最新更新日:2024/06/13 | |
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☆八幡小の歴史(平成3年度 1)前年度より始まった「八幡っ子の自立をめざす、生活科、社会科・理科の学習指導 −自分とのかかわりで考える体験的学習を通して−」の研究も二年目を迎えました。 学習環境の整備もすすみ、特色ある教育活動が展開されました。 前年度の3月25日からスタートした校舎北館1階東の教室の改修工事は、年度が明けた4月13日に完了し、東の二つの教室を隔てていた壁が撤去されました。これで従来の「第2音楽室」はなくなり、「プレイルーム」の面積が2倍に拡張されました。(写真 1) 5月24日(金)、社会科で歴史の学習をしている6年生は修学旅行で見学予定の「奈良・東大寺の大仏」の実物大の絵を運動場に再現してみました。 当時の八幡小の6年生はダイナミックな学習活動をしていたんですね。(写真 2〜5) ☆八幡小の歴史(平成3年度 2)当時の資料によると、4つの水槽は下記のように、それぞれの目的にあわせて生き物が飼育されていたようです。(写真 2・3) [Aゾーン] 観賞用の美しい鯉 [Bゾーン] 金魚 [Cゾーン] ナマズ、フナ、カワムツ、ニゴイ、カマツカ、ブラックバス、ブルーギル、モツゴ、モロコ、タナゴ、オイカワ、アメリカザリガニ(2年生 生活科用) [Dゾーン] オタマジャクシ、メダカ、稲(5年生 社会科用) いちばん水深の少ないDゾーンに当時は、稲が栽培されていました。社会科で農業について学習する5年生に米の生産の過程を理解させる目的があったようです。写真を撮影したのが夏ごろのようで、手づくりの案山子(かかし)が立てられてスズメのつまみ食い(?)を防止しています。(写真 4) ☆八幡小の歴史(平成3年度 3)10月15日(火)、研究協議会当日の朝です。晴天に恵まれて運動場は来客用の駐車場になりました。(写真 1) 体育館前にはテントが建てられ、参加者の受付ブースとなりました。(写真 2) 当時の記録によると、研究協議会には、来賓(15名)をはじめ、主催者(13)、協力者(33)、校長(89)、一般参加者は、愛知県内の市町村より参加した教職員(184名)、県外(13)、初任者教員など(45)、あわせて392名の参加者があり、協議会が盛大に行われたことがわかります。 協議会運営の舞台裏では、来校者の案内や接待など、PTA役員さん53名の大きな協力があったことも記録されています。 協議会はまず、体育館が全体会の会場となり、2年間の研究実践がスライドショーなどで紹介されました。(写真 3・4) ☆八幡小の歴史(平成3年度 4)授業会場は教室にとどまらず、運動場、学級園、中庭など、校内のいろいろな場所がステージとなり、そこでは子どもたちが活躍しました。 当時、私もこの研究協議会の参加者の一人として授業を参観させていただきました。いつもの保護者参観とはちがい、教育関係者ばかりが見守る状況にあっても、八幡小学校の子どもたちは臆することなく、堂々と意見を発表していたのが印象に残っています。(自分が20年後にこの学校に赴任するなんて、その時は想像もしませんでした!) ☆八幡小の歴史(平成3年度 5)
5年2組・社会科「古くから続く手づくりの工業」の授業風景です。授業を計画した段階で指導者の田辺教諭は陶芸作家のもとで土練りの技法を学んだそうです。
子どもたちは、粘土の塊(かたまり)を練ること(菊ねり、荒ねり)を体験します。そして、自分だけの手づくりの湯飲みを制作しました。(写真 1) 2年2組・生活科「バスにのろう」の授業風景です。 JR東海より本物のバスが中庭までやってきました。事前にそんなこと聞かされていなかった子どもたちはびっくりです。バスの周りから「たくさんのふしぎ」を見つけたり、バスに乗り込んで運転手さんに質問したり・・貸切状態のバスを前に子どもたちは、ワクワクする中で、いろいろなヒミツを知りました。(写真 2・3) 1年3組・生活科「はちまんっこの あき」の授業風景です。 生活科では、虫をつかまえたり、動物とふれあったり、いろいろな実体験をもとに、さまざまな気づきを大切にします。 子どもたちは、秋になって身の回りでみつけた木の葉や木の実をつかって、いろいろな遊びを考えます。 おもちゃやゲームを作る子、楽器にして音を出す子、ブローチや耳飾りなどアクセサリーにする子・・担任の橋本教諭は子どもたちが考えたいろいろな遊びを紹介しました。(写真 4〜6) ☆八幡小の歴史(平成3年度 6)新しい学習活動となる生活科のモデル授業をはじめ、社会科、理科などの特色ある教育活動が写真や作文、新聞などいろいろな形式で表されていました。 アニマルランドで動物とのふれあい(七面鳥を抱くなんて貴重な体験!)や教室でバスの車内を再現して、いろいろな工夫を発見したり・・・ 現在もパネルの多くは教材室に保管されており、このホームページ作成(八幡小の歴史)の貴重な資料となりました。 ☆八幡小の歴史(平成4年度 1)わたしたち教育関係者にとって、この年わすれられないのは、2学期から「学校週5日制」がスタートしたことでした。 週5日制・・といっても現在のようなシステムではなく、毎月第二土曜日だけが休業日となるものでした。 システム導入までに「保護者が仕事のために留守家庭になってしまう場合の子どもの受け皿はどうするのか・・」といった話し合いがもたれて、当面は学校休業日には体育館などの施設を開放して、子どもの居場所をつくるなどの措置をとった学校が多くありました。 校長室に保管されている「学校日誌(平成4)」の9月12日(土)の記事を読むと、「学校週5日制スタート(休業日)、学校開放(午前中) 9名来校」と書かれています。(写真 1・2) 第2土曜の初日は、予想に反して(?)学校で過ごす子は少なかったようです。現代の子どもたちに「むかしは土曜日も授業があったんだよ。」と話したら「え〜〜〜っ!信じられない!」とか「いやだ〜〜」、「う〜〜ん、ざんねん!」などいろいろな反応が見られるかもしれません。 部活動では「サッカーの強豪校 八幡小」が復活したのも平成4年度でした。夏の大会は第3位、冬は堂々の優勝でした。(写真 3〜5) [冬の大会 対戦成績] ・1 回 戦 八幡小 1−0 水南小 ・2 回 戦 八幡小 6−0 品野台小 ・準々決勝 八幡小 1−0 陶原小 ・準 決 勝 八幡小 3−1 幡山東小 ・決 勝 戦 八幡小 2−0 城山小 ☆八幡小の歴史(平成4年度 2)当時の新聞記事を読むと、男子にまじって女子部員もがんばっていたことがわかります。 ☆八幡小の歴史(平成5年度 1)在籍児童数がピークをむかえた昭和59年度(1194名)から、すこしずつ減少がはじまり、とうとうピーク時の半分、600人を割る規模の学校になりました。 八幡小学校音楽部は、これまでに数々のバンドフェスティバルに出場したり、「CBCこども音楽コンクール」で最優秀賞を受賞したりするなどの多くの活躍が認められ、翌年(平成6)に開催される「わかしゃち国体開会式」のファンファーレ隊に選出されました。 5月10日(月)、「国体開会式出演団体委嘱状交付式」が名鉄グランドホテルで行われ、学校を代表して出席した高島校長に委嘱状が授与されました。(写真 1・2) ファンファーレ部門に選出されたのは愛知県下でわずか12校のみ。国体開催が翌年のため、出演できるのは当時の5年生ということになります。瀬戸市内では八幡小の他に幡山西小学校も選出されました。式典用の楽器購入費として両校あわせて312万円が県と市から配分されたそうです。 出演団体として選出された12校のうちの2校に八幡小と幡山西小が選ばれたことから当時の瀬戸市の吹奏楽のレベルの高さがうかがわれます。 7月5日(月)の夕方、式典参加用の新しい楽器が届けられ、さっそくそれを使用した練習が八幡小学校で行われた新聞記事が現在も残っています。(写真 3) 10月14日には、「第30回 全国身体障害者スポーツ大会(ゆめぴっくあいち)」のファンファーレ部門にも選出され、委嘱状が交付されました。 国体開催の前年でありながら、11月には「国体リハーサル大会」にも参加するなど、音楽部員にとっては、いそがしい一年となったようです。 翌年は「開校20周年」を迎えることから、6月10日(木)には全校児童が運動場に並んで「人文字」をつくり、航空写真が撮影されました。その後「開校20周年記念の下敷き」が完成し、児童らに配布されました。(写真 4) 平成5年度は、翌年のイベントにむけた準備であわただしかった年のようです。 ☆八幡小の歴史(平成5年度 2)試合は一進一退の好ゲームとなりました。延長戦になっても決着がつかず、[八幡小 0−0 陶原小]で試合終了となりました! あえてPK合戦は行わず、大会史上でもレアな「両校優勝」となりました。 ・2 回 戦 八幡小 2−1 水野小 ※延長戦 ・準々決勝 八幡小 2−0 原山小 ・準 決 勝 八幡小 2−0 長根小 ・決 勝 戦 八幡小 0−0 陶原小 *引き分け 両校優勝 八幡小は夏冬連覇をめざして「冬の大会」に出場。夢はかないませんでしたが、堂々の第4位になりました。 ☆八幡小の歴史(平成6年度 1)
平成6年度は、開校から20周年を迎え、記念誌「はちまん」が発行されたり、記念文化講演会が開催されたりしました。
新年度の4月、新1年生は2学級となり全校で17学級、児童数は529名でスタートしました。 この年の大きな話題は、八幡小学校・音楽部が「わかしゃち国体」の開会式に小学生のファンファーレ隊として出演することでした。 国体本番まで1週間とせまった10月22日(土)、「炬火リレー」に出場する走者と国体開会式に出演するファンファーレ隊を激励する「壮行会」が体育館で行われました。 はじめに炬火リレーに参加する児童の挨拶が行われ、つづいてピカピカの新しい楽器を手に、内野教諭の指揮により音楽部が演奏を披露しました。(当時は、「完全学校週5日制」ではなく、第2土曜日のみ学校がお休みだったので、この日は授業が行われたんです) またこの日、卒業記念品となる「影ぼうし時計」を設置するための基礎工事が始まりました。 ☆八幡小の歴史(平成6年度 2)瀬戸市では、陶土採掘場で採火された「窯の火」が市内の9区間を代表走者によってリレーされて、ゴール地点である雲興寺まで運ばれました。その後はクルマによる輸送で、隣接する藤岡町へ届けられると、豊田市内から届けられた「車の火」と合火して「産業の火」となり、さらにリレーされました。 八幡小学校の代表児童は、宮前公園から祖母懐公民館までのおよそ0.8キロ区間を走りました。 ☆八幡小の歴史(平成6年度 3)午後1時10分、開会式の準備が完了し、いよいよファンファーレ隊の登場、そして「開式通告」により、選手団の入場が始まりました。 従来の国体の開会式では、社会人や高校生のブラスバンドがファンファーレ隊を担当してきました。小学生で編成されたファンファーレ隊による開式通告はこの「わかしゃち国体」が当時としては史上初だったそうです。 八幡小学校音楽部は幡山西小とともに、前年度の7月から酒井久雄教諭(岡崎市立竜美ヶ丘小)の指導でブロック別合同練習を7回、さらに大会直前には選抜12校170名の全体練習を重ねてのこの日の本番に臨みました。 ☆八幡小の歴史(平成6年度 4)開会式の出演者として、いただいた招待券と入場パスです。(写真 下) ☆八幡小の歴史(平成6年度 5)「影ぼうし時計」もふつうの「日時計」も、影の指す場所で時刻がわかるのは同じですが、「影ぼうし・・」の場合、季節や月によって人の立つ位置を変えなければ正確な時刻を示しません。 8月26日のクリーン大作戦に参加した6年生の男子にモデルになってもらって実験しました。(写真 1〜3) 8月26日なので、「9月」のちょっと前に「かかと」を合わせて立ちます。影の位置を見ると、8時と9時の中間点より、わずかに前にあります。ためしに校舎の時計を見ると「午前9時26分」をさしています。けっこう 正確なんです。(写真 4〜6) 写真 7:平成6年度 影ぼうし時計の設置工事を撮影したもの。 職人さんの作業を興味津々で見つめる八幡っ子たちです。当時は白いタイルに子どもたちの絵が描かれていたことがわかります。 平成24年度・夏休み限定企画の「☆八幡小の歴史」は平成6年度をもって終了です。平成7年度以降の歴史については、沿革誌を調べながらボチボチ紹介していこうと思います。 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 セト ティーチャーズ アカデミー午前の部は、文化ホールで(前)教育長の大澤 義洋氏による「生き抜く力を育むために」と題した講演会が行われました。 大澤氏は、教育長退任後の生活など近況報告や教育長時代の思い出を語った後、現職の教職員、われわれに次の4つのメッセージを伝えられて講演を締めくくられました。 ・初心を忘れないでほしい (教育は流れる水に文字を書くがごとし) ・子どもとともに育つ教師であれ (我以外は、みな師なり) ・教師である前に、人であれ (広い視野をもって、出会いを大切に) ・教師自らが生き抜く力をもってほしい 午後は、瀬戸蔵、文化センター、パルティせと、さくらんぼ学園、南山中学校、西陵小学校、シンシアの丘(介助犬訓練施設)などに会場が分散しての研修会が行われます。 18日(土)の落雷で学んだこと暑さが峠(とうげ)を越えて後退し始めるころという意味があります。『暦便覧』では「陽気とどまりて、初めて退きやまむとすれば也」と説明されてもいます。 朝晩はときどき涼しい風が吹き、空を見上げるとなんとなく秋の気配もただよいます。しかし、日中は・・まだまだ残暑が厳しいですね。 8月18日(土)は全国各地で落雷による事故の報道がありました。瀬戸市内でも「ひょうが降った」という記事が新聞に載りましたね。 この菱野団地の3つの小学校も落雷の影響で、コンピュータや電話、電気回線に被害がでました。 特に原山小学校では、新聞で報道されたように「電信柱に落雷」という事故がありました。子どもの命に関わる事故でなかったことが何よりでした。(写真記事 1) 八幡小学校はインターネット回線がダメージを受けたため、原山小学校へ電子データを送ることができず、先日、USBでデータを持っていく機会に落雷現場を見せてもらいました。(写真 2) 落雷のあった電信柱だけでなく、その横にあった木もダメージを受けたようで、幹(みき)のとちゅうからザックリと裂けていました。(写真 3・4) カミナリは高い物に落ちやすい特性があり、「煙突や高い樹木などの真下は危険度が高い」と言われます。原山小の裂けた木の写真がその証明かもしれません。 新聞記事によれば、木のてっぺんを45度で見上げる範囲内で、なおかつ根元から4メートル以上離れた場所が安全なのだとか・・(写真 5) これまでの「カミナリが鳴ったら木の下へ避難して雨宿りしたほうが良い・・・」というのは誤りで、なるべく低い姿勢を保ちながら、屋内やクルマの中へ逃げ込むのが安全なようです。 出校日 (1)
夏休みも残すところ2週間ほどになりました。
8月20日(月)は出校日でした。昨年は耐震補強工事のために出校日はありませんでしたので、久しぶりの出校日です。 登校してきた子はよく日に焼けている子、家を出るまでにお母さんに髪をしばって飾りをつけてもらって嬉しそうな子など、いろいろな姿が見られました。 出欠をとってみると、旅行や帰国(帰省)、病気などの理由で欠席者は30名ほどいました。 朝の会で健康観察が終わると、まずは「縦割り清掃」のはじまりです。 出校日 (2)今回は、3,4,5年生の学級活動風景を紹介したいと思います。 まずは3年生から・・・ 感想文、標語、ポスター、思い出の絵、習字・・・いろいろな提出物があります。どの学級でも絵画などをまるめた筒を望遠鏡がわりにのぞいたり、メガホンにしておもしろいことを話したりする子がいるものです。 出校日 (3)1組は担任の藤谷教諭から配布された解答プリントをみながら日誌の答え合わせに取り組んでいました。(写真 1) 2組は「夏休みの中間報告」と題して、夏休みの思い出の短作文を書いています。担任の大塚教諭がまわって励ましています。(写真 2) |
瀬戸市立八幡小学校
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