最新更新日:2020/03/31 | |
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声をあわせて、心をあわせて (2)
音楽室では「上パート」の練習が行われていました。低学年の子どもたちもいっしょけんめい参加しています。
美しい歌声がひびき、本番が楽しみになってきました・・ 全国学校給食週間(戦後の給食)ここでは戦後の学校給食についてふれてみたいと思います。 太平洋戦争が終わり、昭和21年には東京、神奈川、千葉などで学校給食が再開されました。翌22年には全国の児童およそ300万人を対象に学校給食がひろがり、アメリカから無償であたえられた脱脂粉乳がミルクとして提供されました。 この後もすこしずつ給食の実施が拡大していき、いよいよ昭和27年、小麦粉の半額国庫補助が行われ4月より、全国すべての小学校を対象に「完全学校給食」が実施されました。 私(校長)も小学校の1年生まではミルクは現代のような牛乳ビンに入ってくるものではなく、アルマイト食器に注がれた温かい「脱脂粉乳」だったように記憶しています。 友だちとおしゃべりをしている間にミルクが冷めてくると、表面にうすい膜がはって、あの香りとぬるっとした食感がなんともビミョーだったものです・・・ 加藤くん(4年)、瀬戸市役所を訪問そのときの記事が中日新聞(28日 発行)の「なごや東版」のページに掲載されていました。 3年 三州足助屋敷にて (1)目的地に到着すると、やっぱり寒かったです・・・ 3年 三州足助屋敷にて (2)小刀をつかって制作にチャレンジしました。できあがった竹とんぼをさっそく飛ばしてみました・・・ 3年 三州足助屋敷にて (3)道泉小学校の友だちと記念撮影をして、バスに乗車して学校へ帰りました。 2年 「雪だるまをつくろう」 (1)2時限目、2年1組の子どもたちは運動場で雪だるまづくりに挑戦しました。シーソーやブランコの近くで材料となる雪を集めて、バケツに入れていきます・・・ 2年 「雪だるまをつくろう」 (2)きょうの給食(1月26日)・ひきずり ・ひじきとれんこんのあえもの ・ごはん ・牛乳 ・みかん 「全国学校給食週間」の3日目は、愛知県の郷土料理である「ひきずり」が登場しました。 鶏肉をつかったすき焼きのことをこの地方では、「ひきずり」と呼びます。 ひきずりの名前の由来にはいくつか通説がありますが、なかでも、鶏肉はしっかりと火を通さないといけないことから、 鶏肉のすき焼きは肉を鍋底でじっくりひきずって食べる、その様子から「ひきずり」になったという説が有力です。この料理のあまりのおいしさに、とり肉ののった皿を引きずりあったことに由来するといった説もあります。 「ひじきとれんこんのあえもの」はひじき、れんこん、ほうれんそう、にんじん、オイルツナを砂糖、しょうゆ、ごま油で和えました。 食後のフルーツとして「みかん」も登場しました。とても甘かったです。 みかんの房の数あてクイズをして楽しみながら食べているクラスもありました。 給食の思い出今日は、「給食にまつわる思い出」について書いてみようと思います。 お父さん、お母さんをはじめ、教職員などの大人にとって、一つや二つは給食にまつわる思い出があるのではないでしょうか? それが甘酸っぱかったり、ほろ苦かったりいろいろだと思いますが・・・ 大好物のメニューが出る時にかぎって熱が出て学校をお休みしたとか(これ、私のことです)、苦手なおかずを隣の席の子に食べてもらったとか、牛乳を飲むとき鼻をつまんでいる子がクラスにいただとか・・・ そんな大人たちの郷愁(?)にこたえて、過去には「給食カレー」というネーミングのレトルト食品や給食セットを再現した食玩(しょくがん)が発売された時期がありました。 また東京では、給食メニューやお店の内装で小学校の教室を再現した居酒屋が人気で、ノスタルジックな雰囲気にひかれてやってくるスーツ姿のおじさんを見かけるそうです。そこで提供されるおもなメニューがこれです。 ・あげぱん ・ソフトめん ・カレーシチュー ・ミートソース ・ひじきごはん ・くじらの竜田あげ etc このほかにも、今も現役のミルメークもラインアップであるそうです。 こうしたお店が大人たちでにぎわっているということは、やっぱり給食メニューに郷愁を感じる人たちが少なくないことの証でしょうね。 私たちの世代が思い出すのが、アルマイト製の食器ですね。その当時、汁物が入った食器は周囲まで熱が伝わっているので、スープなどは‘当番泣かせのメニュー’でした。机まで運ぶと、指先を耳たぶで冷やす子どもたちの姿がよく見られたものです。 私が教員になったころは、「オレたちひょうきん族」という番組が人気で、その中に登場するキャラクターからネーミングされた「タケちゃんマンライス」という給食メニューが人気でした。 正式な名称は、ミルクファイバーライスという、エビ、アサリ、ニンジン、タマネギなどが入ったミルクスープベースの麦入り炊き込みご飯でしたが、番組の終了とともに、“幻のメニュー”となってしまいました。 本日の欠席状況(1月26日)
瀬戸市内では、学級閉鎖の措置が解除された学校もあれば、新たに閉鎖をはじめたところもあり、26日(金)午前11時現在、8小学校、1中学校が学級閉鎖となっています。
◇発熱などの病気によるお休みは下記のとおりです。 【3年】 インフルエンザによる出席停止(1名) 昨日より病気によるお休みの人数は減りました。また、インフルエンザの症状がおさまり、医師より治癒証明をいただき、登校を再開した子もいます。 週末に外出する際は「マスクの着用」、帰宅後は「うがい・手洗いの励行」を心がけるよう、お子様に声をかけてください! 3年 合同校外学習に出発!1月26日(金)、3年1組の子どもたちは社会科の学習のたしかめをするために、豊田市にある「三州足助屋敷」(香嵐渓)へ校外学習に出かけました。 今回も道泉小学校の3年生と合同でバスに乗って目的地に向かいます。 午前8時40分、3年1組の子どもたちが児童玄関前に集合しました。 校舎に向かって元気に 「行ってきま〜〜す!」とあいさつをして深川小を出発、バス乗車予定の瀬戸信用金庫まで歩きます。 8時50分、子どもたちを乗せた瀬戸市の大型バスが足助をめざして出発しました。 雪の朝(1月25日)夜には尾張地区に「大雪警報」も発令されて、どうなることかと思いました。 1月25日(木)警報は解除され、昨夜とはうってかわって青空が広がり、朝日がまぶしい朝をむかえました。 出勤すると運動場は一面の銀世界です。子どものいない校庭はし〜〜んと静まりかえっています・・ ごあいさつの日(1月25日)昨夜は雪が降り、冷え込む朝となりましたが、児童会メンバーはこの日のことを忘れずに、通学班より早い時間帯に学校に集まってくれました。 午前8時になりました。いつもなら1〜2班は児童玄関を通過するのですが、今日はまだ誰も登校してきません。 朝の寒さで出足が鈍ったのか、それとも通学路で氷をさがしているのでしようか? やがて泉町方面の通学班を皮切りに、次々に子どもたちが登校してきました。 雪玉を投げながら歩く子どもたちの姿をみたら、どうやら後者の予想が正しかったようです・・・ 横浜で「ララ物資」の記念碑を見つけました!当日はあいにく雨模様の天気だったので写真が鮮明ではありませんが、私がこの記念碑に遭遇したのも何かの縁だと思いますので、ここで「ララ物資」について少しふれてみたいと思います・・・ 昭和20(1945)年8月、日本は連合国に敗戦すると、国内では厳しい食糧危機が生じ、横浜市においても餓死者が続出する事態となりました。特に乳幼児や児童の栄養不足は深刻な問題で、栄養価の高い食料の供給を望む声が強くなっていました。こうした終戦後の日本の混乱は海外にも伝わり、アメリカで困窮者を救済するために結成されたのが「ララ(LARA)」でした。 「ララ(LARA)」とは、Licensed Agencies for Relief in Asiaの頭文字をとったもので、日本語では「アジア救援公認団体」と翻訳されています。 ララの構成メンバーは、アメリカの社会事業団体をはじめ、宗教団体、そして故郷の平和を願う在留邦人や日系人が中心でした。彼らはアメリカ国内をまわり寄付金や救援物資を集めるのに奔走されたそうです。 昭和21(1646)年11月30日、ララが集めた救援物資が横浜港へ入港しました。その内容は、ミルク類などの食料品が最も多く、次いで衣料品や靴などがあり、乳牛やヤギなどの生き物も含まれていたそうです。「ララ物資」と呼ばれたこれらの救援物資は、横浜港から全国の社会福祉施設などに送られ、その多くが乳幼児や児童に分配されました。横浜市でもこの物資をもとに小学校で給食が提供されることになりました。 記念碑には、「ララ物資」を送ってくれた異国の人々への深い感謝と、当時ご尽力された方々の功績を後世に永く残すことを目的に、多くの方々からの募金により平成13(2001)年4月にこの記念碑を建立した・・と、刻まれています。 記念碑のとなりには、昭和24(1949)年に、香淳皇后(昭和天皇の皇后)が昭和天皇とともにララ物資の倉庫を訪問されたときに詠んだ歌が刻まれていました。そこには・・ ララの品つまれたる見て とつ国のあつき心に 涙こほしつ あたヽかきとつ国人の 心つくし ゆめなわすれそ 時はへぬとも ララ物資は昭和21年から27年までの6年間にわたって送られ続けました。 1時限目は雪遊び! (1)始業前の運動場で遊ぶ子どもの姿はまばらで閑散としています。(かぞえてみたら8人しか遊んでいませんでした) しかし、1時限目が始まると、校舎内からどんどん子どもたちが出てきます。静かだった運動場がにぎやかになりはじめ、あちらこちらで雪合戦がスタートです・・ 1時限目は雪遊び! (2)昨夜に降った雪は、サラサラで雪玉をつくるのが難しいのです。私も雪合戦に参戦しようと雪を固めていると、背後に人影が見えました。 私のいやな予感は的中しました・・・(^_^;) 靴紐を 結ぶ間も来る 雪つぶて 中村 汀女 きょうの給食(1月25日)・けんちん汁 ・みそカツ ・ボイルキャベツ ・ごはん ・牛乳 「全国学校給食週間」2日目は、「みそカツ」が登場しました。 「みそカツ」は愛知県の名産品である豆味噌(まめみそ)をベースに作った味噌だれをトンカツにかけていただきます。 昔から愛知県で作られてきた味噌は、米麹や麦麹を使わずに豆麹のみで仕込んでいます。見た目の色から“赤みそ”とも呼ばれます。 今日のみそカツは、豚肉の「ヒレ」という部位を使用しました。ロースの内側にある棒状の部位のヒレは、豚一頭からおよそ1kgしかとれません。これは、1頭の肉量の2%ほどに当たります。 ヒレ肉はビタミンB1を最も多く含んだ部位です。ビタミンB1は疲労回復に効果があります。 精進料理がもとになった「けんちん汁」の具材には、豆腐、大根、ごぼう、にんじん、しいたけ、ねぎが使われています。精進料理では“殺生(せっしょう)はいけない”という教えから、肉や魚は用いません。 「けんちん汁」の名前の由来は、神奈川県にある「建長寺(けんちょうじ)」の修行僧が作っていたことから「建長寺で作った汁」がなまり、「けんちん汁」になった・・という説があります。 本日の欠席状況(1月25日)◇本日の発熱などによるお休みは下記のとおりです。 【1年】 体調不良によるお休み(1名) 【2年】 のどの痛み(1名) 【3年】 インフルエンザによる出席停止(3名) 【5年】 インフルエンザによる出席停止(1名) 本校でも残念ながら、インフルエンザによる出席停止の人数が増えてきました。引きつづき「手洗い・うがいの励行」を心がけていきたいですね。 入学説明会(平成30年度 入学者対象)早朝まで雪が残り、足下が悪い中、5名の入学予定児童の保護者様に出席していただけました。 今回は受付と同時に学用品の販売をしました。また説明会の前に学童保育所からの案内もありました。 職員による学校の概要、保健、PTA活動などの説明をさせていただき、予定の11時30分に会は終了しました。 |
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