医療関係者の皆さん、ありがとうございます!  がんばろう日本! がんばろう南中!

南風あったかげん記−634−

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☆★☆ キューバ特集−0− ☆★☆
 現在、ふれ愛ギャラリーでは、「キューバ写真展」の飾り付けが進んでいます。
 みなさんご存じのように、2005年の愛・地球博「一市町村一国フレンドシップ事業」では、岩倉市はキューバ共和国が交流相手国でした。その間には、駐日キューバ大使夫妻の桜まつり訪問、リナレス選手の野球教室、市民キューバ訪問団、小中学校でのキューバ紹介講演会、サルサ・ダンス教室、小学校の絵の交換、キューバ音楽ピアノコンサートなど、さまざまな活動が行われました。
 せっかくキューバが少し身近になったのに、万博の閉幕と同時に終わりでは寂しいですよね。
 そこで、愛知県フレンドシップ継承事業として、生涯学習課は12月7日(日)にアントニオ古賀、キューババンドによる、メモリアルコンサートを実施します。
 南部中学校でもこの事業に協力し、ふれ愛ギャラリー写真展、ふれ愛まつりでのキューバ関連の展示、同じくふれ愛まつりでのキューバ音楽コンサート&サルサダンス教室などを開催します。
 そこで、この校長日記でも、キューバについての基礎知識を紹介していきます。
 といっても私もキューバについては全くの素人ですので、外務省のキューバ担当外交官の角田さんや、在キューバの日本大使館で勤務経験のある南中の卒業生・灘さんにご協力をいただきながら進めていきたいと思います。少しでも、キューバが身近になればと思いますので、どうかよろしくお付き合いください。

南風あったかげん記−633−

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☆★☆ ホスピタルクラウン ☆★☆
 ノーベル物理学賞を3人の日本人が受賞しました。明るいニュースです。
 ところで、サーカスの道化師をピエロというのは実は誤りということをご存じですか?「ピエロ」は固有名詞で、ある特定の人を指します。一般的には、道化師はクラウン (Clown)と呼ばれます。(ちなみに王冠は「Crown」です。)
 昨日、古知野中学校の学校公開へ行ってきました。授業を参観しましたが、どのクラスもとても落ち着いており、生徒の姿勢の良いのには感心しました。
 その後の教育講演会の講師が、ホスピタルクラウンの大棟耕介さんでした。ホスピタルクラウンというのは、専門の教育を受けたクラウンが病院内での知識や衛生面を理解したうえで病室を訪問し、患者に笑いを届けるものです。大棟さんは「病気の治療が目的ではない。あくまでも子どもたちに喜んでもらえればよい。」と言いますが、笑いが心身に良い影響を与えるだろうことは十分想像出来ます。大棟さんは、ボランティアとして、全国の病院を回って、子どもたちに笑いと生きる喜びを届けているのです。
 ロビン・ウィリアムズの主演した映画『パッチ・アダムス』をご覧になりましたか?あの映画のモデルは、ハンター・アダムスさんという実在の人で、大棟さんもよくご存じの方だそうです。このパッチ・アダムスが、ホスピタルクラウンなのです。
 大棟さんは、日本ホスピタル・クラウン協会を設立し、この活動を日本で広めるために尽力している人なのです。古知野中学校HP,ホスピタルクラウンHPをご覧ください。
 続きは次回に…
古知野中学校HP http://www.schoolweb.ne.jp/weblog/index.php?id=...    ホスピタルクラウン協会 http://hospital-clown.jp/

南風あったかげん記−632−

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☆★☆ 続社会科こぼれ話−10− ☆★☆
 大相撲が揺れています。麻薬に続き八百長疑惑。日本人として気になるのは、やはり、相撲は国技だからです。柔道と同様、日本発祥だからです。発祥に限れば、意外な競技がありました。
 水泳のバタフライです。
 バタフライをWikipediaの歴史で見てみましょう。
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 バタフライは平泳ぎから発展した。当初、平泳ぎの泳法規定は「うつぶせで、左右の手足の動きが対称的な泳法」と定められていた。そこで1928年のアムステルダムオリンピック開催時に、ドイツのエーリッヒ=ラーデマッヒェルが、現在のバタフライに似た手の掻きと平泳ぎの足の掻きを組み合わせた泳法で平泳ぎ競技に出場し(結果は日本の鶴田義行に次ぐ銀メダル)、その後1936年のベルリンオリンピックで数名の選手がこの泳法により好成績を収めると、1952年のヘルシンキオリンピックでは平泳ぎにおいて、ほとんどの選手がバタフライの手の掻きを用いるようになった。そこで国際水泳連盟は、1956年のメルボルンオリンピックから、独立した種目として扱うようになったが、この時ある選手が膝を痛めて平泳ぎの足の掻きが出来なくなり、両足を上下に動かす現在の足の動き(ドルフィンキック)を考案した。ちなみに、考案者は日本人の長沢二郎だと言われている。
−−−−−−−−引用終わり−−−−−−−−−−−
 現在の水泳世界記録を男子100mに限って比較すると次のようになります。
 クロール イーモン=サリバン オーストラリア  47秒05  
平泳ぎ  北島康介       日本       58秒91
 背泳ぎ  アーロン=ピアソル  アメリカ     52秒54
 バタフライ イアン=クロッカー アメリカ     50秒40
 このように、バタフライは平泳ぎのルールから始まったにもかかわらず、クロールの次にスピードの出る泳法なのです。その泳法を考案したのは日本の長沢二郎です。早大水泳部OBで、1954年6月「ドルフィンキック」を発明し当時の世界新記録を更新しました。まさに、バタフライは日本発祥の競技種目だったのです。

南風あったかげん記−631−

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☆★☆ 今日の朝礼 ☆★☆
 今日の朝礼の様子を紹介します。
 表彰伝達の後、後期生徒会役員の任命式を行いました。全校生徒に生徒会役員への応援と協力をお願いしました。
 続いて、前期生徒会役員の退任挨拶がありました。さすがに前を見て堂々と挨拶してくれました。ご苦労様でした。
 次に、管内駅伝選手激励会を行いました。初めに、練習の様子をスライドで見ました。次に、一人一人名前を読み上げ、72名の選手候補を紹介しました。大きな声の返事が頼もしく思えました。選手インタビュー、代表挨拶に続き、有志応援団のリードで、全員で手拍子で応援をしました。管内駅伝は、今週土曜日に行います。選ばれた人はベスト記録が出るようにがんばって欲しいものです。

南風あったかげん記−630−

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☆★☆ 梶田叡一講演会 ☆★☆
 10月3日(金)には、愛知教育大学附属名古屋中学校研究発表会へ行ってきました。

そこでの記念講演は、あの梶田叡一先生です。梶田先生については、この校長日記でも数回紹介してきました。 兵庫教育大学長、文学博士ですが、何といっても中央教育審議会委員の中心メンバーであり、今回の指導要領改訂では、最も影響力の大きかった方です。 テーマは、「新しい学習指導要領の理念と今後の実践課題」 講演の内容について思うことは多々ありますが、当日自分でメモしたものをまとめてみました。読みにくい所や誤字・脱字もあるかもしれませんが、今後の教育の流れがわかりますので、お目通しいただければ幸いです。                  講演要旨 http://www.tcp-ip.or.jp/~syaraku/h20kajita.html

南風あったかげん記−629−

☆★☆ 容疑者Xの献身 ☆★☆
 今日はお知らせしたように秋季柔道大会でした。南部中、岩倉中、滝中の3校の柔道部員が、日頃の練習の成果を発揮しました。一生懸命の姿を見ると、すがすがしさを感じます。
 午後には、今日封切りの映画「容疑者Xの献身」を見てきました。
 ご存じの方も多いと思いますが、売れっ子作家、東野圭吾の推理小説で、探偵ガリレオシリーズの第3弾です。第6回本格ミステリ大賞、第134回直木賞受賞作など、多くの賞を総取りしたミステリーの名作です。
 テレビドラマ『ガリレオ』の劇場版で、スタッフやキャストも同じ。ドラマと映画の同時進行企画だそうです。監督は、映画としては「県庁の星」に続く2作目の西谷 弘です。
 私は原作を読んでいないのですが、原作のおもしろさを十分感じさせる映画のつくりでした。
 天才数学者と天才物理学者の攻防は見応えがありました。クライマックスでは、あっと驚く真実の全貌が明らかになります。そして「献身」のタイトルの意味がわかります。何といっても石上役の堤真一の演技が秀逸で、映画全体を引き締めていました。
 個人的には、湯川がタネを明かす前に、推理の手がかりがもう少しあってもよかったと思いましたが、その分、意外性が楽しめます。
 原作を読んでみたくなりました。

南風あったかげん記−628−

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☆★☆ 授業参観ありがとうございました ☆★☆
 本日はご来校ありがとうございました。また、アンケートにお答えくださった皆様、お礼申し上げます。
 アンケートの結果を、この場を借りまして報告します。アンケートは4択です。
Q1 子どもたちにとってわかりやすい授業がおこなわれていましたか?
ア わかりやすい授業と強く感じた   43%
イ わかりやすい授業と感じた     57% 
ウエ                  0%
Q2 子どもたちは意欲的に授業に取り組んでいましたか?
ア 意欲的だと強く感じた       48%
イ 意欲的だと感じた         52%
ウエ                  0%
Q3 授業の中で一人一人の子どもが大切にされていましたか?
  ア 大切にされていると強く感じた      43%
  イ 大切にされていると感じた        43%
  ウ 大切にされているとはあまり感じなかった  9%
エ 大切にされているとは感じなかった     5%
Q4 授業の進め方で、一人一人の子どもを生かすための工夫がありましたか?
ア 工夫があると強く感じた         38%
イ 工夫があると感じた           52%
ウ 工夫があるとあまり感じなかった     10%
エ 工夫があると感じなかった         0%
記述欄では…
○ 美術展を見せていただきました。生徒たち(先生たちももちろん)が生活している場所に、潤いや多様性を提供している「良さ」を感じました。ありがとうございます。運営にかかる労力もたいへんとは思いますが、ぜひ大事にしていただきたいです。
○ 生徒の集中して聴く姿(2年道徳)感心しました。日ごろの(心ある)先生方の指導のおかげです。ありがとうございます。
○ ゲストティーチャーに教頭先生が登場され、集中力up!とてもよかった。
○ 子どもたちは嫌かも知れないが、ランダムに当てていろいろな子どもの状況を見たい。
 まだまだたくさんいただきました。ありがとうございました。

今日の授業

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授業参観・1時間目の授業の様子です。

1年生
左上 1組 国語科;古典との出会い
右上 2組 社会科;日本のすがたとさまざまな地域
左下 3組 英語科;三人称単数現在
右下 4組 数学科;方程式

2年生
左上 1組 理 科;生命を維持するはたらき
右上 2組 道 徳;「夢に向かって」
左下 3組 英語科;Unit5
右下 4組 家庭科;絵本の製作(基礎縫いの練習)

3年生
左上 1・2組 体育科男子;柔道
右上 1・2組 体育科女子;器械運動
左下 3組 数学科;二次方程式の利用
右下 4組 英語科;Unit4
 

南風あったかげん記−627−

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☆★☆ 明日は授業参観日 ☆★☆
 今日は生徒会役員選挙・立会演説会、投票が行われました。会長以下、定数ちょうどの立候補者のため、信任投票になりました。
 今日の6名の演説を聴いていると、生徒会としてかなり成熟してきたことを感じさせます。決められたことを「ねばならない」ではなく、新たに「やってみたい」という発想に、大きな期待を感じました。それぞれ、自分の言葉で、誠実に語ってくれました。また、演説を聴く側も立派でした。心で聴く姿勢ができていました。
 さて、明日は参観日です。昨年の年度末に保護者のみなさんから「授業参観の機会を増やしてほしい」という意見を複数いただきました。そこで、毎月3日を参(3)観日としました。また、時間帯も月によってローテーションで変えています。ぜひともご来校の上、ふだんの授業の様子を見ていただければと思います。
 ふれあいギャラリーで開催中の野田武男絵画展もいよいよ明日までになりました。こちらもぜひご覧ください。

南風あったかげん記−626−

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☆★☆ 横田喜三郎 ☆★☆
 過ぎてしまった話で恐縮ですが、9月13日は「世界の法の日」でした。どのようないきさつでこの日が決まったのでしょうか?
実は、昭和36年9月東京で開催された「法による世界平和に関するアジア会議」で、時の最高裁長官横田喜三郎が、その制定を提唱したのです。その結果、昭和40年9月13日から20日までワシントンで開催された「法による世界平和第2回世界会議」で、国際間に法の支配を徹底させることで世界平和を確立させようと宣言されたことを記念して、9月13日を「世界法の日」とすることが決まったのです。
 じつは、この横田(旧姓 岩田)喜三郎は、江南市赤童子の出身です。
 横田喜三郎は、最高裁判所第3代長官で、平成5年に他界するまで、多くの著書・論文を発表した、国際法の世界的な権威です。
 次のようなエピソードがあります。
○ 昭和6年、日本の関東軍が満州事変を引き起こすと、日本政府のとった行動は自衛権の範囲を超えるものとして、軍部に対し鋭く批判をしました。時代が時代ですから、右翼団体や政治家などから激しい非難を浴びました。しかし、彼はその後も国際連盟によって満州事変が平和的に解決されることを望むとした評論や、国際連盟脱退はかえって大きな不利益を生じると指摘した評論を発表しました。
○ 戦後、日本の憲法が定められたとき、彼の提案によって、それまでの片仮名文語から、平仮名口語で表記されることになりました。これにより、憲法がより民衆に分かりやすく親しみやすいものになり、民主化に大きく寄与しました。
○ 憲法第9条の平和主義を論じ、日本が徹底した民主主義に進むべきことを主張して広く社会に影響を与えました。
 横田喜三郎は、常に民衆の立場から考え、法律の権威として、法は弱者のためにあるという信念を貫いた人でした。ただ、『戦争犯罪論』などの著書には今でも賛否が分かれているようです。
 猪口邦子代議士は横田喜三郎の孫だそうです。

南風あったかげん記−625−

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☆★☆ 愛知用水 ☆★☆
 まだ9月というのに、冷えを感じるほどの気候です。私は体調を崩してしまいました。みなさんもお気をつけください。
今日9月30日は、愛知用水の通水式が行われた日です。1961年のことです。
 尾張丘陵部は、昔から水不足が問題になっていた地域です。そのために、江戸時代には、江崎善左衛門ら六人衆が入鹿池をつくり、さらに木津用水や新木津用水を開削し、新田開発が進みました。
 その昭和版が愛知用水です。尾張丘陵部から知多半島にかけての一帯に農業用、工業用、上水道用の水を供給している用水です。
 岐阜県八百津町から知多半島南端の南知多町に至る112キロメートルの幹線水路と、幹線水路から分岐して農業用の水を導く支線水路1,012キロメートルからなります。
Wikipediaによれば、第二次世界大戦後、浜島辰雄元陸軍幼年学校教官の発案に吉田茂が協力し世界銀行の融資を受け、アメリカ合衆国の進んだ土木技術、建設機械を用いて、わずか5年間で6,800立方メートルを蓄えるダム(牧尾ダム;写真左)、幹線水路、支線水路を建設しました。
 日本も、戦後はODAの恩恵を受けていたのです。ちなみに、東海道新幹線や黒部第四ダム、東名高速道路もODAのお金で建設しました。その借金を返済し終えたのは平成2年です。
 この愛知用水は、ため池に頼っていた尾張丘陵部、知多半島の農業・井戸に頼っていた住民の日常生活を著しく向上させました。なかでも、知多半島南部や日間賀島・篠島・佐久島の住民からは特に感謝されたようです。また、この用水によって、今の新日本製鐵名古屋製鉄所もつくられることになりました。
 愛知用水がなければ、今の愛知県の繁栄はありません。発案者や決断者、建設時に不幸にも殉職された50名の方々に感謝せずにはいられません。

南風あったかげん記−624−

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☆★☆ 続社会科こぼれ話−9− ☆★☆
いよいよ干支を使って計算してみましょう。まず、法則性を考えてみます。
 最初の干支「甲子」の10年前は「甲寅」、20年前は「甲辰」、30年前は「甲午」、40年前は「甲申」、50年前は「甲戌」、そして60年前が「甲子」に戻るのです。
 すなわち、十干の部分「甲」は同じで、十二支の部分が「子→寅→辰→午→申→戌」と、一つおきに下がっていくのです。この性質を利用して考えるのです。
 寛永5年(戊辰)に生まれて、元禄13年(庚辰)になくなった徳川光圀は何年間生きたのでしょう?
 まず、十干の部分を揃えましょう。「庚」の2年前が「戊」なので、「辰」も2年遡ると「寅」、したがって元禄11年が「戊寅」です。
 「寅」から「辰」まで一つおきに数えると、「寅→辰」、そう10年です。「戊辰」と「戊寅」の間は10年。したがって、「戊辰」と「戊寅」の2年後、「庚辰」の間は12年という事になります。しかし、12年前では元禄元年となり、ありえません。もう一周り(60年)前ということになります。
 そう、徳川光圀は12年に60年を加えた72年間生きたことになるのです。
昔の人は、このあたりを簡単に計算出来たようだという記事を見たことがあります。干支が身近だった時代ですから、あり得る話ですね。

南風あったかげん記−623−

☆★☆ 続社会科こぼれ話−8− ☆★☆ 
ずいぶん間が空いてしまいました。613号の続きです。
 テーマは、江戸時代に人は「何年前」というのをどうやって計算したのでしょうか?というものです。
結論から言うと、干支(えと)を使っていたのだと思います。
 干支は、十干と十二支を組み合わせたものです。十二支は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥で、年賀状でおなじみです。
 それに対して、十干は私たちにはなじみが薄いですね。それぞれ、音読み−訓読み−意味を紹介します。
甲;こう − きのえ − 木の兄
乙;おつ − きのと − 木の弟
丙;へい − ひのえ − 火の兄
丁;てい − ひのと − 火の弟
戊;ぼ  − つちのえ − 土の兄
己;き  − つちのと − 土の弟
庚;こう − かのえ − 金の兄
辛;しん − かのと − 金の弟
壬;じん − みずのえ − 水の兄
癸;き − みずのと − 水の弟
 昔の通信簿が、「甲、乙、丙、丁」となっていたように、この十干は当時の人には馴染みのあるものでした。
 十進法なので、よいことがあります。西暦の下一桁と必ず一致するのです。
   十干    甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸
   西暦下一桁 4、5、6、7、8、9、0、1、2、3
 たとえば、壬申の乱は672年。「壬」がつくときは「〜2年」になるのです。
 また、甲子園ができた1924年は、「甲」がつくから「〜4年」。
 戊辰戦争は?「戊」がつくから「〜8年」。そう、1868年です。
 ちなみに、今年2008年は、8なので、戊子(つちのえね)になります。来年は、己丑(つちのとうし)、再来年は庚寅(かのえとら)です。
 次回には、○年前を計算する方法を紹介します。

南風あったかげん記−号外−

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☆★☆ 拙稿紹介 ☆★☆
原稿依頼が来ていたものが出版されました。
 一つは『心を育てる学級経営10月号』(明治図書)
 今月のテーマは、「学級の危機的状況を自己診断する」。私に与えられたテーマは、「教室の規律はどうか」。ものと診断テストから視る教室の規律についてまとめてみました。
 もう一つが『中学校 学校力がUPする新教育課程マネジメント』(明治図書)
 15人による共著で、私は「総合的な学習の再生」を担当しました。15人のほとんどは、大学教授、校長です。  
 書店で見かけましたら、手にとってご覧ください。

南風あったかげん記−622−

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☆★☆ 中1ギャップ ☆★☆
 中1ギャップという言葉があります。物心が付いてからの人生の大半をおくってきた小学生の立場から、いきなり中学1年生になったとたん、難しくなる学習や教科担任制・部活動などの生活の変化になじめずに、不登校となったりいじめが急増するという現象です。新潟県教育委員会が名づけました。
 これをクリアする方策が、中学校から小学校へ出向くこと、小学校から中学校へ出向くことなのです。
 今日は有志応援団が東小学校で演舞を披露してきました。参加した生徒の中には東小出身の生徒もいましたが、曽野小出身の生徒が多く、児童にとっては知らない人も多くいたと思います。声や動作の大きさ、衣装など、小学校とはまるで異なる演舞を、児童は驚きの目で見ていました。
 今後は、南フェスの宣伝に、生徒会役員が両校の朝礼におじゃまをしてきます。卒業前には、1年生全員がそれぞれの学校へ出かけて、学校紹介を行います。
 小学生も、南フェスでは数多く南中へ来て、生徒が企画した各ブースで思う存分遊んでいきます。また、6年生の卒業近くには、中学校での授業見学会も行います。
 こうしたことの積み重ねで、南中では中1ギャップはかなり少ないのではと思っていますがいかがでしょうか。
 今日の有志応援団の演舞が、小学生思い出の一つになればと思います。

南風あったかげん記−621−

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☆★☆ 体育大会の感想−2− ☆★☆
 体育大会感想シリーズの最後は、あるブログを引用して紹介します。9月22日の記事です。(一部抜粋)
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 (前半略)その中でも、午前中にお邪魔した南部中は学校が一丸となって作り上げた素晴らしい体育大会でした。なんだかこう、名古屋市内の高校の体育大会のようです。先生主導で、枠を作ってもらった中で楽しむというよりも、生徒たち、先生たち、皆で作り上げた体育大会といった感じでしたね。
 私がいいなぁと感じたポイントを挙げてみますね。
 ●プログラムに各競技の開始予定が書いてある。
 ●ここ最近の暑さ対策として、生徒たちにはブロックと同じ色の帽子を全員に配付。
 ●同じく暑さ対策として各ブロックごとに後ろにテントを設置。
 ●同じく暑さ対策としてプログラムの途中に休憩を入れている。
 ●各プログラムごとの大きな看板(校長先生のブログ参照)
 ●各クラスごとが制作した応援旗のようなもの
 ●父兄が生徒の席の後ろ側まで気軽に回れる雰囲気。
 ●先生たちが仮装させられるようなプログラム。
 ●生徒が勝手にしゃべったりする放送の柔らかさ。
 ●3年生はクラスごとに何度も円陣を組み、団結を高めていた。
 「よりよい体育大会にするために」ということがしっかりと話し合われてそれをしっかりと実行されているんでしょうね。
 そして、そんなポジティブな空気が学校を包んでいるんでしょうね。
 今回の体育大会が良いものであったということを端的に表した一枚の写真が校長先生のブログにありました。こちらです。
 http://www.schoolweb.ne.jp/weblog/index.php?id=...
 どんな1シーンかわかりませんが、推測するに、同じブロックである1年生に3年生が一緒に頑張ってくれたお礼を言うシーンじゃないかと思うんですよね。そこで3年生の女の子が感極まって涙を流しているんです。
 生徒にそこまでの思い入れを生み出した体育大会。間違いなく成功といっていいですよね。(以下略)
 http://sakura394.exblog.jp/ 9月22日より引用
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 昨年も紹介したブログですが、さすがですね。見る目が確かです。
 暑さ対策もさることながら、「父兄が生徒の席の後ろ側まで気軽に回れる雰囲気」「生徒が勝手にしゃべったりする放送の柔らかさ」などは、いわれて「なるほど。そんなんだ。」と認識を新たにしました。
 おそらく複数の学校を見ていらっしゃるのでしょう。学校の中にいると当たり前だと思っていることも、こうした確かな目をもった方に見ていただくと、とても参考になります。願わくば、応援合戦を見ていただき、どう感じられたかを聞かせていただきたかったところです。
 昨年も書きましたが、直接ご来校いただき、ご自分の目で見ていただいたことをこうして紹介していただけたことが何より嬉しく思います。
 これからも行事や授業公開日が続きます。保護者や地域のみなさん。ぜひ、南中へご来校ください。そして南中生をご覧ください。
  P.S. 上の写真では先生が空を飛んでいます!

南風あったかげん記−620−

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☆★☆ 体育大会の感想 ☆★☆
 体育大会名場面集−21−まで発信しました。これらについて、南中の保護者以外の方からもメッセージを頂きましたので紹介します。 
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 (前半略)それにしても、躍動感あふれるお写真がずら〜〜〜っと並んでいて、みなさんの鼓動や息づかいがここまで届いてきそうです。ひとりひとりが本当に生き生きしていて、中学生という、大人でもない子供でもない、中途半端だけれど、たった三年間限定だからこそのエネルギーが、きらきら輝いていて・・・・すばらしいですね。そして、そんな彼らを輝かせていらっしゃる先生方も素敵な集団なのでしょうね。憧れとジェラシーを覚えてしまいます。
 これからも楽しみにしています。
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 うれしいメールです。南中生の良い面を素直に感じ取っていただき、本当にありがたく思います。 
 生徒は頭を切り換えて、勉強、そして南フェスへと向かっていきます。今後とも生徒の様子を発信していきますので、私たちが気づかないところをご指摘いただけたらと思います。ありがとうございました。

南風あったかげん記−619−

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☆★☆ 工場見学 ☆★☆
月曜日の代休を利用して、岩倉市内にある工場を見学してきました。代休は、平日に工場を見ることができる絶好のチャンスなので、事前に予約をしておきました。
 上の写真は、北島町にある大原硝子店です。家庭や事業者から回収されたガラスビンを選別して細かく砕いて、カレット(右下)とよばれる再生原料までを作るのがこの工場の役目です。ここのカレットの7割は、石塚硝子で再生ビンに生まれ変わります。
 始めに色別に手で選別をします。その後粉砕し、ラベルをはがしゴミを選別します。その後、何段階もの工程を経て不純物を取り除き、最後は画像処理精製機(左下)で違う色のガラスも取り除きます。
 ガラスには、大きく分けて透明、茶色、緑色の3種類あり、その他、青や黒のビンがありますね。
 ここで問題です。いろいろな色のガラスを混ぜると何色になるでしょうか?
 何と透明に近づいていくそうです。光の三原色を混ぜると白になりますよね。それと同じ原理です。
 2軒目は、野寄町にあるミヨシ油脂(左上)を見学しました。以前は食品も作っていましたが、今では、私たちが直接目にするものは作っていません。排水や煙、土壌などの中の有害物質を固定化する、「環境産業製品」が主力です。また、ティッシュペーパーを柔らかくする柔軟剤など、他品種少量生産しています。需要のあるものを探して、次々に開発していかなければならない企業の研究開発の厳しさを見ることができました。
 3軒目は、北島町にある五条川右岸浄化センターです。一宮、犬山、江南、岩倉、大口、扶桑の4市2町の下水道の処理を担当します。ちなみに岩倉市は、五条川から西側のみで、南部中学校のような東側は岩倉団地の東にある五条川左岸浄化センターで処理しています。計画処理能力は15万立方m/日で、現在は2.1万立方m/日の能力があります。
 説明を聞いた後、実際に汚泥沈殿池、バクテリアに食べてもらう反応槽、最終沈殿池などを見学し、顕微鏡でバクテリアの様子も見せていただきました。 
私たちの生活になくてはならないものばかり。知らないところで、多くの人の働きがあって私たちのくらしが支えられていることを改めて感じた1日でした。
 お世話になりました。

南風あったかげん記−618−

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☆★☆ 体育大会 生徒の感想 ☆★☆
 今日も1年生の作文を紹介します。
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☆ 私の今までの体育大会(運動会)というものは、楽しいだけのものだったと思います。でも、みんなの涙を見て、「体育大会」って泣ける行事なんだと始めて実感しました。3年生の思いにこたえられなくて残念だったけど、3年生が私たちに教えてくれたものを、自分が3年生になったら後輩に伝えたいと思います。残念な結果になってしまったけど、逆にいろいろなことを教えてもらったのでよかったです。大縄では、練習よりもはるかに記録を超えて本当にうれしかったです。1年生で1位になった時には、大盛り上がりで楽しかったです。私も、先輩になりたいと思いました。

☆(前略)学年で1位になった時は、みんなではちまきを投げ、喜びました。その時私は、今までで一番私たちのクラスが団結したなと思いました。結局私たちのクラスは優勝できなくて悲しかったけど、その反面クラスが団結できてうれしかったです。

☆(前略)来年は今回よりもがんばって参加したいと思いました。応援がどのブロックも上手でステキでした。最後に先輩達が泣いていた姿がとても目に焼き付いています。先輩達に優勝させれなくて本当に残念でした。来年こそ、優勝させてあげたいのでがんばります。
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短時間に書かれたものなので、かえって本音が出やすいものです。ここに紹介したもの以外にも、3年生に勝たせたかったとか、団結できてよかったというものが多数ありました。毎日の授業だけでは伸ばせないことを伸ばしてくれるのが行事です。さしずめ、授業が「教」、行事が「育」。この両輪で「教育」が成立するのです。

南風あったかげん記−617−

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☆★☆ 体育大会 生徒の感想 ☆★☆ 
 今日は、始めての体育大会を経験した1年生の感想を紹介します。
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 小学校とは全く違う中学校の体育大会でした。どこが違うかというと、迫力や真剣さも違ったのですが、一番違ったのは「団結」です。どのブロックもみんなすごく団結力があって、絶対に優勝するぞということが伝わってきました。そのため負けた3年生はくやしさですごく泣いていました。その反対の勝った3年生は、喜びのあまりに感動して泣いていました。僕も、そういう3年生を見て、絶対に優勝してやるという気持ちが出てきて、どの競技にも真剣に取り組むことができました。
 南中の行事は素晴らしいと思いました。
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 勝っても泣き、負けても泣く。青春を象徴するような言葉です。そういう3年生を見て、自分を奮い立たせた1年生。これが、来年以降につながるのです。

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行事予定
10/8 議会・委員会
10/11 管内駅伝大会
10/13 体育の日
10/14 朝礼・任命式・栄養士訪問(1の3)
岩倉市立南部中学校
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愛知県岩倉市曽野町江毛1
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