最新更新日:2024/09/21 | |
本日:24
昨日:103 総数:762661 |
卒業式の見送り
卒業式を終えた3年生を,皆で見送りました。
元気で。 がんばって。 卒業式
3月8日(木),第65回卒業証書授与式を行いました。
在校生と保護者の方々,多くの来賓の方々に見送られ,86名の卒業生が巣立ちました。 輝かしい前途を祝福します。 卒業式式場内の掲示物
きのうの卒業生を送る会で披露された,1・2年生全員で作った思い出の壁画。体育館正面に掲示されています。近くで見ると色を塗った方眼のマスが並んでいるだけです。少し離れてみると,写真に見えます。
体育館背面の壁には,3年生の書写作品が飾られています。卒業に臨むそれぞれの思いが毛筆で書かれています。 明日来校される3年生の保護者の方は,ぜひご覧ください。 卒業式前日
明日はいよいよ卒業式。今日は予行練習と会場準備などを行いました。
予行練習の中で,校長から3年間無欠席だった生徒の紹介がありました。15名の生徒が無欠席でした。この中で,T君は小学校から9年間無欠席だそうです。 ビデオ撮影いよいよ佳境に
送る会に向けてのビデオ撮影が,いよいよ大詰めを迎えています。担当の生徒会役員と顧問のS先生が連日精力的に撮影しています。
どんな番組に仕上がるでしょうか。3年生も1・2年生も楽しみにしています。 卒業生を送る会リハーサル
明日6日の午後,卒業生を送る会を開催します。
生徒会が中心になっていろいろ準備をしてきました。生徒会企画のビデオ上映や1・2年生の合唱発表などがあります。 全校の皆で3年生の卒業をお祝いしたいと思います。 お昼の放送
8日(木)の卒業式まであと3日。給食も,給食の時に流れるお昼の放送が聞けるものも,あと3回となりました。
3年生の卒業前の最後の先生コーナーにY校長が出演しました。流した曲は,グレンミラーの「ムーンナイト・セレナーデ」,レッカの「スタートライン」,渡辺貞夫の「カリフォルニア・シャワー」でした。幅広い時代からの選曲でした。 卒業生を送る会リハーサル
いよいよ卒業式まであと1週間を切りました。
卒業式をひかえて,6日(火)には,生徒会が「卒業生を送る会」を開催します。 今日の6時間目,1・2年生が体育館でリハーサルを行いました。2年生は「大地讃頌」,1年生は「SongnIs My Soul」を歌います。 保護者の方に公開しますので,ご都合のよい方はおこしください。 品野中の校歌から品野を探る(その5)
品野中学校ができたのは昭和22年4月。太平洋戦争が終わり,戦後の改革の中で,6・3制の義務教育が全国でスタートした年に誕生しました。
当時の東春日井郡品野町でも中学校をつくることになりました。とりあえず,品野町立下品野小学校の教室8つを借りて,中学生を受け入れることになりました。品野町立品野中学校の誕生です。こうして,昭和22年,校歌に歌われる「町の名を負う中学」がスタートしました。 その後,校舎は,昭和45年に,現在の広之田町に移転し,現在に至っています。 今年は,65回目の卒業式。 巣立ちゆく3年生の心に残る卒業式にしたいものです。 卒業生を送る会に向けて(2年)
卒業生を送る会で歌う1年生の合唱曲は,「Song Is My Soul」です。
2学期の合唱コンクールの時より,男子の声が低くなり,女子の声がきれいになっているのが印象的でした。 当日は,1年間の成長のあとを3年生に見せてほしいと思います。 品野中の校歌から品野を探る(その4)
校歌の1番の歌詞に,「町の名を負う 中学に」というフレーズが登場します。町の名前を背負う中学とはどんな意味なのでしょうか。
全校授業で,ためしに「おう」を漢字で書かせてみました。生徒の中には,「追う」と思っていた生徒もいたかもしれません。「背負う」という意味の「負う」です。 「町の名前を背負う」とは,どういう意味でしょうか。本校がかつて「品野町立品野中学校」であったからです。 本校は,東春日井郡品野町唯一の中学校で,「品野中学校」と名付けられました。設立は,1947(昭和22)年です。 品野は,江戸時代,8つの村に分かれていました。それらが合併して品野村になり,20世紀初頭に品野町になり,1959(昭和34)年に瀬戸市に合併されました。その経緯は,下のようです。 当時の新聞を見ると,この合併が大きな期待の中で行われたことが想像されます。 卒業生を送る会に向けて(3年)
2月29日(水)の6時間目,3年生は体育館で卒業生を送る会の合唱の練習をしていました。
3年生が送る会で歌うのは,「走る川」と「河口」。難しい曲に挑戦しました。 これからどのように仕上げてくれるか楽しみです。 品野中の校歌から品野を探る(その3)
校歌の2番の冒頭に,「三国の高嶺 いる雲に」というフレーズが出てきます。「三国の高嶺」とは,三国山のことです。
三国山は,尾張・三河・美濃の3つの国にまたがる,標高701mの山です。地勢はここから木曽山脈へとつながっていきます。 瀬戸市内の小中学校では,校歌にどんな山が歌われているのか調べてみました。 同じ品野地区の,品野台小は校歌の冒頭で,下品野小では「雲見ケ峰」として,三国山が歌われています。 市内で一番多く歌われているのは,猿投山です。祖東中学区,幡山中学区の学校の校歌によく登場します。他に,遠くに見える伊吹山や鈴鹿山脈などの雪山,物見山や応夢山などの地域の山が登場します。 三国山は,三国山をはさんだ反対側の,土岐市の2つの学校で歌われています。 三国山は,三国山の山麓に住む人々にとっての「ふるさとの山」なのでしょう。 品野中の校歌から品野を探る(その2)
品野中学校の校歌の3番。「岩屋の滝」に続いて「城嶺橋下 鮎走る」というフレーズが出てきます。
「城嶺橋」とは,どこにあるのでしょうか。 品野城や桑下城があった上品野の橋の1つではと思ってしまいますが,JR定光寺駅前の庄内川にかかる橋なのです。橋の名前の由来となった「城」は,名古屋城だそうです。定光寺付近の山から,当時,名古屋城が見えたことから,「城嶺橋」と呼ばれたそうです。 ちなみに,今から60年ほど前まで(高度経済成長の前),庄内川でも多くの鮎がとれたという記述があります。 品野中の校歌から品野を探る〜卒業式をひかえて〜
2月27日(月)の1時間目,体育館で全校一斉の特別授業を行いました。N教頭が,卒業式を10日後にひかえて,校歌に歌われる歴史や地理の解説をしました。
そのポイントのいくつかを紹介します。まずは,その1。3番の歌詞に出てくる,「岩屋の滝」。 すぐに思いつくのが,岩屋堂の滝です。岩屋堂の奥に,「瀬戸大滝」と名付けられた滝があります(写真上)。この滝が校歌に歌われていると思われます。 しかし,この滝は,昭和30年代後半に人工的につくられた滝です。品中の校歌ができた65年前には存在していませんでした。 それでは,校歌に歌われる「岩屋の滝」とは何でしょうか。 当時の新聞に,「岩屋の滝は,…(中略)…暁明ケ滝,瑠璃ケ滝,不動ケ滝,銚子ケ滝を初め,其の他数個の滝が奇岩怪石に奔落し…」という記事があります。岩屋堂には元々いくつか滝があったのです。 岩屋堂の山の中を歩いて,下の写真のような小さな滝を見つけました。かつてはこのような滝が散策道のほとりにいくつもあったのでしょう。 Good Bye Mr.Sean!
今日は,ALTのショーン先生の最後の訪問日でした。
最後の授業は,2年2組。英語を使ったゲームをしたあと,ショーン先生の歌の発表がありました。 授業が終わっても,何人かの生徒がお別れを言いに,ショーン先生を訪れていました。 ショーン先生,お元気で。また,どこかで会えることを楽しみに。 雨上がりの三国山
昨夜から降り続いた雨がようやく上がりました。
三国山を望むと,中腹に雲が立ちこめ,水墨画のような風景になっていました。 進むビデオ撮影〜送る会にむけて
3月6日(火)の卒業生を送る会で上映する,生徒会企画の「思い出のひととき」のビデオの撮影が進んでいます。
去年は「魔コトン」という不思議なキャラクターが登場しました。今年はどんなキャラクターが登場するのでしょうか。 でき上がりが楽しみです。 フルーツバイキング
今日の給食の時間,1年生の2クラスで,「フルーツバイキング」をおこないました。
給食の時,3年生で年に1回「バイキング給食」,1・2年生は年に1回「フルーツバイキング」を行います。 普通の給食にはつかない,イチゴや黄桃,パイナップルなどのフルーツが(食べ放題とはいきませんが),たくさんつきました。 モザイク画製作
3月6日(火)に,生徒会主催の「卒業生を送る会」を開催します。送る会の会場になる体育館の舞台横には,巨大な「モザイク壁画」が飾されます。その製作が今日から始まりました。
3年生にちなむ品野中学校の思い出の写真を,巨大な壁画にします。壁画は,A4サイズの紙を480枚つなげて完成します。生徒が色づけするA4の紙には,方眼のマスが並んでいるだけです。その方眼に書かれている「赤」「黄」などの指定通りに色を塗ります。それを全部つなげて,離れた所から見ると,初めて1枚の絵(写真)が見えます。 どんな絵ができ上がるかは,作ってみてのお楽しみです。 |
瀬戸市立品野中学校
〒480-1203 愛知県瀬戸市広之田町2-5 TEL:0561-41-0019 (番号表示でおかけください) FAX:0561-41-3116 ☆ご感想・ご意見をお寄せください。お手数ですがアットマークを「@」に直して送信をお願いします。 shinano-jhアットマークcity.seto.aichi.jp |