最新更新日:2024/05/18 | |
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社会科のつぶやき『自分をコントロールする』生徒の過ごし方もさまざまでした。自宅で一生懸命学習に取り組む生徒、自宅前でサッカーのトレーニングに励む生徒、犬の散歩に出かける生徒。いろいろと制限のある中で、できることに取り組んでいる様子でした。長引く休校による心身の不安も大きいと思います。今日は、不安を最小限にできる自宅の過ごし方を科学的に考えてみたいと思います。 少し前、ラグビーの五郎丸選手が、キック前に必ず同じ動きをすることに注目が集まりました。『ルーティン』といって、同じ動きをすることで精神が安定し、普段通りの成果を発揮しやすいということが、科学的にも証明されているようです。この『ルーティン』は、今やスポーツの世界では常識になりつつあるようです。 これを、休校中の生活に生かしてみるのはどうでしょうか。不安感を解消するために、一日のうち、何か一つ、同じ時間に、同じことをしてみる。家事、学習、運動、出来ることからでよいのです。『ルーティン』が習慣化すれば、少しずつ増やしていけば、より効果的になりと思います。そうして、生活のリズムを安定させることが、学校再開時にも有効だと思います。自分で自分をコントロールできる。こういったことも、中学生として身に付けてほしい力の一つだと考えています。 桜が散り、新緑が芽吹き始めました。確実に季節はうつりかわっています。来たるべき日のために、今、できることを始めていきましょう。 社会科のつぶやき『10億人を救った日本人』さて前回は、災害の歴史を紹介しました。今日は、『世界に感動をあたえた日本人・下(評論社)』より、10億人以上の人々を失明の危機から救った日本人の話を紹介します。 今から50年ほど前、微生物の研究に没頭した日本人がいました。その名は大村智(おおむらさとし)さん。土の中の微生物が持つ働きに魅せられ、研究に没頭した日本人です。大村さんは、ゴルフ場で採取した土の中にいる微生物が、家畜の寄生虫を殺す働きをもつ化学物質を作っていることを発見。この化学物質が、アフリカを中心に流行し、かかると失明する寄生虫の病「オンコセルカ症」の予防にも応用できることを発見し、ワクチンを開発しました。これらの功績が認められ、大村さんは2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞します。 日本には、明治時代以降、西洋医学が発達し、感染症の研究も進みました。現行の紙幣にもなっている野口英世や、次の紙幣で肖像画が描かれる北里柴三郎も、医学の分野で大きな功績を残した日本人です。今流行している感染症も、いつか誰かの手によって、ワクチンが開発され、多くの人の命を救う日がくるのかもしれません。今、この瞬間だって、そのために研究を続けている人もたくさんいることと思います。 想いは一つです。この感染症によって命を落とす人がゼロになる日が早く来ますように。 そのために、今、できることから始めていきましょう。 社会科のつぶやき『昔の人にとって、伝染病とは?』現代は、病気を引き起こす原因を明らかにし、さまざまな方法で治療を行うことができる世の中になりましたが、このような医学が広く普及したのは、江戸時代以降だと言われています。では、それ以前の日本では、感染症をどう考えていたのでしょうか。 昔の人々は、病気は人間を超越した力がもたらす災いと考えていました。俗にいう「悪霊」です。「悪霊」というのは、病気や不幸をもたらす怨霊を指し、世の中にうらみをもったまま死んでいった人などがそれにあたると考えられていました。生きているうちには果たせなかった仕打ちを、災いとしてもたらすと考えれば、きっと納得できたのでしょう。したがって、それらの「悪霊」をしずめることができれば、その災いから逃れられるわけです。 日本には古くから伝わる「祭り」がたくさんありますが、「悪霊を追い払う」ことを目的に行われたものもあったようです。有名なものの一つに、京都の「祇園祭」があります。現在では日本三大祭りの一つとされ、盛大に行われる「祇園祭」ですが、「病気」という、人間の力ではどうすることもできなかったものをしずめるために神様に頼ったのは、当然のことと推測されますね。 今でも、日本には固有の祭りや行事があります。それらの多くは、人々の不安を和らげ、幸せを願う人々の思いから始まったものばかりです。病気の流行や大災害が起きた時に、人々が不安になるのは今も昔も変わりません。大切なのは、その時、どう行動するかです。 歴史は暗記科目だとよく言われますが、歴史は、そのまま人生の生きる知恵になります。ピンチにどう向き合ったのか、それがもたらした結果は何か。同じ結果を望むなら、その通りに行動すればいい。しかし、過去と同じ結果を避けたいならば、どう行動すべきか。今直面しているピンチとの向き合い方を歴史は教えてくれます。 私たちが今こうして生きていられるのは、私たちの祖先がピンチを何度も乗り越えてきたからです。だから、私たちもきっとこのピンチを乗り越えられるはず。そう信じて、今できることを始めていきましょう。 次回は、感染症の研究に関する歴史を紹介していきます。 社会科のつぶやき『広がった西洋医学』さて、昨日に引き続き、日本で感染症が広がった歴史を掘り下げてみようと思います。今日の話は「データが語る日本の歴史(歴史教育者協議会)」を参考にしました。 江戸時代は長い間、鎖国が続きましたが、18世紀末になると、ヨーロッパから医学が伝わります。いわゆる「西洋医学」です。それまでの日本は、薬草を中心とした「東洋医学」による治療法が中心でした。この「西洋医学」の普及を後押ししたのが、杉田玄白などがまとめた「解体新書」です。より正確な人体の内部について、丁寧に日本語で説明した書物は、人々に「西洋医学」の知らしめるきっかけとなりました。その影響もあり、前回紹介した天然痘の治療法も日本に広がっていきました。 しかし、19世紀に入ると、外国船が日本近海へたびたび現れ、交易などを求めて接近するようになります。その頃から、また別の感染症が国内で流行し始めます。「コレラ」です。この病気は、「コレラ菌」に汚染された水や食物を通して伝染するもので、激しい下痢や高熱となり、場合によっては死に至りました。当時、100万人ほどが生活していた江戸では、多い時に1年で3〜4万人の死者が出たという記録もあります。当時、特効薬も治療法もまだ解明されていない「不治の病」に人々は恐れを抱きました。 この「コレラ菌」は、1883年にドイツの細菌学者コッホによって明らかにされましたが、正体不明の病に対し、ひたすら「隔離」「消毒」しかありませんでした。「外国から故意に菌が持ち込まれた」などというデマも出回り、社会は大きく混乱したようです。 いつの時代も、人間は不安が大きくなると、物事を良くない方向に考えがちです。もちろん、最悪の備えは必要かもしれませんが、自分自身が持っている情報が本当に正確なものなのか、周囲に流されてしまってはいないだろうか、自分を客観的に見ることが重要です。あらゆる情報が得られる現代だからこそ、情報の正確性を見極める「情報リテラシー」を身に付けていきたいものです。 次回は、感染症を克服しようとした昔の人々の営みについて紹介したいと思います。 社会科のつぶやき『感染症はいつから広がった?』学校の図書館には、1万を超える本があります。何か関係ありそうな本があるかなぁ…と探していると、ありました。タイトルは『知らされなかった恐ろしい出来事!(岩崎書店)』読むのにちょっとためらってしまいそうですが、この本によると、日本で最初の感染症は「天然痘」とよばれた病気とされています。6世紀といえば、仏教伝来の時代です。朝鮮半島から伝わったとされるこの病気は、民衆だけではなく、権力者の間にも次々と広がっていきました。現代のように、病の原因や対策方法を知る由もなかった当時の人々は、命を奪う病をさぞかし恐ろしく感じたことでしょう。 それでは、当時の人々はどのようにこの危機を乗り越えようとしたのでしょうか。 8世紀の流行期とちょうど同じころ、自然災害も多発します。人々の不安が増大する中で国家の安寧を願って動いたのが、聖武天皇でした。奈良に大仏を建立し、全国各地に国分寺と国分尼寺を造るよう命じ、仏教の力に救いを求めたのです。 現代では、医療技術や情報通信が発達し、病の正体や対処法を瞬時に知ることができます。これは、長い歴史から見たら、文明の発達のおかげではないでしょうか。だからこそ、今やれるべき最善の方法を、皆がやることで、少しでも収束させられるはずです。一人一人の行動が世界を変えていきます。まずは「手洗い・うがい・接触回避」を徹底していきましょう。 明日は、江戸時代に流行した感染症について紹介したいと思います。 |
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