最新更新日:2024/03/19
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◎八幡小の歴史(平成7年度 1)

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 昭和50年代、学校敷地内の施設(給食室)で調理された給食を食べる学校を「給食単独校」、給食センターで調理された給食がトラックで運ばれきて配膳する学校を「給食センター校」と呼んでいました。
 八幡小学校は開校した当初から「センター校」でしたが、平成7年度6月8日、給食単独校化をめざして調理室建設工事が始まりました。
 この工事は12月までかかり、現在の場所に調理室が完成しました。りっぱな回転釜が設置されると同時に、新たに開発された「強化磁器食器」(われにくい茶わんや皿)も納品されました。
 これまで慣れ親しんできたアルマイト(金属製)の食器は、この年を最後に使用されなくなりました・・・

◎八幡小の歴史(平成7年度 2)

 平成に入って教育現場で働くわれわれにとって記憶に残る出来事の一つは「学校週5日制」の導入でした。
 平成4年の9月から「学校週5日制」がスタートした時は、毎月・第二土曜日だけが休業日となるものでした。当時は、本格的な運用となるまでに「保護者が仕事のために留守になってしまう家庭の子どもの受け皿はどうするのか・・」といった問題が議論され、当面は学校休業日に体育館などの施設を開放して、子どもの居場所をつくるなどの措置をとった学校が多くありました。
 平成7年4月より、毎月の第二・土曜日にくわえて、第四・土曜が休業日となって、隔週の学校週5日制となりました。
 校長室に保管されている「学校日誌」を開くと、初めて第四土曜がお休みとなった記念すべき4月22日のページには、「休業土曜日」という記載が残っています。(写真 1・2)
 昭和57年に発足したバトン部は残念ながら、この年を最後に活動休止となりました。(写真 3)
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◎八幡小の歴史(平成8年度  1)

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 子どもたちが大好きな給食。その食器がこれまでの金属製食器(アルマイト)から「強化磁器製」に切り替わったのがこの年でした。
 それまでの金属製の食器はスープなどの熱い汁ものを注ぐと,熱伝導の良さから食器のふちまで熱くなることが「給食当番泣かせ」で、当番の子は食器のふちを指先でつまんで歩き、運び終わると耳たぶで指先を冷やす光景がみられたものです。(画像は、八幡小学校の昭和59年度・1年生の給食風景です)
 新しくなった磁器食器は,汁ものを入れても熱くならず,また,かわいい模様もあしらわれて評判となりました。
 また、この年に職員室、保健室、校長室にエアコンが設置されて、猛暑の夏は快適に仕事ができるようになりました。職員室をのぞく子どもたちから
「先生たちばっか、ずるい!」とよく言われたものでした。

 

◎八幡小の歴史(平成8年度  2)

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 平成8年度は、部活動にとって思い出深い一年となりました。
 8月4日(日)に行われた「第19回 瀬戸地方小学生サッカー大会」において、八幡小学校サッカー部は、準決勝で[八幡小 1−0 陶原小]、決勝戦でも東山小学校を相手に[八幡小 2−1 東山小]で勝利して、みごと優勝しました。

 また、ミニバスケットボールに、男子チームが創設されて、瀬戸市の第1回大会に出場したのもこの年でした。
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◎八幡小の歴史(平成9年度)

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 平成9年8月28日(木)、八幡小学校を会場にして、瀬戸市総合防災訓練が行われました。
 当日は、ヘリコプターも出動して、屋上へ避難した人を救助する訓練もありました。(写真 1・2)
 2月5日(木)、4年生児童(在籍71名)のうち21名が、かぜなどを理由に欠席したために、翌日の6日(金)から7日(土)までの2日間を「集団かぜによる学年閉鎖」にする措置をとりました。さらに7日(土)には、2年1組が学級閉鎖となりました。(この頃はまだ、第一土曜日は授業が行われていましたので・・・)
 2月15日(日)、音楽部の「第12回 定期演奏会」が八幡小学校体育館で行われました。翌年から会場が変更となるため、学校の体育館で行われる定期演奏会はこれが最後となりました。(写真3は、第11回のときの演奏風景です)

◎八幡小の歴史(平成10年度 1)

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 6月1日(月)の午前10時、子どもたちが運動場に集合して「創立25周年記念航空写真」の撮影が行われました。
 カラフルなベストを着用して撮影用のセスナ機が、校庭上空に接近するのを待ちました。当時の在籍児童数は、412名でした。

◎八幡小の歴史(平成10年度 2)

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 八幡小学校・音楽部は、静岡県浜松市で行われた「全国管楽器教育指導者研修会」のオープニングコンサートで、モデルバンドとしてステージに立って、演奏を披露しました。
 当時の音楽部は、愛知県内のバンドフェスティバルにとどまらず、県外で開催される演奏会にも積極的に参加していたんですね。
 子どもたちの演奏技術の高さやこうした実践が評判となり、音楽部の活動範囲はさらに拡大していくことになります・・・

◎八幡小の歴史(平成10年度 3)

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 1月31日(日)、「第25回 瀬戸地方小学生サッカー大会」(冬の大会)の決勝戦が行われ、八幡小学校サッカー部は、陶原小学校を相手に[八幡 1−0 陶原]で勝利して、みごと優勝を果たしました。
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◎八幡小の歴史(平成10年度 4)

 子どもたちの演奏技術の高さで有名になってきた八幡小学校・音楽部は、過去12回の定期演奏会の会場として学校の体育館を使用してきましたが、年々増加する入場者数に対応するため、瀬戸市民会館(現在の瀬戸蔵が建っている場所にありました)に会場を変更することになりました。
 広いホールでたくさんのお客さんに演奏を聴いていただけることは当時の部員たちにとって大きな励みになったことでしょう。
 その新聞記事がこちらです。
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◎八幡小の歴史(平成10年度 5)

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 2月11日(木)午後2時から、瀬戸市民会館のホールで「第13回 音楽部定期演奏会」が行われました。(写真 1〜3)
 当時の学校日誌を見ると、“多くの方の協力で、盛会のうちに終わる”と記載されています。
 演奏会に市民会館が使用されたのは、この平成10年度だけでした。顧問であった弓削教諭に話を聞くと、
「予想を上回る入場者があり、さらに収容人員の多い会場が必要となったから・・」だそうです。
 この時には、市民楽団のコンブリオシンフォニカが音楽部と共演しました。(写真 4)

◎八幡小の歴史(平成11年度 1)

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 八幡小学校では、校舎北館3階の第2音楽室と第2図工室で改修工事が行われ、「コンピュータ室」が完成しました。一般家庭でのコンピュータが広く普及してきたこの年の暮れ、「西暦2000年問題」が話題になりましたが、心配されたほどの混乱は起きませんでした。
 現在の「漢字・計算コンクール」の前身になる“ 漢字コンテスト、計算コンテスト ”がすでに行われており、「合格証(ごうかくしょう)」や「満点賞」など、教師自作の賞状がすでに作成されていました。
 部活動では、平成8年度に創部した男子ミニバスケットボール部が第4回の夏季大会、冬季大会ともに優勝で飾りました。
 

◎八幡小の歴史(平成11年度 2)

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 2月6日(日)、弓削教諭が顧問を担当する音楽部は、「全国小学校管楽器合奏フェスティバル 東日本大会」に出場するために東京まで出かけました。
 フェスティバルの会場は、東京厚生年金会館(東京都新宿区)でした。子どもを引率して、新幹線で東京まで出かけることは費用面でもたいへんだったようで、保護者が遠征費用を集めるために走り回り、子どもたちも敬老会や地域のお祭りなどの演奏会で募金活動を行ったようです。
 この時の参加記念トロフィーは現在も、学校玄関にあるガラスケースの中に展示されています。
 

◎八幡小の歴史(平成11年度 3)

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 2月27日(日)、「音楽部 第14回定期演奏会」が瀬戸市文化センター(大ホール)で開催されました。
 第12回まで、学校の体育館で定期演奏会を行ってきた音楽部。13回から会場を市民会館(蔵所町1丁目)に変更しましたが、学校関係者の予想をはるかに上回る来場者数がありました。
 わずか一年で市民会館から文化ホールに会場を変更したのは、より多くの入場者を収容できる演奏会場が必要となったからでした。
 当時の学校日誌を読むと、“ 約600名 入場 ”と記載されており、演奏会が盛況であったことがうかがえます。

◎八幡小の歴史(平成12年度)

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 前年度(平成11)、校舎北館3階の第2音楽室と第2図工室を改修して完成した「コンピュータ室」が本格的に使用されるようになり、授業参観などでもコンピュータを使用した授業が公開されました。
 低学年から高学年までが割り当てられた時間にコンピュータ室へ行って学習をするわけですが、設置台数が20台程度しかないために、パソコン(パーソナル・コンピュータ)と呼ぶにはほど遠く、児童数の多い学級の授業では、二人で1台を交代して使用する光景も見られました。また空調設備(エアコン)がないため、夏場に行われる授業は、とても暑かったようです。
 夏休みに入って、7月29日(土)に行われた「瀬戸市ミニバスケットボール・夏季大会」では、男子バスケットボール部が、陶原小、長根小、幡山東小学校を相手に3戦全勝して、みごと優勝することができました。
 この頃より総合的な学習の時間に「環境」をテーマにした活動が行われており、学校日誌の7〜8月の内容を見ると、“ケナフの水やり当番・・・4、5年生”などの記載が見られます。収穫したケナフの繊維を使用して「紙すき」が行われました。
 6年生全員が応援団を結成して、紅白対抗の競争種目などでエールを送ったり、迫力ある応援合戦でパフォーマンスを披露したりするなど、最高学年の子どもたちが運動会のムードを盛り上げるようになったのは、この年の10月1日(日)に行われた運動会がはじまりだったようです。
 

◎八幡小の歴史(平成13年度  1)

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 新たなカリキュラムである「総合的な学習の時間」は、国際化や情報化をはじめとする社会の変化を背景に誕生しました。その内容とは、子どもの“自ら学び自ら考える力”などの全人的な生きる力の育成が求められ、教科などの枠を越えた体験活動や問題解決学習が重視されました。また、学校と家庭・地域との連携も重要課題でした。
 具体的な活動としては、「国際理解」や「情報」、「環境」、「福祉・健康」などをテーマにして、英語学習やコンピュータを利用した情報教育、ケナフ栽培による環境教育や田植えや収穫などの体験活動が行われる学校が多くありました。
 八幡小学校でも、すでに前年(平成12)から段階的に始められており、3年生以上で年間50〜80時間ほど、「総合的な学習の時間」の授業がそれぞれの学年で行われました。
 6月には、3年生が徒歩で40分ほどかかる水田まで出かけて「田植え体験」をしました。秋には稲刈りなどの体験もしたそうです。
 回線工事によりインターネッが開通したので、総合的な学習の時間の「情報」では、コンピュータによる“調べ学習”(ネット検索)もできるようになりました。
 これまで基礎学力を身につけさせるための勉強を「基礎基本講座」とし、学級単位(担任)で行われていた「学習コンテスト」を「計算・漢字コンクール」という名称にして全校で取り組むようになったのもこの年でした。
  

◎八幡小の歴史(平成13年度 2)

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 平成13年5月17日(木)、プール横で、温水シャワー設置のための工事が始まりました。
 私が瀬戸市の教員に採用された昭和50年代後半は、ちょうど市内の小学校にプールが新設された時期に重なりました。
 敷地内にプールが完成した学校は、それまでバスに乗って市民公園まで出かけて行っていた水泳の授業が、学校で実施できるようになりました。ただ、その頃の水泳の授業では、入水するまでに子どもたちは“二つの試練”に耐えなければなりませんでした。
 まず、一つ目は「冷たいシャワーの試練」でした。プール開きの行われる6月頃はまだまだ気温が24度前後のことが多く、準備運動を終えた子どもたちにとって、水道水のシャワーを浴びることは、滝に打たれる修行に近いものがありました。あの頃の子どもたちがシャワーを気持ちよく感じたのは、夏休みに入ってからの「プール開放」の時だったのではないでしょうか?
 二つ目は「腰部消毒槽(ようぶしょうどくそう)」の試練です。腰部消毒槽とは、4〜5段のステップと手すりがついた小さな水槽(すいそう)で、プールサイドでも、あまり直射日光の差し込まない日陰にあって、夏でもヒンヤリしたスペースでした。
 冷水(?)シャワーを浴びた子どもたちは、冷たくて、塩素系のツ〜〜ンと鼻をつく臭いのする消毒液が入っていた消毒槽を通過しなければいけませんでした。足早に通過して先生に見つかると、
「ちゃんと10まで数えて、出ていらっしゃい!」と叱られたワンパク坊主もいました。「冷たいシャワー」と「消毒槽」は、お父さん、お母さんにとってもなつかしい思い出ではないでしょうか?
 6月18日(月)、待望のプール開きが行われ、気持ちよさそうに温水シャワーを浴びる子どもたちの姿がありました。

 12月2日(土)、八幡小学校音楽部は、三重県松阪市で行われた「東海北陸バンドフェスティバル」に参加しました。この時の記録写真は残念ながら本校には残っていません。お持ちの方がいらっしゃいましたら、学校まで連絡をください。
 

◎八幡小の歴史(平成14年度 1)

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 学校関係者にとって、平成14年度は、さまざまな新しいことが始まった忘れられない一年間でありました。
 まず、その一つ目は「完全学校5日制」となったことです。
 平成4年の9月12日に「学校週5日制」がスタートした時は、毎月・第二土曜日だけが休業日となるものでした。当時は、「留守家庭の子どもの受け皿はどうするのか・・」といったことが議論され、土曜休業日に体育館などの学校施設を開放して、子どもの居場所をつくるなどの措置がとられました。
 平成7年4月22日より、第二土曜にくわえて、第四土曜日が休業日となって、隔週の学校週5日制となりました。
 平成4年から10年間をかけて段階的に導入されてきた土曜休業日、4月6日をもって毎週土曜日が休業日の「完全学校週5日制」が実現しました。
 当時の「学校日誌」を読むと、4月4日(木)に入学式、1学期・始業式が行われたのは5日(金)で、全校児童が登校しました。そのすぐ翌日が土曜日と重なり、新学期がスタートして、さっそくお休みとなったことがわかります。

 「総合的な学習の時間」の授業数が、小学校3、4年生で年間105時間(週に3時間)、5,6年生は110時間(3または4時間)となりました。また、算数では「少人数指導」というスタイルの授業が行われるようになりました。
 これまでずっと瀬戸市内で統一規格であった通知表が、学校独自のスタイルをとれるようになり、その名称もそれまでの「通知表」から「あゆみ」や「のびる子」など特色あるネーミングになったのも、この平成14年度からでした。

 2005年(平成17)に「日本国際博覧会」(通称 愛知万博)が開催されることにあわせて、それまでなじみ深かった「愛知青少年公園」の施設が取り壊されたり、移築されたりして長久手会場に生まれかわることが決定しました。
 菱野団地周辺では、春の遠足に青少年公園へ出かける学校が多く、新たな候補地の選定に悩みました。八幡小学校では近くに愛知環状鉄道の「瀬戸口駅」があることから、それを利用した目的地を探すことになりました・・・

◎八幡小の歴史(平成14年度 2)

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 愛知万博の長久手会場建設のために遠足の目的地が変更となりました。特にその影響を受けて目的地を変更したのは、2年生〜4年生だったようです。
 平成14年4月25日(木)に行われた「春の遠足」の目的地、内容は下記のとおりです。

[1年生] 南公園(瀬戸市)

[2年生] 岡崎公園

[3年生] 東谷山フルーツパーク

[4年生] グリーンピア春日井

[5年生] 校内でデーキャンプ

[6年生] 古墳見学(若宮町)と物見山ハイキング

 八幡小学校にかぎらず、当時の菱野団地周辺の小学校では、遠足候補地の選定に頭をいためていたようです。

◎八幡小の歴史(平成14年度 3)

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 平成14年度・部活動の記録です。
 音楽部は、11月3日(日)に富山県富山市で開催された「第6回 全国小学校管楽器合奏フェスティバル 東海北陸大会」に参加しました。
 会場となった富山市芸術文化ホール(通称 オーバード・ホール)に八幡小音楽部の演奏が響きました。この頃の音楽部は毎年、愛知県にとどまらず、県外まで遠征しての演奏活動を行っていました。

 男子ミニバスケットボール部は、夏の大会、冬の大会ともに大健闘で第2位になりました。

◎八幡小の歴史(平成15年度 1)

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 愛知万博の長久手会場建設工事にともなって、目的地を変更した2年目の「春の遠足」は、5月1日(木)に行われました。
 当日の目的地と内容は下記のとおりです。

(1年生) 南公園(瀬戸市)

(2年生) 岡崎公園

(3年生) 東谷山フルーツパーク

(4年生) 森林公園

(5年生) 学校でデーキャンプ

(6年生) グリーンピア春日井

 前年度(平成14)とは、また少し変更がありました。
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行事予定
4/4 入学式準備
4/6 春の全国交通安全運動(〜15日)
瀬戸市立八幡小学校
〒489-0861
愛知県瀬戸市八幡台3丁目1
TEL:0561-82-4445
FAX:0561-82-4027