最新更新日:2024/04/26
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第1ステージ「出会い」 4月5日〜6月2日

自分で判断して決めること 2

 NHK交響楽団の第1コンサートマスター(バイオリニスト)の篠崎史紀さんは、N響の演奏会やソロ活動の合間をぬって、子どもだけで組織する東京ジュニアオーケストラを指導しています。団員は小学生から高校生まで約100人。これは、音楽を一生愛する人を育てることが目的で、けっして音大入試やプロへの架け橋ではないそうです。
篠崎さんは言います。「子どもたちが、何か壁にぶち当たって悩んでいるとき、大人が口や手を出すことはすごく簡単なんだけど、あえて放っておく。ただ、道しるべだけはそっと置いておいて、それを見つけられたかどうか、見ていないふりをしながら見守っていくんです。道しるべというのは、たとえば悩んでいるときに窓が一つ、ぱっと開くような言葉を投げかけることですね。答そのものではなくて、子どもたちが自分自身で良い方向に気づくようなね。」
対談者が、あえて悩ませることが子どもを育てることなのかと質問すると、
「悩んで、悩んで、なぜ自分で答を探すことが大切かと言うと、音楽をやるときは僕であろうと子どもであろうと、舞台に立ったら自分の責任ですべてを遂行しなければならない。誰も代わりができない世界なんです。だから、そこでやるべきことを直感し、持てる力を出し切らなければならない。そのために自分で考え、判断し、答を見つける力を養うことが大事になってくるんです。」
 篠崎さんの話は、何だか学校教育のことを語っているような気がしました。
さらに興味深かったのは、個性のかたまりのような子どもたちを、1つにまとめるのは
大変ではないかという質問に対する篠崎さんの答です。
「ベートーヴェンとかチャイコフスキーとか、みんなで立ち向かうとき、そんな巨人を前にすれば一人一人の個性なんて吹き飛んでしまう。何百年、何百万回も挑戦し続けて、まだ誰も超えることのできない壁に向かっているわけだから。でも、だからこそそれを乗り越えてやろうと、みんなの心が一つになるんです。僕は何の指示をするわけではない。巨人が子どもたちを育ててくれているんです。これは音楽に限らず、どんな分野にも言えるんじゃないかな。」
みんなで立ち向かう巨人とは何か。我々教員が毎年毎年、挑戦し続けていることとは何か。そう考えると、自分の進むべき方向が見えてくるように思えました。

警報解除について

 8時13分、清水町に発令されていた大雨、洪水警報が解除されました。生徒は10時までに登校してください。テストは予定通り5教科行います。まだ、風雨が強くなることもあると思います。周囲の様子に注意をしましょう。

自分で判断して決めること

 本気になって物事に取り組んでいると、必ず壁にぶつかります。偉い人の話や道徳の授業では「逆境を乗り越えてこそ立派な人間になる。」ということになっているのですが、凡人にとってはそう簡単にできるものではありません。今こそ根性を発揮すべき時だというのに、急に弱気になり「困った、無理だ、やめよう。」と逃げてしまうことが多いのです。僕はいつもそうでした。傷つきたくないという保身が無意識に頭をもたげてきます。修行が足りない人間は、絶えず邪念と煩悩に翻弄されているのです。
我々の日常生活は、三種類のものごとによって構成されています。1 やらなければならないこと、2 やってはならないこと、そして3 自分で判断して決めることです。1と2については良いのですが、3については決断に至るまで真剣に悩み続けます。最終的には自分の価値観に基づく判断で決定するわけですが、これがなかなか良い結果に結びつくとは限りません。後になって、やっぱり止めておけば良かったなどと後悔することが結構あります。AかBか、攻めか守りかを決断する時、いつも自分の心の中で、ぎりぎりの攻防が繰り広げられているのです。この攻防を征するには修行を積み重ねるしかありません。
映画「男はつらいよ」の中で、人生について考えさせる名セリフがあります。
荒川の土手に座りながら、大学受験に苦しむ満男が寅次郎に問いかけます。
「ねえおじさん、何で勉強なんかしなければいけないんだ。」
寅次郎はこまったように答えます。
「難しいことを聞くな。おれは学問がないから、何かを決めるときはその時の気分とか、風向きとか、出たサイコロの目で決めるしかない。ところが勉強をしたやつは、自分で物事の道理や善し悪しをきちんと判断して、まちがいのないように決めることができる。だから勉強するんじゃないのか。」
自分で判断すること、自分で決断すること。将来、身につけておきたい1番の「生きる力」は、これではなかろうかと思います。

ドラマのようにいかない現実が人を鍛える

ドラマのようにいかない現実が人を鍛える

もうすぐ中体連がやってきます。この季節になると必ず思い出す言葉と、試合があります。  努力は人を裏切らない
「その通り!」と思う反面、努力=成功=幸福という方程式は成り立たないのではないかと密かに考えてしまうのです。もしかすると(努力+忍耐+挫折)×試練=成功の可能性=幸福感ではなかろうかと感じています。
 僕は若い頃、卓球をやっていました。何度か試合に出ましたが、ほとんどがみじめな敗戦でした。自分の長男も次男もずっと卓球をやっていましたが、両方ともインターハイに出場することはできませんでした。自分の顧問時代は「全国大会出場」を目標に、1年間を通して鬼のように練習しましたが、けっきょく東海大会へも行けませんでした。
今から8年前の平成16年7月31日、この日の映像は時々夢にも出てきます。中体連県大会“卓球男子団体戦”。場所は静岡県武道館メインアリーナでした。予想通り中部の強豪服織中、西部の名門庄内中、そして自分の裾野西中が予選リーグを勝ち抜き浮上してきました。決勝トーナメントの最大の難関は、少年団の多い浜北・北浜中でしたが、ここには辛うじて勝ち、いよいよ東海大会の道が眼前に迫ってきました。
「あと1つ勝てば東海大会だ!」生徒を前に、興奮を隠しきれないミーティングが終わると、次の相手はY中でした。少年団の多いチームでしたが、かつて1度も負けたことはありません。会場は気合いのこもった顧問の声と2階席からの保護者や1・2年生の大声援が和音となって響き渡り、最高の盛り上がりを見せていました。
気がつくと選手の顔は緊張で引きつり紅潮しています。
「なあに、この日のために地獄の練習を積み重ねてきたんだ。負けるわけがない。」僕は早くも、東海大会の要項を見て場所と日付を確認し、バス会社の電話番号を手帳に記入していました。ところが、試合は思わぬ方向に展開し2勝2敗にもつれこんでしまったのです。こうなると最後の5人目で勝負が決まります。5番手は百戦錬磨の選手でしたので心配はしていませんでしたが、思いもよらずフルセットのデュースに持ちこまれ、大苦戦をしいられているのです。
13対13、14対14、14体15 危ない・・・・・。
「何やってんだ。よし、今がチャンス!」しかし、運命のスマッシュは、ネットをかすめコートを外れて空しく落下していきました。
「あっ…」ベンチの部員たちの悲鳴とも絶叫ともつかぬ声が会場に響き渡りました。
この瞬間、東海大会出場の夢も水蒸気のように消え去っていきました。勝利した相手校の歓喜の声と、躍り上がって喜ぶ姿がスローモーションフィルムのように見えました。2階の応援席で見ている保護者は呆然と立ちつくし、後輩の1・2年生も石のように硬直してこちらを見つめています。挨拶を終えた後、6名のレギュラーが僕のそばに駆け寄ってきました。皆、泣いていました。
「先生、すみませんでした・・・。」
数秒後、場内アナウンスが勝負の明暗をはっきりと告げました。
 [準決勝に出場するY中は次のオーダーを提出してください。]
僕は選手にかける言葉をさがしていましたが、見つかりませんでした。
「なあ、高校で卓球やるか。」
「はい、やります。」
皆、努力は人一倍しました。しかし、現実はドラマのようにハッピーエンドには終わりません。部活動は3年間をかけて勝利を目指します。僕も生徒たちも「頑張ったから、それで良い。」だとか「勝負は時の運。」などとは到底思えませんでした。
 中学校を卒業した生徒は、高校ではあまり運動部に入りたがりません。引き続き苦しい日々を経験することは好まないのでしょう。ただ、絶望や挫折をこれでもかと味わった彼らは、再び卓球部に入部していきました。長男も次男も大学で続けました。みんな不完全燃焼の決着がついていなかったからだと思います。僕は転勤して部活動から完全に外れました。しかし、今でも若い時に部活動を「とことんやる」ことが尊く、何ものにも代えがたいことだと信じています。
(努力+忍耐+挫折)×試練=成功の可能性=幸福感
全国レベルの試合に勝つとか、世の中の脚光を浴びるとか、人生の栄光をつかみとるとか、そういう大きな「成功の可能性」はありませんが、何かをとことんやっていると、平凡な日常の中にさえ「幸福感」を味わえる人になれるような気がしてなりません。

第1回メッセージ

 清水中学校に赴任して2ヶ月が経ちました。本校は、1学年7クラスレベルの大きな学校です。伝統校ならではの素晴らしさとともに課題もあります。日々生徒や教職員と接しながら考えたこと、また、自分が常日頃から思っていることなどを織り交ぜながら校長メッセージを発信します。第1回目は、4月に教職員に投げかけた自分の思いから掲載します。

清水中学校が目指すものは何か           平成24年4月 山中敏弘 

1.子どもたちの未来を幸せにするために
21世紀の前半を歩む日本人の目指すべき方向はどこだろう。将来の目標は何だろう。複雑化した社会の中で過去に経験したことのない問題が多発し、その対応策に苦慮して、自信を持って迷わずに前進することが難しくなった。これは混沌とした政治経済だけの問題ではなく、学校教育も同様に混沌としている。教育に求められる課題は累積して肥大化し、人々の願いや価値観は多様化して、人間としてあるべき姿も鮮明に見えなくなってきている。「この方向に一直線に進もう。」という潔い決断がしにくい世の中になってきた。しかし、我々教師は、学校で「未来の日本人」を育てている。この子どもたちが明日の日本を背負い、さらに国際社会のために活躍することを祈りながら教育活動を行うものである。そう考えると、まず「子どもの未来」について夢を抱くのである。
中学校の段階から「未来の日本人」という大きなテーマを掲げるのはオーバーかも知れないが、子どもたちの未来はけっして遠い先の話ではない。かつての勤務校を振り返ると、昨日入学した子どもたちが、今日には卒業式を迎えている。高校受験も就職もあっという間にやってきて、やがて結婚式の写真が載った年賀状が届くのである。人生の基礎を形作る学校生活は、実に短い時間といえよう。小・中学校わずか9年の義務教育の中で、子どもたちに必要な「生きる力」を身に付けさせるためにはどうしたら良いのかということを、もう一度じっくり考え直す必要がある。
2.未来を切り開くためには、何が必要なのか
 豊かな未来を切り開くこと。それは、自分の力で生きていくことの決意であり、社会の一員として生きていくことへの強い認識であると思う。抽象的な言い方をすると「修行」を積むことである。
 1 自分の力で生きること
   自分で考え、自分で行動し、自分自身を律しながら生きることができる
 2 社会の一員として生きること
   自分を取り巻く他の人々、物事、事象とともに生きていくことができる
この1と2は別々に培われるものではなく、双方が常に関わり合い支え合って身に付いていくものである。つまり、自分自身の人生の充実を求めるとともに、自分を取り巻く他者の幸福も考える。自分の想いや考えをしっかりと主張するとともに、他者の意見にも素直に耳を傾け、認めるべきところは認め、尊重すべきところは尊重する。自分と異なる他者の考えがあれば、改めて自分の考えを振り返りさらに自分を高める。
「自分の力で生きること」ができる者は、他者との関係を考えたり自分の行動を振り返ったりすることができるはずだ。そして「自分の力で生きること」ができる者同士が集まれば、互いに相手を理解し合い、個性を尊重し合い「共により良い社会を築いて」いこうとする発展的な推進力を発揮することになると思うのだ。日本の未来を担う子どもたちに「自分の力で生きること」と「社会の一員として生きること」の2つをぜひ身につけさせたい。とりもなおさず、これが清水中学校の学校教育目標「夢の実現に向け、認め合い、高めあう生徒」である。


5月24日 読み聞かせ

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PTAの方達による読み聞かせが行われました。
みんな真剣に聞いていました。

数少ない読み聞かせなので一回一回を大切にしていこうと思います。

読み聞かせに来てくださった方々ありがとうございました<m(_ _)m>


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清水町立清水中学校
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