも多々ありました。 なかには、県内の各市町村 一村一品運動へ使用した大分県のような自治体もありましたが、多くは失敗だったようです。 しかし、私はこの時に住民が考えたこと、失敗例から学習したことが、その後のまちづくりの進展にはある程度の役割を果たしたと思っています。 あれから、もう20年です…。 南風あったかげん記−430−入学式の式辞で次のように言いました。 「本日より大切なお子様を中学校にお預かりします。」 今日、桜まつりでの生徒の活躍を見ていて思いました。おこがましい言い方だったと…。本来、子どもは家庭と地域でこそ育つものなんだと…。 今日は、20名以上の生徒が、それぞれの役割を担って活躍していました。地域の大人といっしょに、梶方だったり、お囃子だったりと役割こそ違いますが、確実に地域と繋がっていました。一役を担っていました。 日本は、高度経済成長期に大きな発展を遂げましたが、なくしたものもまた多くありました。美しい自然、トキなどの生物、地域のつながりなどです。 自然は、その後の人々の努力により、回復したものもあります。全国の河川の水質は、かなり回復しました。トキなどの生物も、その価値に気づくことはできました。 しかし、地域のつながりは、その仕組みを作らないとなかなか戻りません。商店街は、大規模小売店の進出、その後の郊外への移転、住民のライフスタイルの変化、コンビニ・通販の拡大などにより、その多くが停滞しています。 祭りも同様です。岩倉市の山車も、一度は途切れました。同様に途切れた伝統は、各地に数多くあります。 しかし、岩倉の祭は復活しました。歴史と伝統は、住民の努力がないと守ることができないということを学んだことは、大きな収穫だったと思います。 今日参加した生徒の多くは、将来地域を担う立場に立つことになるでしょう。ぜひ、次に繋いでいってほしいものです。それが、コミュニティの基盤になるのです。 活躍する南中生−2−活躍する南中生−1−岩倉桜まつり−3−岩倉桜まつり−2−織田氏の城下町として栄えた岩倉の町は、江戸時代に入ってからも、岩倉街道に沿った集落で、近在の住民を対象とした六斉市が開かれ繁栄しました。岩倉には3台の山車があり、古くから中本町の神明太一社を中心に、毎年旧暦の6月16日前後の6日間祇園祭が行われてきたといわれます。明治時代まではこの祇園祭に、これら3台の山車が揃って曳かれていましたが、戦後は氏神がそれぞれ別であることから各町内の祭礼としてバラバラに曳き出されるようになりました。昭和30年代からは、山車の姿も見ることが出来なくなっていましたが、平成3年の岩倉市制20周年を機に3台ともに復活し、翌年には岩倉街道で3台の山車の揃い曳きが実現されたのです。これぞ「まちおこし」といえるものです。 |
岩倉市立南部中学校
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