最新更新日:2024/09/24
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校訓「正しく 明るく 健やかに」

中総体バスケット女子

水野中学校を相手に,最後まで精一杯戦いましたが,惜しくも敗退しました。
彼女たちのがんばりに拍手を送りたいと思います。
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国語の授業から

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 1年生の国語の授業を見せてもらいました。
 この日の授業は,はじめに漢字10問テストを行い,その後文法の復習をし,練習をするといった内容でした。
 漢字テストはボールペンで解答させていました。後で先生にその理由を聞いたところ「不正を防ぐため」「一発勝負で書かせるため」「将来入学願書などを書くときに備えて」といったことを挙げていました。なるほど,と思いました。
 隣同士で解答用紙を交換し,解答を先生が板書して答え合わせをさせていました。その際,「悲」を心非ずで悲しい,と説明したり,「農」の筆順を全員で確認したりしており,ちょっとした取り組みですが,文字への関心を高めることにつながり,漢字の定着度も上がるのではないでしょうか。
 前日の授業内容が分からなかった生徒に挙手させたところ,8割ほどが手を挙げました。分からなかった内容は,主語や述語,修飾語,接続詞それぞれ6〜8名ほど。分からない,と正直に言えることは素晴らしいです。
 例文を生徒が言い,それを板書。そして,文節に分けることのできる生徒に発言させ,これを受けて,先生は「どう?」と全員に投げかけました。一瞬間をおいて,「じゃあ,みんなで言ってみよう」と続けました。
 その後の展開を書いてみます。
 「述語はどれ?」「○○」「いいと思う人」。ほぼ全員が挙手。「主語はどれ?」「○○」「どう?」。挙手した生徒を指名。「○○はいいと思います」「どう?」。ほぼ全員が挙手。「なぜいいと思う?」「○○○○」「ここまで分かった?」。ほぼ全員が挙手。「怪しい人はいる?」。1名が挙手したので,その生徒に対して手を挙げたことを賞賛。
 少し時間が経過。「これは何?」「連体修飾語」「どう?」。挙手した生徒を指名。「いいと思います」「なぜ?」「○○○○」。
 こうやって書いてみると,先生は決して自分から正解を言っていないことに気づきます。また,一人の生徒の発言を受けて「どう?」と,その是非を全員に問いかけています。このことは,生徒が互いの発言をよく聞き,内容を理解し,判断することにつながります。「聞く」「理解」「判断」は,学び合いの必要条件です。生徒の発言に対して,先生が判断してその結果を示してばかりいては,学び合いは成立しないでしょう。
 この授業では「どう?」の後,授業はすんなり進みましたが,場合によっては納得できない表情を見せる生徒もいるでしょう。そんなときは,その生徒を指名し,納得できない理由を聞いてみたいものです。そして,それを解決するために,さらに他の生徒に聞く。このように,先生が司会を務め,生徒同士のやりとりを通して正解を導き,考えを深める。こんな授業を目指したいです。
 考えてみると,生徒の発言に対して「どう?」と問いかけるのは,それほど難しいことではありません。ただそのときに,生徒をよく見て,表情から納得の度合いを判断しなければなりません。先生の慣れが必要かも知れませんが,前提として,生徒が「分からない」と言ったり,表情に出したりできる雰囲気が大切だと思います。
 いずれにしても,生徒の発言に対して「どう?」と問いかけ,生徒の表情を見る,という先生の行動は,一斉授業において学び合いを仕組む一つのパターンのように思います。

7月1日

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 今日の集会では,本日「7月1日」に関わって,記念日や部活動の大会について話をしました。

 今日は「国民安全の日」ですが,このことについて,新聞やテレビなどで大きく取り上げられることがないためか,本校の生徒や教職員の中では,私も含め,ほとんど知られていませんでした。
 1960年,産業災害・交通事故・火災等の災害防止を図るために制定され,暑さで気のゆるみから事故が多発する,夏場の一日が選ばれたようです。「全国安全週間」の初日でもあります。自分の身は自分で守る,あるいは,周りの人の安全にも気を配る,そんなことをみんなで意識したいものです。
 なお,今日は,他にもいろいろな記念日になっています。「童謡の日」「銀行の日」「郵便番号記念日」「ウォークマンの日」「琵琶湖の日」などです。どのようないわれがあるのかを調べてみるとおもしろいのではないでしょうか。
 さて,今日から7月。部活動の夏の大会まであと2週間となりました。3年生にとっては最後の大きな大会です。期末テストも終わり,練習に熱が入っている頃だと思います。
 私が以前小学校に勤めていた頃,野球部の顧問をやっていました。小学校の野球でも,年間を通して何回かの大会がありましたが,6年生最後の大会の2週間ほど前,ある小学校の顧問の先生との会話を思い出します。
 今年はどのようなチームなのかを聞いたところ,「今年は勝っても負けてもどちらでもいい。勝敗は関係ない」という返事が返ってきました。そして,その先生いわく,「チームワークがよく,誰もが前向きで一生懸命練習に取り組む。他への思いやりもある。こんな素晴らしいチームによく育ってくれた。悔いの残らないように戦ってくれればいい」とのこと。顧問をこのような思いにさせるチームです。きっと,素晴らしくいいチームなんだろうと,想像することができました。
 3年生の皆さん,もうすぐ最後の大会です。瀬戸旭地区大会を勝ち抜き,愛日,県大会〜,と駒を進めたとしても,この夏が最後です。どのような思いで大会を終えるのでしょうか。2年以上その部活に参加し,練習を重ねてきました。勝利を目指して全力を出し切り,このチームでよかった,この部活でよかった,そんな思いを持って終えられるよう,願っています。
 初めに述べたように,今日から「全国安全週間」です。熱中症などの病気やけがなど,普段以上に安全には十分気をつけたいですね。

英語の授業から

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 1年生の英語の授業を見せてもらいました。
 今日の授業は,試験範囲の復習で,初めにポイントを確認し,その後練習問題に取り組みました。
 動詞の2種類(be動詞と一般動詞)を確認し,指名して例をテンポよく次々に言わせていました。カードでいろいろな単語や意味を示し,発声の練習。ここもテンポがいい。下を向いている生徒もいません。it,he,that・・・といった単語の発声練習をしました。これらはbe動詞がいずれもisです。そこに先生の意図を感じました。実際,この点を生徒に確認していました。
 次に4人班に分かれてプリントで練習を行いました。時間は7分。始めは相談しないで取り組ませ,早くできた生徒には,互いにアドバイスし合うように指示がありました。「pが大文字になってるよ」「ピリオドがないよ」「ウォントゥ(want)と読むから,単語の最後はtだよ」といったアドバイスが生徒同士でありました。
 7分経過後,先生は,みんなが同じ答えになるようにアドバイスし合うように指示し,ここでも,「speakのつづりはスペアクと書けばいい」「be動詞と一般動詞は一緒に使えないよ」「〜さん,班が違うけど教えてあげる」「線があるつもりで書くといいよ」といったやりとりが各班で行われていました。英語が苦手な生徒にも,丁寧に説明する姿が見られました。
 全員が同じ答えになった班には挙手をさせ,先生がそこに行き,プリントをチェックし,○を付けたり,間違いを指摘したりしていましたが,解答を教えることはなく,あくまでも自分たちで解決することをねらっているようです。
 いったん中断させ,「このプリントはOK」の生徒,「もっと基本を勉強したい」生徒,それぞれ挙手をさせました。「OK」は2/3,「もっと」は1/3ほどでした。「OK」の生徒には問題作りを,「もっと」の生徒にはさらにプリント練習をするために,それぞれで集まるように指示しました。移動後,すぐに活動が始まり,誰もが黙々と取り組んでいます。「もっと」の生徒は,集まってからの方が生き生きしている印象を持ちました。
 先生は,「もっと」のグループを回り,アドバイスをしたり○付けをしたり,間違いを指摘したりしています。このときも指摘するだけで答えは教えず,やはり,あくまでも答えは自分で導き出すようにさせていました。
 その後,「OK」の生徒は自作問題を交換し,解き合いました。結構苦労して解いているようで,すらすら解く生徒は少なく,多くが教科書を見ていました。授業時間残り5分のところで,先生は,「OK」の生徒たちは自作問題を返して答え合わせをし,間違いは教えるように指示しました。この間,「もっと」の生徒は,プリントで練習を続けていました。
 この授業を見て,英語の授業における学び合いについて考えてみました。この授業でも十分学び合いは成立しています。プリント学習でのいわゆる教え合いです。多くの教科で取り組んでいますが,こういった活動は,一見教える方に学びはなく,教えられる方だけの学びのように見えます。しかし,教える方も,自分の頭の中を整理したり,より分かりやすい説明を考え,表現したりしながら学んでいるのです。
 昨年6月の英語科研究授業では,ペアで暗唱を行いコメントを伝え合う,例文の訂正箇所を班で話し合う,対話文から登場人物の心情を班で話し合う,といった学び合いが行われました。英語の授業での学び合いは難しいのではないかと感じていた自分にとって,なるほど,と思わせてくれました。
 今回の授業は1年生であり,昨年は3年生でした。ですから,現在,1年生は学び合いのバリエーションは少ないかも知れませんが,学年が進むにつれて豊富になってくるでしょう。今回の授業からは,英語の授業における学び合いの可能性を,さらに強く感じることができました。
 先日の会議で,教え合いは学級が崩壊する可能性がある,といった話題がありました。教え合いによって,「私教える人,あなた教えられる人」といったように,変な優越感や劣等感がクラスの中に生まれると,確かに学級は崩壊するでしょう。教え合いも含む学び合いは,生徒同士のコミュニケーションです。学び合いを通して学力を高めると共に,コミュニケーション力も高めようとしています。そして,よりよい人間関係を築くこともねらっています。しかし,教え合いによって変な人間関係ができてしまうと逆効果です。そのあたりは,教科担任や学級担任,学年の先生などが連携を図り,心してかかる必要がありそうです。教えることを通して,自分も学んでいるんだ,という意識を持たせることが大切かも知れません。
 今日の授業からは,「無駄がない」「生き生き」「意欲的」「他ごとなし」「動きがよい」「和気あいあい」といった,プラスのキーワードばかりがイメージできました。先生の,英語の授業作りが実を結びつつあるということだと思います。
 授業中,「えっ,この授業は1年生の1学期の授業だよな」と思ってしまいました。自分が中学生だった頃の今の時期は,アルファベットを覚え,This is a pen.などの簡単な英文が読み書きできる程度だった記憶があります。しかし,この授業では,I like baseball.But I don't play baseball.を書かせる英作文の問題を作り,それに答える生徒がいました。また,それと同等の問題を作った生徒も何名かいました。驚きでした。これが今の普通なのかどうかは分かりませんが,数十年前と比較すると,中学生の英語力は,確実に上がっているように思いました。世の中が,それだけ英語に関心が高いということかも知れません。

音楽の授業から

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 3年生の音楽の授業を見せてもらいました。
 合唱曲「名づけられた葉」のパート練習と全体練習の授業でした。
 女子がソプラノとアルトの2パート,男子が男声の1パート,全部で3パートに分かれ,それぞれで練習を行っていました。音楽室では,2パートがパート別のCDを流しながら生徒だけで練習し,視聴覚室では,1パートの生徒が先生の指導を受けながらの練習です。そして,先生の判断・指示で交代です。
 先生が指導しているパートは当然としても,自分たちだけでの練習も,ほとんどの生徒が熱心に取り組んでいました。このあたりの意欲の高さが本校の合唱を支えているのだろうと思います。
 男声パートとアルトパートの練習を見ていましたが,アルトの方は,歌い終わると「〜のところはどうやって歌うの?」「楽譜のここまで来たら,次は〜のところに行くんだよね」といった声がありました。学び合いです。しかし,男声の方は,残念ながらこういった動きは見られず,歌い終わると再度CDを流して練習を始めました。歌い終わって他ごとをするのではなく,すぐに練習を再開するのはたいしたものだと思いますが,ちょっと残念ではありました。
 音楽の授業における学び合いには,どのようなものが考えられるのでしょうか。この授業で現れた女子の動き,これももちろん学び合いでしょう。しかし,よくよく考えてみると,合唱自体が学び合いと言えるのではないかと思います。合唱とは,いくつかのパートに分かれて集団で歌うことです。ですから,一人の生徒の近くには,必ず同じパート,あるいは別のパートの生徒がいるはず。当然,互いに声を聴き合うことになります。そこに学び合いが生まれる要素があると思います。しかし,ただ漠然と歌っているだけ,周りの音を聴こうとしない,聴いた音について様々な判断をしようとしない,といった態度では学び合いは生まれないでしょう。合唱するときの意識の問題が大きいように思います。
 数学などの授業では,自分の考えは,発言したり書いたりしないと伝わりません。しかし,音楽では,歌うことそのもので自分の表現や音程の正確さなどを伝えることができます。さらに,そこに言葉を使った伝え合いがあると,歌を聴き合うだけ以上の学び合いができるはずです。
 この授業では,授業の最後に全体で練習を行いました。パート別で練習をし,それを合わせるのは楽しみなものです。パート練習に熱心に取り組んだ生徒ほどその思いは強いのではないでしょうか。
 先生の指揮,指示で合唱が始まりました。歌全体に,あるいは部分的に,繰り返し指導を入れながら練習が進んでいきます。この様子を見ていると,先生が指示を出し,生徒が歌うたびにうまくなっていくことが分かります。まさに,みるみるうまくなっていく感じ。すごいと思いました。と同時に,そんな指導のできる先生をうらやましく思いました。


体育の授業から

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 1年生の体育の授業を見せてもらいました。
 マット運動で,生徒一人一人が目指す技を練習する,という授業でした。
 生徒は放課の間に体育館に集まり,リーダーが並ぶように声をかけていました。そして,放課終了のチャイムが鳴り終わらないうちに並び終え,同時にランニングが始まりました。
 ランニング終了後,リーダーの指示で体操隊形に開き,準備運動。この間,先生が指示したのは,整列の中心を示したのみ。ここまでの活動は,かなり習慣化され,よどみなく進行している感じ。他ごとをする生徒もいません。
 準備運動は,一人ストレッチ,二人馬跳び,二人ストレッチ,といった内容。これもリーダーの指示で進行していました。準備運動が終わった生徒は静かに座って待機し,また,列の乱れを自ら動いて直す生徒もいました。
 やらされている感がなく,実に自然な感じです。体育の授業開始時の活動としては当たり前かも知れませんが,見事です。
 その後,先生の指示による準備運動がありました。内容は,首と肩のストレッチ。おそらく本時の授業で必要とする部分を補ったのだと思います。
 授業前半での活動内容と準備について先生が指示を出しました。すぐに全員が動き始め,実にてきぱきしています。各自の練習は,倒立からブリッジへの移行(一人で),倒立から前転への移行(一人で),補助付き倒立(二人で),壁に向かって倒立(一人で),といった内容。みな熱心で意欲も高いです。この間,先生は,個別にアドバイスをしていました。
 いったん終了し,集合。後半の指示を先生が出しました。その内容は,自分の目指す技を,教科書の注意点を参考に練習する,といったものです。このときも,生徒はすぐに動き出し,活発に練習を始めました。
 先生が集合をかけ,指示をしたのは2回。いずれも,生徒が集まっている間に,必要な指示は全て出し終えていました。活動を始めてからの指示は伝わりません。このあたりに先生の配慮を感じました。
 練習中,生徒には次のような動きや言葉がありました。壁に向かって倒立を練習している生徒に対して,「もう少し前の方がいいよ」「すごい」「できた」。数名で教科書を見ながら相談。技がうまくできた生徒に拍手。4〜5人で一人の技を順番に見る。技に対するアドバイス。他の生徒が練習しているところを見て,「あっ,分かった。足が〜になってる」。これらは全て学び合いです。他の生徒がうまくできた様子をほめる姿も,「見ている」という点で学び合いと言っていいと思います。
 体育の授業での学び合いのイメージがなかなか持てませんでしたが,この授業を参観し,その可能性を強く感じました。

睡眠

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 今日の集会では,睡眠の大切さについて話をしました。

 先週は,1年生が校外学習で「愛知健康の森公園」に行きました。1年生の先生からの報告によりますと,楽しく,そして,健康に関することも勉強でき,とてもよい活動ができたそうです。また,いろいろなことを生徒で考え,決定し,この経験はきっと今後に生かされるだろうということでした。また,2年生は野外活動で佐久島に行きました。私も一緒に行きましたが,こちらも楽しく,いい思い出がたくさんできたようです。なんと言っても,けがをしたり病気になったりした人がほとんどなく,無事に帰ってこられたことが何よりです。
 健康・安全に行ってこられた点については,3年生の修学旅行も同じです。思い出してみると,2泊目のペンションでははっきり言えませんが,1泊目のホテルでは,遅くまで声が聞こえることなくみんなよく眠ったようでした。また,佐久島でも,各民宿で,みんなよく眠ったようです。
 2年生,3年生共に体調を崩す人がほとんどいなかったのは,様々な理由が考えられますが,十分に睡眠をとれたこともその一つのような気がします。そこで,睡眠についてお話したいと思います。
 睡眠は,十分にとらないといけないことは,みなさんも経験的に知っていると思います。睡眠不足のときは,眠くて体がだるかったり,何となくやる気が起きなかったり,また,体が熱っぽくなることもあります。そういったことは誰でも経験しているでしょう。
 睡眠とは,そもそも,脳や体を休めている時間です。こういった時間がないと,つまり,長い間睡眠をとらないと,人は思考力が落ち,妄想や幻覚が出て,やがて死んでしまうそうです。ネズミで睡眠をとらせない実験をしたところ,1〜2週間で死んでしまい,これは,食べ物を与えない実験をしたときよりも短いそうです。ですから,睡眠は,食事よりも大切なのかも知れません。
 「寝る子は育つ」ということわざがありますが,これは科学的にも正しいようです。人の成長を促す成長ホルモンは,睡眠後にすぐに出てきます。骨を伸ばしたり,筋肉を増やしたり,痛んだ体の組織を修復したり,人は睡眠しているときに体が作られます。ですから,成長期にあるみなさんにとって,睡眠は非常に大切です。
 睡眠時間が短い人は、血液中にある食欲を抑えるホルモンが少なく,食欲を増進させるホルモンが多く,その結果,睡眠時間が短くなるほど食欲が増し,肥満になるリスクが高くなります。それだけ成人病にかかる可能性も高くなるわけです。
 脳は睡眠中に、昼間体験したり学習したりした情報から余計な情報を省き,効率よく整理し、長期的な記憶として処理されます。ですから,睡眠時間は,学習成績にも影響を及ぼします。しかし,勉強せずに寝てばかりいては,学習成績が伸びないことは十分わかっていますね。
 1日24時間は,誰にも平等に与えられています。上手に時間を使い,やるべきことはきちんとこなし,十分な睡眠ができるように,時間を生み出してください。日頃の十分な睡眠が,みなさんの体をつくり,健康を維持することになるのです。

社会の授業から

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 1年生の社会の授業を見せてもらいました。
 今回は,モンゴルの生活について,衣・食・住・その他,の四つの観点で調べ,同時に疑問点を挙げ,さらにその疑問点について調べたり考えたりする授業でした。
 前の授業では,四つの観点について教科書,資料集を使って調べ,その結果を発表すると共に,疑問点を挙げました。このときの発表は挙手によるもので,その数が非常に多く,発言意欲の高さを感じました。
 時間切れでしたが,疑問点を挙げようとする生徒はまだたくさんいたようで,先生は,ノートに疑問点を書いておくように指示して終了しました。
 今日の授業は,疑問点を発表するところから始まりました。内容は,「3つの草原とは何か」「らくだはおいしいか」「水は足りているのか」といったもので,その数は,前の授業のものと合わせて17にも及びました。実に多くの疑問を持つものだと,改めて思いました。
 先生は,これら疑問点について資料集などを使って調べるように,また,載っていないものについては,自分なりの答えを考えるように指示をしました。主な発表内容は次の通りです。
○ 「ステップ」という用語の意味を教科書の記述から発表。
○ 「水は足りているか」に対して,(資料集の記述から?)水がなくなると移動するから足りている。
○ 「インターネットや電話はあるか」に対して,写真を見ると車が写っている。このことから,インターネットぐらいはあるのではないか。
○ 「らくだはおいしいか」に対して,らくだはごちそう,という記述があり,ごちそうと言うぐらいだからおいしいのだろう。
 まだ十分に疑問が解決できていませんでしたので,4人班で相談しながら解決するように指示が出ました。しかし,なかなか進まないので,先生は,いくつかある疑問の中から選んで解決するように,改めて指示を出しました。さあ話し合おう,と言ってもなかなか進まないことはあります。そんなときは先生の出番です。今回のように,調べるべき点が多数ある場合は,それを絞り込むことは重要であり,その指示は適切でした。
 その後,さらに調べ,発表の場面となり,授業のまとめへと続いていきました。
 この授業は,生徒が自らの疑問を解決することで,モンゴルの生活を調べようとするものでした。つまり,自ら課題を持ち,それを解決することが授業の中心で,まさに,「生きる力」の育成に直結すると思います。
 生徒が調べ,考えたことを発表する場面では,モンゴルの生活が目に浮かぶようでした。
 発表のときの挙手の多さを感じましたが,生徒は,自分で調べたり考えたりしたことは発表したいものです。人に伝えたいのです。そのことを改めて感じました。
 授業のまとめの部分では,生徒の発表を元にしようとする先生の姿勢が十分伝わってきました。一方,先生の補足説明が多く,この辺が生徒の発言を生かすことの難しさです。本校職員,みんなで考えていきたいと思っています。

行事と普段の学校生活

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 今日の集会では,先日行われた修学旅行の報告をし,それを受けて,行事の成果と反省を普段の学校生活に生かすことの大切さについて話しました。

 先日,3年生が修学旅行に行ってきました。その報告を少しだけ。
 一言で言うと,とてもよい修学旅行でした。大きなけがや病気になる人がなく,保健の先生の世話になる人もほとんどいませんでした。また,大きなトラブルに遭うこともありませんでした。そして,全員が無事に帰ってくることができました。このことが,何よりよかったと思っています。
 修学旅行では,何度も全員が集合する機会があります。そのいずれにおいても,誰一人として集合時刻に遅れる人がいませんでした。また,一般の方が乗ってみえる電車に,全員が乗る機会がありましたが,とてもマナーがよく,80人ほどの修学旅行の生徒たちが乗っているとは,とても思えないほどでした。騒がしくなりそうな雰囲気をとらえ,「シー」っという声も聞かれました。さらに,いろいろな活動中の生き生きとした表情や,活動から戻ってからの楽しい話も印象に残っています。
 さて,このようないい修学旅行をすることができた3年生の皆さんは,これを普段の学校生活に生かさない手はありません。普段の学校生活に生かすとはどういうことか。それは,修学旅行でできたことを普段でも実行し,できなかったことはできるように努力することです。例えば健康・安全に行ってこられたことや時間を守れたこと。このことは普段でも実行して欲しい。また,マナーがよかったこと。普段から,時と場面に応じた態度や言動を心がけて欲しい。ルールが守れなかったり,必要な持ち物を忘れてしまった人。これも当然,普段から気をつけたいですね。
 こういったことを心がけ,実行することによって,普段の学校生活がさらに充実し,次の行事へとつながっていきます。そしてさらに普段の学校生活に生かす。この繰り返しが皆さんを大きく成長させてくれます。
 明日から,2年生は佐久島に出かけます。1年生は校外学習があります。それぞれ準備は順調に進んでいますか? 私も佐久島へは,2年生の皆さんと一緒に行きますので,みなさんがどのような姿を見せてくれるのか楽しみにしています。1年生の校外学習は,その様子を直接見ることはできませんので,先生方からの報告を楽しみにしたいと思います。そして,それぞれの成果と反省点を,一人一人が普段の学校生活で生かしてくれることを望んでいます。
 さあ,1・2年生のみなさん,次はみなさんの番です。全員が楽しく,思い出に残る行事になるよう,みんなで,全員でがんばってください。

数学の授業から

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 10分ほどですが,3年生の数学の授業を見せてもらいました。
 「式の計算の利用」のうちの,式の値を求めることの復習で,求め方を確認し,その後練習,確かめを行う場面でした。
 式の計算を利用して式の値を求める方法は,おもに「式を展開してから値を代入」と「式を因数分解してから値を代入」の二つです。それぞれの方法を確認し,1問練習しました。
 ある程度時間を取り,「周りの人と確認してみよう」と指示すると,すぐに生徒は動き,活発にやりとりが始まりました。このあたりを見ていると,普段からこういった活動を頻繁に取り入れ,生徒も慣れている感じがします。
 確認し終わった生徒は問題集に取り組んでいました。また,周りの生徒と答えが違っていたり,やり方がよく分からなかったりした生徒は,周りに教えてもらっていました。「あ,そうか」「ここで違ったんだ」といった声が至るところから聞こえてきます。
 授業のパターンとして,練習をした後,先生が解説したり生徒に説明させたりして質問を受け付け,次に進む,といった流れもありますが,全員が分かったかどうかは疑問が残ります。しかし,このような学び合いの場面があると,分かった生徒の割合はぐっと増えるのではないでしょうか。さらに,教えた生徒の理解の度合いも深まるに違いありません。 挙手した生徒を指名し,生徒(A君)に途中の式を含めて黒板に書かせました。このとき,書いているA君には,次のような動きがありました。

・・・・・途中の式・・・・・
−5x+10=−5(
ここまで書いてしばらく悩む。
そして「−5( 」を消し,
−5x+10のxに値を代入し
た式を書き,最終的に,答え
「−100」にたどり着いた。

 書き終わったときに先生は,「なんでああやったんだ? とB君がつぶやいたけど,Cさんが解決してくれると思う」と言い,そして,Cさんに黒板に書きながら説明するように指示しました。
 Cさんは説明しながら次のように板書しました。

−5x+10=−5(x−2)
=−5(22−2)
=−5×20
=−100

 これを見て,生徒の中から「すごい」の声が上がりました。
 先生は「A君はこれがやりたかったの?」と確認し,それに対してA君は「そうです」と返答。この場面の最後で「どこで値を代入してもいいが,より簡単にしようとしているね」と締めくくりました。
 先生は,A君の板書の最終形だけを見るのではなく,途中の様子もよく観察し,そこからA君が何をしたかったのかを推察しました。そして,同じことをやっている生徒を見つけ,それを授業の中で生かしました。さらに,「なんでああやったんだ?」という生徒のつぶやきを拾い,それをもとにして授業を展開しました。
 Cさんの説明がA君のやりたかったことと同じであることを確認することによって,A君は最後まで行き着くことはできませんでしたが,発想自体はよかったことを,それとなく伝えています。
 また,先生の締めくくりの言葉は,Cさんのやり方やA君の発想に価値付けをしています。
 わずか10分ほどの参観でしたが,随所に学び合いが見られました。特に後半部分では,先生が生徒をよく見たり,つぶやきをよく聞いたりしており,それをもとにし,的確な指示によって学び合いが成立していると思いました。おそらく先生には,授業のイメージが明確にあり,得た情報を元に常にそちらの方向で進めていこうという姿勢があるのでしょう。そうでないとなかなかこうはいかないものです。とてもいい授業でした。
 今回扱った練習問題は教科書のものです。ふと思いましたが,この問題だからこそ,Cさんのやり方が成立します。つまり,−5x+10 は因数分解が可能であり,因数分解してから値を代入した方が計算がより簡単になります。その結果,先生の「どこで値を代入してもいいが,より簡単にしようとしているね」といった言葉につながりました。教科書の問題は,よく練られたものであることを,改めて感じました。

修学旅行

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 明日から3年生が修学旅行に出かけますので,今日の集会では,修学旅行について話しをしました。

 明日からいよいよ3年生が修学旅行に行きますので,修学旅行について少し調べてみました。
 日本のように,生徒が先生に引率されて宿泊を伴う旅行を行っている国は,韓国や中国,ヨーロッパ諸国などで,日本だけのものではないようです。
 日本の修学旅行は,1882年(明治15年)に栃木県第一中学校(現在の栃木県立宇都宮高等学校)の生徒たちが先生に引率され、東京の上野で開かれた博覧会を見学したことがはじまりと言われています。今から130年ほど前から現在まで行われている修学旅行。始まった当初は,どのような旅行だったのでしょうか。また,生徒たちはどのような思いで出かけていったのでしょうか。タイムマシンがあったら,是非見たり聞いたりしてみたいものです。
 私が中学生として修学旅行に行ったのは,今から40年前です。東京,日光,鎌倉,箱根,芦ノ湖に行きました。行き先は今とそれほど大きく変わりません。やはり,中学生にとって,日本の首都を見ておくことは,大きな意味があるのでしょう。
 今の修学旅行と少し違うところは,新幹線ではなく,「こまどり号」という修学旅行専用列車で行ったということ。また,高級ホテルやペンションに泊まるのではなく,何十畳もある大きな部屋に,何十人も寝る旅館に泊まったということ。また,今はディズニーランドや東京スカイツリーなどの施設がありますが,当時はありませんでしたから,「後楽園ゆうえんち」,現在の「東京ドームシティアトラクションズ」に行ったり,「東京タワー」に行ったりしました。当時も,国会議事堂や皇居などには行きました。
 行き先にそれほどの違いはありませんが,大きく違う点が一つあります。今は班別で電車などを利用し,行き場所を選択して行きますが,当時はバスに乗って全員が同じところに行ったということです。クラスごとに旗を持ったバスガイドさんが先頭を歩き,その後をぞろぞろついて行き,見学地を見て回りました。今でこそ多くの中学校が班別で行動しますが,当時としては考えられませんでした。そう考えると,今の中学生は恵まれていると思います。でも,当時中学生だった私は,修学旅行が楽しくて仕方がなく,ワクワクして見学地を回りました。
 ここで少し考えて欲しいのですが,皆さんはどうして班別で行動できるのでしょうか。一言で言えば,皆さんが先生たちから信頼されているからです。トラブルが起こったときに,皆さんが,それを解決できる力がなかったら,あるいはトラブルを未然に防ぐ力がなかったら,安心して班別行動はさせられません。また,誰もルールやマナーを守れなかったら,周りの人たちに迷惑をかけるのではないかと不安で,班別行動はさせられません。今でも班別行動ができない中学校があります。理由は様々だとは思いますが,残念ながら,先生たちからの信頼を得られない,という理由もあるようです。
 さあ,3年生の皆さん,明日からの修学旅行,私も一緒に行きます。皆さんの,生き生きとした表情や姿を楽しみにしています。多くの体験をし,多くを学んでください。そして,よい思い出をたくさん残してください。

家庭の授業から

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 3年生の家庭の授業を見せてもらいました。
 この時間は,産まれてから中学生になるまでを,乳児期,幼児期,児童期,中学生の四つの時期に分け,それぞれでどのような人と深く関わってきたのかを考える授業でした。
 各自で考え,プリントに記入し,発表しました。発表は挙手によるものでしたが,挙手はかなり多く,発言の意欲の高さを感じました。
 一人の発言に対して,「同じことを書いた人は手を挙げて」という指示がありました。これは,先生がその人数を把握すると同時に,発言した生徒以外にも意思表示する機会を与えることになります。また,より多くの生徒に,授業への参加意識を高めることにもなります。
 発言の声が小さいとき,「もう一度言ってください」。指名されて返事がないときに,再度指名し直す。指名されても座ったまま発言しようとしたときに,立つように指示をする。このような先生の動きが何度か見られました。これは,授業の場面はもちろんですが,授業以外にも,生徒が指名されたときに身につけておくべき大切なことを習慣づけようとする動きです。根気のいる作業ですが続けたいものです。さらに,こういったことは全教員で取り組むべきだと感じました。
 また,「友達の発言は書かなくてもいいよ」とか,「今日は,今後書くことはないから注目しよう」といった指示もありました。いずれもその場に応じた適切な指示だと感じました。
 発表の内容では,四つの時期いずれにも出てきた人は,親,親戚,兄弟でした。また,友達は乳児期のみ出てきませんでした。
 次に,家族から,産まれる前や産まれたときの様子を聞いたことのある生徒の発言を元に,逆子や産声,陣痛など,出産に関わる話を先生がしました。誰もが真剣な表情で聞いていました。
 授業は伏線の連続と言われます。この授業のこの展開と内容が,今後の授業でどのような形で生かされるのかが楽しみです。生徒の発表内容に対して,深く扱わなかった先生の意図が感じられました。また,先生の話を真剣に聞く生徒の様子も見られました。今後の授業を見てみたいと思いました。

英語の授業から

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 10分程度でしたが,2年生の英語の授業を見せてもらいました。
 先生が会話的な日本語を話し,その英語表現を生徒が教科書を見ながら言います。その後本日のポイントを押さえ,練習しました。
 英語の授業としてはよくあることかも知れませんが,「○○はとっても△△だよね」といった,会話的な日本語表現を聞かせ,その英文を生徒が言うといった活動が新鮮でした。こういったことの繰り返しが,英語をコミュニケーションの一つの手段であるという意識を高めていく気がします。
 今日のポイントは,「○○は△△に見える」という表現でした。はじめに「○○先生は悲しい」という表現を扱い,この場合は,本当に悲しいということ。次に,「悲しく見える」という表現を扱いました。このとき,あえて「look」と書き,「s」の付け忘れをしました。するとすぐに挙手する生徒がいました。当然なのですが,やはり,生徒は先生の板書をよく見ているものだと改めて思いました。そして,気づいたことがあればすぐに発言しようとする(しようとするだけで,無秩序に発言しないところが大切)姿勢に感心しました。
 どこが違っているのかを全員に投げかけ,指名して発言させました。「sがありません」「なぜいるの?」「三人称単数現在だから」。このようなやりとりがありました。また,「is sad」を「was sad」に変えると「look」はどうなるのか,といった問いかけもありました。
 やはり理由を意識させ,考えさせることは大切です。英語科においては,他教科と比較してその時間的な比重は少ないかも知れませんが,間違いを減らしたり,表現を工夫したりするときのもとになると思います。
 わずか10分の参観でしたが,ゆったりとした空気の中で授業が進み,生徒は集中し,落ち着いて学習している印象を持ちました。

一を聞いて十を知る

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 今日の集会では,「一を聞いて十を知る」ということわざを元に,一つの経験からたくさんの学びを得よう,と呼びかけました。

 「一を聞いて十を知る」,このことわざを,生徒の皆さんは聞いたことがあるでしょうか。意味は,ある事柄の一部分を聞いただけで全体を理解する,といった意味で,非常に賢くて理解力があることのたとえとして使われます。
 このことわざに真似て,「一つの経験から十を学ぶ」ということわざを考えてみました。
 学校では様々な経験をします。せっかくいろいろな経験をするのですから,一つの経験から一つの学びではなく,たくさんのことを学べたら,その人は,実に大きく成長できるのではないでしょうか。
 さて,今週は中間テストがあります。1年生にとっては初めての大きなテストです。この中間テストという経験。この一つの経験から,どのようなことが学べるのでしょうか。
 何も準備をすることなく,ただ単に受けるだけ。そして,結果に対して何も行動しない人。そういった人は,中間テストという一つの経験から,現状の学力を知るという一つの学び(情報)しか得られません。しかし,中間テストに向けて計画を立て,それに沿って準備を進め,結果に対しては,その内容を詳しく見て,準備から本番にかけての自分を振り返る人は,多くの学びを得ることができます。
 まずは計画を立てる段階。ここでは,試験範囲などから,自分にとって必要な勉強時間を把握します。また,どの教科にどのくらい力を入れるべきかを,普段の授業や練習問題などから判断します。そして,具体的な計画を立てます。このように,計画を立てるだけでもたくさんの学びがあります。ただし,様々なことを考えることなく,いい加減に計画を立てていては多くの学びを得ることはできません。
 次に,計画に沿って勉強を進めます。ここでは,なんと言っても学習内容の理解が広がったり深まったりします。また,その過程で,分からない問題に当たったときの解決方法や怠けたい,という誘惑に打ち勝つ方法も学ぶことになります。
 いよいよテスト本番。どの問題から手をつければいいのか。初めから順番に取り組んでいく,あるいは最初に全体を見て,できそうなものから解き始めるのか。 最後に,テストが返却されたら,その得点が自分にとって満足できるものかどうかを考えます。ミスはなかったのか,テスト本番での時間配分は適切だったのか。計画に無理はなかったのか。計画通りに進められたか。このように,中間テストに向けた自分の取り組みやテスト本番について振り返ります。さらに,間違えた問題が再度出されたときに正解できるようにしておくことが大切です。これによって学習内容の理解がさらに確実になります。
 このように,中間テストという一つの経験から多くの学びを得ることができます。ただし,今私が示したのは一つの理想です。初めからこのようにできる人は少ないと思います。しかし,やろうとすることが大切。やろうとすることによって理想に近づき,多くを学ぶことができるのです。
 もうすぐそれぞれの学年で,修学旅行,野外活動,校外学習があります。これらの経験からも,取り組み方次第で多くを学ぶことができます。
 今後,様々な経験を通して多くのことを学び,大きくなっていってください。

数学の授業から

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 2年生の数学の授業を見せてもらいました。
 単項式と単項式のかけ算の方法を理解することとその練習がねらいの授業でした。
 授業のはじめに次のようなやりとりがありました。「この前は何をやった?」「たし算とひき算」「じゃあ今日は何をやると思う?」「かけ算と割り算」。
 生徒は,次に学習すべき内容は先生が示してくれると思っています。しかし,このようなやりとりを行うことによって,生徒自らが次の学習内容を意識するようになると思います。生徒は学校を離れると,学習すべきことは自分で考えなければなりません。些細なことかも知れませんが,次の学習内容を予想する場面を作ることは非常に大切です。
 「+」×「−」→「−」といったように,2数の符号によって,積の符号がどうなるのかを確認した後,図を使って2a×3bの求め方を,生徒とのやりとりを通して理解させていきました。
 2a×3bの求め方を,数の部分をかけて6,文字の部分をかけてab,合わせて6abと,方法だけ教え,あとは練習,といった指導もあります。もちろん,それもありだと思いますが,この授業はそうではありませんでした。
 2a×3bは,大きな長方形の縦×横なので,大きな長方形の面積を表しています。これは,中の小さな長方形の面積abが6個分。ですから6ab。よって,2a×3b=6abとなります。このことを先生は,図を使って理解させようとしていました。また,いきなりa,bといった文字で考えさせるのではなく,具体的な数で進め,その後に文字で考えさせました。まだまだ文字に抵抗のある生徒もいます。このようなていねいな指導は,生徒が文字を使いこなせるようになるためにはとても大切です。
 このような図を使った手法には,同じ物(大きな長方形の面積)を,別な二つの方法(縦×横と小さな長方形6個分)で表し,これら二つをイコールで結ぶ,といった考え方が根底にあります。これは,等しいことを説明するために,今後も活用できる非常に有効なものです。計算ができればよしとするのではなく,生徒がこういった考え方を身につけてくれれば最高です。改めてそんなことを感じました。
 その後,プリントを使って計算練習を行いました。このとき,何問かあるうちの初めの5問ができた段階で,3〜4人グループで確認をさせました。そして,確認ができたところで次の問題に入らせていました。また,a×a=a(2乗) ,−a×a=−a(2乗) を確認した上で,(−a)(2乗) の計算についてグループで確認させ,その方法と結果を発表させていました。
 練習のでき具合を見てみるとかなりよかったです。やはり,グループでの活動が有効に機能していると感じました。

国語の授業から

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 1年生の国語の授業を見せてもらいました。
 教科書の詩を,生徒一人一人が朗読した様子を事前に録画してあり,それをクラスみんなで視聴し,その後感想を書いて発表する,という授業でした。
 私が教室に入ったときにはすでに視聴が始まっており,全員の机を中央やや前に寄せて視聴していました。より見やすいように,より聞きやすいように,といった先生の配慮が感じられました。
 視聴後,先生は次のような内容の発言をしました。「もしも自分の朗読のビデオを他のクラスの生徒が見て,『○○○』(よく聞き取れませんでしたが,馬鹿にしたような言葉?)と言われたらどう思う? 失敗したときに『○○○』と言われたらどう?」 おそらく視聴中に,そのような発言をした生徒がいたのでしょう。クラスの誰もがシーンとしていました。そして,「先生はこんな国語の授業をするつもりはない」と発言しました。
 さらに「自分が馬鹿にしてしまったと思う人は手を挙げてください」。3〜4名の挙手がありました。手を挙げた生徒に対して「よく手を挙げたね」と,勇気を出して挙手したことをほめていました。
 「失敗を笑うのか,その人のよいところを挙げていくのか」「失敗を笑うクラスってどう思う?」「失敗したっていいじゃないか。次につながればいい」「発表しづらい空気。これはだめだよね」
 この一連の先生と生徒とのやりとりは,学習内容とは直接関係ありません。しかし,極めて重要です。今後の授業の雰囲気,生徒の授業に対する基本的な姿勢を作る,今の時期,あるいは気づいたときにやっておくべき重要な内容です。
 録画視聴後,国語ノートに生徒は各自で感想を書きました。そして発表。
 先生は,生徒の発表した感想や聞いている生徒に対してその「よさ」を認めるコメントをしていきました。「いいよ,その意識」「感想のその読み方にまで間があったね」「発表のときにみんなの方を向いていたね」「その声がいいですね」「○○さんのメモがすごい。びっしりだ。みんなの発言をメモしていくと,自分の感想も広がります」など。
 発言の内容や姿勢などを,認め,ほめることによって,何がよいのかが自然に伝わります。「○○しなさい」「○○はいけません」と言っても伝わるし,言うべき場面もありますが,認め,ほめることは,なんと言っても言われた本人に「認められた感」「ほめられた感」が残ります。これは,授業に意欲的に取り組もうという気持ちを育て,さらに,その教科や先生を好きになることにもつながると思います。



理科の授業から

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 2年生の理科の授業を見せてもらいました。
 授業の始まる前に教室に行くと,全員が各自,あるいは友達同士で原子記号や化学式を一生懸命覚えていました。この日は小テストがあり,それに備えての勉強のようです。高得点を取ろうとする意欲がかなり高いと感じました。
 テストプリントを配付するときに,先生は,列の先頭の生徒に「お願いします」と言いながら渡し,渡された生徒は「ありがとうございます」と言って受け取り,後ろの生徒に回していました。些細なことかも知れませんが,大切な一言であり,こういった言葉のやりとりを見ている生徒は,自然にその大切さを感じ,身に付けていくのではなでしょうか。そして,そのことが当たり前になっていくように思います。
 テスト時間はおよそ10分。テスト開始時に時間を決めてあったのではなく,「まだ時間の欲しい人は?」と確認しながら終了時間を決めていました。テスト時間があまり間延びしてもいけませんが,生徒に納得のいくまで取り組ませたいという配慮を感じました。
 9割以上の生徒が,解答欄の全てを埋めており,正解かどうかの結果はともかく,こういった生徒の姿勢が素晴らしいです。
 テスト終了後,すぐに3〜4人グループで答え合わせが始まりました。答案用紙を互いに交換し,教科書などを見ながら回答の横に小さく○付け。一通り終わったところでさらに交換。3人グループなら小さな○が2個,4人なら3個付くことになります。グループのメンバー全員が,他の答案全てを見て確認,ということです。その後,答案用紙を本人に返却し,確認と間違い直しに入りました。
 この一連の流れを見ていて,互いにみんなで覚えていこうという雰囲気を感じました。間違い直しのときに,「O(酸素)の書き方は〜だよ」「いつもこれを間違えちゃう」「しっかり覚えなきゃ」「C(炭素)は大文字だよ」「aを付け忘れてるね」といった教え合いの声が,いたるところから聞こえてきました。
 普通,小テストも回収して先生が採点します。しかし,この授業のように,テスト後すぐに答え合わせをすることによって,すぐに結果が分かります。そして,すぐに間違い直しをすることで記憶に残りやすいのではないでしょうか。さらに,グループで一緒に活動することで,みんなで,といった雰囲気や教え合いが生まれます。もちろん,指導は入っているでしょうが,生徒たちは実に自然に取り組んでいました。
 一通りの活動が終わったグループは,テストプリントの「練習」の欄に,原子記号や化学式を書いていました。しかも,先生からの指示は一切ありません。とにかく何もせずにぼーっとしている生徒はいないのです。授業でのよい習慣がかなり身に付いている印象を持ちました。

結果がすべてか

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 今日の集会では,学校の目的を再確認しながら,努力を続けることの大切さについて話しました。

 先週の集会で,自転車の練習を例に挙げ,努力を続けることの大切さを話しました。しかし,どれだけ一生懸命努力し続けても,思うような結果が出ないことがあります。ひょっとしたら,結果が出ないことの方が多いかも知れません。では,その努力は無駄なのでしょうか。
 現実の社会を見てみましょう。
 例えばプロ野球の選手。打率が3割のバッターと2割のバッター,どちらが評価されるでしょうか。当然3割の方です。この二人がどの程度の努力をしていたか,その努力の量が評価されることはなく,結果のみが評価されます。また,例えば営業マン。年間の売り上げを一千万円あげた人と百万円しかあげなかった人。その企業にとって,どちらが有能な社員か。当然一千万円の人です。ですから,給料もそちらの人の方が多くて当たり前です。この場合も努力の量が給料に反映されることはありません。
 このように,現実の社会では結果のみによってその人が評価されます。このことについて皆さんはどう思うでしょうか。努力も評価して欲しい,と思う人もいるかも知れません。
 しかし,プロ野球はチームが勝つことを要求されています。ですから,その人がチームが勝つことに貢献できているかどうかで評価されるのは当然です。また,企業は利益をあげることを要求されています。ですから,その人が企業の利益に貢献できているかどうかで評価されるのは当然です。現実の社会は厳しいものです。結果がすべてと言っても過言ではありません。
 しかし,どんな世界でも,結果を残すには努力が必要です。努力のないところには結果もありません。
 かの天才バッターイチロー選手の言葉に次のようなものがあります。
 「努力せずに何かできるようになる人のことを天才というのなら,僕はそうじゃない。努力した結果,何かができるようになる人のことを天才というのなら,僕はそうだと思う」
 要するに,イチロー選手が結果を残せているのは,努力があったからこそ,ということです。結果を残すためには,必ず努力が必要なのです。現実の社会では,結果を残すことを目的として人は努力するのです。
 では,学校はどうでしょうか。学校でも,学習成績や部活動などで結果を残すために皆さんは努力します。しかし,学校は結果を残すことだけを目的としているわけではありません。学校は,生徒が人間的に成長することを最大の目的としています。その成長の中には,努力することも含まれます。学校では,努力できる人を育てることも大切で大きな目的です。通知票の成績を,テストの結果だけではなく,普段の努力の様子も含めて評価しているのはそのためです。
 努力しても結果が出ないことは必ずあります。これは,勉強に限らず,部活動なども含めてです。しかし,今は結果を出すことが目的ではなく,将来のために努力できる自分を作っているのだと考え,努力を続けて欲しいと思います。そして,その先に結果が残せれば最高ですね。

昨年度,美術の授業から

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 昨日に引き続き,授業を見せてもらったときの感想を載せたいと思います。
 やはり昨年度の授業で,1年生の美術です。

 二点透視図法の練習でした。課題を先生が提示し,ポイントを説明したり確認したりした後,4人グループで相談しながら描いていました。そして,その後全体で確認,といった流れの授業でした。
 課題は,立方体の一面に出っ張り,一面にへこみのある立体を描くことです。「えーっ」といった声があがり,生徒にとってはかなり抵抗のある課題のようです。しかし,授業を見る限り,適度な難易度だと感じました。
 グループの中で,教え,教えられる姿が随所で見られました。先生の指示により,描けた生徒が他のグループに派遣される場面もありました。生徒からは,「そうそう」「だから〜」「きれいに描くには〜」「分かった」といった声が聞かれます。なんと言っても,何もしない生徒,他ごとをしている生徒が全くいません。誰もが意欲的です。
 全体で描き方を確認するとき,生徒に黒板で描かせたり説明させたりして,それを使いながらポイントを押さえていました。また,描き方の手順が分かるように,途中で止めながら確認していました。先生が説明してしまえば簡単ですが,生徒のやり方や説明を生かそうとする姿勢が感じられました。このことは,生徒の説明する力を伸ばすことにつながると思います。さらに,何名かの生徒に説明させ,手順や描き方の違いに注目させ,それぞれの手法を先生が認めていました。生徒たちは,自分のやり方や考え方のよさに,なかなか気づかないものです。そこで先生が認め,価値付けすることによって,自分のよさに気づき,そして,他の生徒も友達のよさに気づくのです。

昨年度,社会科の授業から

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 今日から授業が本格的に始まりました。
 昨年度ですが,2年生の社会科の授業を見せてもらったときの感想を載せたいと思います。

 この日は,授業の前半,復習の意味で,歴史の問題プリントを使い,関連する問題を先生が出題し,それを生徒たちが答えていました。
 出題に対してすぐに手を挙げる生徒がいましたが,隣同士で相談したり確認し合ったりするように促していました。コミュニケーションを取らせたいという先生の気持ちが伝わってきます。また,このことは,すぐに分かってしまった生徒だけで授業が進むことを防ぐ効果もあります。
 とにかく生徒の反応が活発で,どんどん手が挙がります。常に8割程度は手が挙がっている感じがしました。
 少し難しめの発問に対しては,さすがにすぐに手を挙げる生徒はいません。しかし,調べ,相談すると,多数手が挙がります。それにしても発言の意欲はかなり高いです。
 「分からない→調べる・相談する→挙手」といった流れは,学び合いの一つのパターンだと思います。色々な目的でこのパターンは使えると思いますが,この授業では,知識の新たな獲得や確認がその目的で,当然これもありです。特にこの時間のように,授業の前半で行うことは,授業に勢いが出てよいと感じました。
 クイズのような感覚で,連想ゲーム的な出題もあり,生徒は楽しく取り組み,実に生き生きとしていました。
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