♪明るい笑顔が明日を呼ぶ♪古知野南小学校

8月22日(日)新旧の写真を比べてみると

 古知野南小学校の南校舎は昭和51年に竣工されました。竣工された当時の写真と現在の写真を比べてみると,職員室の雰囲気はとても似通っています。きっと当時の子どもたちも,真新しい校舎で学ぶことを楽しみにしていたことでしょう。
 昭和51年当時の児童数は,全校児童1929人,学級数46,6年生だけみても1クラス46人の児童がいて7組まで学級があり,322人の児童が在籍していました。今の2倍以上の児童数が在籍していたことになります。
 昭和53年4月,門弟山小学校ができ,飛高,花霞地区の372名の子どもたちは,門弟山小学校にわかれて通うことになりました。
※上写真 南校舎 中写真 玄関 下写真 職員室 
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8月19日(木)鉄筋校舎の完成

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 古知野南小学校の鉄筋校舎は,北校舎(北館鉄筋3階22教室特別教室4教室)が昭和41年11月15日(写真上,中),南校舎は,昭和51年7月1日に竣工されました(写真下)。
 当日の写真を見ると,学校のまわりには畑が広がっていて,現在の校舎の南側に木造校舎があったことが分かります。

8月10日(火)トンネル山の完成(昭和41年)

 古知野南小学校の子どもなら誰もが遊んだことがあるトンネル山は,北館鉄筋3階建ての校舎ができた昭和41年の11月21日に完成しました。(北館校舎は11月15日完成)
 当時の写真をみると,子どもたちがこぞってトンネル山を駆け上がっていく様子が分かります。昭和41年は,日本の総人口が初めて1億人をこえた年です。
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8月8日(日)江南の空襲の記録

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 古知野南小学校には,空襲の記録が書かれた一冊の冊子が残っています。元栗栖小学校長の古池廣一氏が古知野南国民学校の教師だった昭和18年から終戦までの学校周辺で発令された空襲警報や実際に空襲を受けた日時などが詳細に記録された冊子です。

 昭和20年7月13日江南市を襲った空襲については次のように記録されています。

7月12日 22時08分警戒警報発令 23時06分空襲警報発令
7月13日 1時30分頃より油脂焼夷弾投下。目標は一宮市街地なるも天候不良のため,その近郊起付近より春日井付近までその被害にあう。
布袋署内(大口,千秋,布袋,古知野)
 死者 13名 負傷者44名 焼失家屋 布袋186戸 古知野35戸
 
古知野南国民学校
油脂焼夷弾投下28発 職員室西隣教室棟に命中。床下まで貫通。全職員手押しポンプにて消火。一部校舎に油脂附着。運動場はローソクを何千本も立てたように燃える。
(中略)
校庭を北東より南西にむけて避難者何百人も走り去り行く。

 実際に古知野南小学校の校舎にも焼夷弾が落ちて,校舎が燃え,全職員で消火にあたったことが書かれています。今は平和にみえる学校も,実際に戦争の被害にあって,江南市内の多くの人も戦争の犠牲になったことが分かります。

 子どもたちに伝えていきたい貴重な資料です。

8月7日(土)古知野南小学校の校章

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 古知野南小学校の校章はとても印象的な形をしています。この校章は,大正10年4月に古知野町立の各小学校に高等科を併置することになり,校名を古知野南尋常高等小学校と改称し,その当時の校長,岡田六四郎氏が制作したものだそうです。校章図は古知野の古の字を図の外枠とし,中に学校の学の字を入れて,図案化したものだそうです。
 下の写真は,校章ができたころの大正時代の運動会の様子です。木造校舎の前の運動場に紅白幕や万国旗が飾られ,華やかに運動会が開催されていたことが分かります。当時の服装も時代を感じさせます。
 
 
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8月1日(日)赤童子学校の誕生

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 古知野南小学校は,歴史の古い学校で,2023(令和5)年に創立150年を迎えます。学校にある学校沿革誌を読むと次のような文書が書かれていました。

<古知野南尋常高等小学校>
 明治の初めに於て,古知野村の古池鉞藏氏は私塾を開いて教授をしていたが、明治6年3月赤童子、北野、尾崎、中奈良大間、木賀の諸村が連合して小学校設立の件を誓願し、九月に許可を受け赤童子学校と名付け長幡寺を借り受けて授業を開始した。この長幡寺における学校は、明治16年9月栄村尋常小学校として校舎を現赤童子阿弥陀堂の南に新築するまで継続した。
 明治8年7月古知野村は分離して独立の古知野学校を起し、現十一屋古池栄三方裏の倉庫を教室に改造して同年校舎の新築の必要を感じて字久保見に校舎を新築してこれに移った。元古知野町役場が其れである。
 明治19年には学制の改革とともに北野、尾崎の二村は今市場小折分校に合併し、学区の減少、学校の合併校名の改称など行われ、第二十二学区は合併され、第13学区尋常小学赤童子学校となった。
 明治25年市町村制の改正と共に古知野は古知野村立尋常小学校を旧校舎に設立し、赤童子は木賀、中奈良大間と栄村を組織して栄村立尋常小学校を設立した。この間、尾崎、北野の両村は秋津尋常小学校の区域に入っていた。
(中略)
 その後,本校下の発展に伴い児童数増加して校地の拡張校舎の増築等数回にわたって行われてきたが近年児童数の激増を見るに至り,最早校地拡張の余地なく昭和10年11月の議決以来着々準備を進めて昭和12年3月ついに現在地に移転並びに増築を完了した。

 本校は,1873(明治6)年に誕生し,統合,分離を繰り返し,学校名を変えながら昭和12年に現在の土地に移転されてきたことが分かります。
 ※一番下の写真は,現在の長幡寺です。

古南小の旧校歌

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 ♪生気溢るる緑野に 古知野・尾崎・赤童子・北野・飛高の学区より 通う健児の学舎あり
 これは,江南市立古知野南小学校の旧校歌(1番)です。大正10年(当時、古知野南尋常高等小学校)から昭和35年2月に現在の校歌が制定されるまで、約40年にわたって歌われてきました。現在の学区には入っていない地名もでてきます。
 古南小は昭和12年6月、古知野町宮前から現在地(古知野町大塔)の場所に移転しました。上の写真は旧校歌が歌われていた同31年の学校と周辺の様子です。周辺には畑が目立ち,現在の様子とは全く違っています。
 古南小は,令和5年に創立150周年を迎えます。

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学校行事
9/1 2学期始業式
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