最新更新日:2024/04/26
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いもほりをしたよ(2年生)

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 10月29日、いもほりをしました。畑の場所によって大きさがまちまちに。どの大きさのおイモがおいしいか楽しみです。11月には、各クラスそれぞれ工夫しておイモの料理にチャレンジしていきます。

修学旅行その5

外国の人やタクシーの運転手さんと記念撮影です。
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修学旅行その4

金閣寺や銀閣寺などタクシーに乗って、グループ見学です。
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修学旅行その3

清水寺を参拝し、おみやげを買いました。
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修学旅行その2

清水寺での写真撮影!!
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修学旅行その1

10月13日・14日。京都・奈良方面へ修学旅行に行ってきました。2日間とも天気もよく、たくさんの思い出ができました。
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修学旅行に行きました(その1)

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10月13・14日に6年生は待ちに待った修学旅行へ。朝早く瀬戸市駅に集合し名古屋駅から新幹線で最初の見学地、京都へ行きました。
 子どもたちの関心は、清水寺の音羽の滝、いっぱい願い事をしました。どんな願い事をしたか、おうちでぜひ聞いてあげてください。

2年生は電車に乗って名古屋城に行ってきました

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 10月13日(水),2年生は社会見学で名鉄電車に乗って名古屋城に行ってきました。
 はじめて切符を買う子がほとんどで,中にはどこで切符が売られているのか全く分からない子もいるため,学校で電車の切符の買い方を何度も練習してきました。当日,150名の児童が切符を買うとなると大変な時間がかかるとともに多くのお客さんに迷惑がかかってしまうため,前日クラスごとに往復券を買いに行きました。無事,全員の児童が電車の乗り降りができホッとしました。
 名古屋城では,名古屋おもてなし隊の前田慶次や前田利家に会えました。仕事中とありいっしょに写真を撮ることができませんでしたが,会えてうれしかったのは子どもたちだけではなかったようです。4組は,なんと、はち丸君に出会うことができ,いっしょに記念撮影を行うことができできました。

東山小学校(今昔物語2)

 東山小学校は,效範小学校の分校として,昭和47年(1972年)に創設されました。瀬戸市の西部に位置する小学校で,鴨ケ池を埋め立てて建設されました。(しかし,開校当時,池の一部は校舎横,運動場南などに残っていたそうです。)開校当初の運動場で運動場らしい所は校舎側の北半分で南の方は池だったそうです。そのため,体育時などボールがすぐ池に落ちてしまい困っていたそうです。また雨が降り続いたときは足がとられるほど,運動場がぬかるんでいたそうです。学校外においても山手町の方からの通学路は勾配が急で登下校が大変だったそうですが,昭和48年頃,手すりが造られ安全に登下校できるようになったそうです。このころ,花づくり(FBC)にも力を入れ,多くの表彰をうけていたそうです。以前,東山小学校は,現在よりも,自然が豊かだったため,校庭にタヌキやイタチが顔を出していたそうです。平成元年には子ダヌキ(ぽん太と命名)が迷い込み,テレビ出演もしたそうです。
 開校当初はまだ施設が充分整っていませんでしたが,昭和52年に体育館,昭和56年には待望のプールが完成しました。とくにそれまでは,共栄プールや市民公園のプールに全校で出かけて行ったそうです。暑い中を一年生などは,行きは元気でしたが,帰りはぐったりしていたそうです。 その後,平成9・10年には,運動場改修,プールの移転改築が行われました。そのため運動場が広くなり,校地南の道路も造られ,交通の便がよくなりましたが,校舎横の鴨ケ池は埋め立てられたそうです。(しかし,このころ,現在の鴨ケ池が,学校と元UFJグランドの間に造られたそうです。) また,このころより,東山小学校は環境教育の一貫としてエコプログラムに取り組むようになりました。どんぐりの植樹,エコテント作り,エコデイキャンプ,エコパン作りなど様々な自然とのふれあい活動を通して,現在でも,心身ともに健やかな児童の育成を行っています。
 開校時より学区内が大きく変わってしまいましたが,地域の発展とともに,現在も東山小学校はさらなる発展を遂げています。

「↓開校10周年を迎えた東山小学校(昭和56年)
(現在とは運動場の形やプールの位置が違っています。)」
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瀬戸球場(東山小 今昔物語1)

「元UFJ銀行瀬戸総合運動場(現ガーデンヒルズ瀬戸東山)にあった瀬戸球場」

 東山町に元UFJ銀行瀬戸総合運動場(現ガーデンヒルズ瀬戸東山)がありました。そこからは輝かしい成績をおさめた多くの陸上選手が巣立っていきました。そこでそのグランドのある場所の昔を調べてみました。古くはこの地は鴨ケ洞池下池として、農業用の溜め池として使われており、その名残りとして現在でも水路は少し違いますが、池から田畑へ水を流していたと思われる川(勘右衛門川)がグランドの南にあります。
 昭和5年には瀬戸で唯一の大きな球場「瀬戸球場」がこの地に造られました。この球場は昭和18年頃まであり、ここではさまざまな活動が行われました。そのうちのいくつかを紹介すると、まず、球場のこけら落としには、三田・稲門戦(現早慶戦)が行われ数千人の観衆が、当時最高のプレーを楽しみました。また、当時の瀬戸の学校は、運動場が狭いところもあったため、そういう学校の子どもたちに思いきり運動をさせようと、昭和7年よりこの球場に市内の全学校の子どもたちがこの地に集まり「合同運動会」が行われていました。その他、市内の産業報国会が一堂に会し、連合運動会を行っていたそうです。
 その後、この場所に、「尾張時計」という工場が建てられたそうです。
 終戦後、この工場も諸事情により、この場所からなくなってしまい、そのあと、この地は東海銀行(現UFJ銀行)のものとなり、UFJ銀行グランドになりました。しかし、現在ではこのグランドもなくなり、ガーデンヒルズ瀬戸東山という住宅街に生まれ変わりました。
「↓瀬戸球場(現ガーデンヒルズ瀬戸東山)で行われていた合同運動会のようす」

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瀬戸市立東山小学校
〒489-0988
愛知県瀬戸市東山町71番地
TEL:0561-21-2801
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