最新更新日:2024/04/26
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第1ステージ「出会い」 4月5日〜6月2日

中体連の思い出

中体連が6月30日からスタートしました。この季節になると夏の暑さと心の熱さと、一種のほろ苦さが重なります。
自分は長い間卓球をやっていました。卓球の経験者なら、直感的に9対7という世にも恐ろしい「魔のカウント」がピンと来ると思います。自分自身、この9対7というカウントに翻弄され、何度辛酸を舐めさせられたかわかりません。
フルセットの末、9対7でリードしたまさにその時、耳元で悪魔が甘くささやきます。
「あと1点取れば楽になれるよ〜〜。」
たいてい悪魔はそこでもう1点をプレゼントしてくれます。これで10対7。あと1点取ればゲームセットだ!その次の瞬間には、チームメイトや応援団の歓声と賞賛を浴びながら自慢げに微笑む自分の勇姿が、フラッシュ撮影のように脳裏をかすめるのです。そこで、またしても悪魔は蠱惑のまなざしを送ります。
「もう勝ったようなものさ。ヒッヒッヒッ〜〜。」
さらに悪魔の名シナリオライターは、みごとな悲劇的クライマックスを演出します。あれよ、あれよと思う間に、相手の奇跡がかったファインプレーで10対9、10対10。そして自分でも信じられないレシーブミスとスマッシュミスを連発して10対12か12対14で敗れるのです。審判のゲームセットの声。ベンチのため息。相手選手の小躍りする歓喜の姿。自分に何が起こったのかもわからぬままに、負けを正確に知らせる得点板を再確認しながら無表情にこうつぶやくのです。
「なぜ、俺はいつもこうなんだ…。」
もうこの場面では、何の叱責の声も慰めの言葉も耳に入りません。自分の死体を自分で眺めているような虚ろな感覚だけが残像として浮かび上がり、やがて静かに消えていきます。
 魔のカウント。これはスポーツの世界に限った話ではありません。たぶん、自分の身のまわりの多くの者が過去に悪魔の誘惑に駆られ、魂を弄ばれた経験をもっているに違いありません。悪魔は心のヒダに隠れ住み、うまくいきそうな時や無事に終盤を向かえそうな時に限って、その狡猾で官能的な姿を現します。そして魅惑的な声でこう囁くのです。「なあに、少しぐらい手を抜いたって何とかなるさ。」「手を抜いているのは、あなただけじゃない。ほらあの人も、この人もみんな怠けている。」「そんなに心配しなさんな。目をつぶっていたって成功するさ。」「ムキになるなよ。楽をしようぜ。人生は時の運さ。」
 魔のカウントがやってきた時に大切なのは“平常心で普通にやること”“いつも通りにやること”だと思います。これは簡単そうで、実は一番むずかしいのです。魔のカウントから逃げようとすれば追いかけられ、執着すれば餌食になる。驕らず高ぶらず心を穏やかに保ち、苦難や試練とさりげなく接して、自分のできることを淡々とやっていくしかないような気がします。いわば「無」の境地に向かうことなのです。

生徒の力は累乗が可能ではないだろうか

 自分が関わった過去の中体連卓球大会(20年間)を思い出すと、絶対に勝てるチームなどは1つもありませでしたが、簡単に負けないだろうなと思うチームは何回かありました。不思議なことに、その特徴は共通しています。
1 全員の力が均衡しており突出したスター選手がいない。
2 スポーツ以外の面においても天才肌と言うより、こつこつ努力型である。どちらかというと不器用で、学校生活は地味である。
3 部員の人数がギリギリで、自分がレギュラーをやらざるを得ない。
4 全員の戦型が異なり(ラケットとラバー)、相対的に攻撃よりも守備を得意とする選手が多い。
 こういうチームで戦ったときには一戦一戦が感動的で、一度も県大会を逃すことはありませんでした。逆に下馬評で「今年は、東海大会は固いですね!」などと騒がれた時に限って3回戦くらいで姿を消してしまうことが多かったように思います。チーム力とは本当に不思議なものです。
 話は変わりますが、我々は公立の小・中学校教員である以上、様々な学校に赴任する可能性があります。都会的な新興住宅地や3世代同居の田舎風の学校、市内屈指の大規模校や単学級の小規模校。そこで出会う子どもたちは実に様々です。中には、見るからに物凄い才能を持った子どももいるかもしれませんが、基本的には今後の活躍が楽しみな「原石」の児童生徒たちです。そもそも若い頃は、自分自身が何者なのか良くわからない「原石」が良いのです。原石は地味で素朴で泥臭く、質素の極みです。たぶんこの文章を読んでくださる方も、若い頃は原石だったと思います。ですから、自分で未熟だとか、何もできないとか、レベルが低いとか、ダメに決まっているとか思ってはいけません。
「俺はダイアモンドだ。凄いだろう!」「私はサファイヤよ。綺麗でしょ!」
と決めつけて威張っている人間の方が心配です。我々教員は「原石」を慈しみ、丹誠込めて無心に磨き上げることが大切です。気がつくと、子どもも教師自身も思わぬ輝きを発見することになるのです。これは本当です。学校の場合、個人的な輝きから発展してチームの輝きになることが良くあります。子どもたちの力は、足し算ではなく累乗になっていくように思えるのです。

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