最新更新日:2020/03/31
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3月24日(火)1〜5年生臨時登校日(9:10下校)  4月7日(火)にじの丘学園小中学校入学式  4月8日(水)にじの丘学園小中学校始業式                                

6年「電気を利用した物をつくろう」

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 1月27日(火)の1・2時限、6年1組の理科の授業風景です。
 6年生は理科の単元「電気とわたしたちのくらし」で、電気をつくり出したり、つくった電気を蓄えて、光や音、熱に変えてみたりする実験をとおして、エネルギー資源の有効利用について考える学習をします。
 子どもたちはこれまでに、ハンドルのついた「手回し発電機」で、何もないところから電気をつくったり、電気を蓄えることのできるコンデンサーの存在を知って、豆電球や発光ダイオードをつないで点灯させたりしました。また、電熱線の太さを変えながら、強力な発砲ポリスチレンをカットする道具もつくってみました。
 いよいよ学習のまとめとして、これまでの知識を応用して、「電気を利用した物」をつくる活動に入りました。
 5年生の時にモーターを利用したおもちゃが家に保管されている子はそれを持参したり、6年生になって制作した実験キットの部品を材料にしたりして制作はスタートしました。
 さっそく自分の設計した部品をつくるために、ポリスチレンの板を発熱カッターで切っている子やコンデンサーを利用して明かりがつく建物の構想を練る子の姿がありました。

【5年生の時の実験キットからヒントをもらう子】

http://www.city.seto.aichi.jp/education/school/...

自分の小学生の時に比較すると、最近の実験キットはリモコンで操作できたり、いろいろなアクションをしたりすることに、ただただ感心するばかりです。それに、ちゃんと一年前の教材を大切に保管していたことにも感心します・・・

学校給食週間(戦中と戦後の給食)

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 1月26日(月)の1時限、3年1組の子どもたちは漢字の書き取り練習に集中しています。そのむこうの壁には、「昔の話を聞こう(戦争体験)」という授業でゲストティーチャーをしてくださった水野さんの自作の紙芝居が掲示されています。(写真 1〜3)
 
 今週は「全国学校給食週間」ですので、給食の歴史についても少しふれてみたいと思います。
 昭和10年代、太平洋戦争が激しくなってくると、人々の生活はだんだん苦しくなっていきました。食料や衣服、燃料(ねんりょう)など生活に欠かせない物も自由に手に入れることができなくなり、みんな、政府(せいふ)から配られるキップを持って品物を受けるようになりました。また、武器の材料にする金属も不足したので、家庭で使用する鍋ややかんなどの金属製品を提出しなければいけませんでした。
 学校では、食料不足を補うため、運動場までが野菜などを育てる畑として使われるようになりました。(写真 4)
 それでも、人々は「ほしがりません勝つまでは」とか「ぜいたくは敵(てき)だ」といったスローガンで自分たちをはげましながら不自由な生活にたえていました。
 給食のメニューもだんだん質素になり、以前のように栄養のあるものは出なくなりました。
 「すいとん」は小麦粉に水を加えて練りまぜたものを汁物の中にいれて煮た食べ物です。瀬戸地方では“おちょんぼり”という名前でよばれていたそうです。(写真 5)
 戦争が終わると、日本はアメリカの占領下におかれました。アメリカ軍は日本に食料を援助してくれましたが、その中にミルクがありました。ミルクといっても現在のような液体ではなく、粉ミルクを湯で溶かしたもので、「脱脂粉乳(だっしふんにゅう)」とよばれていました。
 水野さんの紙芝居の一枚には戦争直後の学校のようすを思い出して描かれたものがあります。子どもたちが「餅つき」をしているように見えますが、これはカチカチに固まってしまった脱脂粉乳を溶けやすくするために細かく砕いている作業の場面でした。裏面の説明には次のように書いてあります。
 昭和22年、学校給食が始まる。その前年度末、高等科生徒が一里塚の山へ薪(まき)を切り出しに行きました。
 4月から学区のお母さんが、味噌汁とミルクの給食を作り、帰宅前に子どもたちに食べさせました。
 6年男子がリヤカーで市場から給食の材料を運び、固まったミルクを杵(きね)で粉にしました。(写真 5)

U & I

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 1月26日(月)の5時限、おなじみの1・2年生の合同の練習風景です。
 今日は音楽劇の中で発表する曲「 U & I 」(若松 歓 : 作)の歌唱を集中的に練習しました。
 全体を二つのグループにわかれて、一つのグループが歌唱をする時は、もう一つがそれを聴いて気づいたことやアドバイスを発表します。
 それを交互に行う中で、だんだん美しい声が教室に響きはじめます・・・

版画展 入選作品

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 1月23日(金)、品野中学校において版画作品の審査が行われました。そこで本校の代表作品が決まりましたので、紹介させていただきます。

(写真 上)
 1年 宮村くんの作品
  「とびだした りゅう」

(写真 中)
 4年 山田さんの作品
  「リコーダーをふく私」

(写真 下)
 5年 大嶽くんの作品
  「運動会の組体操」

 代表作品は4月に行われる「第47回 子ども版画展」(会場:パルティせと)に展示される予定です。

全国学校給食週間

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 明日(1月24日)から30日(木)までの1週間は、「全国学校給食週間」です。
 瀬戸市では,「学校給食週間」にちなんで、郷土料理や愛知県産の食材を使用した‘ 期間限定の給食メニュー ’が登場します!

 それを前に「全国学校給食週間」のはじまりについて少しふれてみたいと思います・・・

 明治22年,山形県鶴岡市の小学校でお弁当を持って来ることのできない貧しい子どもたちに学校を建てたお坊さんが昼食を出したのが,日本での「学校給食のはじまり」と言われています。
 そのときのメニューが,おにぎり,焼き魚,漬け物だったそうです。その当時の子どもたちはみんな喜んで食べたそうです。(写真)  

 明治22年にはじめて実施されて以来、全国各地に広がってきた学校給食も太平洋戦争の始まりとともに中断されてしまいました。
 戦後、食糧難による児童の栄養状態の悪化を背景に、学校給食実施の必要性が叫ばれるようになり、昭和21年にララ(Licensed Agencies for Relief in Asia)より、給食用物資寄贈を受けて学校給食を再開することになりました。
 まず試験的に、東京、神奈川、千葉で、児童約25万人に対して学校給食を実施することになりました。
 それ以来、給食物資の贈呈式が行われた12月24日を「学校給食記念日」と定めました。
 その後,昭和25年に、ララ(LARA)、ユニセフ等による給食用物資の寄贈に対する感謝の意を表するとともに、学校給食が戦後に再開できた意義を考え、新たに「学校給食週間」が定められました。
 でも、“記念日”はまさにクリスマス、それから1週間を「学校給食週間」に設定しても冬休みに入ってしまうため、実施する期間を一ヶ月ずらして、1月24日から1月30日までの1週間となりました。

 ちなみに、瀬戸市で給食が再開されたのは昭和22年。その時のメニューは、「蒸したさつま芋」と「子どもたちが校庭で育てた小麦を使用して打たれたうどん」だったそうです。 
 

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音楽劇の発表にむけて(1月23日)

 このところ5時限の“おやくそく”となってきました、1・2年合同で発表する音楽劇の稽古風景です。
 セリフの内容から、どうやら猫がいろいろ登場するストーリーのようです。(写真 1・2)
 この写真はけっして遊んでいるのではありません。ステージにあがったら、他の登場人物がセリフを話している場面もボーッとしているわけにはいきません。自分のセリフがない時でも「猫らしい演技」をしているところなんです。(写真 3)

 たしかにうちの猫もこんなしぐさをしていますねぇ・・・
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静かなブーム・・・

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 2学期半ばに、児童玄関にある一輪車の整備を用務員の梅村さんがしてくれました。(パンク修理、部品交換など)
 寒くなり始めた12月頃より、4年生の女子の間で「一輪車」が静かなブームになってきました。
 冬休み前には、へっぴり腰で、50センチほど前へ進めただけで拍手喝采だった子どもたちですが、まさに“継続は力なり”、こつこつ練習を重ねてきて、今ではご覧のように、こんなに上手になりました。

【上手になった姿を動画で・・・】

http://www.city.seto.aichi.jp/education/school/...

足助屋敷へレッツ・ゴー!

 3年生は社会科「かわってきた人々のくらし」という単元で、古い道具をさがして調べたり、その道具を使っていた当時の生活について考えたりする学習に取り組んでいます。

 1月23日(金)、3年1組の子どもたちは社会科の学習のたしかめをするために校外学習に出かけました。目的地は豊田市にある「三州足助屋敷」です。紅葉で有名な香嵐渓といったほうがわかりやすいかもしれません。
 今日は担任の藤谷教諭のほかに引率の補助として、学校サポーターの守屋さんにも一日、付き添っていただきます。
 午前8時40分、職員室前に整列した子どもたちは、職員室や2〜3階で勉強する子どもたちに
「いってきま〜〜す!」の挨拶を元気にしました。

 ファミリー交流館前に待機しているマイクロバス(瀬戸市)に乗車、予定どおりの時刻に足助屋敷めざして発車しました。
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音楽劇の発表にむけて(1月22日)

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 2月の本番にむけて、今日も5時限に1・2年生が合同で音楽劇の練習をしていました。
 台本を渡されてからまだ数回の練習しかしていないはずなのですが、近藤、佐野、二名の教員による熱心な歌唱指導、演劇指導によって、子どもたちの発表する姿にもう変化がみられます。
 登場人物になりきって、感情をこめたセリフを話したり、堂々とした身振りができたりの稽古(けいこ)を見ていると、本番への期待が高まってきます・・・

電気を通す物、通さない物

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 3年生は理科の単元「明かりをつけよう」で、豆電球、乾電池、導線などをつかって、電気の通り道(回路)をつくり、豆電球に明かりをつける活動を出発点にして、身の回りにある物の中から電気を通す物を見つけて、その特ちょうをまとめる学習をします。
 1月22日(木)の3時限、理科室では3年1組の子どもたちが理科担当の中尾教諭の指導で実験を行っていました。
 今日の授業では、スプーン、ボールペン、瀬戸焼きのコーヒーカップ、炭酸飲料のボトルについたキャップなど、身の回りの物を回路につなげて、「電気を通す物」と「通さない物」について調べていました。
 子どもたちはさらに発展して、筆箱のふたについた金属や水道の蛇口、いすの脚・・・いろいろなものを試しはじめました。
 そして豆電球に明かりがつくと、
「お〜〜」とか「やった!」と歓声をあげていました。

本日の欠席状況(1月22日)

 今日は朝から、あいにくの雨模様・・・
 でも、ひさしぶりにお休みはゼロ! 「全員集合!」です。
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中心をそろえて

 1月21日(水)の5時限、2年1組の書写(しょしゃ)の授業風景です。
 書き方練習帳のマス目の中心に気をつけながら硬筆で清書をします。消しゴムを使う回数が決められているので、スリルもあるし、一文字ずつに集中して書くことができます。
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バースデー・ブラッシング (1月21日)

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 1月21日(水)の給食の時間、1月生まれの子どもたちを保健室に招待しての「バースデー・ブラッシング その2」が行われ、男子ばかり3名(4年生 1名、6年生 2名)が来室して、金子養護教諭といっしょにランチタイムを過ごしました。
 今回は「中日ホームニュース」の取材も行われるということで、記者の堀江さんが見守る中でのバースデー・ブラッシングとなり、またそれをホームページのネタに私が取材をするという、ややこしい構図となりました(^_^;)
 ランチタイムでは、堀江記者のインタビューを受けて、ちょっぴりはずかしそうな男の子たちの表情がまぶしいです。もちろん金子養護教諭も昨年の秋に「第53回 全日本学校歯科保健優良校表彰」で“奨励賞”を受賞したことや日頃の健康指導についての取材を受けていました。
 食後に行われるミニ保健指導や3分間の歯みがきタイム、最後に行われる、口腔カメラ「見歯るくん」をつかっての歯みがきチェックまで取材をしていただけました。

 この取材のようすは、2月13日発行の中日ホームニュースに掲載される予定です。

新聞記事から・・・

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 1月19日に文部科学省が公立小中学校の統廃合に関する手引き案を提示したことをうけて、本日(21日)発行の中日新聞(なごや東版)に瀬戸市内での受けとめについての取材内容が掲載されていました。
 記事では、深川小学校や掛川小の児童数の推移や学級規模についての説明や教育委員会の関係者や瀬P連会長の談話などが書かれていました。
 

3・4年 「ミニサッカー」(シュート練習)

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 1月21日(水)の1時限、体育館では3・4年生の合同体育で「ゴール型ゲーム(ミニサッカー)」の授業が行われていました。
 今日は、相手からのパスをトラップ(足で止めて)、シュートを打つ練習が中心となりました。
 スポーツなどのチームプレーは、人間同士の会話によるコミュニケーションと共通点があるように思います。
 野球のキャッチボールやサッカーのパスでも、相手の受け止めやすいように、思いやりをもってボールを送ることが大切です。
 ボールのスピードは速すぎず、遅すぎず、そして“アイコンタクト”も忘れてはいけませんね・・・

6年「租税教室」

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 1月20日(火)の5時限、税理士の上ノ坊さんを講師にお招きして、6年1組の子どもたちを対象に「租税教室」が行われました。
 この授業では、講師から配布されたテキスト「税金って なに?」とビデオを教材にしての学習がすすめられました。
 上ノ坊さんは、はじめに次のようなクイズを子どもたちに出題しました。

「救急車で運ばれた人は、消防署にお金を払っている。○か×か?」

 子どもたちはこれまでに、病院まで搬送された人が料金を支払う場面などは見たことがないので、「無料(ただ)」と答えました。
 上ノ坊さんは、日本では支払い義務はないけれど、救急車の運賃(搬送代金)を支払わなければならない国が実際には存在して、初乗り(基本料金)がびっくりするほど高額であることを教えてくださいました。
 ビデオ教材のあらすじは次のような内容でした。

 お父さんが消防士のマリンとヤマトの二人は、ある日とつぜん税金のない生活と遭遇します。税金のない生活では、信号機は点灯しなくなり、ゴミ収集車は来ないのでゴミがあふれ、道路の舗装はいたんだままで、町は荒れ果てていました。
 学校で使う教科書も有料であるため、学費がとてもかかることや火災が起きると消火活動も有料となり、その費用を支払えない家庭がたくさんあるので、マリンたちのお父さん(消防士)の収入が減ってしまいました・・・

 ビデオ視聴の後、子どもたちは「国の収入」や「国の支出」の内訳や地方予算の決め方、「公債(こうさい)」などの意味についても教えていただきました。

 今日の授業では「億」や「兆」といった日常の生活では縁のない金額が多く登場ました。それを子どもたちが体感できるように、「一億円」の札束と同じ大きさ、重さの見本にふれるコーナーももうけてくださいました。

第2回 道泉・深川 5年交流学習 (1)

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 今年度の新たな試みとして5年生は、お隣の道泉小の子どもたちと合同で保育園訪問を行う計画がスタートしました。
 その2回目の交流学習が1月20日(火)に行われました。前回は道泉小の子どもたちが来校してくれましたので、今回は深川小の子どもたちが道泉小を訪問する番です。
 わいわ楽しくおしゃべりをしながら徒歩で20分ほどかかって道泉小学校に到着しました。はじめに交流会場となる体育館へ入りました。
 およそ一ヶ月ぶりに再会した子どもたち、お互いに緊張感をほぐすためにゲームで楽しみます。
 以前に顔合わせをしているので、おたがいにうちとけるのにそれほどの時間を必要としませんでした・・・

第2回 道泉・深川 5年交流学習 (2)

 長い放課に楽しく遊んで交流した子どもたちは、体育館から校舎3階にある図工室に移動しました。
 ここではグループごとにわかれて、保育園訪問の際に園児たちとどんな遊びをするのか、内容や係分担についての話し合いをしました。
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版画作品(1年)

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 本校では12月から図工の授業で版画の制作をすすめてきました。先週までですべての学年が作品を完成させたところです。
 1月19日(月)の授業後、図工室に職員があつまって、校内の版画作品について意見交換をしながら研修を行いました。
 すべての作品とはいきませんが、作品の一部を学年ごとに紹介させていただきます。まずは1年生から・・・

 1年生から3年生は、高学年のような木材ではなく、石膏でできた板に太い釘(くぎ)やニードル、ドライバーなどで自分の描きたいものを直接ほっていきますので、勢いのよい作品が見られます。(石膏版画)

 1年は「とびだした りゅう」というお話をもとにして絵や自分の想像した生物や世界(くうかん)を描きました。
 

版画作品(2年)

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 2年の石膏版画です。「大工と鬼六(だいくとおにろく)」というお話を聞いて下絵を描きました。
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学校行事
3/16 朝会
3/18 卒業式予行(1、2限)
3/19 卒業式 会場準備
瀬戸市立深川小学校
〒489-0074
愛知県瀬戸市宮脇町53
TEL:0561-82-2272
FAX:0561-82-2362