最新更新日:2020/03/31
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3月24日(火)1〜5年生臨時登校日(9:10下校)  4月7日(火)にじの丘学園小中学校入学式  4月8日(水)にじの丘学園小中学校始業式                                

3年 三州足助屋敷にて  (3)

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 足助屋敷では、鍛冶屋さん、紙すき、水車やつるべ井戸を見学したり、「こはる」という名の大きな牛にふれたりしました。
 道泉小学校の友だちと記念撮影をして、バスに乗車して学校へ帰りました。

2年 「雪だるまをつくろう」 (1)

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 1月26日(金)の朝、目覚めると窓の外は雪景色でした。運動場は二日続けて雪が積もっています。
 2時限目、2年1組の子どもたちは運動場で雪だるまづくりに挑戦しました。シーソーやブランコの近くで材料となる雪を集めて、バケツに入れていきます・・・

2年 「雪だるまをつくろう」 (2)

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 みんなで力をあわせて、かわいい雪だるまが完成しました!

きょうの給食(1月26日)

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[今日のメニュー]

・ひきずり
・ひじきとれんこんのあえもの
・ごはん
・牛乳
・みかん

 「全国学校給食週間」の3日目は、愛知県の郷土料理である「ひきずり」が登場しました。

 鶏肉をつかったすき焼きのことをこの地方では、「ひきずり」と呼びます。
 ひきずりの名前の由来にはいくつか通説がありますが、なかでも、鶏肉はしっかりと火を通さないといけないことから、 鶏肉のすき焼きは肉を鍋底でじっくりひきずって食べる、その様子から「ひきずり」になったという説が有力です。この料理のあまりのおいしさに、とり肉ののった皿を引きずりあったことに由来するといった説もあります。

 「ひじきとれんこんのあえもの」はひじき、れんこん、ほうれんそう、にんじん、オイルツナを砂糖、しょうゆ、ごま油で和えました。

 食後のフルーツとして「みかん」も登場しました。とても甘かったです。
 みかんの房の数あてクイズをして楽しみながら食べているクラスもありました。

給食の思い出

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 「全国学校給食週間」の3日目となりました。

 今日は、「給食にまつわる思い出」について書いてみようと思います。
 お父さん、お母さんをはじめ、教職員などの大人にとって、一つや二つは給食にまつわる思い出があるのではないでしょうか? それが甘酸っぱかったり、ほろ苦かったりいろいろだと思いますが・・・
 大好物のメニューが出る時にかぎって熱が出て学校をお休みしたとか(これ、私のことです)、苦手なおかずを隣の席の子に食べてもらったとか、牛乳を飲むとき鼻をつまんでいる子がクラスにいただとか・・・
 そんな大人たちの郷愁(?)にこたえて、過去には「給食カレー」というネーミングのレトルト食品や給食セットを再現した食玩(しょくがん)が発売された時期がありました。
 また東京では、給食メニューやお店の内装で小学校の教室を再現した居酒屋が人気で、ノスタルジックな雰囲気にひかれてやってくるスーツ姿のおじさんを見かけるそうです。そこで提供されるおもなメニューがこれです。

・あげぱん
・ソフトめん
・カレーシチュー
・ミートソース
・ひじきごはん
・くじらの竜田あげ etc

 このほかにも、今も現役のミルメークもラインアップであるそうです。

 こうしたお店が大人たちでにぎわっているということは、やっぱり給食メニューに郷愁を感じる人たちが少なくないことの証でしょうね。
 
 私たちの世代が思い出すのが、アルマイト製の食器ですね。その当時、汁物が入った食器は周囲まで熱が伝わっているので、スープなどは‘当番泣かせのメニュー’でした。机まで運ぶと、指先を耳たぶで冷やす子どもたちの姿がよく見られたものです。

 私が教員になったころは、「オレたちひょうきん族」という番組が人気で、その中に登場するキャラクターからネーミングされた「タケちゃんマンライス」という給食メニューが人気でした。
 正式な名称は、ミルクファイバーライスという、エビ、アサリ、ニンジン、タマネギなどが入ったミルクスープベースの麦入り炊き込みご飯でしたが、番組の終了とともに、“幻のメニュー”となってしまいました。

本日の欠席状況(1月26日)

 瀬戸市内では、学級閉鎖の措置が解除された学校もあれば、新たに閉鎖をはじめたところもあり、26日(金)午前11時現在、8小学校、1中学校が学級閉鎖となっています。


◇発熱などの病気によるお休みは下記のとおりです。  


【3年】

インフルエンザによる出席停止(1名) 


 昨日より病気によるお休みの人数は減りました。また、インフルエンザの症状がおさまり、医師より治癒証明をいただき、登校を再開した子もいます。
 週末に外出する際は「マスクの着用」、帰宅後は「うがい・手洗いの励行」を心がけるよう、お子様に声をかけてください!
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3年 合同校外学習に出発!

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 3年生は社会科「かわってきた人々のくらし」という単元で、古い道具をさがして調べたり、その道具を使っていた当時の人々の生活について考えたりする学習に取り組んでいます。
1月26日(金)、3年1組の子どもたちは社会科の学習のたしかめをするために、豊田市にある「三州足助屋敷」(香嵐渓)へ校外学習に出かけました。
 今回も道泉小学校の3年生と合同でバスに乗って目的地に向かいます。

 午前8時40分、3年1組の子どもたちが児童玄関前に集合しました。
 校舎に向かって元気に
 「行ってきま〜〜す!」とあいさつをして深川小を出発、バス乗車予定の瀬戸信用金庫まで歩きます。
 8時50分、子どもたちを乗せた瀬戸市の大型バスが足助をめざして出発しました。

雪の朝(1月25日)

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 昨日は夕方から雪が降り始め、私が帰宅する頃は瀬戸街道が大渋滞で、三郷の自宅にたどりつくまでに1時間以上かかりました。
 夜には尾張地区に「大雪警報」も発令されて、どうなることかと思いました。

 1月25日(木)警報は解除され、昨夜とはうってかわって青空が広がり、朝日がまぶしい朝をむかえました。

 出勤すると運動場は一面の銀世界です。子どものいない校庭はし〜〜んと静まりかえっています・・

ごあいさつの日(1月25日)

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 今日は“5のつく日”、登校時間帯に「あいさつ運動」が行われました。
 昨夜は雪が降り、冷え込む朝となりましたが、児童会メンバーはこの日のことを忘れずに、通学班より早い時間帯に学校に集まってくれました。

 午前8時になりました。いつもなら1〜2班は児童玄関を通過するのですが、今日はまだ誰も登校してきません。
 朝の寒さで出足が鈍ったのか、それとも通学路で氷をさがしているのでしようか?

 やがて泉町方面の通学班を皮切りに、次々に子どもたちが登校してきました。

 雪玉を投げながら歩く子どもたちの姿をみたら、どうやら後者の予想が正しかったようです・・・

横浜で「ララ物資」の記念碑を見つけました!

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 昨年(2017)6月に横浜港へ行った際、新港埠頭に石碑が建っていることに気づきました。よく見ると、全国学校給食週間に深く関係のある「ララ物資」の記念碑でした。
 当日はあいにく雨模様の天気だったので写真が鮮明ではありませんが、私がこの記念碑に遭遇したのも何かの縁だと思いますので、ここで「ララ物資」について少しふれてみたいと思います・・・

 昭和20(1945)年8月、日本は連合国に敗戦すると、国内では厳しい食糧危機が生じ、横浜市においても餓死者が続出する事態となりました。特に乳幼児や児童の栄養不足は深刻な問題で、栄養価の高い食料の供給を望む声が強くなっていました。こうした終戦後の日本の混乱は海外にも伝わり、アメリカで困窮者を救済するために結成されたのが「ララ(LARA)」でした。
 「ララ(LARA)」とは、Licensed Agencies for Relief in Asiaの頭文字をとったもので、日本語では「アジア救援公認団体」と翻訳されています。
 ララの構成メンバーは、アメリカの社会事業団体をはじめ、宗教団体、そして故郷の平和を願う在留邦人や日系人が中心でした。彼らはアメリカ国内をまわり寄付金や救援物資を集めるのに奔走されたそうです。
 昭和21(1646)年11月30日、ララが集めた救援物資が横浜港へ入港しました。その内容は、ミルク類などの食料品が最も多く、次いで衣料品や靴などがあり、乳牛やヤギなどの生き物も含まれていたそうです。「ララ物資」と呼ばれたこれらの救援物資は、横浜港から全国の社会福祉施設などに送られ、その多くが乳幼児や児童に分配されました。横浜市でもこの物資をもとに小学校で給食が提供されることになりました。

 記念碑には、「ララ物資」を送ってくれた異国の人々への深い感謝と、当時ご尽力された方々の功績を後世に永く残すことを目的に、多くの方々からの募金により平成13(2001)年4月にこの記念碑を建立した・・と、刻まれています。
 記念碑のとなりには、昭和24(1949)年に、香淳皇后(昭和天皇の皇后)が昭和天皇とともにララ物資の倉庫を訪問されたときに詠んだ歌が刻まれていました。そこには・・

ララの品つまれたる見て 
  とつ国のあつき心に 
      涙こほしつ

あたヽかきとつ国人の 
   心つくし ゆめなわすれそ 
       時はへぬとも

 ララ物資は昭和21年から27年までの6年間にわたって送られ続けました。

1時限目は雪遊び! (1)

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寒い朝の“おやくそく”!今日は2年生の男の子が通学路でみつけた「つらら」を持ってきてくれました。
 始業前の運動場で遊ぶ子どもの姿はまばらで閑散としています。(かぞえてみたら8人しか遊んでいませんでした)
 しかし、1時限目が始まると、校舎内からどんどん子どもたちが出てきます。静かだった運動場がにぎやかになりはじめ、あちらこちらで雪合戦がスタートです・・

1時限目は雪遊び! (2)

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 運動場を見渡しても、雪だるまをつくる子どもの姿は見られません。下へ降りていってみて、そのワケがわかりました。
 昨夜に降った雪は、サラサラで雪玉をつくるのが難しいのです。私も雪合戦に参戦しようと雪を固めていると、背後に人影が見えました。

 私のいやな予感は的中しました・・・(^_^;)


 靴紐を 結ぶ間も来る 雪つぶて     中村 汀女

きょうの給食(1月25日)

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[今日のメニュー]

・けんちん汁
・みそカツ
・ボイルキャベツ
・ごはん
・牛乳

 「全国学校給食週間」2日目は、「みそカツ」が登場しました。
 「みそカツ」は愛知県の名産品である豆味噌(まめみそ)をベースに作った味噌だれをトンカツにかけていただきます。
 昔から愛知県で作られてきた味噌は、米麹や麦麹を使わずに豆麹のみで仕込んでいます。見た目の色から“赤みそ”とも呼ばれます。
 今日のみそカツは、豚肉の「ヒレ」という部位を使用しました。ロースの内側にある棒状の部位のヒレは、豚一頭からおよそ1kgしかとれません。これは、1頭の肉量の2%ほどに当たります。
 ヒレ肉はビタミンB1を最も多く含んだ部位です。ビタミンB1は疲労回復に効果があります。

 精進料理がもとになった「けんちん汁」の具材には、豆腐、大根、ごぼう、にんじん、しいたけ、ねぎが使われています。精進料理では“殺生(せっしょう)はいけない”という教えから、肉や魚は用いません。
「けんちん汁」の名前の由来は、神奈川県にある「建長寺(けんちょうじ)」の修行僧が作っていたことから「建長寺で作った汁」がなまり、「けんちん汁」になった・・という説があります。

本日の欠席状況(1月25日)

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 1月25日(木)午前11時現在、市内では「学級閉鎖」の措置をとった学校数が昨日よりも増えて、8小学校(18学級)、1中学校(1学級)となりました。

◇本日の発熱などによるお休みは下記のとおりです。  

【1年】

 体調不良によるお休み(1名)


【2年】

 のどの痛み(1名)


【3年】

インフルエンザによる出席停止(3名) 


【5年】

インフルエンザによる出席停止(1名) 


 本校でも残念ながら、インフルエンザによる出席停止の人数が増えてきました。引きつづき「手洗い・うがいの励行」を心がけていきたいですね。

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入学説明会(平成30年度 入学者対象)

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 1月25日(木)の午前10時50分より、会議室(2階)で「入学説明会」を行いました。
 早朝まで雪が残り、足下が悪い中、5名の入学予定児童の保護者様に出席していただけました。
 今回は受付と同時に学用品の販売をしました。また説明会の前に学童保育所からの案内もありました。

 
 職員による学校の概要、保健、PTA活動などの説明をさせていただき、予定の11時30分に会は終了しました。

予報どおりになってしまいそうです・・

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 時計は午後5時をまわったあたりから、冷たい風とともに校庭には雪がちらつきはじめました。
 見る見るうちに運動場は白くなり、職員の車の屋根には雪がつもっていきます。やっぱり天気予報どおりになってきました。
 運動場でははしゃぐ3年生(?)の姿が見えます(^_^;)

 明日の朝の登校時間帯は、路面の凍結が心配ですね。お子さまが出るときには、一声かけて頂ければと思います。

今宵は雪かな・・・・

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 1月24日(水)の登校風景です。寒い朝となりました。
 1年1組の子どもたちは生活科の単元「ふゆを たのしもう」で容器に水をはって、寒い朝に氷をつくることに挑戦しています。
 容器は児童玄関(校舎の南側)とプールの近く(校舎北側)の二カ所に設置されています。
 ランドセルを背負ったままの1年生が、児童玄関前の容器の中を見に行きましたが、氷はできていませんでした。

「おかしいなぁ・・?」
「きょうは さむいのにねぇ・・」
「太陽が出てるからじゃない?」
いろいろなつぶやきが聞こえてきます。

 すると泉町方面から登校してきた男の子が大きな氷を持って見せてくれました。
 氷の表面には、結晶のような不思議な模様がぎっしりとついています。

 天気予報によれば、今日の午後から寒気がこの地方にも降りてきて、夕方から雪の天気になり、厳しい寒さになるようです。

 翌朝の路面凍結にはくれぐれもご注意ください!

入学説明会のご案内

 平成30年度入学児童の保護者のみなさまを対象にした「入学説明会」を下記のように開催いたします。

(日 時) 1月25日(木)午前10時50分〜11時30分
 

    *午前10時35分より受付をはじめます。     


(会 場) 深川小学校 会議室(校舎 2階)

  *児童玄関より入場して、階段を上がると会議室です。


 ☆説明会の前に、「学用品の販売」と「学童保育所の説明」が予定されています。


【説明会】

・校長あいさつ
・学校概要について(教頭)
・入学までの準備について(教務主任)
・健康に過ごすために(養護教諭)
・学費の徴収について(事務)
・PTA活動について(教 頭)
・質疑応答


  * 画像は昨年度の説明会のようすです。


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全国学校給食週間 スタート!

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 1月24日(水)から30日(火)までの1週間は、「全国学校給食週間」です。
 瀬戸市では,「学校給食週間」にちなんで、郷土料理や愛知県産の食材を使用した“ 期間限定の給食メニュー ”が登場します!

 ここでは「全国学校給食週間」のはじまりについて少しふれてみたいと思います・・・

 明治22年,山形県鶴岡市の小学校でお弁当を持って来ることのできない貧しい子どもたちに学校を建てたお坊さんが昼食を出したのが,日本での「学校給食のはじまり」と言われています。
 そのときのメニューが,おにぎり,焼き魚,漬け物だったそうです。その当時の子どもたちはみんな喜んで食べたそうです。(写真 1)  

 明治22年にはじめて実施されて以来、全国各地に広がってきた学校給食は、昭和の時代に入って太平洋戦争の始まりとともに中断されてしまいました。
 戦争は終結しましたがすぐに給食再開とはなりませんでした。戦後の食糧難による児童の栄養状態の悪化を背景に、やがて学校給食実施の必要性が叫ばれるようになり、昭和21年に、アメリカの支援団体『ララ(LARA)』(Licensed Agencies for Relief in Asia)から食料・医薬品・衣料・学用品などの大量の救援物資(現在では、“ララ物資”と呼ばれています)が日本に贈られました。こうした外国からの「ララ物資」によって、日本の学校給食は再開しました。
 まず試験的に、東京、神奈川、千葉で、児童約25万人に対して学校給食を実施することになりました。
 それ以来、給食物資の贈呈式が行われた日の12月24日を「学校給食記念日」と定めました。
 その後,昭和25年に、ララ(LARA)、ユニセフ等による給食用物資の寄贈に対する感謝の意を表するとともに、学校給食が戦後に再開できた意義を考え、新たに「学校給食週間」が定められました。
 でも、“記念日”の12月24日はまさにクリスマス、それから1週間を「学校給食週間」に設定しても、学校は冬休みに入ってしまうため、実施する期間を一ヶ月後にずらして、1月24日から1月30日までの1週間となりました。(給食週間を変更したのは、こうした理由があったんですね)

 ちなみに、瀬戸市で給食が再開されたのは昭和22年。その時のメニューは、「蒸したさつま芋」と「子どもたちが校庭で育てた小麦を使用して打たれたうどん」だったそうです。

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 ララ物資に感謝して、子どもたちが「アメリカの友よ サンキュー ララ」のプラカードを持って、街頭を行進する姿。

(写真 3)
 ララ物資によぅて再開した給食を楽しそうに食べる子どもの姿。

きょうの給食(1月24日)

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[今日のメニュー]

・瀬戸焼そば
・えびシューマイ
・ナムル
・小型ロールパン
・牛乳

 「全国学校給食週間」がはじまりました。この期間には愛知県や瀬戸市に伝わる郷土料理や地元の食材を使用した特別メニューが登場します。

 1日目は瀬戸市のご当地グルメである「瀬戸焼そば」が登場しました。
 「瀬戸焼そば」は校区にある宮前地下街が発祥のルーツだそうです。茶色い「蒸し麺」に豚肉の煮汁をダシにした醤油風味の味付けがされているのが特徴ですが、給食の「瀬戸焼きそば」は煮汁だけでなく、ウスターソースやケチャップも味付けに使います。また、にんじんやかまぼこが食材として使われていたりするところが、ご当地グルメの瀬戸焼きそばのレシピとはちょっと異なります。
 今日の瀬戸焼きそばには、「瀬戸豚」が使われていました。
 瀬戸豚は瀬戸市北丘町で育った豚肉です。瀬戸豚はきれいな水や空気のある山の中で、ストレスを与えないよう大切に育てられます。そのためやわらかく、脂もさっぱりしています。

 「えびシューマイ」には、小エビをはじめ、たら、大豆、たまねぎ、しょうがなどの具材が使用されていました。

「えびシューマイ」に添えられた「ナムル」は韓国総菜です。もやしや小松菜、にんじんを茹でて、甘めのドレッシングで和えました。

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