最新更新日:2024/06/07
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昭和10年代の松原町の様子

 現在の松原町には、多くの住宅(約340世帯…平成11年)があり、たくさんの住民の方が住んでいます。しかし、戦前は住宅が少なかったとお聞きしたため、今から70年前ぐらいの松原町の様子について知ってみえる方に、当時の様子をうかがってみました。すると、当時の松原町のほとんどが畑や山であり、家がところどころにあったくらいだったそうです。その他には南山神社、眞教寺(現在はない)、坪井農園(現在はない)があったくらいだそうです。この坪井農園では、主に葡萄や梨や柿などの果物を主に栽培していたそうであり、少年院近くにあった清風学園の生徒が手伝いに来ていたそうです。町内の南の方は主に畑でしたが、現在の緑ケ丘女学園のところは小高い山となっており、「松原山」と呼ばれていたことから、この町内はおそらく「松原町」と呼ばれるようになったのではないかと話してくださいました。町内の北の方の松原町から山手町にかけては山になっており、人家が少なかったそうです。
 また、戦争当時の様子を教えてくださった方もいて、米軍の戦闘機が何度も近くまで来て低空飛行しながら旋回していったことや、この近くでは共栄橋近くに焼夷弾が落とされたことを話してくださいました。この方は当時、水南国民学校(現水南小学校、以前この地区は水野村であったため、この町内の子は水南国民学校に通っていた)への登下校時に米軍の飛行機から鉄砲射撃に遭い、命からがら土手の方へ避難したそうです。
 今では当時の面影がほとんど見られないそうですが、南山神社だけは、松原町の変遷を静かに見守っていたことでしょう。

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