最新更新日:2024/11/08
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第4ステージ「進取」 11月5日〜1月5日

第3回コサージュ作り講座と生涯学習閉講式

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1月30日開催 第3回生涯学習講座のコサージュ教室では、22名の参加者全員が、それぞれ異なる花を用いて、思い思いのコサージュを作成しました。
講師の川村早苗先生もとても丁寧にわかりやすく教えてくださり、みなさん和気あいあいと満足できる作品が出来上がりました。

                     稲本 真理子

将来を嘱望して、現在の発展を怠ることなかれ

「どうせ結果が同じなら、努力したって、しなくたって同じじゃないか!」
以前、そんなセリフを聞いたことがありました。僕はその時「そんなことはない。」と強い口調で言いました。たとえ同じ結果になろうとも、とにかく一歩前へ進むことが重要で、その一歩を踏み出していたために、後になって何かが変わるということが人生には案外多いからです。
“小さい努力で大きな幸せ”は虫の良い話です。むしろ“大きい努力で小さな幸せ”が当然ではないかと思うのです。“小さい努力で大きな幸せ”を期待すると、うまくいかなかったときに不満が出たり愚痴を言いたくなったりします。“大きい努力で小さな幸せ”を想っていると人生に余裕が出てきます。そして感謝する心が生まれます。
 そんなことを考えていた時、ふと「将来を嘱望して、現在の発展を怠ることなかれ。」という島安二郎の座右の銘が思い浮かんできました。
島安二郎は、日本の鉄道技術の草分け的存在で“車両の神様”と呼ばれた人物です。親の意向で医学の道を志すことにしましたが、志望を途中変更して帝國大學工科大学機械工学科へ進み、卒業後関西鉄道に入社、その後逓信省に移ります。ドイツへ2度留学して最新の鉄道事業を見聞調査し、鉄道の国有化、規格の統一、機関車の改良・国産化、自動連結器の導入、空気ブレーキの導入、「あじあ号」の設計などで活躍します。鉄道の高速化を図るため、悲願の広軌化(線路の幅を広くする)を目指し、田健治郎、後藤新平などの広軌化派の理解を得ますが、実現一歩手前のところで狭軌派の原敬の反対にあい、計画は空しく断念。島安二郎は鉄道院技監を退職します。
昭和12年、中島知久平(中島飛行機社長)が鉄道大臣になると、大陸との連結運輸が叫ばれ、「幹線構想」が動き出します。昭和14年には鉄道省直轄の幹線調査会が設置され、島安次郎が委員長となります。この委員会で「弾丸列車」の俗称で「新幹線構想」が発表されます。内容は複線電化、長距離高速度列車の集中運転(貨車列車など走らせない)、そして待望の広軌(1435mm)。まさに現在の新幹線そのままの構想でした。努力に努力をかさねて計画がスタートした昭和16年12月8日、日本は真珠湾攻撃によって太平洋戦争に突入します。そこでまたしても計画は中止。最後の最後まで政治に翻弄された島安二郎でした。
 その子、島秀雄は、大正4(1925)東京帝国大学工学部機械工学科を卒業し鉄道省に入省します。そこでC53以降に設計された全ての機関車の設計に携わり、C53のほかD51などの名機を設計します。昭和24年日本国有鉄道が発足。国鉄がスタートして間もない昭和26年6月、京浜東北線桜木町駅で電車が炎上し、多数の死傷者を出す事故が起きます。その時の工作局長だった島秀雄は責任をとって辞職します。
数年後、新たに国鉄総裁に就任した十河信二に請われ、技師長として国鉄に復帰。秀雄の急務は、鉄道輸送の限界状態の解消と東京オリンピック開催のため、1日も早く新幹線を完成させることでした。そこで秀雄は、過去の失敗経験から世界銀行に8000万ドルの借款を得て、計画の変更や後戻りができないように手を打ちます。たぶん、クビを覚悟の上での借金だったと思います。
昭和39年10月1日、オリンピック開催のわずか9日前に新幹線が開業します。ただし、華やかな開業セレモニーの場に、島秀雄の姿はありませんでした。新幹線の費用超過の責任をとらされ国鉄を辞職したからです。秀雄は自宅のテレビで、東京駅を出発する新幹線を見ながら穏やかに微笑んでいたと言います。

〜 将来を嘱望して、現在の発展を怠ることなかれ 〜

「湧水祭 体育の部を振り返って(応援旗)」その2

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今年度は動物キャラが多かったです。

湧水祭 体育の部を振り返って(応援旗)その1

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 PTA広報部では、年度末に発行するわきみず112号の編集行っています。
 体育の部の応援旗ですが、今年はいずれも良い作品でしたね。広報部で人気投票をしましたが、様々な意見があり順位をつけることができませんでした。聞くところによると、応援旗デザインは、選考会を行い、決めたとのこと。掲載した旗デザイン以外で、ご当地ゆるキャラのような面白いものもあったそうです。是非子供たちに質問してみてください。

美しく生きる

 以前、清水中学校に教頭として勤めていた時の校長は柔道家でした。しかも柔道七段という神の領域に足を踏み込んだような達人でした。校長先生はよく自分に話してくれました。
「いいか、美しくあいさつをしろ。美しく話せ。美しく振る舞うことを旨とせよ。」
煩悩と邪念を筋肉でくるんだような自分にとっては、それこそ神の領域であり、超々…難しいことだと直感しました。かさねて校長先生はこのようなことを言われました。
「相手と向かい合ったとき、その人物の立ち振る舞いで勝つか負けるかがわかる。」
何か武士道の精神を伝授されるかのような深遠で哲学的な指導でした。
「美しく」とは見た目だけではなく、心の内面も意味しています。人間としての美しさとなれば気品や風格といった、その人物の醸し出すオーラのようなものも含まれることになります。はじめて会った人なのに、不思議な安心感があり、心が温かくなるような人や、威張ったり圧力をかけたりしていないのに、存在感があり自然に尊敬してしまう人、特に目立った飾り気もないのに立ち振る舞いの上品さに、自分が貧しく思えてしまうような人など、世の中には「美しく」生きている人がたくさんいます。そう考えると自分自身は、いまだに美しくあいさつができず、美しく話すこともできていないなと思います。憧れはしますが、これは一種の修行と年輪の賜のような気がします。もし「美しい教師」になれたとすれば、その立ち振る舞いで、一瞬にして生徒や保護者や教員の心を優しくとらえ導くことができるのかもしれません。

人間万事塞翁が馬

 平成25年はどんな年になるでしょう。
1月20日(日)に清水町のマラソン大会と駅伝競走が行われました。一番印象的だったのは、ゴールに飛び込んでくる生徒の顔でした。あと100メートル、50メートル、10メートルと歯を食いしばって力を振り絞る生徒の真剣な顔は、見ている者に感動を与えました。今年も、本気で取り組む清中生を目指したいと思います。

さて、新年の話題として、よく知られている「人間万事塞翁が馬」という話をしたいと思います。
中国の北方に占いの得意な老人が住んでいました。さらに北には胡(こ)という異民族が住んでおり、国境には城塞がありました。ある時、その老人の馬が、胡の国の方角に逃げていってしまいました。このあたりの北の地方には良い馬が多く、高く売れるので近所の人々は気の毒がって老人をなぐさめに行きました。ところが老人は残念がっている様子もなく、
「そのことが、幸福にならないともかぎらない。」と言ったのです。
しばらく経ったある日、逃げ出した馬が胡の良い馬をたくさんつれて帰ってきました。
そこで近所の人たちがお祝いを言いに行くと、老人は首を振って言いました。
「そのことが、禍にならないともかぎらない。」
しばらくすると、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。近所の人たちは気の毒に思い、お見舞いに行くと老人は平然と言いました。
「このことが、幸福にならないともかぎらない。」
それから1年が経ったころ、胡の異民族たちが城塞を襲撃にきました。城塞の近くに住む若者は国を守るために戦争に行きました。激しい戦いの末、胡人から国を守ることができたのですが、若者の多くはその戦争で死んでしまいました。しかし、老人の息子は足を負傷していたために戦いに行かずに済み無事でした。城塞に住む老人の馬がもたらした運命は、福から禍へ、また禍から福へと人生を変化させたのです。「人間万事塞翁が馬」とは、まったく禍・福というのは予測できないものであるという意味のことわざなのです。

 このことわざの意味は、単に運命に身を任せろと言っているのではないと思います。この先、限りなくめぐってくる「ひと」「もの」「こと」との関わりに対して、結果だけをとらえて一喜一憂することなく、誠実に向かい合って行けという教えが含まれていると思います。過去を振り返れば、すべて良いことばかりではなく、かといってすべて悪いことばかりでもなく、今日も時は大河のように流れて行くものだと実感するのです。

南駿地区PTA教育講演会

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 平成24年11月18日に、南駿地区PTA教育講演会が長泉北小学校で開催されました。
 第1部は、日本大学文理学部教育学科教授の佐藤晴雄氏の「学校と地域が連携・協力して子供の学びを支えよう」という講演でした。今なぜ、学校と地域が連携なのか?という話と学校・家庭・地域が一体となって地域ぐるみで子どもを育てる体制を整えることが大切であり、また学校の活動を支援するPTAの役割などのお話しを伺いました。
 第2部では、長泉北小学校PTAの実践発表として、通学路の危険箇所をDVD化し地域に協力・改善を求めるとともに、子供たちの安全のため地域との繋がりを強めていきたいというお話しでした。
 学校・家庭・地域、それぞれ大切な役割があると思います。学校・地域と協力して、子供たちの学びを支えるような活動を、今後もPTAとして実践していけるように進めていきたいと思います。会員の皆様、今後ともご協力をよろしくお願いいたします。
参加者代表 広報部 高田浩

PTA生涯学習部 第2回講座 「食有講座」

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 10月24日(水)に、サントムーン 静岡ガス エネリアショールームにて生涯学習部第2回講座が行われました。今回は、PTAを対象としたクッキング講座でした。
作ったメニューは、中華風炊き込みご飯、肉団子と野菜のオイスターソース炒め、とろ〜り卵スープ、マンゴープリン、の4品でした。
 10時半スタートで12時半頃に完成!皆さんで楽しく頂きました。
 今後も色々な講座を予定しています、お楽しみに!
 

湧水祭の余韻

 前期を締めくくる大行事「湧水祭」は、生徒や保護者、教員の様々な思いを発信しながら成功裡に終わりました。夏休みが終わってから、怒濤のように駆け抜けていった1ヶ月だったと思います。清水中学校の合唱と体育面で、底力と発展性を感じさせられる湧水祭でした。
 合唱について自分の思い出を書きます。なぜだかわかりませんが「合唱」は技術の巧さだけでは解決できない不思議な壁があるような気がします。実際、プロ団体がものすごいテクニックで一糸乱れぬアンザンブルを聴かせても、いっこうに心に響いてこないということが意外と多いのです。その反対に中・高校生の合唱コンクールに胸が詰まりそうになったことが何度かありました。合唱とオーケストラの違いは人間の声と楽器の違いですが、合唱の場合はその曲に対する気持ちのこめ方が大きくものを言うように思えます。生身の人間同士が指揮者のもとに全身全霊で歌った時、技術を越えた何かが生まれ、ものすごい説得力で聞き手に訴えてくるという現象が起こるのだと思います。逆に気持ちの抜けた職業的な演奏が、一見上質で耳には心地良いが、少しも心に響かず「感心」はするが「感動」はしないという不思議な体験を味わうはめになったりすることもありました。
学生の紡ぎ出す合唱はイージーリスニングではありません。曲や詩がわかり易いことと通俗的なこととは違います。聞き手の心を鋭くえぐる演奏に出会ったとき、学校全体が大きな力によって躍動を始めたのではないかと実感するのです。

湧水祭PTAバザーのお知らせ(2)

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バザーで出品する商品をちょっとだけ紹介します。
左はフットバス、中央は食器セット、右は相田みつをのぐい飲み?です。
他にも面白い品がたくさんありますので、皆さん是非いらしてください。
9月29日(土)10:00から清水中体育館で行います。

湧水祭PTAバザーのお知らせ(1)

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9月29日(土)(湧水祭1日目)10:00から清水中体育館にて、恒例のPTAバザーを行います。
今年も雑貨やタオル等、良い品物がたくさんありますので、皆さん是非いらしてください。

強いチームの条件

 野球やサッカー、バレーボールやバスケットはもちろん、個人競技の卓球でも、自分に与えられたポジションというものがあります。卓球の団体戦は6人で戦いますが、スター選手が一人・二人いれば絶対勝てるというものではありません。強いチームを作るには、全員が同じメニューで基礎練習を繰り返すことです。地味な練習を嫌い、高等な技術を誇示して派手なアクションを見せつけたり、これ見よがしのパフォーマンスをふりまいたりする選手は真っ先にレギュラーから外れていきます。全員が同じレベルに達したところから、初めてチーム編成が行われます。チームというのは同じ志を持った「同士」なのです。
 ポジションの決定は各選手の個性に関わってきます。攻撃的な選手も必要ですが、それ以上に守備を得意とする選手が必要です。感情を前面に出してムードを盛り上げる選手がいるかと思えば、苦戦に動じないポーカーフェイスが不思議な安定感を発信して、チームの危機を救うことだってあります。強いチームというのは「同じ志を持った違う個性」が構成要素になります。攻撃型の選手を強くするには、ブロックのうまい選手と練習することが早道だし、ドライブを強化するにはカットマン(守備主戦型)にひたすら拾ってもらうことが不可欠です。つまり、戦型の違う者同士が、お互いの得意技を出し合いながら高め合い磨き合うことで一流のチームへと変貌していくのです。俺だけ目立ちたい、俺がヒーローだ!などと、得意になっている選手が一人でもいるチームは、絶対に県大会を勝ち抜けません。これは本当です。
 一番象徴的なのはダブルスで、校内ランキングの1位と2位の選手(両方攻撃型)が、ダブルスを組んで決勝に進んだことはただの1度もありませんでした。敗因は、両方が攻撃を繰り返すことによりミスを連発し、最後は自滅してしまったからです。せまい心のチームは足し算しかできません。広い心のチームは単純なかけ算だけでなく、累乗の計算が可能なのです。
 清水中学校の目指すところは「同じ志しを持った違う個性」の集団なのです。

ものを言うチーム力

 7月には、駿東地区中体連、ホッケーの東海大会、吹奏楽部の東部大会を見に行きました。予定表を見ながら試合会場を回ったため、すべての試合を見たわけではありませんが、胸がジーンとする場面が何度もありました。と同時に、過去に自分が顧問をしていた頃の思い出が蘇ってきました。
 自分が関わった中体連(20年間)を思い出すと、絶対に勝てるチームなどは1つもありませでしたが、簡単に負けないだろうなと思うチームは何回かありました。不思議なことに、その特徴は共通していました。
1 全員の力が均衡しており突出したスター選手がいない。
2 スポーツはもちろん学習面においても天才肌ではなく、こつこつ努力型である。
3 部員の人数がギリギリで、自分がレギュラーをやらざるを得ない。
4 どちらかというと地味なタイプで、何事も真面目に取り組む。
5 全員の戦型が異なり(ラケットとラバー)、相対的に攻撃よりも守備を得意とする選手が多い。
こういうチームで戦ったときには一戦一戦が感動的で、一度も県大会を逃すことはありませんでした。逆に下馬評で「今年は、東海大会は固いですね!」などと騒がれた時に限って3回戦くらいで姿を消してしまうことが多かったように思います。チーム力とは本当に不思議なものです。
 教員というのは様々な学校に赴任する可能性があります。都会的な新興住宅地や3世代同居の田舎風の学校、地域屈指の大規模校や単学級の小規模校。我々の勤務が公立の小・中学校である以上、そこで出会う子どもたちは実に様々です。中には物凄い才能を持った子どももいるかもしれませんが、基本的には今後の活躍が未知数の「原石」の児童生徒たちなのです。そもそも若い頃は、自分自身が何者なのか良くわからない「原石」が良いのです。原石は地味で素朴で泥臭く、質素の極みです。たぶん、この文章を読んでいる皆さんも、若い頃も原石だったと思います。ですから未熟で何もできないとか、レベルが低いとか、ダメに決まっているとか思ってはいけません。
「俺はダイアモンドだ。凄いだろう!」「私はサファイヤよ。綺麗でしょ!」
と決めつけて威張っている人間が一番ダメです。教師として「原石」を慈しみ、丹誠込めて無心に磨き上げることです。気がつくと、子どもも教師自信も思わぬ輝きを発見することになるのです。これは本当です。学校の場合、個人的な輝きから発展してチームの輝きになることが良くあります。子どもたちの力は、足し算ではなく累乗になっていくように思えるのです。

中体連の思い出

中体連が6月30日からスタートしました。この季節になると夏の暑さと心の熱さと、一種のほろ苦さが重なります。
自分は長い間卓球をやっていました。卓球の経験者なら、直感的に9対7という世にも恐ろしい「魔のカウント」がピンと来ると思います。自分自身、この9対7というカウントに翻弄され、何度辛酸を舐めさせられたかわかりません。
フルセットの末、9対7でリードしたまさにその時、耳元で悪魔が甘くささやきます。
「あと1点取れば楽になれるよ〜〜。」
たいてい悪魔はそこでもう1点をプレゼントしてくれます。これで10対7。あと1点取ればゲームセットだ!その次の瞬間には、チームメイトや応援団の歓声と賞賛を浴びながら自慢げに微笑む自分の勇姿が、フラッシュ撮影のように脳裏をかすめるのです。そこで、またしても悪魔は蠱惑のまなざしを送ります。
「もう勝ったようなものさ。ヒッヒッヒッ〜〜。」
さらに悪魔の名シナリオライターは、みごとな悲劇的クライマックスを演出します。あれよ、あれよと思う間に、相手の奇跡がかったファインプレーで10対9、10対10。そして自分でも信じられないレシーブミスとスマッシュミスを連発して10対12か12対14で敗れるのです。審判のゲームセットの声。ベンチのため息。相手選手の小躍りする歓喜の姿。自分に何が起こったのかもわからぬままに、負けを正確に知らせる得点板を再確認しながら無表情にこうつぶやくのです。
「なぜ、俺はいつもこうなんだ…。」
もうこの場面では、何の叱責の声も慰めの言葉も耳に入りません。自分の死体を自分で眺めているような虚ろな感覚だけが残像として浮かび上がり、やがて静かに消えていきます。
 魔のカウント。これはスポーツの世界に限った話ではありません。たぶん、自分の身のまわりの多くの者が過去に悪魔の誘惑に駆られ、魂を弄ばれた経験をもっているに違いありません。悪魔は心のヒダに隠れ住み、うまくいきそうな時や無事に終盤を向かえそうな時に限って、その狡猾で官能的な姿を現します。そして魅惑的な声でこう囁くのです。「なあに、少しぐらい手を抜いたって何とかなるさ。」「手を抜いているのは、あなただけじゃない。ほらあの人も、この人もみんな怠けている。」「そんなに心配しなさんな。目をつぶっていたって成功するさ。」「ムキになるなよ。楽をしようぜ。人生は時の運さ。」
 魔のカウントがやってきた時に大切なのは“平常心で普通にやること”“いつも通りにやること”だと思います。これは簡単そうで、実は一番むずかしいのです。魔のカウントから逃げようとすれば追いかけられ、執着すれば餌食になる。驕らず高ぶらず心を穏やかに保ち、苦難や試練とさりげなく接して、自分のできることを淡々とやっていくしかないような気がします。いわば「無」の境地に向かうことなのです。

生徒の力は累乗が可能ではないだろうか

 自分が関わった過去の中体連卓球大会(20年間)を思い出すと、絶対に勝てるチームなどは1つもありませでしたが、簡単に負けないだろうなと思うチームは何回かありました。不思議なことに、その特徴は共通しています。
1 全員の力が均衡しており突出したスター選手がいない。
2 スポーツ以外の面においても天才肌と言うより、こつこつ努力型である。どちらかというと不器用で、学校生活は地味である。
3 部員の人数がギリギリで、自分がレギュラーをやらざるを得ない。
4 全員の戦型が異なり(ラケットとラバー)、相対的に攻撃よりも守備を得意とする選手が多い。
 こういうチームで戦ったときには一戦一戦が感動的で、一度も県大会を逃すことはありませんでした。逆に下馬評で「今年は、東海大会は固いですね!」などと騒がれた時に限って3回戦くらいで姿を消してしまうことが多かったように思います。チーム力とは本当に不思議なものです。
 話は変わりますが、我々は公立の小・中学校教員である以上、様々な学校に赴任する可能性があります。都会的な新興住宅地や3世代同居の田舎風の学校、市内屈指の大規模校や単学級の小規模校。そこで出会う子どもたちは実に様々です。中には、見るからに物凄い才能を持った子どももいるかもしれませんが、基本的には今後の活躍が楽しみな「原石」の児童生徒たちです。そもそも若い頃は、自分自身が何者なのか良くわからない「原石」が良いのです。原石は地味で素朴で泥臭く、質素の極みです。たぶんこの文章を読んでくださる方も、若い頃は原石だったと思います。ですから、自分で未熟だとか、何もできないとか、レベルが低いとか、ダメに決まっているとか思ってはいけません。
「俺はダイアモンドだ。凄いだろう!」「私はサファイヤよ。綺麗でしょ!」
と決めつけて威張っている人間の方が心配です。我々教員は「原石」を慈しみ、丹誠込めて無心に磨き上げることが大切です。気がつくと、子どもも教師自身も思わぬ輝きを発見することになるのです。これは本当です。学校の場合、個人的な輝きから発展してチームの輝きになることが良くあります。子どもたちの力は、足し算ではなく累乗になっていくように思えるのです。

自分で判断して決めること 2

 NHK交響楽団の第1コンサートマスター(バイオリニスト)の篠崎史紀さんは、N響の演奏会やソロ活動の合間をぬって、子どもだけで組織する東京ジュニアオーケストラを指導しています。団員は小学生から高校生まで約100人。これは、音楽を一生愛する人を育てることが目的で、けっして音大入試やプロへの架け橋ではないそうです。
篠崎さんは言います。「子どもたちが、何か壁にぶち当たって悩んでいるとき、大人が口や手を出すことはすごく簡単なんだけど、あえて放っておく。ただ、道しるべだけはそっと置いておいて、それを見つけられたかどうか、見ていないふりをしながら見守っていくんです。道しるべというのは、たとえば悩んでいるときに窓が一つ、ぱっと開くような言葉を投げかけることですね。答そのものではなくて、子どもたちが自分自身で良い方向に気づくようなね。」
対談者が、あえて悩ませることが子どもを育てることなのかと質問すると、
「悩んで、悩んで、なぜ自分で答を探すことが大切かと言うと、音楽をやるときは僕であろうと子どもであろうと、舞台に立ったら自分の責任ですべてを遂行しなければならない。誰も代わりができない世界なんです。だから、そこでやるべきことを直感し、持てる力を出し切らなければならない。そのために自分で考え、判断し、答を見つける力を養うことが大事になってくるんです。」
 篠崎さんの話は、何だか学校教育のことを語っているような気がしました。
さらに興味深かったのは、個性のかたまりのような子どもたちを、1つにまとめるのは
大変ではないかという質問に対する篠崎さんの答です。
「ベートーヴェンとかチャイコフスキーとか、みんなで立ち向かうとき、そんな巨人を前にすれば一人一人の個性なんて吹き飛んでしまう。何百年、何百万回も挑戦し続けて、まだ誰も超えることのできない壁に向かっているわけだから。でも、だからこそそれを乗り越えてやろうと、みんなの心が一つになるんです。僕は何の指示をするわけではない。巨人が子どもたちを育ててくれているんです。これは音楽に限らず、どんな分野にも言えるんじゃないかな。」
みんなで立ち向かう巨人とは何か。我々教員が毎年毎年、挑戦し続けていることとは何か。そう考えると、自分の進むべき方向が見えてくるように思えました。

警報解除について

 8時13分、清水町に発令されていた大雨、洪水警報が解除されました。生徒は10時までに登校してください。テストは予定通り5教科行います。まだ、風雨が強くなることもあると思います。周囲の様子に注意をしましょう。

自分で判断して決めること

 本気になって物事に取り組んでいると、必ず壁にぶつかります。偉い人の話や道徳の授業では「逆境を乗り越えてこそ立派な人間になる。」ということになっているのですが、凡人にとってはそう簡単にできるものではありません。今こそ根性を発揮すべき時だというのに、急に弱気になり「困った、無理だ、やめよう。」と逃げてしまうことが多いのです。僕はいつもそうでした。傷つきたくないという保身が無意識に頭をもたげてきます。修行が足りない人間は、絶えず邪念と煩悩に翻弄されているのです。
我々の日常生活は、三種類のものごとによって構成されています。1 やらなければならないこと、2 やってはならないこと、そして3 自分で判断して決めることです。1と2については良いのですが、3については決断に至るまで真剣に悩み続けます。最終的には自分の価値観に基づく判断で決定するわけですが、これがなかなか良い結果に結びつくとは限りません。後になって、やっぱり止めておけば良かったなどと後悔することが結構あります。AかBか、攻めか守りかを決断する時、いつも自分の心の中で、ぎりぎりの攻防が繰り広げられているのです。この攻防を征するには修行を積み重ねるしかありません。
映画「男はつらいよ」の中で、人生について考えさせる名セリフがあります。
荒川の土手に座りながら、大学受験に苦しむ満男が寅次郎に問いかけます。
「ねえおじさん、何で勉強なんかしなければいけないんだ。」
寅次郎はこまったように答えます。
「難しいことを聞くな。おれは学問がないから、何かを決めるときはその時の気分とか、風向きとか、出たサイコロの目で決めるしかない。ところが勉強をしたやつは、自分で物事の道理や善し悪しをきちんと判断して、まちがいのないように決めることができる。だから勉強するんじゃないのか。」
自分で判断すること、自分で決断すること。将来、身につけておきたい1番の「生きる力」は、これではなかろうかと思います。

ドラマのようにいかない現実が人を鍛える

ドラマのようにいかない現実が人を鍛える

もうすぐ中体連がやってきます。この季節になると必ず思い出す言葉と、試合があります。  努力は人を裏切らない
「その通り!」と思う反面、努力=成功=幸福という方程式は成り立たないのではないかと密かに考えてしまうのです。もしかすると(努力+忍耐+挫折)×試練=成功の可能性=幸福感ではなかろうかと感じています。
 僕は若い頃、卓球をやっていました。何度か試合に出ましたが、ほとんどがみじめな敗戦でした。自分の長男も次男もずっと卓球をやっていましたが、両方ともインターハイに出場することはできませんでした。自分の顧問時代は「全国大会出場」を目標に、1年間を通して鬼のように練習しましたが、けっきょく東海大会へも行けませんでした。
今から8年前の平成16年7月31日、この日の映像は時々夢にも出てきます。中体連県大会“卓球男子団体戦”。場所は静岡県武道館メインアリーナでした。予想通り中部の強豪服織中、西部の名門庄内中、そして自分の裾野西中が予選リーグを勝ち抜き浮上してきました。決勝トーナメントの最大の難関は、少年団の多い浜北・北浜中でしたが、ここには辛うじて勝ち、いよいよ東海大会の道が眼前に迫ってきました。
「あと1つ勝てば東海大会だ!」生徒を前に、興奮を隠しきれないミーティングが終わると、次の相手はY中でした。少年団の多いチームでしたが、かつて1度も負けたことはありません。会場は気合いのこもった顧問の声と2階席からの保護者や1・2年生の大声援が和音となって響き渡り、最高の盛り上がりを見せていました。
気がつくと選手の顔は緊張で引きつり紅潮しています。
「なあに、この日のために地獄の練習を積み重ねてきたんだ。負けるわけがない。」僕は早くも、東海大会の要項を見て場所と日付を確認し、バス会社の電話番号を手帳に記入していました。ところが、試合は思わぬ方向に展開し2勝2敗にもつれこんでしまったのです。こうなると最後の5人目で勝負が決まります。5番手は百戦錬磨の選手でしたので心配はしていませんでしたが、思いもよらずフルセットのデュースに持ちこまれ、大苦戦をしいられているのです。
13対13、14対14、14体15 危ない・・・・・。
「何やってんだ。よし、今がチャンス!」しかし、運命のスマッシュは、ネットをかすめコートを外れて空しく落下していきました。
「あっ…」ベンチの部員たちの悲鳴とも絶叫ともつかぬ声が会場に響き渡りました。
この瞬間、東海大会出場の夢も水蒸気のように消え去っていきました。勝利した相手校の歓喜の声と、躍り上がって喜ぶ姿がスローモーションフィルムのように見えました。2階の応援席で見ている保護者は呆然と立ちつくし、後輩の1・2年生も石のように硬直してこちらを見つめています。挨拶を終えた後、6名のレギュラーが僕のそばに駆け寄ってきました。皆、泣いていました。
「先生、すみませんでした・・・。」
数秒後、場内アナウンスが勝負の明暗をはっきりと告げました。
 [準決勝に出場するY中は次のオーダーを提出してください。]
僕は選手にかける言葉をさがしていましたが、見つかりませんでした。
「なあ、高校で卓球やるか。」
「はい、やります。」
皆、努力は人一倍しました。しかし、現実はドラマのようにハッピーエンドには終わりません。部活動は3年間をかけて勝利を目指します。僕も生徒たちも「頑張ったから、それで良い。」だとか「勝負は時の運。」などとは到底思えませんでした。
 中学校を卒業した生徒は、高校ではあまり運動部に入りたがりません。引き続き苦しい日々を経験することは好まないのでしょう。ただ、絶望や挫折をこれでもかと味わった彼らは、再び卓球部に入部していきました。長男も次男も大学で続けました。みんな不完全燃焼の決着がついていなかったからだと思います。僕は転勤して部活動から完全に外れました。しかし、今でも若い時に部活動を「とことんやる」ことが尊く、何ものにも代えがたいことだと信じています。
(努力+忍耐+挫折)×試練=成功の可能性=幸福感
全国レベルの試合に勝つとか、世の中の脚光を浴びるとか、人生の栄光をつかみとるとか、そういう大きな「成功の可能性」はありませんが、何かをとことんやっていると、平凡な日常の中にさえ「幸福感」を味わえる人になれるような気がしてなりません。

第1回メッセージ

 清水中学校に赴任して2ヶ月が経ちました。本校は、1学年7クラスレベルの大きな学校です。伝統校ならではの素晴らしさとともに課題もあります。日々生徒や教職員と接しながら考えたこと、また、自分が常日頃から思っていることなどを織り交ぜながら校長メッセージを発信します。第1回目は、4月に教職員に投げかけた自分の思いから掲載します。

清水中学校が目指すものは何か           平成24年4月 山中敏弘 

1.子どもたちの未来を幸せにするために
21世紀の前半を歩む日本人の目指すべき方向はどこだろう。将来の目標は何だろう。複雑化した社会の中で過去に経験したことのない問題が多発し、その対応策に苦慮して、自信を持って迷わずに前進することが難しくなった。これは混沌とした政治経済だけの問題ではなく、学校教育も同様に混沌としている。教育に求められる課題は累積して肥大化し、人々の願いや価値観は多様化して、人間としてあるべき姿も鮮明に見えなくなってきている。「この方向に一直線に進もう。」という潔い決断がしにくい世の中になってきた。しかし、我々教師は、学校で「未来の日本人」を育てている。この子どもたちが明日の日本を背負い、さらに国際社会のために活躍することを祈りながら教育活動を行うものである。そう考えると、まず「子どもの未来」について夢を抱くのである。
中学校の段階から「未来の日本人」という大きなテーマを掲げるのはオーバーかも知れないが、子どもたちの未来はけっして遠い先の話ではない。かつての勤務校を振り返ると、昨日入学した子どもたちが、今日には卒業式を迎えている。高校受験も就職もあっという間にやってきて、やがて結婚式の写真が載った年賀状が届くのである。人生の基礎を形作る学校生活は、実に短い時間といえよう。小・中学校わずか9年の義務教育の中で、子どもたちに必要な「生きる力」を身に付けさせるためにはどうしたら良いのかということを、もう一度じっくり考え直す必要がある。
2.未来を切り開くためには、何が必要なのか
 豊かな未来を切り開くこと。それは、自分の力で生きていくことの決意であり、社会の一員として生きていくことへの強い認識であると思う。抽象的な言い方をすると「修行」を積むことである。
 1 自分の力で生きること
   自分で考え、自分で行動し、自分自身を律しながら生きることができる
 2 社会の一員として生きること
   自分を取り巻く他の人々、物事、事象とともに生きていくことができる
この1と2は別々に培われるものではなく、双方が常に関わり合い支え合って身に付いていくものである。つまり、自分自身の人生の充実を求めるとともに、自分を取り巻く他者の幸福も考える。自分の想いや考えをしっかりと主張するとともに、他者の意見にも素直に耳を傾け、認めるべきところは認め、尊重すべきところは尊重する。自分と異なる他者の考えがあれば、改めて自分の考えを振り返りさらに自分を高める。
「自分の力で生きること」ができる者は、他者との関係を考えたり自分の行動を振り返ったりすることができるはずだ。そして「自分の力で生きること」ができる者同士が集まれば、互いに相手を理解し合い、個性を尊重し合い「共により良い社会を築いて」いこうとする発展的な推進力を発揮することになると思うのだ。日本の未来を担う子どもたちに「自分の力で生きること」と「社会の一員として生きること」の2つをぜひ身につけさせたい。とりもなおさず、これが清水中学校の学校教育目標「夢の実現に向け、認め合い、高めあう生徒」である。


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