最新更新日:2024/06/21 | |
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1910年 頌徳碑建設 明治43年
初代今井鎌三郎校長先生は、教育行脚と称して各家々を訪問したり、庚申講や念仏講に出席して教育の必要性を説きました。着任当時の就学率49.83%、出席率56.76%に対して、明治40年には就学率98.65%、出席率94.75%まで向上しました。
今井先生は月給をそっくり村長のもとへ提出し、一日も早く新校舎を建設するよう懇請されました。その話を聞いた善明老尼も寄付をして、校長の意思を尊重するように乞われました。そこで明治35年の新校舎の竣工をみたわけです。 明治43年(1910年)には、今井校長先生の頌徳(しょうとく)をたたえて有志、門下生によって岩屋堂に碑が建てられました。歴史ある下品野小学校です。 1908年 第3代校長着任 明治41年
明治41年に伊藤源三郎先生が第3代校長に着任され、15年間校長をつとめられました。その遺徳を偲んで岩屋堂に碑が建てられました。このように記されています。
先生は、明治十五年一月一日、愛知郡幡山村菱野に誕生。若くしてその資を認められ、下品野小学校今井校長の許に代用教員として薫陶を享け、明治三十六年、愛知県第一師範学校卒業後、瀬戸町外八ケ村二高等小学校に奉職。同四十一年、再び下品野尋常小学校訓導兼校長として着任。爾来十五年間名利をよそに孜々として本町教育に盡粋され、その教えを享けた者壱千五百余名。 先生は体躯堂々、温容溢るる如く高潔なる人格に加うるに、激務の寸暇を割いて博く研鑽を怠らず。特に語学は最も蘊奥を極められ、典型的な師表として村を挙げて信望を聚められていた。後、瀬戸窯業学校に転じられ、左職約五ケ年で退職された。第二次世界大戦のために二男、三男を失われ、戦災者として最も不遇の中に昭和二十五年十二月二十八日、六十九才を以て尊い教育者としての生涯を終わられた。その訃を哀み、その徳を追尊する子弟相集いここに碑を建て先生の遺徳を永遠に伝えんとするものである。 昭和二十五年五月建立 門下生一同 歴史ある下品野小学校です。 5/10 尾張教育研究会総会
尾張教育研究会総会が金山の日本特殊陶業市民会館で行われました。尾教研(尾張教育研究会)は国語、社会などの教科、特別活動、総合的な学習など領域、合わせて22の部門に分かれて教育に関する研究をする会です。愛知県教育委員会教育長の長谷川洋氏の講演で「カネとヒトには限界がある。限られたカネをうまく使って、ヒトを伸ばしていく。」という言葉が印象的でした。
5/8 4年生 校外学習 消防署・陶祖公園
地域のくらしを守る消防署と瀬戸のまちにゆかりのある陶祖公園に校外学習にいってきました。消防署では、消防車や救急車を間近で見たり、職員の方から防災についてのお話を聞きました。見学したことを忘れまいと必死にメモを取ることができました。陶祖公園では、気持ちのいい青空のもと、みんなで仲良くお弁当を食べました。暑い中での校外学習となりました。多めのお茶、お弁当の用意をしていただきありがとうございました。
5/8 2年校外学習(岩屋堂)
今日は、校外学習で、岩屋堂に行きました。行き帰りに2年生が1年生を気づかう姿に、成長を感じました。
5/7 瀬P連総会
瀬戸市PTA連絡協議会の総会が行われました。平成30年度の事業と決算の報告、令和元年度の役員、事業と予算案が可決され、本格的に瀬P連の活動が始まります。その後、市長、議会代表、教育長など来賓を招いての情報交換の会が行われました。
5/6 立夏5/1 令和元年気淑(よ)く風和らぎ 梅は鏡前の粉を披(ひら)き 蘭は珮後(はいご)の香を薫らす |
瀬戸市立下品野小学校
〒480-1207 愛知県瀬戸市品野町6丁目223 TEL:0561-41-0074 FAX:0561-41-3044 |