最新更新日:2024/09/21 | |
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南風あったかげん記−639−キューバの歴史を概観してみましょう。その前編です。 ヨーロッパ社会には、1492年コロンブスによって発見されました。先住民は、スペインによってほとんどが絶滅したとされています。それ以後、スペイン人により植民地化が進み、砂糖産業、奴隷産業を盛んにし、キューバはスペインと中南米の中継地点として著しく発展を遂げました。 19世紀初めには、ハイチの独立により、キューバが砂糖きびプランテーションの中心になり、世界最大の砂糖生産地となりました。さらに、たばこ生産も盛んになり、葉巻の通商でも富を得るようになりました。しかし同時に、独立の気運が高まり、一時キューバのアメリカ編入を目指す運動も起きました。 独立闘争は1868年に始まります。明治元年なので、近代日本の歩みと重なります。 一時休戦を経て1895年からはホセ・マルティ(写真左;この名前は覚えておきましょう!)らの指導による独立闘争が再発し、1898年のスペイン・アメリカ戦争(米西戦争)による米国の勝利で、キューバは1902年に400年に及ぶスペイン支配から解放され、独立を勝ち取りました。 しかし、事実上の米国支配が続き、アメリカ企業の進出に伴う国民の反乱で不安定な状況が続きました。バティスタ時代は、政権と米国政府・米国企業・マフィアがキューバの富を独占し、その富が米国本土に流れるような社会構造が形成されました。このような半植民地状態の克服を夢見て立ち上がったのが、弁護士フィデル・カストロ(写真中;有名ですね。)なのです。 カストロはメキシコ亡命後、アルゼンチン人医師のチェ・ゲバラ(写真右;この人も覚えておきましょう)と出会い、ゲリラ戦訓練を受けた後キューバに再上陸、政府軍へ2年余りのゲリラ闘争を行った末、バティスタを国外逃亡に追い込み、革命政権を誕生させました。その際に、軍事法廷で旧バティスタ政権関係者を裁き、およそ550人を処刑したと言われています。革命政権は、農地改革法を実施し、砂糖よりも食料になる作物の生産に力を入れ始め、土地と産業を国有化し、農業の集団化を実施するなど社会主義国家の建設を推進しました。1960年にソ連と正式な外交関係を結び、米国とは翌年国交断絶します。東西冷戦の渦中へと巻き込まれていくのです。明日へ続きます。 ※ 写真は、すべてWikipediaから引用しました。 南風あったかげん記−638−次に、狂言について紹介します。もちろん、日本の伝統芸能のひとつで室町時代に成立しました。 明治以後は、「能楽」といい、能とセットで演じられています。能と同じく猿楽から発展した芸能で、重厚さのある能にたいして、滑稽さを重視して発展したのが狂言です。簡単にいうと"室町時代の吉本新喜劇"なのです。 狂言は室町時代の口語を使った会話劇です。現代の日本語の基礎になる言葉なので、比較的わかりやすい言葉です。600年前の新喜劇と思って見てみてはいかがでしょうか。と言っても、吉本のようにアドリブとかズッコケはなく、芸として長い年月の間に練られ、洗練されたものです。 ぜひ、12月21日には、自分の目で確かめてみてください。 南風あったかげん記−637−本日、愛知県地域ふれあい芸術体験事業「能・狂言公演鑑賞のお知らせ」を配布しました。岩倉の地で鑑賞する滅多にない絶好の機会です。今回は能面や扇子を使ってのワークショップもありますのでぜひ申し込んでみてください。 私は、前に書きましたが、小学校1年生を担任した年に、1年間で生のものを50見ることに挑戦しました。22年前のことです。 百聞は一見にしかずと言いますが、やはり本物と写真やテレビの世界とは全く違います。臨場感というか、五感で感じることができるのが生の良さです。 私はその年に生まれてはじめて見たものが、数多くありました。能や狂言、歌舞伎、大相撲、バレエもその一つです。 実は、能・歌舞伎・大相撲・バレエには共通点を感じていました。主役以外は動かないことです。まさに静止の芸。役者だけでなく、たとえば能では、謡や囃子の人も、自分の出番以外は全く動きません。痒いときにはどうするのかな?などと野暮な心配までしてしまうほどです。これは、歌舞伎も同じ。相撲では行司がそうです。無駄な動きが全くありません。 これは、バレエでも同じでした。「白鳥の湖」で、静かな湖のほとりに白鳥たちがいるときにオデット姫が踊り始めると、周囲の白鳥は全く動かなくなってしまいます。オデットが近づくと挨拶みたいな動きがあるのですが、それ以外は静止。絵の背景の一部になってしまいます。 動かないことで主役を立て、自分の役割を果たす。静止の美。 これも、直接見たからこそわかったことです。 まだ能や狂言を体験したことのない方は、ぜひお申し込みください。 南風あったかげん記−636−今日から、キューバについて少しずつ調べていきましょう。 型どおり、外務省のHPの基礎データから見てみましょう。 1,面積 111千平方キロメートル(本州の約半分) 日本は378千平方キロメートルです。 2,人口 1,124万人(2007年国家統計局) 日本は約12,800万人だから日本の1割ほどです。 人口密度は日本の3分の1ほどです。 3,首都 ハバナ 4,民族 ヨーロッパ系25%、混血50%、アフリカ系25%(推定) 5,言語 スペイン語 6,宗教 宗教は原則として自由 7,位置は上の地図を見てみましょう。同緯度では、台湾の南半分や香港、ハワイ、サハラ砂漠があります。北回帰線のすぐ南に位置します。 少しずつ、イメージを膨らませていきましょう。 南風あったかげん記−635−
☆★☆ ホスピタルクラウン−2− ☆★☆
古知野中のHPにあったように、ロシアでは、ボリショイサーカスの「クラウン」(道化師)は、ボリショイバレイのプリマドンナよりも、地位の高い選ばれた人なのだそうです。サーカスでも、クラウンが最も給料が高いとも言ってみえました。ヨーロッパでは、クラウンはステイタスなのです。ウクライナにあるチェルノブイリ原発事故のための病院や、戦地へも慰問に出かけているそうです。 大棟さんは、なぜホスピタルクラウンになろうと考えたのでしょうか。 大棟さんは、中学・高校と、棒高跳びで全国1位のスポーツマンでした。大学でオリンピックの夢が壊れ、名鉄に入社しました。そこでも、より自分の夢を叶えるために退社し、自分で会社をつくったのです。 彼は言いました。「将来何になるのか?実際には、中学生のみんなが考えている100倍以上の職業がある。まだ出会っていない職業がある。」柔軟であれと言いたいのでしょう。 「夢はなくなることもある。今がんばっていることに手を抜くな。」 「もうだめだと思ってから、もうひとつがんばろう。」 「あまっている時間があったら僕にください。病院の子どもたちにあげてください。明日の命もわからない子どもたちに…」 「今日という日は二度とない。この時間を大切にがんばりたい。」 実体験からくる大棟さんの言葉には、どれも重みがあります。これから、まだいろいろなことがあると思いますが、何か行き詰まったときに、「大棟さんならどう考えるだろうか?どう行動するだろうか?」と考えると、先が見えてくるような、そんな気がする講演でした。貴重な機会をいただき、ありがとうございました。 南風あったかげん記−634−現在、ふれ愛ギャラリーでは、「キューバ写真展」の飾り付けが進んでいます。 みなさんご存じのように、2005年の愛・地球博「一市町村一国フレンドシップ事業」では、岩倉市はキューバ共和国が交流相手国でした。その間には、駐日キューバ大使夫妻の桜まつり訪問、リナレス選手の野球教室、市民キューバ訪問団、小中学校でのキューバ紹介講演会、サルサ・ダンス教室、小学校の絵の交換、キューバ音楽ピアノコンサートなど、さまざまな活動が行われました。 せっかくキューバが少し身近になったのに、万博の閉幕と同時に終わりでは寂しいですよね。 そこで、愛知県フレンドシップ継承事業として、生涯学習課は12月7日(日)にアントニオ古賀、キューババンドによる、メモリアルコンサートを実施します。 南部中学校でもこの事業に協力し、ふれ愛ギャラリー写真展、ふれ愛まつりでのキューバ関連の展示、同じくふれ愛まつりでのキューバ音楽コンサート&サルサダンス教室などを開催します。 そこで、この校長日記でも、キューバについての基礎知識を紹介していきます。 といっても私もキューバについては全くの素人ですので、外務省のキューバ担当外交官の角田さんや、在キューバの日本大使館で勤務経験のある南中の卒業生・灘さんにご協力をいただきながら進めていきたいと思います。少しでも、キューバが身近になればと思いますので、どうかよろしくお付き合いください。 南風あったかげん記−633−ノーベル物理学賞を3人の日本人が受賞しました。明るいニュースです。 ところで、サーカスの道化師をピエロというのは実は誤りということをご存じですか?「ピエロ」は固有名詞で、ある特定の人を指します。一般的には、道化師はクラウン (Clown)と呼ばれます。(ちなみに王冠は「Crown」です。) 昨日、古知野中学校の学校公開へ行ってきました。授業を参観しましたが、どのクラスもとても落ち着いており、生徒の姿勢の良いのには感心しました。 その後の教育講演会の講師が、ホスピタルクラウンの大棟耕介さんでした。ホスピタルクラウンというのは、専門の教育を受けたクラウンが病院内での知識や衛生面を理解したうえで病室を訪問し、患者に笑いを届けるものです。大棟さんは「病気の治療が目的ではない。あくまでも子どもたちに喜んでもらえればよい。」と言いますが、笑いが心身に良い影響を与えるだろうことは十分想像出来ます。大棟さんは、ボランティアとして、全国の病院を回って、子どもたちに笑いと生きる喜びを届けているのです。 ロビン・ウィリアムズの主演した映画『パッチ・アダムス』をご覧になりましたか?あの映画のモデルは、ハンター・アダムスさんという実在の人で、大棟さんもよくご存じの方だそうです。このパッチ・アダムスが、ホスピタルクラウンなのです。 大棟さんは、日本ホスピタル・クラウン協会を設立し、この活動を日本で広めるために尽力している人なのです。古知野中学校HP,ホスピタルクラウンHPをご覧ください。 続きは次回に… 古知野中学校HP http://www.schoolweb.ne.jp/weblog/index.php?id=... ホスピタルクラウン協会 http://hospital-clown.jp/ 南風あったかげん記−632−大相撲が揺れています。麻薬に続き八百長疑惑。日本人として気になるのは、やはり、相撲は国技だからです。柔道と同様、日本発祥だからです。発祥に限れば、意外な競技がありました。 水泳のバタフライです。 バタフライをWikipediaの歴史で見てみましょう。 −−−−−−−−以下引用−−−−−−−−−− バタフライは平泳ぎから発展した。当初、平泳ぎの泳法規定は「うつぶせで、左右の手足の動きが対称的な泳法」と定められていた。そこで1928年のアムステルダムオリンピック開催時に、ドイツのエーリッヒ=ラーデマッヒェルが、現在のバタフライに似た手の掻きと平泳ぎの足の掻きを組み合わせた泳法で平泳ぎ競技に出場し(結果は日本の鶴田義行に次ぐ銀メダル)、その後1936年のベルリンオリンピックで数名の選手がこの泳法により好成績を収めると、1952年のヘルシンキオリンピックでは平泳ぎにおいて、ほとんどの選手がバタフライの手の掻きを用いるようになった。そこで国際水泳連盟は、1956年のメルボルンオリンピックから、独立した種目として扱うようになったが、この時ある選手が膝を痛めて平泳ぎの足の掻きが出来なくなり、両足を上下に動かす現在の足の動き(ドルフィンキック)を考案した。ちなみに、考案者は日本人の長沢二郎だと言われている。 −−−−−−−−引用終わり−−−−−−−−−−− 現在の水泳世界記録を男子100mに限って比較すると次のようになります。 クロール イーモン=サリバン オーストラリア 47秒05 平泳ぎ 北島康介 日本 58秒91 背泳ぎ アーロン=ピアソル アメリカ 52秒54 バタフライ イアン=クロッカー アメリカ 50秒40 このように、バタフライは平泳ぎのルールから始まったにもかかわらず、クロールの次にスピードの出る泳法なのです。その泳法を考案したのは日本の長沢二郎です。早大水泳部OBで、1954年6月「ドルフィンキック」を発明し当時の世界新記録を更新しました。まさに、バタフライは日本発祥の競技種目だったのです。 南風あったかげん記−631−今日の朝礼の様子を紹介します。 表彰伝達の後、後期生徒会役員の任命式を行いました。全校生徒に生徒会役員への応援と協力をお願いしました。 続いて、前期生徒会役員の退任挨拶がありました。さすがに前を見て堂々と挨拶してくれました。ご苦労様でした。 次に、管内駅伝選手激励会を行いました。初めに、練習の様子をスライドで見ました。次に、一人一人名前を読み上げ、72名の選手候補を紹介しました。大きな声の返事が頼もしく思えました。選手インタビュー、代表挨拶に続き、有志応援団のリードで、全員で手拍子で応援をしました。管内駅伝は、今週土曜日に行います。選ばれた人はベスト記録が出るようにがんばって欲しいものです。 南風あったかげん記−630−10月3日(金)には、愛知教育大学附属名古屋中学校研究発表会へ行ってきました。 そこでの記念講演は、あの梶田叡一先生です。梶田先生については、この校長日記でも数回紹介してきました。 兵庫教育大学長、文学博士ですが、何といっても中央教育審議会委員の中心メンバーであり、今回の指導要領改訂では、最も影響力の大きかった方です。 テーマは、「新しい学習指導要領の理念と今後の実践課題」 講演の内容について思うことは多々ありますが、当日自分でメモしたものをまとめてみました。読みにくい所や誤字・脱字もあるかもしれませんが、今後の教育の流れがわかりますので、お目通しいただければ幸いです。 講演要旨 http://www.tcp-ip.or.jp/~syaraku/h20kajita.html 南風あったかげん記−629−
☆★☆ 容疑者Xの献身 ☆★☆
今日はお知らせしたように秋季柔道大会でした。南部中、岩倉中、滝中の3校の柔道部員が、日頃の練習の成果を発揮しました。一生懸命の姿を見ると、すがすがしさを感じます。 午後には、今日封切りの映画「容疑者Xの献身」を見てきました。 ご存じの方も多いと思いますが、売れっ子作家、東野圭吾の推理小説で、探偵ガリレオシリーズの第3弾です。第6回本格ミステリ大賞、第134回直木賞受賞作など、多くの賞を総取りしたミステリーの名作です。 テレビドラマ『ガリレオ』の劇場版で、スタッフやキャストも同じ。ドラマと映画の同時進行企画だそうです。監督は、映画としては「県庁の星」に続く2作目の西谷 弘です。 私は原作を読んでいないのですが、原作のおもしろさを十分感じさせる映画のつくりでした。 天才数学者と天才物理学者の攻防は見応えがありました。クライマックスでは、あっと驚く真実の全貌が明らかになります。そして「献身」のタイトルの意味がわかります。何といっても石上役の堤真一の演技が秀逸で、映画全体を引き締めていました。 個人的には、湯川がタネを明かす前に、推理の手がかりがもう少しあってもよかったと思いましたが、その分、意外性が楽しめます。 原作を読んでみたくなりました。 南風あったかげん記−628−本日はご来校ありがとうございました。また、アンケートにお答えくださった皆様、お礼申し上げます。 アンケートの結果を、この場を借りまして報告します。アンケートは4択です。 Q1 子どもたちにとってわかりやすい授業がおこなわれていましたか? ア わかりやすい授業と強く感じた 43% イ わかりやすい授業と感じた 57% ウエ 0% Q2 子どもたちは意欲的に授業に取り組んでいましたか? ア 意欲的だと強く感じた 48% イ 意欲的だと感じた 52% ウエ 0% Q3 授業の中で一人一人の子どもが大切にされていましたか? ア 大切にされていると強く感じた 43% イ 大切にされていると感じた 43% ウ 大切にされているとはあまり感じなかった 9% エ 大切にされているとは感じなかった 5% Q4 授業の進め方で、一人一人の子どもを生かすための工夫がありましたか? ア 工夫があると強く感じた 38% イ 工夫があると感じた 52% ウ 工夫があるとあまり感じなかった 10% エ 工夫があると感じなかった 0% 記述欄では… ○ 美術展を見せていただきました。生徒たち(先生たちももちろん)が生活している場所に、潤いや多様性を提供している「良さ」を感じました。ありがとうございます。運営にかかる労力もたいへんとは思いますが、ぜひ大事にしていただきたいです。 ○ 生徒の集中して聴く姿(2年道徳)感心しました。日ごろの(心ある)先生方の指導のおかげです。ありがとうございます。 ○ ゲストティーチャーに教頭先生が登場され、集中力up!とてもよかった。 ○ 子どもたちは嫌かも知れないが、ランダムに当てていろいろな子どもの状況を見たい。 まだまだたくさんいただきました。ありがとうございました。 今日の授業1年生 左上 1組 国語科;古典との出会い 右上 2組 社会科;日本のすがたとさまざまな地域 左下 3組 英語科;三人称単数現在 右下 4組 数学科;方程式 2年生 左上 1組 理 科;生命を維持するはたらき 右上 2組 道 徳;「夢に向かって」 左下 3組 英語科;Unit5 右下 4組 家庭科;絵本の製作(基礎縫いの練習) 3年生 左上 1・2組 体育科男子;柔道 右上 1・2組 体育科女子;器械運動 左下 3組 数学科;二次方程式の利用 右下 4組 英語科;Unit4 南風あったかげん記−627−今日は生徒会役員選挙・立会演説会、投票が行われました。会長以下、定数ちょうどの立候補者のため、信任投票になりました。 今日の6名の演説を聴いていると、生徒会としてかなり成熟してきたことを感じさせます。決められたことを「ねばならない」ではなく、新たに「やってみたい」という発想に、大きな期待を感じました。それぞれ、自分の言葉で、誠実に語ってくれました。また、演説を聴く側も立派でした。心で聴く姿勢ができていました。 さて、明日は参観日です。昨年の年度末に保護者のみなさんから「授業参観の機会を増やしてほしい」という意見を複数いただきました。そこで、毎月3日を参(3)観日としました。また、時間帯も月によってローテーションで変えています。ぜひともご来校の上、ふだんの授業の様子を見ていただければと思います。 ふれあいギャラリーで開催中の野田武男絵画展もいよいよ明日までになりました。こちらもぜひご覧ください。 南風あったかげん記−626−過ぎてしまった話で恐縮ですが、9月13日は「世界の法の日」でした。どのようないきさつでこの日が決まったのでしょうか? 実は、昭和36年9月東京で開催された「法による世界平和に関するアジア会議」で、時の最高裁長官横田喜三郎が、その制定を提唱したのです。その結果、昭和40年9月13日から20日までワシントンで開催された「法による世界平和第2回世界会議」で、国際間に法の支配を徹底させることで世界平和を確立させようと宣言されたことを記念して、9月13日を「世界法の日」とすることが決まったのです。 じつは、この横田(旧姓 岩田)喜三郎は、江南市赤童子の出身です。 横田喜三郎は、最高裁判所第3代長官で、平成5年に他界するまで、多くの著書・論文を発表した、国際法の世界的な権威です。 次のようなエピソードがあります。 ○ 昭和6年、日本の関東軍が満州事変を引き起こすと、日本政府のとった行動は自衛権の範囲を超えるものとして、軍部に対し鋭く批判をしました。時代が時代ですから、右翼団体や政治家などから激しい非難を浴びました。しかし、彼はその後も国際連盟によって満州事変が平和的に解決されることを望むとした評論や、国際連盟脱退はかえって大きな不利益を生じると指摘した評論を発表しました。 ○ 戦後、日本の憲法が定められたとき、彼の提案によって、それまでの片仮名文語から、平仮名口語で表記されることになりました。これにより、憲法がより民衆に分かりやすく親しみやすいものになり、民主化に大きく寄与しました。 ○ 憲法第9条の平和主義を論じ、日本が徹底した民主主義に進むべきことを主張して広く社会に影響を与えました。 横田喜三郎は、常に民衆の立場から考え、法律の権威として、法は弱者のためにあるという信念を貫いた人でした。ただ、『戦争犯罪論』などの著書には今でも賛否が分かれているようです。 猪口邦子代議士は横田喜三郎の孫だそうです。 南風あったかげん記−625−まだ9月というのに、冷えを感じるほどの気候です。私は体調を崩してしまいました。みなさんもお気をつけください。 今日9月30日は、愛知用水の通水式が行われた日です。1961年のことです。 尾張丘陵部は、昔から水不足が問題になっていた地域です。そのために、江戸時代には、江崎善左衛門ら六人衆が入鹿池をつくり、さらに木津用水や新木津用水を開削し、新田開発が進みました。 その昭和版が愛知用水です。尾張丘陵部から知多半島にかけての一帯に農業用、工業用、上水道用の水を供給している用水です。 岐阜県八百津町から知多半島南端の南知多町に至る112キロメートルの幹線水路と、幹線水路から分岐して農業用の水を導く支線水路1,012キロメートルからなります。 Wikipediaによれば、第二次世界大戦後、浜島辰雄元陸軍幼年学校教官の発案に吉田茂が協力し世界銀行の融資を受け、アメリカ合衆国の進んだ土木技術、建設機械を用いて、わずか5年間で6,800立方メートルを蓄えるダム(牧尾ダム;写真左)、幹線水路、支線水路を建設しました。 日本も、戦後はODAの恩恵を受けていたのです。ちなみに、東海道新幹線や黒部第四ダム、東名高速道路もODAのお金で建設しました。その借金を返済し終えたのは平成2年です。 この愛知用水は、ため池に頼っていた尾張丘陵部、知多半島の農業・井戸に頼っていた住民の日常生活を著しく向上させました。なかでも、知多半島南部や日間賀島・篠島・佐久島の住民からは特に感謝されたようです。また、この用水によって、今の新日本製鐵名古屋製鉄所もつくられることになりました。 愛知用水がなければ、今の愛知県の繁栄はありません。発案者や決断者、建設時に不幸にも殉職された50名の方々に感謝せずにはいられません。 南風あったかげん記−624−いよいよ干支を使って計算してみましょう。まず、法則性を考えてみます。 最初の干支「甲子」の10年前は「甲寅」、20年前は「甲辰」、30年前は「甲午」、40年前は「甲申」、50年前は「甲戌」、そして60年前が「甲子」に戻るのです。 すなわち、十干の部分「甲」は同じで、十二支の部分が「子→寅→辰→午→申→戌」と、一つおきに下がっていくのです。この性質を利用して考えるのです。 寛永5年(戊辰)に生まれて、元禄13年(庚辰)になくなった徳川光圀は何年間生きたのでしょう? まず、十干の部分を揃えましょう。「庚」の2年前が「戊」なので、「辰」も2年遡ると「寅」、したがって元禄11年が「戊寅」です。 「寅」から「辰」まで一つおきに数えると、「寅→辰」、そう10年です。「戊辰」と「戊寅」の間は10年。したがって、「戊辰」と「戊寅」の2年後、「庚辰」の間は12年という事になります。しかし、12年前では元禄元年となり、ありえません。もう一周り(60年)前ということになります。 そう、徳川光圀は12年に60年を加えた72年間生きたことになるのです。 昔の人は、このあたりを簡単に計算出来たようだという記事を見たことがあります。干支が身近だった時代ですから、あり得る話ですね。 南風あったかげん記−623−
☆★☆ 続社会科こぼれ話−8− ☆★☆
ずいぶん間が空いてしまいました。613号の続きです。 テーマは、江戸時代に人は「何年前」というのをどうやって計算したのでしょうか?というものです。 結論から言うと、干支(えと)を使っていたのだと思います。 干支は、十干と十二支を組み合わせたものです。十二支は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥で、年賀状でおなじみです。 それに対して、十干は私たちにはなじみが薄いですね。それぞれ、音読み−訓読み−意味を紹介します。 甲;こう − きのえ − 木の兄 乙;おつ − きのと − 木の弟 丙;へい − ひのえ − 火の兄 丁;てい − ひのと − 火の弟 戊;ぼ − つちのえ − 土の兄 己;き − つちのと − 土の弟 庚;こう − かのえ − 金の兄 辛;しん − かのと − 金の弟 壬;じん − みずのえ − 水の兄 癸;き − みずのと − 水の弟 昔の通信簿が、「甲、乙、丙、丁」となっていたように、この十干は当時の人には馴染みのあるものでした。 十進法なので、よいことがあります。西暦の下一桁と必ず一致するのです。 十干 甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸 西暦下一桁 4、5、6、7、8、9、0、1、2、3 たとえば、壬申の乱は672年。「壬」がつくときは「〜2年」になるのです。 また、甲子園ができた1924年は、「甲」がつくから「〜4年」。 戊辰戦争は?「戊」がつくから「〜8年」。そう、1868年です。 ちなみに、今年2008年は、8なので、戊子(つちのえね)になります。来年は、己丑(つちのとうし)、再来年は庚寅(かのえとら)です。 次回には、○年前を計算する方法を紹介します。 南風あったかげん記−号外−原稿依頼が来ていたものが出版されました。 一つは『心を育てる学級経営10月号』(明治図書) 今月のテーマは、「学級の危機的状況を自己診断する」。私に与えられたテーマは、「教室の規律はどうか」。ものと診断テストから視る教室の規律についてまとめてみました。 もう一つが『中学校 学校力がUPする新教育課程マネジメント』(明治図書) 15人による共著で、私は「総合的な学習の再生」を担当しました。15人のほとんどは、大学教授、校長です。 書店で見かけましたら、手にとってご覧ください。 南風あったかげん記−622−中1ギャップという言葉があります。物心が付いてからの人生の大半をおくってきた小学生の立場から、いきなり中学1年生になったとたん、難しくなる学習や教科担任制・部活動などの生活の変化になじめずに、不登校となったりいじめが急増するという現象です。新潟県教育委員会が名づけました。 これをクリアする方策が、中学校から小学校へ出向くこと、小学校から中学校へ出向くことなのです。 今日は有志応援団が東小学校で演舞を披露してきました。参加した生徒の中には東小出身の生徒もいましたが、曽野小出身の生徒が多く、児童にとっては知らない人も多くいたと思います。声や動作の大きさ、衣装など、小学校とはまるで異なる演舞を、児童は驚きの目で見ていました。 今後は、南フェスの宣伝に、生徒会役員が両校の朝礼におじゃまをしてきます。卒業前には、1年生全員がそれぞれの学校へ出かけて、学校紹介を行います。 小学生も、南フェスでは数多く南中へ来て、生徒が企画した各ブースで思う存分遊んでいきます。また、6年生の卒業近くには、中学校での授業見学会も行います。 こうしたことの積み重ねで、南中では中1ギャップはかなり少ないのではと思っていますがいかがでしょうか。 今日の有志応援団の演舞が、小学生思い出の一つになればと思います。 |
岩倉市立南部中学校
〒482-0003 愛知県岩倉市曽野町江毛1 TEL:0587-66-3181 FAX:0587-37-9517 |