最新更新日:2020/03/31 | |
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2月分の集金について※集金日(口座振替日)・・・2月12日(木) 前日までにご準備をよろしくお願いします。 学校給食週間(給食の思い出)この期間に給食では限定メニューも登場するということで楽しみにしている子どもたちも多いようです。 今日の「みそカツ」は好評だったようで、子どもたちが「すっごい美味しかったよ!」と教えてくれました。 お父さん、お母さんをはじめ教職員にも、一つや二つは給食にまつわる思い出があるのではないでしょうか? それが甘酸っぱかったり、ほろ苦かったりいろいろだと思いますが・・・ 大好物のメニューが出る時にかぎって熱が出て学校をお休みしたとか、苦手なおかずを隣の席の子に食べてもらったとか、牛乳を飲むとき鼻をつまんでいる子がクラスにいただとか・・・ そんな大人たちの郷愁(?)にこたえて、「給食カレー」というネーミングのレトルト食品や給食セットを再現した食玩(しょくがん)が発売された時がありました。 また東京では、給食メニューを再現した居酒屋が人気で、ノスタルジックな雰囲気にひかれてやってくるスーツ姿のおじさんを見かけるそうです。そこの人気メニュー「スペシャル給食セット」の内容がこれです。 ・あげぱん ・ミートソース ・ソフトめん ・カレーシチュー ・肉だんごスープ ・春雨サラダ ・くじらの竜田あげ ・ミルメーク(コーヒー、ココア、いちご、バナナ、抹茶きなこ、キャラメル) 瀬戸の学校給食が、「1食 240円」です。お値段が1000円以上するこのスペシャルセットが高いと感じるか、安いと感じるか・・・ 瀬戸市内でも、懐かしの「鶏肉のてりかけ」をメニューに出すお店がオープンしたことも記憶に新しいですね。 私たちの世代が思い出すのが、アルマイト製の食器ですね。その当時、汁物が入った食器は周囲まで熱が伝わっているので、‘当番泣かせのメニュー’でした。机まで運ぶと、指先を耳たぶで冷やす光景がよく見られたものです。 私が教員になったころは、「オレたちひょうきん族」という番組が人気で、その中に登場するキャラクターからネーミングされた「タケちゃんマンライス」という給食メニューが人気でした。正式な名称は、ミルクファイバーライスという、エビ、アサリ、ニンジン、タマネギなどが入ったミルクスープベースの麦入り炊き込みご飯でしたが、番組の終了とともに、“幻のメニュー”となってしまいました。(ちょうど、お父さん、お母さんの世代かな?) 藤四郎の伝説をたずねて (陶祖公園)1月29日(木)の2時限、瀬戸の焼き物を語る上でわすれてはならない人物、陶祖・加藤四郎左衛門景正(通称 藤四郎)の伝説をたずねて、4年生は校外学習に出かけました。 はじめの見学地は、校区のはずれにある「陶祖公園」です。こちらは大きな焼き物でできた「六角陶碑」が有名です。 担任の佐藤教諭は、深川小学校歌一番の歌詞に出てくる「陶祖のいしぶみ(碑)」は、この六角陶碑のことをうたっていることを子どもたちに説明していました。 せっかくなので、陶碑の前で深川小の校歌をみんなで元気に歌ってみました。 ♪ 700年の いにしえを 語る陶祖の碑(いしぶみ)は 学舎(まなびや)近く そびえたり あおげ 苦心のそのかみを おかえりなさい! (1)1月28日(木)の午後、深川小学校所蔵のお宝2点もミュージアム館長さんや学芸員さんによって瀬戸蔵から搬出され、無事に里帰り(?)を果たしました。 まず一点目のお宝は「染付花鳥図大花瓶」です。鑑定によれば明治時代前期の作品で、たいへん、たいへん貴重なものだそうで、また別の企画展において貸し出しのチャンスがあるかもしれません。 数多くの芸術品をみてきた館長、学芸員さんによって校長室まで運び込まれ、花瓶の表面に描かれた図の中でも、いちばん見栄えのする飾り方(適切な正面配置)をしていただき、返却完了です。 おかえりなさい! (2)
こちらは、もう一つのお宝である「木製の二宮金次郎 像」です。
館長さんらによって、厳重に梱包されたクッション材をとりはずしていきます。画像だけを見ると、ちょっとエジプトのミイラ発掘を想像してしまいました(^_^;) さて、学校の記録によれば、この二宮金次郎像、1980年(昭和55)ころに深川小学校OB(台湾在住)の方より寄贈されたものだそうです。 これからまた毎日、廊下を歩く子どもたちを見守り、りっぱな大人に成長できるよう、静かなメッセージをおくっていってくれることと思います。 1月・縦割り活動 (サッカー)今回も球技や鬼ごっこなど運動場や校庭をつかったスポーツ系の遊びが中心の「晴天案」と室内ゲームの「雨天案」の2種類を準備して計画がすすめられて、この日をむかえました。 子どもたちは病気によるお休みもなく、61名が校庭に全員集合!良い天気にも恵まれ、運動場には子どもたちの歓声がひびきました。 画像は3班と6班が合同で楽しんだサッカーのようすです。 1月・縦割り活動 (フットサル)
こちらは体育館で1班と5班が合同で行ったフットサルのゲームです。
1月・縦割り活動 (カンけり)
2班と4班の子どもたちは合同で「カンけり」を楽しみました。今日は先生たちが「鬼」です。ちょっとスリル満点でしたね。
きょうの給食(1月28日)・ひきずり ・五目豆 ・ごはん ・牛乳 ・いもういろ 「学校給食週間」の3回目の給食メニューは、“愛知県の郷土料理”である「ひきずり」が登場しました。 鶏肉をつかったすき焼きのことをこの地方では「ひきずり」と呼ぶそうです。名前の由来は、鍋の中で肉をひきずるようにして焼いたことからなのだとか。 名古屋コーチンなどで知られるように、昔から愛知県は鶏(にわとり)の飼育が盛んな地域で、すき焼きの時には、牛肉のかわりに鶏肉がよく使われていたようです。 「ひきずり」といっしょにいただいたのが「五目豆」、そして食後のおやつは「いもういろ」でした。 この「いもういろ」は、「学校給食週間」の限定メニューとして2回目の登場ではないでしょうか? 名古屋で生まれ育った私にとって、さつまいもをつかったこのおやつ、覚王山あたりでは有名なお店もあって、「鬼まんじゅう」という呼び名の方がなじみ深いです。 瀬戸市内でも「鬼まんじゅう」の呼び名で親しまれていますが、「いもういろ」といったほうが通じやすいエリアもあるようです・・・ 学校給食週間(掲示物から)
職員室前の廊下にある壁面の給食掲示板には、おなじみの“今週の献立コーナー”のほかに、学校給食特集として「給食の歴史」についての写真や説明が千賀さん(栄養職員)によって掲示されています。
5年「水にとけた食塩をとり出すことができるか」 (1)5年生は理科の単元「物のとけ方」で、食塩やホウ酸を水に溶かす実験をとおして、物が水に溶ける量には限度があることや、溶ける量は水の温度や量によってちがったり、溶けやすい物質とそうでないものがあったりすることを学習します。 今回の実験では、食塩水から食塩を取り出せるかについて調べます。はじめに、「ろうと」や「ろ紙」をつかっての“ろ過”によって取り出す方法を試みましたが、ビーカーにポタポタと垂れる液体は透明にみえて、今ひとつはっきりした答えがわかりません。 そこで、アルコールランプを使って、食塩水を蒸発させてみることにしました・・・ 5年「水にとけた食塩をとり出すことができるか」 (2)
食塩水をアルコールランプで熱する実験です。液体が蒸発した後にどうなるかをたしかめます。
実験中に子どもたちがおしゃれな(?)めがねをかけていますが、これは「保護めがね」で、ふっとうした液が急に飛んで目などに入る事故を防ぐための器具で、教科書の中にも使用をすすめる記載があります。(安全に実験を行うことも大切なことですね) アルコールランプに点火して数分後、水分がなくなった蒸発皿の底には白い粉があらわれてきました・・・ 学校給食週間(完全学校給食スタート)この後もすこしずつ給食の実施が拡大して、いよいよ昭和27年、小麦粉の半額国庫補助が行われ4月より、全国すべての小学校を対象に「完全学校給食」が実施されました。 私(校長)も小学校の1年生まではミルクは牛乳ビンに入ってくるものではなく、アルマイト食器に注がれた温かい「脱脂粉乳」だったように記憶しています。 友だちとおしゃべりをしている間にミルクが冷めてくると、表面にうすい膜がはって、あの香りとぬるっとした食感がなんともビミョーだったものです・・・ きょうの給食(1月27日)・わかめごはん ・牛乳 ・おちょんぼり ・れんこん入りつくね ・けんちゃん 「全国学校給食週間」で2回目の給食は、「おちょんぼり」、「けんちゃん」を取り入れた瀬戸の郷土料理献立です。 「おちょんぼり」は、すいとん汁のことです。瀬戸市では、おちょんぼりの名前で親しまれてきました。汁の中に、ぽちょん、ぽちょんとすいとんを入れていく様子から、この名前がついたそうです。 給食のおちょんぼりには、すいとんのほかにも、白菜や人参、しいたけなどを入れました。しょうゆ味の少しとろっとした汁物です。 「けんちゃん」は、大根や人参を炒めた「炒めなます」です。瀬戸市では、お正月におせち料理としても食べられています。大根、人参、油揚げを炒め、醤油、砂糖、酢で味付けをしています。 「れんこん入りつくね」は、愛知県産れんこんを使用しています。れんこんがシャキシャキとして、いい食感でした。 おおぞら組「足ぶみ版画」 (1)今回は全職員が参観する中で、「足踏み版画」をテーマに授業がすすめられました。ネーミングからもわかるように手ではなく、足で版画を刷(す)るようです。 はじめに鏡にうつった自分の顔を見ながら、ポリエチレン板にボールペンをつかって自画像を描いていきます。“ポリスチレン”という柔らかい素材にボールペンで線を彫るので、木版画よりも抵抗感が少なく、楽しく作業がすすめられます。5年生の女の子は楽しそうに作業に集中しています。 彫りが終わったら、岡田教諭が準備した壁紙(凹凸のあるシール紙)を好きな形にはさみでカットして、背景にはっていきます。 6年生の男の子は背景の模様にも意味をもたせようと頑張っていました。 おおぞら組「足ぶみ版画」 (2)カラーインクがローラーにしっかりなじむように、ていねいに伸ばします。均等にインクがローラーについたら、さきほど彫ったポリスチレン板に色をつけます・・・ おおぞら組「足ぶみ版画」 (3)
いよいよ「刷り(すり)」の作業です。ネーミングのとおり、新聞紙の上に版(ポリスチレン板)を置いて、足で踏んでインクを紙に定着させます。
足踏みは、村上教諭がオルガンで演奏する「ミッキーマウス・マーチ」のリズムにのって楽しく行いました。 曲の演奏が終わりました。しっかり足踏みをしたので、仕上がりが楽しみになってきました。 そ〜〜っと紙をめくってみると・・・ みごとに版画の完成です! インクの色を変えたりしながら2〜3枚ほど刷ったら、席にもどって今日の学習のふりかえりをして授業が終わりました。 1年「できるようになったこと」4時限目にもう一度、教室へおじゃますると子どもたちが水彩絵の具で着色をしていました。 1年生の生活科に「もう すぐ みんな にねんせい」という単元があります。その中に「できるようになったこと」というテーマで、小学校に入学してからこれまでに頑張ったことやできるようになったことを出し合って、自分や友だちの成長に気づく活動があります。 絵の制作は、まず大きな紙に寝ころがって、等身大のアウトライン(自分の姿)を描いてスタートしたそうです。 今すすめている着色が終わったら、体のまわりの余白に「できるようになったこと」や「がんばったこと」を書き込むのだそうです・・・ 6年「電気を利用した物をつくろう」6年生は理科の単元「電気とわたしたちのくらし」で、電気をつくり出したり、つくった電気を蓄えて、光や音、熱に変えてみたりする実験をとおして、エネルギー資源の有効利用について考える学習をします。 子どもたちはこれまでに、ハンドルのついた「手回し発電機」で、何もないところから電気をつくったり、電気を蓄えることのできるコンデンサーの存在を知って、豆電球や発光ダイオードをつないで点灯させたりしました。また、電熱線の太さを変えながら、強力な発砲ポリスチレンをカットする道具もつくってみました。 いよいよ学習のまとめとして、これまでの知識を応用して、「電気を利用した物」をつくる活動に入りました。 5年生の時にモーターを利用したおもちゃが家に保管されている子はそれを持参したり、6年生になって制作した実験キットの部品を材料にしたりして制作はスタートしました。 さっそく自分の設計した部品をつくるために、ポリスチレンの板を発熱カッターで切っている子やコンデンサーを利用して明かりがつく建物の構想を練る子の姿がありました。 【5年生の時の実験キットからヒントをもらう子】 http://www.city.seto.aichi.jp/education/school/... 自分の小学生の時に比較すると、最近の実験キットはリモコンで操作できたり、いろいろなアクションをしたりすることに、ただただ感心するばかりです。それに、ちゃんと一年前の教材を大切に保管していたことにも感心します・・・ 学校給食週間(戦中と戦後の給食)今週は「全国学校給食週間」ですので、給食の歴史についても少しふれてみたいと思います。 昭和10年代、太平洋戦争が激しくなってくると、人々の生活はだんだん苦しくなっていきました。食料や衣服、燃料(ねんりょう)など生活に欠かせない物も自由に手に入れることができなくなり、みんな、政府(せいふ)から配られるキップを持って品物を受けるようになりました。また、武器の材料にする金属も不足したので、家庭で使用する鍋ややかんなどの金属製品を提出しなければいけませんでした。 学校では、食料不足を補うため、運動場までが野菜などを育てる畑として使われるようになりました。(写真 4) それでも、人々は「ほしがりません勝つまでは」とか「ぜいたくは敵(てき)だ」といったスローガンで自分たちをはげましながら不自由な生活にたえていました。 給食のメニューもだんだん質素になり、以前のように栄養のあるものは出なくなりました。 「すいとん」は小麦粉に水を加えて練りまぜたものを汁物の中にいれて煮た食べ物です。瀬戸地方では“おちょんぼり”という名前でよばれていたそうです。(写真 5) 戦争が終わると、日本はアメリカの占領下におかれました。アメリカ軍は日本に食料を援助してくれましたが、その中にミルクがありました。ミルクといっても現在のような液体ではなく、粉ミルクを湯で溶かしたもので、「脱脂粉乳(だっしふんにゅう)」とよばれていました。 水野さんの紙芝居の一枚には戦争直後の学校のようすを思い出して描かれたものがあります。子どもたちが「餅つき」をしているように見えますが、これはカチカチに固まってしまった脱脂粉乳を溶けやすくするために細かく砕いている作業の場面でした。裏面の説明には次のように書いてあります。 昭和22年、学校給食が始まる。その前年度末、高等科生徒が一里塚の山へ薪(まき)を切り出しに行きました。 4月から学区のお母さんが、味噌汁とミルクの給食を作り、帰宅前に子どもたちに食べさせました。 6年男子がリヤカーで市場から給食の材料を運び、固まったミルクを杵(きね)で粉にしました。(写真 5) |
瀬戸市立深川小学校
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