最新更新日:2024/09/26 | |
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駅伝練習茶花部の作品今日の部活動栄養士訪問お話しの内容は、朝ごはんの大切さです。脳に栄養を与えるためには、朝ごはんをしっかりと食べること以外に方法はありません。そのことをわかりやすく教えていただきました。朝ごはんは、毎日必ず食べるようにしましょう。 新刊図書紹介ソフトバンクのTVコマーシャルでおなじみの犬、カイくんが解説してくれる今すぐ始められるエコ生活に関する本です。 (中央)『受験生の心の休ませ方』 加藤 諦三 著 PHP研究所 請求番号15 〜受験勉強に悩まされた日々は無駄ではない、いつかあの時悩んでよかったと思える〜 という作者のアドバイスがたっぷり詰まった1冊です。 受験生だけでなく、「ちょっと心が疲れているな」と感じるときにもおススメです。 (右上)『宇宙においでよ!』 野口 聡一 著 講談社 請求番号53 宇宙飛行士・野口聡一さんによる宇宙案内記。宇宙での生活や子供のころの野口さんのお話など楽しい話が満載です。ユニークなイラストにも注目!! ふれ愛ギャラリー 「野田武男」絵画展<まゆちゃん 3ヶ月> 孫の名前は 「まゆ」と名づけられた 可愛い,とにかく可愛い 目の中に入れても 痛くないとは このことを言うのか しかし私は 抱くことも出来ない 口にくわえた絵筆に その思いを 精一杯こめよう 今日の授業南風あったかげん記−625−まだ9月というのに、冷えを感じるほどの気候です。私は体調を崩してしまいました。みなさんもお気をつけください。 今日9月30日は、愛知用水の通水式が行われた日です。1961年のことです。 尾張丘陵部は、昔から水不足が問題になっていた地域です。そのために、江戸時代には、江崎善左衛門ら六人衆が入鹿池をつくり、さらに木津用水や新木津用水を開削し、新田開発が進みました。 その昭和版が愛知用水です。尾張丘陵部から知多半島にかけての一帯に農業用、工業用、上水道用の水を供給している用水です。 岐阜県八百津町から知多半島南端の南知多町に至る112キロメートルの幹線水路と、幹線水路から分岐して農業用の水を導く支線水路1,012キロメートルからなります。 Wikipediaによれば、第二次世界大戦後、浜島辰雄元陸軍幼年学校教官の発案に吉田茂が協力し世界銀行の融資を受け、アメリカ合衆国の進んだ土木技術、建設機械を用いて、わずか5年間で6,800立方メートルを蓄えるダム(牧尾ダム;写真左)、幹線水路、支線水路を建設しました。 日本も、戦後はODAの恩恵を受けていたのです。ちなみに、東海道新幹線や黒部第四ダム、東名高速道路もODAのお金で建設しました。その借金を返済し終えたのは平成2年です。 この愛知用水は、ため池に頼っていた尾張丘陵部、知多半島の農業・井戸に頼っていた住民の日常生活を著しく向上させました。なかでも、知多半島南部や日間賀島・篠島・佐久島の住民からは特に感謝されたようです。また、この用水によって、今の新日本製鐵名古屋製鉄所もつくられることになりました。 愛知用水がなければ、今の愛知県の繁栄はありません。発案者や決断者、建設時に不幸にも殉職された50名の方々に感謝せずにはいられません。 あいさつ運動南風あったかげん記−624−いよいよ干支を使って計算してみましょう。まず、法則性を考えてみます。 最初の干支「甲子」の10年前は「甲寅」、20年前は「甲辰」、30年前は「甲午」、40年前は「甲申」、50年前は「甲戌」、そして60年前が「甲子」に戻るのです。 すなわち、十干の部分「甲」は同じで、十二支の部分が「子→寅→辰→午→申→戌」と、一つおきに下がっていくのです。この性質を利用して考えるのです。 寛永5年(戊辰)に生まれて、元禄13年(庚辰)になくなった徳川光圀は何年間生きたのでしょう? まず、十干の部分を揃えましょう。「庚」の2年前が「戊」なので、「辰」も2年遡ると「寅」、したがって元禄11年が「戊寅」です。 「寅」から「辰」まで一つおきに数えると、「寅→辰」、そう10年です。「戊辰」と「戊寅」の間は10年。したがって、「戊辰」と「戊寅」の2年後、「庚辰」の間は12年という事になります。しかし、12年前では元禄元年となり、ありえません。もう一周り(60年)前ということになります。 そう、徳川光圀は12年に60年を加えた72年間生きたことになるのです。 昔の人は、このあたりを簡単に計算出来たようだという記事を見たことがあります。干支が身近だった時代ですから、あり得る話ですね。 中間テスト1日目朝のあいさつ運動ふれ愛ギャラリー 「野田武男」絵画展<ウエディングドレス(娘)> 私のもとから旅立つ娘よ 父と過ごした 幼い頃の想い出を心の片隅に 大切にしまって 持っていっておくれ ふれ愛ギャラリー 「野田武男」絵画展<ひまわり> ギラギラと照りつける 真夏の太陽が とても似合う 苦しみだって 追い風にする 君の生き方には 脱帽だね 南風あったかげん記−623−
☆★☆ 続社会科こぼれ話−8− ☆★☆
ずいぶん間が空いてしまいました。613号の続きです。 テーマは、江戸時代に人は「何年前」というのをどうやって計算したのでしょうか?というものです。 結論から言うと、干支(えと)を使っていたのだと思います。 干支は、十干と十二支を組み合わせたものです。十二支は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥で、年賀状でおなじみです。 それに対して、十干は私たちにはなじみが薄いですね。それぞれ、音読み−訓読み−意味を紹介します。 甲;こう − きのえ − 木の兄 乙;おつ − きのと − 木の弟 丙;へい − ひのえ − 火の兄 丁;てい − ひのと − 火の弟 戊;ぼ − つちのえ − 土の兄 己;き − つちのと − 土の弟 庚;こう − かのえ − 金の兄 辛;しん − かのと − 金の弟 壬;じん − みずのえ − 水の兄 癸;き − みずのと − 水の弟 昔の通信簿が、「甲、乙、丙、丁」となっていたように、この十干は当時の人には馴染みのあるものでした。 十進法なので、よいことがあります。西暦の下一桁と必ず一致するのです。 十干 甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸 西暦下一桁 4、5、6、7、8、9、0、1、2、3 たとえば、壬申の乱は672年。「壬」がつくときは「〜2年」になるのです。 また、甲子園ができた1924年は、「甲」がつくから「〜4年」。 戊辰戦争は?「戊」がつくから「〜8年」。そう、1868年です。 ちなみに、今年2008年は、8なので、戊子(つちのえね)になります。来年は、己丑(つちのとうし)、再来年は庚寅(かのえとら)です。 次回には、○年前を計算する方法を紹介します。 南風あったかげん記−号外−原稿依頼が来ていたものが出版されました。 一つは『心を育てる学級経営10月号』(明治図書) 今月のテーマは、「学級の危機的状況を自己診断する」。私に与えられたテーマは、「教室の規律はどうか」。ものと診断テストから視る教室の規律についてまとめてみました。 もう一つが『中学校 学校力がUPする新教育課程マネジメント』(明治図書) 15人による共著で、私は「総合的な学習の再生」を担当しました。15人のほとんどは、大学教授、校長です。 書店で見かけましたら、手にとってご覧ください。 有志応援団南風あったかげん記−622−中1ギャップという言葉があります。物心が付いてからの人生の大半をおくってきた小学生の立場から、いきなり中学1年生になったとたん、難しくなる学習や教科担任制・部活動などの生活の変化になじめずに、不登校となったりいじめが急増するという現象です。新潟県教育委員会が名づけました。 これをクリアする方策が、中学校から小学校へ出向くこと、小学校から中学校へ出向くことなのです。 今日は有志応援団が東小学校で演舞を披露してきました。参加した生徒の中には東小出身の生徒もいましたが、曽野小出身の生徒が多く、児童にとっては知らない人も多くいたと思います。声や動作の大きさ、衣装など、小学校とはまるで異なる演舞を、児童は驚きの目で見ていました。 今後は、南フェスの宣伝に、生徒会役員が両校の朝礼におじゃまをしてきます。卒業前には、1年生全員がそれぞれの学校へ出かけて、学校紹介を行います。 小学生も、南フェスでは数多く南中へ来て、生徒が企画した各ブースで思う存分遊んでいきます。また、6年生の卒業近くには、中学校での授業見学会も行います。 こうしたことの積み重ねで、南中では中1ギャップはかなり少ないのではと思っていますがいかがでしょうか。 今日の有志応援団の演舞が、小学生思い出の一つになればと思います。 有志応援団−2−有志応援団 |
岩倉市立南部中学校
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