最新更新日:2024/05/20 | |
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練習問題に入る前のひとこと主問題の話し合いが終わり、練習問題に入ることになる。 このときの一言は、重みがある。 「はい、3番をしよう」 「はい、ワークブックの3ページをしよう」 これでは、問題の指示をしているだけである。 「今日の問題はまとめて考えるでしたね。だから、まとめることを考えて問題を解こう」 「繰り上がりのメモを書くようにしよう」 「0.1が何個分といいながら、やりましょう」 などど、本時のねらいに直結した言葉をかけたい。 [志水廣の公式ホームページ] 問いの発生のある問題学習問題は、問いが発生するような問題が望ましい。 上の写真は、数直線に3つの数を記入させる。 5つの数が示されているので迷うのである。 迷うから議論することになる。 [志水廣の公式ホームページ] 教材研究とは、読解である。教材研究とは、教科書の教材の読解をすること。教師の読解力の育成が急務である。 教科書に何が書かれているのか。 何が目標なのか。 どんな筋で書かれているのか。 これらを読みとって解釈することである。 この読みとるためには、 1.問題を解いてみること。 そうすると、解き方がわかる。 特に練習問題を解いてみると、1つ1つの問題の違いがみえる。この問題はくりさがりがない、この問題は繰り下がりがある。この問題は空位の0がある。などとわかる。 その次は、言語化である。 すなわち、言葉にしてみるのである。さきほどの「この問題はくりさがりがない、この問題は繰り下がりがある。この問題は空位の0がある。」とメモすることである。 メモすれば、それは特殊な事態から一般化へとつながる。 2.筋を読むこと。 数学の説明は、文章と式で説明される。このとき、文章を1つ1つの意味を吟味する。まさに短区切り意味再現法である。次に、式の説明を読みとることである。 この式の読みとりはかなりやっかいである。というのは、式に慣れてしまうと、そこに横たわる論理、つまり理由が見えなくなっているからである。これまた、理由を言語化することである。 こういった地道に作業を通じて、教材研究力がついてくる。 [志水廣の公式ホームページ] めりはりなんだよ仕事はたまるもの。 だらだらとやっても進まない。 集中するとよい。 夜遅くて疲れた状態では無理。 早起きして集中してやったら、うまくやり終えた。 めりはりなんだよ。 ご褒美は、12時に大学をでて、3時すぎには、霧ヶ峰に到着。 [志水廣の公式ホームページ] わかれば楽しい1つでも関連づけることができると、わかった気持ちになる。 このわかった気持ちがあるから、またやる気がでる。 その原動力は好奇心。 退職された2人の先生と算数教育の議論をしていて、この好奇心こそが若くさせると思った。 [志水廣の公式ホームページ] 自力から他力へ自力の限界を超えると、他力に頼るしかない。 [志水廣の公式ホームページ] 確認の手だて式のよみかきについて、確認の手だてはどうあればよいか。 例えば、テープルといすの問題で、10きゃくのときにまわりにあるいすの数は、次の式で求められた。 2×10+2=22 22人 このとき、本当にわかっているのかどうかを問う手だてがいる。 手だて1. 2と10と2の意味を確認すること。 例えば、テープルの図で2はどこにあるのかな。 Whereで発問するとよい。 手だて2. 数値を変形してみる。 例えば、11きゃくの場合の式はどうなるかな。 このような手だてでもって、理解度を確かめることができる。試してみてほしい。 [志水廣の公式ホームページ] 千葉市立美浜打瀬小学校訪問千葉の海浜幕張の駅から来るまで5分のところである。 高層マンションが立ち並ぶ地区である。 学校もすごくモダンな建築であった。 さて、示範授業は、「テーブルといす」の問題をした。 とてもくいつきがよく、自力解決もかなりスムースにいき、練り上げもどんどん進んだ。 かなりのレベルだと判断した。 ただし、全体の理解度の確認のために、ときどきストップをかけた。 そのおかげで、全体に迫るところと個人に迫るところを区別して授業ができた。 子どもたちと対面したとき、目の輝きに感動した。 好奇心旺盛な子どもたちと巡り会えて幸せであった。 講話では、80分を最近の話をもりこんで話した。 演習をいれながらの講話であった。 みなさんとても素直で楽しそうに演習をしていた。 [志水廣の公式ホームページ] どの子にもどの子どもも「わかりたい」「できるようになりたい」。 この気持ちがわかるまで、教師として何年かかるだろうか。 子どもと真剣に向き合うとわかってくる。 [志水廣の公式ホームページ] 話し合い活動にはお手本がいるこの方法は子どもたちが活動するので1つのよい手法である。 ところが、どんなことを話していると思うと、内容のレベルがさまざまである。 数学的な事実・方法・理由が明確な文章で話しているかとそうでもない。 どれかに偏っていたりする。 お手本がなくて、話し合いをさせるだけではレベルが上がっていかない。 ではなぜあがっていかないかというと、やはり、教師はどんなことを言ってほしいのかを明確に記述していないからである。 教師の教材研究ノートにそのことが書かれているのか。 音声言語で書かれているのか。 チェックしてみてほしい。 [志水廣の公式ホームページ] わかることわかることの2段階 まずは、わかったという気持ちにさせること。 わからなかったという気持ちでは、次への意欲を失ってしまうから。 わかったという気持ちになったら、次は、できるということまであげること。 これにはあの手子どもの手で広げてあげるしかない。また、練習問題させるしかない。 [志水廣の公式ホームページ] 舞台から降りるそこで、舞台を降りた。ワイヤレスマイクだからできることである。 舞台を降りると、みんなの空気が変わった。 質問されるという緊張感がはしり、なおかつ、そばにきたという親近感が走った。 それからは、話しやすくなった。 ときには、舞台を降りることも大事だと思った。 これって、教室でも同じかも。教師が黒板の前でいるときと、生徒の席の方に動くときとは、かなり空気が異なる。それぞれのよさを生かして動こう。 [志水廣の公式ホームページ] ちがいはいくつ「あくしゅする」という子どもらしい表現はでていた。感心したのは、子どもたちが板書にあるような表現をどの子どもも使おうとしていたことである。板書に書いた効果だと思った。このような授業を志水はしてほしい。 だけど、その後が続かない。どの部分がちがいに当たるのか、ここがなかなかわからない。そこで、介入した。 一年生の「ちがいはいくつ」というのは苦戦するところで、いろんな例をあげて指導した。ここのところの介入授業は面白かった。「数のちがい」は新しい言語で、この言葉と図と操作を結びつけることが必要だと思った。単なる問題解決型の授業では、算数言語の学習には限界があると思った。 繰り返し、いろんな場面を用意して、考えさせていくことである。 この「いろんな場面」というのは子どもから待っていてはでてこない。教師から仕掛けていくべきである。 さてさて、いろんな場面って何だろう? [志水廣の公式ホームページ] 鳥取県伯耆町八郷小学校訪問米子駅から20分、大山のふもとにある学校である。 全校児童が70人ほどの学校。昨年の夏に、算数の県の全体研修会があり、そのご縁でいくことになった。 前日、23時45分に米子駅についた。すると、古都(ふるいち)校長先生と亀山教務主任が出迎えに来ていた。 夜遅くなるので、出迎えなしという約束であったが、びっくりするとともに感激した。 朝、クルマの中で、亀山先生が「ここまであっているよ」といいながら私は机間指導していたという。そのことと昨年の講演内容が一致したという。 学校に到着。校長先生は、「いやあ、志水理論のような授業を目指していたんですよ」という。「愛」で育てる算数数学の授業にあるような授業という意味である。 職員のみなさんは頑張られていた。介入の授業もした。 今、八郷小学校は何をするべきかについて、ライブで話してきた。 [志水廣の公式ホームページ] あこがれと自己一致人は、正しいことを聞いた、知っただけでは動かない。 新しいことが自分にとってあこがれであること。 次に、なあんだ、同じだあと思うこと。 この二つで動き出す。 すなわち、あこがれと自己一致があると、動きだす。 [志水廣の公式ホームページ] 一番難しいのは例えば、文章題があって、方程式を立てるとする。 このとき、何をxとしておき、次に方程式を立てるときである。 方程式さえたてば、後は一定の手順で解決に進む。 だから、授業では、方程式を立てるときにしぼって考えさせるとよい。 なぜ、その量をxとおいたのか、また、等しい量どうしを見つけることに重点を置けばよい。 だから、私は、問題解決の初手に○つけ法をするとよいと提唱している。 [志水廣の公式ホームページ] |
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