最新更新日:2024/09/18 | |
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教師の役目、子どもの役目子どもは考えたことを一生懸命に発表している。 ところが、その発表のよさについて教師がわからない。 だから、しらける。 教師は、この方向で考えろというが、子どもたち(複数)がこだわっていることはそれは一人の思いではなくて、おおくの子どもの疑問やこだわりである。だから、そこの問題点の解消があってこそ、次の議論が進む。 この交通整理は教師がやるものだ。 子どもにまかせたら自ら学ぶ授業ができるというのは大間違い。 教師と子どもの役目を考えてこそ、自ら学ぶ姿が出現する。 [志水廣の公式ホームページ] 答えに合わせようとする子どもは、自分の知っている知識に合わせようとする。 例えば、円周率の測定をすると、すでに3.14を知っている子どもは、データが3.2でも3.14に近づけようとする。三角形の内角の和が181度でも180度と書こうとするし、何回も測定して180度が見つかると安心する。 これはデータの改ざんである。 測定ならば誤差はあるので、180度付近だねとすればよい。 教師は、子どもが正解に合わせようとする行為をたださないといけない。 それをやらないようでは、はじめに結論ありきの授業になってしまう。 [志水廣の公式ホームページ] 乱世の世界では太平の世の中では、トップが情報を集め判断すれば、部下はついていくだけでうまくいった。 ところが、乱世の世の中では、次々とわき起こる波はこれまでにない波である。だから、トップだけの情報に頼ると部下も波にのまれてしまう。 自分で学んでそれ相応の情報を集めておき覚悟を決めておく必要がある。 今の時代、学ぼうと思えばネットもあるし、本もアマゾンですぐに手に入る。 要は、学ぶ気持ちだけである。 後から悔やんでも遅い。どんどんと波はくる。乗り切っていこう。 [志水廣の公式ホームページ] 指導法の工夫改善の前に指導法の工夫改善というが、教材分析の弱い工夫改善はむなしい。 ある研究会で、ここの場面の数学的な内容を一言で表してみようと質問してみた。 すると、三割の人しか答えられなかった。 反省することしきりである。 大学で算数科教育を教えてきた身としては、情けない。 私の講義にはその用語は毎年教えてきたからである。 この半年間、若い人向けの研究会では、教材研究のことばかりを意図的に話してきた。 ○つけ法、意味付け復唱法を話さない。そのレベルに達していない。 だから、まずは教材研究をしてほしい。 この一年間と六ケ月、教材研究の本づくりをしてきた。教材を再吟味できて幸いであった。 第一に教材研究、第二に指導の工夫改善である。 [志水廣の公式ホームページ] 指導法の工夫改善というが、教材分析の弱い工夫改善はむなしい。 ある研究会で、ここの場面の数学的な内容を一言で表してみようと質問してみた。 すると、三割の人しか答えられなかった。 反省することしきりである。 大学で算数科教育を教えてきた身としては、情けない。 私の講義にはその用語は毎年教えてきたからである。 この半年間、若い人向けの研究会では、教材研究のことばかりを意図的に話してきた。 ○つけ法、意味付け復唱法を話さない。そのレベルに達していない。 だから、まずは教材研究をしてほしい。 この一年間と六ケ月、教材研究の本づくりをしてきた。教材を再吟味できて幸いであった。 第一に教材研究、第二に指導の工夫改善である。 [志水廣の公式ホームページ] <swa:ContentLink type="doc" item="19327">http://www.schoolweb.ne.jp/weblog/files/2370003/doc/19327/324275.doc 男は男はなかなか動かない。 本質的に保守的である。 いつもはのらりくらり。 男が動くときは、大きな獲物がきたとき。 または、大きな危機がきたとき。 だから、どちらかに遭遇させると遺伝子がオンになる。 [志水廣の公式ホームページ] 自主的な集団に作り替えるには自主的な人が多い場合のこと。 トップの役割は、情報をできるだけ提供する。 その上で、どうするのか。 どうしたいのかを問う。 すると、部下は決断をするようになる。 その結果、さらに自主的に行動するようになる。 このことをあるM校長先生に教えていただいた。 また、元教頭先生だった人もM校長先生のやり方はトップダウンではなくて、はじめはみんなに考えさせて行ったという。 だから、まず、部下にとって有益な情報をつかんでいるかどうか。 つかもうとしているかどうか。 ここが問題である。 [志水廣の公式ホームページ] 年代による年代による行動の幅は異なる。 20代はただ夢中の世界。 30代は、おれが、おれがの世界。 40代もおれがの世界。 50代になると、「おれが」の世界はしぼんでいく。 次世代に何を残すことができるかを考えるようになる。 しかも、「おれが」の世界ではなく、「人様が」の世界へと変化していく。 意図したわけでもなく、そんな風な世界へと自然に変化していく。 それはそれでよいではないか。 [志水廣の公式ホームページ] 感謝の言葉を伝える電話がかかってきた。 感謝の言葉をいただいた。 気持ちが和む。 たった一言、「ありがとうございます。」 この気持ちなんだよね。 [志水廣の公式ホームページ] 当たり前のことに感動面積の公式は、たて×横。 物を数えるのに名前があること。 横の式から、たて積みの筆算にすれば簡単なこと。 平行四辺形は、向かい合う辺の長さが等しいこと。 などなど、算数には当然の事柄がいっぱい。 でも、この当然のことは、教師にとってのこと。 子どもにとっては、初めてのこと。 だからこそ、「おお、すごいこと」を学んでいるんだよ。 と、感動を伝えているか。 小数という概念もわずか400年まえのこと。 人類の歴史からすればごく最近のこと。 教師が、算数の事柄に感動しないで、子どもが感動するのか。 何に感動するのか。なぜ、感動しているのか。 感動の目を持たせるのが授業である。 感動こそ、新教育課程で言われる学ぶ楽しさである。 [志水廣の公式ホームページ] 確認の手だて教師が指示したことに対して、確認をとる必要がある。 時間があれば、○つけ法でみることも有効である。 しかし、ここは時間をとらなくても必要がないときは、どうすればよいか。 「となりどうしで見てごらん」と相互に確認させることも必要である。 その際、もし違っていたら、そっと親切に教えてあげることも指導するとよい。 んなで問題かんでも○つけ法で確認しようというのは間違いである。 TPOを考えてやればよい。 [志水廣の公式ホームページ] 唯我独尊教師がどんなに頑張っても、子どもが変容しないとだめな授業である。 それは、教師はこんなに頑張っているのだから、子どもたちよあなたたちは分かりなさいと宣言しているようなものだ。 教師が頑張るのは当然のこと。 何のために。頑張るのか。子どもが「わかった」「できた」と変容させるためである。 だから、授業の成功度は、子どもが変容度なんだ。 とはいえ、子どもが変容したかどうかを判定できる眼は必要であるが。 [志水廣の公式ホームページ] 素材を生かす上の写真は、稲だけで作られている。 見事に表現している。 たかが田んぼ、されど田んぼ。 素材を生かせば美しいアートになる。 [志水廣の公式ホームページ] 顔と目顔はにこにこしていても、目はにこにこしていない人がいる。 目はきつい。目はしぼんでいる。目は暗い。目は悲しい。 じっと観察するとわかるんだよね。 顔もにこにこ、目もにこにこすると心がゆるむよ。 気持ちいいよ。 いや、逆だね。 心がゆるむと、顔も目もにこにこするよ。 [志水廣の公式ホームページ] 子どもに情報を返すこと授業のレベル レベル1 教師が説明して終わり。・・・教師は子どもの状態は分からない。というよりも、子どもの状態に無関心。 レベル2 教師が子どもの実態を把握しようとする。・・・子どもの状態をつかもうとしている。 ○つけ法・意味付け復唱法の初級 レベル3 教師が子どもの実態を把握して、子どもにその状態について情報を返す。・・・子どもは自分の状態がわかるので、次への目標を見すえることができる。 ○つけ法・意味付け復唱法の中級 いずれのレベルも授業中が勝負である。 教師が子どもの状態をつかんでも、子どもに今の状態が伝わらなければ、変容させることはできない。 [志水廣の公式ホームページ] 人材育成人材を育成するのは長い道のり。 本を読むことだよ。 指導案を書くことだよ。 と、口頭で教えても、なかなか実行しない。 指導者と教わる者との根比べ。飽きずに繰り返し言えるがどうか。 そして、先輩は範を示すしかない。 [志水廣の公式ホームページ] ほんのり赤いほんのり赤いリンゴの木。 何に対して恥ずかしがっているのかな。 [志水廣の公式ホームページ] いい景色いい景色を見て、何度も深呼吸。 これで、疲れも回復。 [志水廣の公式ホームページ] 青森県岩木山 初めが大事何かをまちがいだと思い込むと、それを修正することはなかなか難しい。 だから、初めに入る情報は正しいものがよい。 [志水廣の公式ホームページ] ゆさぶりの条件子どもが発言したことに対して、概念の意味理解を深めるためには、「ゆさぶる」ことが1つの有効な方法。 ただし、いつでもゆさぶってよいとは限らない。 少数の子どもしか発言していないとき、少数の子どもしか発言の意味を理解していないときには、ゆさぶりは、逆効果となる。 おおくの子どもが確信をもっているとき、確信を持ち始めたときにはゆさぶりは有効である。 つまり、子どもたちの今の実態を空気として感じる・読むことが求められる。 [志水廣の公式ホームページ] 時代の末期現象ルールがきびしく、うるさくなってくると、組織や社会は末期となる。 なぜならそうしないと、組織がもたないからである。 そして、ある日突然、組織は壊れる。 組織の規範はゆるやかな方がよい。その方が創造性を発揮できる。 ここ数年間は、規制緩和という名目ばかりで、実質は規制強化であったと思う。 [志水廣の公式ホームページ] |
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