最新更新日:2024/04/26
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校訓「正しく 明るく 健やかに」

1学期終業式 式辞

 明日の終業式は,台風の影響で行えるかどうか分かりませんので,「学校だより」に式辞を載せました。
 早いもので,4月に1年生が入学し,始業式を行ってから,すでに4ヶ月が過ぎました。そこで,4ヶ月前から今までのことを,少し思い出してみてください。
 あの頃は,まだ肌寒い日もありました。また,国道から校門までの坂には桜も咲いていました。その桜もやがて散り,木々に新芽が息吹く頃,日増しに暖かくなり,多くの人が新しい学年や学級にも慣れ,学校生活が順調に進み始めました。そして,1学期のメインの行事の一つである,校外学習や野外活動,修学旅行が行われました。事前の準備から本番,事後のまとめまで,品中の皆さんは本当によく頑張り,多くの成果を残したと思っています。もちろん,失敗をしてしまったこともあったでしょう。しかし,その失敗も,皆さんの成長のためには必要なこと。その失敗をどう生かすかが大切です。
 今日は,担任の先生から通知表が渡されたと思います。この通知表には,皆さん一人一人の今学期における学習や生活など,様々な面からの評価が載っています。特に,総合所見には,各担任の先生の皆さんに対する思いがたくさん詰まっています。通知表の内容をきちんと受け止め,良かった点と努力を要する点を理解し,今後に是非とも生かして欲しいと思います。
 さて,21日からいよいよ夏休みが始まります。私が最も強く願うのは,全員が元気に9月を迎えることです。毎年夏休みには,全国各地から痛ましい水の事故が報告されます。また,交通事故も多発します。熱中症や食中毒などの病気も心配されます。あるいは犯罪に巻き込まれることもあります。こういった事故や病気,事件には十分注意して欲しいと思います。ましてや,決して命に関わるようなことがあってはなりません。どんな理由があろうと,命をなくしてはならないのです。健康・安全を大前提として夏休みを過ごして欲しいと強く願っています。
 夏休みは,40日以上あります。しかも,その期間は,自分で自由に使える時間が非常にたくさんあります。1学期など,休み以外の日は,毎朝決まった時刻までに登校し,決められたスケジュールに沿って学習したり部活動をしたりします。ですから,自分で自由に使える時間はそれほどありません。しかし,夏休みはそうではない。自由な時間があるということは,その使い方がその人に任されているということです。自由でいいなと思っている人も多いでしょうが,これは実に厳しいことです。しかも期間が長い分,時間の使い方が,上手な人とそうでない人とでは,夏休みが終わった後の充実度がかなり違ってきます。ですから,夏休みは自分を試す,あるいは自分が試されるときだと言えます。時間を上手に使い,適度な息抜きをしながら,充実した夏休みにするよう,是非とも頑張って欲しいと思います。
 では,9月に,元気な皆さんと会えることを願いつつ,式辞とします。

迷ったら,より困難な道を選ぶ

 今日の集会では,昔懐かしいアニメ「巨人の星」やワールドカップサッカー日本代表でキャプテンを務めた長谷部選手のことを元に話をしました。

 タチアオイという花があります。1mぐらいの高さの茎がすっと伸び,その周りにピンクの花を咲かせます。タチアオイの花が茎の先まで咲いたとき,梅雨が明けると言われています。私の家の近くにこの花がありますが,今日見たところ,ずいぶん下からたくさん花が咲いていました。先の方につぼみが2〜3個残っていましたので,梅雨明けまでまだ少し時間がかかるようですが,もう少しといったところでしょうか。
 さて,「巨人の星」という漫画のことは知っているでしょうか。今から40年以上も昔に,「週刊少年マガジン」という漫画雑誌に連載された野球漫画です。「巨人の星」はテレビアニメ化もされ,私も毎週熱心に観ていました。この物語は,主人公の星飛雄馬(ほし ひゅうま)が,巨人(ジャイアンツ)の元三塁手であった父親から野球(ピッチャー)の英才教育を受け,巨人に入団後,大リーグボールを武器に戦うという,スポーツ根性野球物語です。大リーグボールというのは,飛雄馬が編み出した魔球のことで,これは第1号から3号まであります。1号はバッターの持つバットをねらって投球し,ピッチャーゴロやキャッチャーゴロに仕留めるものです。2号は消える魔球とも言われ,大きく変化させたボールが巻き起こす砂埃に紛れて,投球したボールがバッターの目の前で消えるというものです。3号はバットスイングの勢いでボールがバットを避け,空振りを取るといったものです。このような魔球を編み出すまでに成長した飛雄馬は,子どもの頃に,父親からかなりのスパルタ教育を受けました。そんな頃のエピソードの一つとして,次のような話があります。
 飛雄馬は毎日決まった道をランニングしていましたが,ある日,いつものコースが工事中で通行止めになっていました。他に通れる道は二つ。片方は走るのがきつい道で,もう一方は楽な道。飛雄馬は,どちらの道を走ろうか迷いますが,最終的には楽な方の道を走ります。しばらく走っていくと,そこには父の姿がありました。すると,飛雄馬はいきなり父から鉄拳をもらいます。そして,「これからは二度と楽な方の道を選ぶではない!」と怒鳴られます。「巨人の星」には,多くの名場面がありますが,なぜか私はこの場面が心に残っています。
 ワールドカップサッカー日本代表でキャプテンを務めた長谷部選手が,その著書の中で,今の自分があるのは,迷ったときに困難な道を選んだからだ,という意味のことを言っています。彼はこれまでに3度の大きな分岐点を迎えています。最初は高校に入るとき。次が高校を卒業するとき。そして3度目が海外のチームに移籍するとき。長谷部選手はその都度困難な道を選び,そこで努力を重ね,現在があるそうです。また,迷ったときに,どちらの道が自分にとって得るものがより大きいか,といったことも考えると言っています。
 人生の分岐点とも言うべき大きな選択だけではなく,日々の何気ない場面でも,小さな選択をすることはよくあります。例えば,もう少しテレビを観ていたい,しかし,勉強もしなくてはならない。そんなとき,どちらを選ぶでしょうか。あるいは部活動の練習中,全力で力を出し切らなければならないとき,ふと力を抜いてしまいたいと思ったことはないでしょうか。そんなとき,どうしますか。
 考えてみれば,人が毎日生活するということは,人生を左右するかも知れない大きな選択から,何気ない小さな選択まで,様々な選択を繰り返すことだと思います。その都度どちらを選ぶのか,その積み重ねが人格を形成していきます。「迷ったら,より困難な道を選ぶ」ことによって得られるものは大きいはずです。しかし,「困難な道」を選ぶことによって,大きな病気やけがにつながる「危険」を伴うことがあります。そんなリスクを負うことは,自分にとって得るものが大きいどころか,かえって失うものの方が大きいこともあります。こんなことも頭に置きながら,迷ったときにどういった道を選ぶのか,よく考えながら進んでいって欲しいと思います。

当たり前のことが当たり前にできる

 今日の集会では,「当たり前のことが当たり前にできる」ことについて話をしました。

 先日,2年生の野外活動が佐久島で行われました。私自身,個人的に佐久島に行ったことがなく,もちろん,野外活動の引率として行ったこともありませんでしたから,とても楽しみでした。佐久島は,三河湾に浮かぶ島です。ですから瀬戸とはずいぶん違います。見える風景や聞こえる音,においまでも違います。コンビニがなく,信号さえもありません。そんな中での3日間の生活はとても貴重で,瀬戸では味わえないいろいろな経験をしたと思います。野外活動から帰ってきてから,学校で解散式を行いました。野外活動の準備や練習,本番での取り組みを,中心となって頑張ったのが学年執行部の生徒たちです。解散式の中で,その生徒たちが一人一人感想を述べました。その中で,「みんながルールを守れて良かった」というものがたくさんありました。みんながルールを守れた,ということは素晴らしいです。また,そのことに価値を見いだした人たちも素晴らしいと思います。
 修学旅行では,誰一人集合時刻に遅れた人はいませんでした。また,野外活動では,みんながルールを守れました。素晴らしいことです。しかし,よくよく考えてみると,これは,実は当たり前のことです。時間を守ったりルールを守ったりするのは,人が社会生活を営むうえで,最も大切なことの一つです。ところが,この当たり前のことが当たり前にできないことが実に多い。
 以前,ディズニーランドで営業や従業員の研修の仕事をしてみえる方から話を聞く機会がありました。ディズニーランドの従業員の多くはアルバイトです。アルバイトの人たちをお客さんの前に出られるようにするために,長期間の研修が行われるそうです。ディズニーランドの魅力の一つに,従業員の接客態度の素晴らしさがあります。あの態度やサービス精神を身につけるためには,かなり多くの時間がかかることは容易に想像できます。しかし,どれだけ時間をかけても,どれだけ一生懸命指導しても,どうしてもお客さんの前に出せない人がいるそうです。そして,そういった人たちの共通点は,人の話をきちんと聞く,あいさつをする,呼ばれたら返事をする,こういった「当たり前のこと」ができないそうです。理由を明確に答えることはできませんが,何となく分かるような気がします。
 ところで,「当たり前のこと」とはいったいどのようなことでしょうか。いわゆる「常識」,ということなのでしょうか。いずれにしても,これは時代によって変わると思います。例えば,修学旅行の服装に関しても,以前は制服で行くのが当たり前でした。しかし,今は品野中のように私服で行く学校もかなりあります。また,戦時中と現在とでは「当たり前のこと」は大きく違います。
 時代とともに変わっていく「当たり前のこと」。しかし,いつの時代でも大切にしなければならないこと,変わってはいけないことはあるはずです。それを「当たり前」と常に言えるような世の中であって欲しい。そして,そんな「当たり前のこと」が当たり前にできる人でありたい。

修学旅行

 本校では2週間前に修学旅行に行ってきました。今日の集会では,修学旅行で印象に残ったことを中心に話をしました。

 2年生は明日から野外活動で佐久島に行きます。島ならではの環境の中,瀬戸では,また,普段の学校生活では経験できないようなことをたくさん経験し,いろいろなことを感じ,そして,多くのことを学んできて欲しいと思っています。
 さて,先日3年生は修学旅行に行ってきました。例年は東京方面に行くわけですが,今年は震災の影響で神戸・大阪方面への旅行でした。私も何度か修学旅行を引率しましたが,関西への修学旅行は初めてでした。また,品野中での修学旅行も初めてです。ですから,関西はどのようなところなのか,そして,品野中の3年生は旅先でどのような姿を見せてくれるのか,非常に楽しみで,わくわくしていました。
 今回の修学旅行を一言で表すなら「とてもよかった」。これに尽きます。多少体調を崩した生徒も若干いたようですが,大きな病気やけが,事故などはなく,全員無事に帰ってくることができました。これが何よりでした。これはやはり,生徒たちが落ち着いた行動を取り,夜は十分睡眠を取ったからだと思っています。また,いろいろな場所を訪問し,活動しましたが,どの場所でもみんなよくマナーを守り,一般の方など,周りに迷惑をかけることもなかったようです。しかも,活き活きとした表情が随所でみられ,いい経験をしているのだと感じることができました。もちろん,失敗してしかられたり指導されたりした生徒もいました。しかし,失敗から学ぶことが大切で,失敗してしまった生徒は,二度と同じことを繰り返さないと信じています。
 そして,私が最も感心したことは,すべての生徒が決められた集合時刻を守ることができた点です。修学旅行では,移動中のトイレ休憩も含め,何度も集合と解散を繰り返します。その都度集合時刻が決められていますが,いずれも全員が集合時刻を守ることができたのです。これはすごいことです。これまでに私も何度か修学旅行の引率をしましたが,全員がすべての場面で集合時刻を守ったという経験はありません。たった1回だけ守れなかったとか,ほんの数名だけが遅れてきたということは何度もありましたが,全員がすべての場面で,ということはありませんでした。ですから,今回の経験は衝撃的とさえ思っています。
 たった一人でも時間を守れない人がいると,その他の人は待っていなければなりません。遅れた人はその分の時間を奪っていると言っても過言ではないでしょう。ですから,時間は,全員が守ることに意味があるのです。
 もう一つ,是非とも紹介しておきたいことがあります。今回の修学旅行では,宿泊先のホテルでゴミは一切残さないという約束を決めました。しかし,ホテルのご好意により,ペットボトルは部屋に残しておき,片づけていただけることになりました。ある部屋の生徒たちは,1枚の紙に「片づけてくれてありがとうございます」という意味のことを書いて部屋に残しておいたそうです。これはとてもすてきなことだと思いませんか。私は,この生徒たちがどうしてこのようなことができたのだろうかと考えました。おそらく,片づけてくださる人の気持ちを考えたのではないか,そして,自分たちの感謝の気持ちを伝えたいと思ったのではないか,このように想像しました。うれしかったのは,自分たちの全く知らない人に対して感謝の気持ちを持ち,それを伝えようとした生徒の心です。
 品野中の3年生には,こんなすてきな生徒がいます。そして,時間をきちんと守ろうとする生徒ばかりです。改めて品野中を誇りに思いました。
 現在3年生は修学旅行のまとめを作成中です。修学旅行を通してどのような経験をし,何を見て何を感じたのか。そして学んだのか。まとめを見るのが楽しみです。

出会いは偶然,別れは必然

 本校に,30日(月)から2名の教育実習生が来ました。昨日の集会では,そのことに関わった話をしました。

 昨日から本校に2名の教育実習生が来ました。1名は2週間の実習です。1年1組に配属され,1年生と2年生の国語の授業を受け持ちます。もう1名は3週間です。1年3組に配属され,1年生の音楽を受け持ちます。それぞれの配属学級では,STや道徳,給食,清掃活動などを受け持ち,指導したり生徒の皆さんと共に活動したりします。二人とも現役の大学生で,教員を目指しています。この実習を通して,いろいろなことを学ぶために,一生懸命やってくれると思います。生徒の皆さんも,この二人から多くのことを学んで欲しいと思っています。
 さて,タイトルの言葉ですが,「偶然」とは,思いがけずたまたま起こるという意味で,「必然」とは,必ず起こるという意味ですから,出会いは思いがけずたまたま起こり,別れは必ず訪れる,ということを表しています。
 例えば,生徒の皆さんと私が品野中で出会ったのは,いくつもの偶然が重なった結果なのです。出会いは,その人たちが同じ時間に同じ場所にいないと成立しません。もしも生徒の皆さんが品野中に通っていなければ,私との出会いはなかったはずです。しかも今の時期にです。この出会いは,よく考えるととても不思議です。広い地球の上で,皆さんは,たまたま日本で生活しています。また,日本の中でも,愛知県の瀬戸市,しかも品野の学区で生活しています。日本に生まれたとしても,それが北海道だったかも知れない。あるいは瀬戸の品野の学区で生活していたとしても,それが5年ぐらい前に中学生だったとしたら,私との出会いはありませんでした。また,私が今年度,品野中に赴任したからこそ,この出会いはありました。それが品野中ではなかったり,3年ぐらい前だったりすれば,やはりこの出会いはなかったはずです。
 このように,多くの偶然が重なって出会いがあるのです。
 ただ,世の中には偶然とは思えないような出会いがあることも確かです。いわゆる運命的な出会いというものです。ですから,出会いは偶然を装ってやってくる,と考えることもできそうです。この辺りはその人の考え方によるのではないでしょうか。
 一方,別れは必ず訪れます。それは卒業であったり転校であったり,あるいはもっと別な理由であったり。いずれにしても,別れは必ず訪れます。ですから,出会ってから別れるまでの限られた時間を大切にして欲しい。この時間の中で,よりよい人間関係を作って欲しい。こんなことを思います。

テスト

 先週の月曜と火曜に中間テストを行いました。本日の集会では,テストについての話をしました。

 先週中間テストが行われました。今年度最初の定期テストでした。1年生にとっては初めての経験です。品野中では年間5回の定期テストがあります。3年生は定期テストの間に何回か実力テストがあります。
 今回のテストで,その結果に対して喜んだ生徒もいたでしょうが,逆に残念な思いをした生徒もいたことと思います。
 さて,このテストですが,実施する目的はいくつかあります。一つはテストを実施する時点での学力を確かめるということ。そして,その結果は成績をつけるときの重要な資料となります。だからこそ生徒の皆さんが結果に強い関心を持つことも大変よく分かります。
 目的はそれだけではありません。テストを受けることを通して学力を身につけるという最も大切な目的があります。中学校では,各学年で身につけるべき学習内容が定められています。これはかなり膨大な量です。これを一度に身につけようとしてもそれは無理な話。毎日の授業や家庭での学習を通して少しずつ身につけていきます。そして,その節目となるものが年に5回あるテストです。いわば小さな目標です。これらを一つずつ確実にこなしていくことが,1年をかけて身につけるべき膨大な量の学習内容を身につけることにつながります。生徒の皆さんは,テストに向けて勉強すると思いますが,それによって,これまでに学習した内容を振り返り,不十分な点は補い,十分な点はさらに深めたり広げたりします。しっかりと準備をしておけば,テストを受けることが楽しみになります。テスト後は,得点よりも問題の出来具合に注目し,間違った箇所を見直し,二度と同じ間違いをしないようにしておきます。このようにしてテストに臨むことによって,自分の学力を高め,身につけていくのです。ですから,テストに向けて何も準備をしないで受けたり,テスト後は結果にのみ関心が向き,何もしなかったりすると,学力を高め,身につける機会を自ら放棄しているようなものです。また,実力テストは自分の実力を試すためのものだから,特別な準備をしない方がよいと考える人がいます。しかし,実力テストも,学力を高め,身につけるチャンスですから,この機会も是非,活かして欲しいと思います。
 テストでは,結果だけに価値を求めるのではなく,そこに至るまでの過程に価値を見出し,そこで努力する姿勢を持ち続けて欲しいと思います。こういった姿勢は,何もテストに限ったことではなく,人が成長するためには非常に大切です。是非とも身につけて欲しいと願っています。
 勉強は,自転車に乗れるように練習することやダイエットとよく似ています。勉強,自転車の練習,ダイエット,これらの共通点は,努力の結果がすぐには現れない,ということです。例えば自転車の練習ですが,今日1時間練習したから10m進めた。明日また1時間練習すれば20m進めるようになる,というものではありません。練習を繰り返しても,なかなか乗れるようにはならない。しかし,練習していくうちに,ある日突然乗れるようになる。自転車の練習とは,こういうものではないでしょうか。一生懸命練習しても乗れない期間があるからこそ,ある日突然乗れるようになるのです。成果がすぐに現れないからと言って練習をやめてしまえば,自転車に乗れるようにはなりません。ダイエットも,運動や食事への配慮をしてもなかなか体重は減りません。しかし,これを繰り返すことによって,ある日突然減り始めます。
 結果がすぐには現れなくても,努力を継続することによっていつかは必ず結果が出る。これが勉強です。結果がすぐには出なくても,力は密かに蓄積されているのです。それがいつかは花開くときがくる。それを信じてがんばって欲しいものです。

雨が降ると・・・・・

 昨日の集会では,言葉遊びをやってみました。

 先週の集会での講話で,「風が吹くと桶屋が儲かる」という日本の古いことわざについて話しました。そのときに,原因と結果を上手につないでいく言葉遊びをしてみるのもおもしろいのではないでしょうか,という話もしました。生徒の皆さんの中に,実際にそういった言葉遊びをした人はいなかったようです。そこで,今回の集会では「雨が降ると」をスタートに,原因と結果をつないでいくことにしました。結果を考えるのは全員ですが,発言するのは一人です。その発言を次の原因とし,また全員で結果を考え,一人に発言してもらう。これを繰り返したところ,次のような結果になりました。
1 雨が降ると洪水が起こる。
2 洪水が起こると木が倒れ,木が減る。
3 木が減ると鉛筆ができなくなる。
4 鉛筆ができなくなると字が書けなくなる。
5 字が書けなくなると勉強ができなくなる。
6 勉強ができなくなると頭が悪くなる。

 つまり「雨が降ると頭が悪くなる」ということです。これだと世界中の雨の降る地域では,みんな頭が悪いということになります(笑)。1から6までの内容を見てみると,もちろん突っ込みどころはありますが,なんとなく納得できそうです。ところがそれらをつないでいくと妙な結果になってしまい,とても興味深いです。
 一つの言葉から,人はいろいろなイメージを持ったり考えたりします。その内容は,その人のこれまでの経験や知識が元になっており,人それぞれです。いずれにしても,一つの言葉は人にイメージを持たせたり考えさせたりしますから,そこに言葉の持つ力を感じます。言葉によって,人は楽しい気持ちになることもあるし,暗い気持ちになることもあります。思いやりや温かみを感じることもあれば意地悪や冷たさを感じることもあります。人によい影響を与えるような言葉を使いたいものです。
 先日,こんなことがありました。
 「ちょっといい話 H23 4/20」でお伝えした黄色い帽子の話ですが,この出来事を手紙で知らせてくださった方に礼状を出しました。数日後,その方から電話がありました。その内容は「わざわざ礼状をいただいてありがとうございました」というものですが,実は電話で直接話したわけではなく,伝言として聞きました。電話をいただいたとき,私は学校にいて,電話にはすぐにでられる状況でしたが,その方が「伝言で」とおっしゃったようです。そのことに思いやりを感じました。電話というものは,受け手の都合はお構いなしに鳴ります。だからこそ早朝や深夜,夕食時などは避けようと,送り手が気を遣います。それでも受け手がどのような状況なのかが分からず,知らず知らずのうちに迷惑をかけてしまうことがあります。そういったことを考えて「伝言で」ということにされたのだと思います。そこに思いやりを感じたのです。
 思いやりは言葉だけではなく,態度や行動でも伝わることを,改めて思いました。

風が吹くと桶屋が儲かる(もうかる)

 今日の集会では,昔から言われていることわざについて紹介しました。
 「風が吹くと桶屋が儲かる」という言葉は,江戸時代あたりから言われている日本のことわざです。最近は耳にすることがあまりありませんから,中学生の皆さんは聞いたことがないかもしれません。「桶」とは,例えば風呂桶といったような,容器のことです。今はプラスチック製の容器がありますが,昔は木の板を組んで作られていました。
 では,風が吹くと桶屋が儲かるのはなぜでしょう。次のように言われています。
1 風が吹くと土ぼこりが立つ。
2 土ぼこりが目に入って,目の悪い人が増える。
3 目の悪い人は三味線を買う(江戸時代当時は目の悪い人がよく就いていた職業のひとつに三味線弾きがある)。
4 三味線に使う猫皮がたくさん必要になり,猫が殺される(三味線は猫の皮が張ってある)。
5 猫はネズミを捕まえるから,猫が減ればネズミが増える。
6 ネズミは桶をかじるので,ネズミが増えればかじられる桶も増える。
7 壊される桶が増えて桶の需要も増えるため桶屋が儲かる。

 いかがですか?納得できましたか?ちょっとこじつけっぽいかな,と感じた人も多いかも知れません。
 このことわざは,ある事柄が,一見すると全く関係のないような,思わぬ所や物に対して影響が出ることの例えとして使われます。一方,全くあり得ないことはないが,原因と結果を無理矢理つなげてできたこじつけの例として使われることもあります。
 みなさんはどちらの例えとして使いたいでしょうか。いずれにしても,このことわざのように,原因と結果を上手に(こじつけもOK)つなぐ,言葉遊びをしてみるのもおもしろいのではないでしょうか。時間のあるときにでも友達や家族とやってみてはいかが?
 ちなみに,北海道のオホーツク沿岸の地域には,桶屋が多いそうです。そこで伝わっている話は・・・
1 風が吹くと(北風)流氷が岸に近づく。
2 特に夜間には急激に気温が下がり,室内でも氷点下の気温となる。
3 気温が氷点下になると,漬物桶,風呂桶,魚を捕る道具の桶などが凍結し,壊れる。
4 壊れる桶が増えて需要も増え,桶屋が儲かる。

 この話だと,ずいぶん現実味がありますね。

空き家は傷みやすい

 今日の集会での講話は,空き家が傷みやすいことから,人の健康について話をしました。

 空き家,つまり人の住んでいない家は傷みやすいと言われます。人が住んでいれば,汚したり,物をぶつけて傷つけたり壊したりします。ところが住んでいない家の方が痛みやすいと言われるのはなぜでしょうか。
 いろいろな理由があると思いますが,一つは空気のよどみです。人が住んでいれば玄関を開けるでしょうし,窓も開けます。家の中で人が動き回れば空気も動きます。空き家ではそういったことが一切ありませんので,空気が入れ替わることもほとんどなく,動くこともない。いわゆる空気がよどんだ状態になります。すると,空気中のカビや菌の胞子が緩やかに降りてきて,床やタンスなどに付着し,湿度や温度が高いときなどはすぐにカビだらけになります。空気が動かなければ湿度や温度も高くなりやすいので,なおさらカビが発生しやすくなります。また,ドアや鍵,コンセントの接続部分などの金属が錆びやすくなります。
 もう一つの理由は,人が住んでいないと,カビや錆びが発生したり傷んだりしても放置され,掃除したり修理したりされることはないということです。人が住んでいれば,家を傷めることもあるでしょうが,傷んだことがよく分かります。カビや錆びが発生しているとか,雨漏りの音がするとか,床がきしむとか。そういったことが分かると,早めに掃除をしたり修理をしたりしますので,家が大きく傷むことはありません。ただし,傷んでいることに気づかなかったり掃除や修理をしなかったりすれば,やはり家は傷んでしまいます。
 このように考えてきますと,人と家は同じようなものだと気づきます。
 人が傷むとは,心や身体が病気になってしまうということです。では,そうならないようにするにはどうしたらよいのでしょうか。やはり,家と同じように,心と身体によどみがないようにし,傷みに気づいたらできるだけ早く修理(治療)することです。
 心によどみがないようにするには,なんと言っても人とのコミュニケーションが大切です。中にはコミュニケーションが苦手な人もいると思いますが,まずはあいさつから始めてみましょう。あいさつも立派なコミュニケーションです。朝の「おはよう」から始まる一日は,清々しいものです。人と関わり,人の話に耳を傾け,自分の意見や感想などをきちんと伝える。そして,人のアドバイスをしっかりと受け止め,取り入れるべき点は自分の中にきちんと取り入れる。そうすることによって,心はいつも新鮮な状態を保つことができます。自分の殻に閉じこもり,人と交わろうとしなければ,心がよどんでしまいます。また,自然や芸術に触れ,美しさや偉大さを感じることも,心がよどまないようにするためには必要です。「感動」するとは,心が動くことです。心が動けばよどむこともありません。
 身体の中によどみがないようにするには,新陳代謝が正常に行われなければなりません。「新陳代謝」とは,身体の中の古い細胞が新しい細胞に入れ替わることです。新陳代謝が正常に行われると,3ヶ月(講話では30日と言ってしまいました)で新しい身体に生まれ変わるそうです。しかし,正常に行われないと,古い細胞が身体にたまってしまうそうで,これが身体の中によどみがある状態です。こうなると,疲れがとれなかったり体調を崩したりします。バランスのよい食事と適度な運動を心がけ,新陳代謝がきちんと行われるようにしたいものです。
 心や身体が傷んで(病気になって)しまったら,もちろん,病院にかかって治してもらいます。これは当然のように思いますが,忙しいから,これぐらいならいいか,ということで,なかなか病院にかからないことも実際にはあるのではないでしょうか。もっと早く医師に診てもらえばよかったという話は時々聞きます。心も身体も,病気の早期発見と早期治療が何より大切です。
 心も身体もよどみがないように生活するとともに,病気になってしまったら,すぐに治療するように心がけたいですね。

ちょっといい話

 先日,ある方からお手紙をいただきました。是非皆さんに紹介したいと思います。

 拝啓 突然お手紙を差し上げて申し訳ありません。先日,貴校の学生さんとの心温まる出来事があり,ペンを執らせていただきました(もしも違う学校だったらごめんなさい)。
 国道248号線の広之田の交差点に真新しい黄色の帽子が落ちていました。おそらく,小学1年生のものでしょう。その帽子を貴校のふたりの女子生徒さんが心配そうに見守っていました。しかし,交通量が多くて拾うことができません。
 私は右折の予定でしたので,右折したらその帽子を拾うつもりでした。右折して停車して交差点を振り返ると,貴校の男子生徒さんが拾って,女子生徒さんたちに照れくさそうに渡していました。渡し終わると数人の男子生徒さんたちと走り去っていきました。女子生徒さんたちは帽子を車道の手すりに引っかけようとしていたので,私が「風で道に吹き飛ばされるといけないから,奥の看板に掛けたら?」と大声で話すと,歩道側の看板に帽子を掛け直してくれました。私は手で大きな丸を作りました。女子生徒さんたちは,安心と満足と達成感で嬉しそうに学校に駆けていきました。まるで春風のような心地よい気持ちが私の中に吹き抜けました。優しい心をいつまでも持ち続けてくれることを願っています。
 これからも学校での教育をよろしくお願いします。ありがとうございました。
 敬具

 どうですか。いい話でしょう。
 こんなに優しくて思いやりを持った生徒が品野中にいることがうれしい。その優しさや思いやりを行動に表してくれたことがうれしい。その行動を見てくれていた人がいたことがうれしい。そして,その行動を見て,感じて,品野中に伝えてくれたことがうれしい。
 1枚の手紙からこんなにたくさんのうれしさをもらいました。送ってくれた方に心から感謝したいです。
 ありがとうございました。

不滅の法灯(ほうとう)

 今日の集会での講話は,比叡山延暦寺の「不滅の法灯」の話をしました。

 昨年の冬,比叡山延暦寺に行ってきました。比叡山は京都と滋賀の県境にある標高848mの山です。品野中から見える猿投山は標高が629mですから,猿投山よりも一回り大きな山という感じです。比叡山の各所に寺の様々な建造物があり,山全体が境内となっています。
 延暦寺は西暦788年に最澄が開いた寺ですが,ここで,親鸞や法然など何人もの有名な僧が修行をし,巣立っていっています。ですから,比叡山は日本仏教の母山とも言われています。
 比叡山延暦寺には,「不滅の法灯」と言われる小さな火が,1200年以上も途絶えることなく今も燃え続けています。これは,最澄が自らの手で彫った薬師如来に灯火を捧げたのが由来とされています。この灯火に,最澄は歌を詠み,この光に,後の世まで永遠に照らして欲しいと思いを込めたようです。
 実はこの灯火,信長が寺を焼き討ちにしたときに一度消えています。しかし,山形の「立石寺」という山寺に分灯されていたものを分けることによって,再び最澄の灯火を復活させています。
 1200年という気の遠くなるような長い間,決して消えることのないように毎日菜種油を注ぎ足し,火を守り続けている僧たちの緊張感と苦労を思うと,頭の下がる思いがします。「すごい」としか言いようがありません。一つのことを脈々と成し遂げていくためには,決して気を抜くことなく,緊張感を持って当たらなければなりません。延暦寺の僧たちは,こんな心構えで毎日油を注ぎ足しているのでしょう。気を緩めて油を注ぎ忘れ,油が切れてしまうと,1200年以上も続いていた灯火が途切れてしまいます。
 「油断」という言葉があります。気を抜いて注意を怠ることです。まさに僧たちは「油断」することなく毎日油を注ぎ続けているのでしょう。
 1200年以上も灯火が途絶えることなく現在まで燃え続けている事実を思うと,火を灯した最澄の思いまでが現在まで受け継がれているように感じます。
 先日,品野中学校では,「新入生を迎える会」を行いました。とても素晴らしい会で,随所に工夫が凝らされ,2・3年生の,新入生を温かく迎えようという思いがしっかり伝わってきました。また,創造力,企画力,行動力などの様々な力を感じました。
 2・3年生は,それぞれ1年前,2年前,新入生として品野中学校に入ってきました。そのときにも「新入生を迎える会」で上級生たちに温かく迎えてもらったはずです。そのときの経験が,先日の会となったと思います。これが,「思い」や「力」を受け継ぐ,ということです。そして,このことが品野中学校の歴史と伝統を作っていきます。これから始まる1年の間に,品野中学校の歴史と伝統を作っていく機会が何度もあります。よいものをきちんと受け継ぎながら,新しい歴史も作っていって欲しいと思っています。
 「新入生を迎える会」を見ながら,延暦寺の「不滅の法灯」を思い出していました。

大臣からのメッセージ

 今回の大震災に関して,総理大臣と文部科学省の大臣から,全国の小中学生と高校生に向けてメッセージが発信されました。
 昨日11日の集会では,そのメッセージを読み上げました。その内容を要約すると・・・。

 災害にあわなかった地域の皆さんには,避難してきた仲間たちを温かく迎えて欲しい。また,日本をどのように立て直していくのかを考えたい。
 東北が生んだ宮沢賢治は,東北地方の農民を少しでも幸せにしようと考え,一生を捧げた。「銀河鉄道の夜」にはこんな言葉がある。「僕,もうあんな暗(やみ)の中だってこわくない。きっとみんなほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでも僕たち一緒に進んでいこう」
 賢治の言う「ほんとうのさいわい」とは何か。この大きな災害と混乱の中で考えて欲しい。そして,それを目指して一緒に進んでいって欲しい。その先にはもっと素晴らしい日本の姿があるはず。
 原発の事故に対して,危険をかえりみずに立ち向かう消防士などの人たちの姿や,被災地で救命活動にあたった医療関係者などの人たちの姿を忘れないで欲しい。そして,皆さんも,もっともっと身体を鍛え,判断力を養い,優しい心を育んで,他人のために働ける人になって欲しい。
 日本の未来は皆さんの双肩にかかっている。

 このメッセージを読んだ後,生徒には,中学生としてやるべきことをきちんとやることが,被災地の人たちの支援につながり,ひいては日本の復興につながるということを話しました。
 現在,被災地では,少しずつですが復興に向けて動き始めています。しかし,元の生活を取り戻すには,何年もかかると思います。また,原発の事故による今後の影響も懸念されます。日本の物作りも大きな打撃を受けています。これは被災地だけの問題ではなく,日本全体の問題です。だからこそ,生徒たちが,今を一生懸命生き,中学生としてやるべきことをきちんとやり,将来立派な大人として,社会人として成長することが,日本の復興につながると思います。

入学式・始業式

 昨日7日は,入学式と始業式を行いました。
 入学式の式辞では,新1年生の中学校生活の始まりに当たり,「心を鍛えよう,育てよう」と呼びかけました。これは,私が日頃から,中学生には是非とも心がけて欲しいと思っていることです。
 また,始業式の式辞では,「心を鍛えよう,育てよう」と併せて,「自分の周りの人同士で,互いにいいところを見つけ,伝えよう」と呼びかけました。始業式で述べた式辞の要約を次に載せさせていただきます。

 2年生,3年生の皆さん,初めまして。1年生の皆さん,品野中学校にようこそ。
 私は,4月1日に品野中学校にきましたが,皆さんに会えるのを,心待ちにしていました。先ほどからの皆さんの様子を見ていますと,暖かく,落ち着いた雰囲気で,しかも,話を聞くときはしっかりと相手の方を見て,真剣な態度であり,素晴らしい,の一言です。
 皆さんもよく知っているように,今からおよそ1ヶ月前,3月11日に,東北地方を中心に大きな災害が起こりました。テレビや新聞などで,地震や津波の様子,被災された地域の様子などが報道されていますが,その大変さには目を覆うばかりです。戦後最大の危機と言われていますが,まさにその通りだと思います。お亡くなりになった方々には,心からのお悔やみを申し上げたい。そして,被災された方々には,一日も早い復興と,平和で落ち着いた日常を取り戻していただきたいと願わずにいられません。
 私たちに今できることは何か,それを考え,実行したいものです。
 さて,今日から新しい学年が始まりました。1年生は中学校生活のスタートです。そこで,皆さんに心がけて欲しいことを二つお話ししたいと思います。
 一つは,入学式でお話ししたことで,1年生の皆さんはすでに聞いていることですが,それは,心を鍛え,育てて欲しいということです。多少苦しいことがあっても,頑張ってやり抜く。また,善悪の判断をきちんとし,悪いことは絶対にしないという強い心。美しいものや自然のすばらしさに感動する,感性豊かな心。人を思いやる優しい心。このような心を,鍛え,育てて欲しい。例えば,心の弱い人は,つい誘惑に負けて,安易な方に流れたり悪いことをしてしまったりするように,人が行動したり話をしたりするときに,その基になるものが,その人の心です。ですから,人が成長するということは,心が成長するということなのです。だからこそ,心を鍛え,育てて欲しいと願うのです。品野中学校での授業や部活動,行事などのいろいろな活動を通して,是非とも心を成長させていってください。
 それからもう一つは,自分の周りの人や友達同士で,互いにいいところを見つけ,伝えて欲しいということです。人は他人の欠点にはよく気がつくものです。しかし,よい面にはなかなか気がつかないことが多いと思います。ですから,よいところを探すつもりで周りの人や友達と接して欲しいと思います。このことは,よりよい人間関係を作ることにつながります。さらに,学級や学年のきずなを広げたり深めたりすることにもつながります。
 以上,心を鍛え,育てて欲しい,ということと,自分の周りの人や友達同士で,互いにいいところを見つけ,伝えて欲しいということ,この二つを心がけて学校生活を送ってください。
 最後になりましたが,昨日は,3年生の皆さんが,入学式の準備で,春休みにもかかわらず学校に来て準備を一生懸命やってくれました。おかげでとても素晴らしい入学式を行うことができました。本当にありがとう。1年生の皆さんは,3年生も2年生も含めて,こんなにいい先輩たちがいることも心にとめておいてください。

はじめまして

 はじめまして
 この春の異動で,春日井市立高蔵寺中学校から品野中学校に参りました,八槇直幸です。珍しい名字なので,なかなか読んでもらえないのですが,「やまき なおゆき」と申します。
 私は,元々は生まれも育ちも瀬戸で,中学校は祖東中学校に通っていました。春日井でお世話になる前は,瀬戸での教員生活が長く,久しぶりに古巣に戻った感じがしています。
 本日,着任式があり,自己紹介を生徒たちにしました。「やまき」というと,「山木」と書くと思われることがとても多いのですが,「やま」「き」ではなく,「や」「まき」と分けて書くと言いました。そして,「や」は漢数字の「八」,「まき」は槇の木の「槇」,あるいは歌手の「槇原敬之」や元ジャイアンツの「槇原」投手の「槇」であると自己紹介しました。しかし,生徒たちにはピンとこなかったようです。考えてみれば,今の中学生は,嵐やAKB48の世代です。よくわからないのも当然だと,改めて世代の違いを実感しました。
 本日行った始業式の式辞の冒頭で,生徒たちには話しましたが,生徒たちの雰囲気が実にいい。笑顔が多くみられ,暖かく,落ち着いた雰囲気でした。しかも,話を聞くときはしっかりと相手の方を見て,真剣な態度です。ゴソゴソ動く生徒は一人もいませんでした。こんな品野中の生徒を見て,彼らのことが大好きになりました。これから始まる1年に,どのような素晴らしい姿を見せてくれるのか,大きな期待を寄せています。
 この1年,精一杯がんばりますので,どうぞよろしくお願いします。
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学校行事
3/6 卒業生を送る会
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