最新更新日:2020/03/31
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3月24日(火)1〜5年生臨時登校日(9:10下校)  4月7日(火)にじの丘学園小中学校入学式  4月8日(水)にじの丘学園小中学校始業式                                

☆深川小のあゆみ(昭和8年度のアルバム −2−)

 6年生の学級数は4組までありました。興味深いのは、6年2組は女の子だけで編制された女子組、3組は男の子だけの男子組であったことです。(写真 1・2)
 最後の6年4組は、男女混合の学級でした。(写真 3)

 10月18日〜19日には、6年生が奈良・伊勢方面に修学旅行に出かけました。旅行先では記念撮影が行われ、奈良で2枚、伊勢神宮、二見の夫婦岩でそれぞれ1枚ずつ合計4枚の写真がアルバムにおさめられています。画像はそのうちの2枚です。(写真 3・4)
 左(下)の写真は奈良の若草山で撮影されたものでしょうか?引率の女性教師が着物姿であるのが時代を感じさせます。上の写真は、興福寺(奈良)の五重塔をバックにして撮影されたもののようです。ちょうどシャッターチャンスに鹿二頭が飛び入り参加しているのか、撮影者があえて連れてきたのか不明ですが、子どもたちの楽しそうな顔がまぶしいです。鹿の後方にいてちゃんと写っていない子もいますが、のどかな雰囲気が伝わってくる一枚です。
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☆深川小のあゆみ(昭和10年度のアルバム)

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 昭和9年度の児童数は1968人、学級数はいよいよ「30」をこえました(31学級)
 児童数の増加によって、2年生は2組〜6組において“二部授業”が始まりました。
 「二部授業」とは、急激に児童数が増えた場合、収容する教室が不足したり。対応する教員が配置できなかったりすることに対応するため、授業を午前と午後の二部に分けて行う授業のことです。
 この頃から校内では、防空演習や避難訓練などが実施されるなど、少しずつ戦争の足音が聞こえてくる時代となります。

 昭和10年度はついに児童数が2000人台に突入しました。(2069人、33学級)また9月、これまで深川小学校に併設されていた瀬戸市商業実修学校は「瀬戸市立深川青年学校」と校名が変更になりました。
 12月、室戸台風によって被害を受けた校舎に対して、鉄製の支柱による補強や土台取り替え工事が行われました。
 さて画像は「昭和10年度」の卒業記念帖(卒業アルバム)の表紙です。(写真 上)紙質がすこし厚手になり、茶色系の着色がされています。タイトルの「卒業記念帖」もゴールドの文字になって、おなじみとなった“ホタルとロウソクの灯り”が立体的にあしらわれています。
 ページを開くと、朝礼風景でしょうか。日の丸が掲揚されているのをたくさんの児童が注目しています。(写真 中)私が小学生だった昭和40年代も朝礼ではしばしば国旗掲揚が行われていたことを思い出しました。
 6年生は5組までありました。写真を見るといずれの学級も男女混合で編制されていたようです。
 最後は修学旅行の写真です。伊勢神宮と奈良の史跡をまわったようですね。(写真 下)

☆深川小のあゆみ(昭和11年度)

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 卒業記念帖(卒業アルバム)です。金文字のタイトルやエンボス加工など表紙デザインは、前年度のものを踏襲しています。(写真 1)
 昭和11年度は、深川小学校111年の歴史の中で児童数がピークに達した年であります。この年の児童数は2114名、クラス数は35学級! 今では想像できないですね。この年には下記のようなできごとが「学校沿革誌」の中に記録されています。

 9月 1日 養護室寄贈

10月 3日 風雨強く、青年団出動。職員とともに協力して児童を家庭へ送り届ける。

10月23日 奉安殿建設のための地鎮祭挙行

 これまで普通教室を改修して「式場教室」として“奉安室”を設置していましたが、新たに運動場西に教育勅語などを厳正に保管するための奉安殿建設がすすめられました。

 さて、卒業アルバムです。職員の集合写真では男性も女性も洋服ばかりで、着物姿は見られません。そして、にこやかに笑みをうかべる人が見られて、のどかなムードが伝わってきます。(写真 2)
 6年生は5クラスあって、6年1組だけが男女混合の編制ではじまり、2組(女子組)、3組(男子組)、4組(女子組)、5組(男子組)とつづきます。
 修学旅行の思い出のページです。奈良県では若草山を、三重県では二見の夫婦岩をバックに記念撮影をしています。軍靴の音がひたひたと聞こえるこの時代、職員や子どもたちの表情から、そんな背景がありつつも楽しい旅行をすごしていたことがうかがえます。(写真 3・4)

 夏休みの「深川小学校のあゆみ」はこれでひとまず終わりです。また、冬休みにはこの続編を公開できたら・・と思います。

☆深川小のあゆみ(昭和12〜13年度  −1−)

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 昭和12年に起こった日中戦争を契機に、日本は戦争への道をすすみ、16年12月8日には太平洋戦争へと突入していきます。
 昭和13年には、「国民精神総動員」の政策が打ち出され、国民の戦意昂揚のため、「欲しがりません勝つまでは」「贅沢は敵だ!」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」などの戦時標語が掲げられる世の中になっていきました。
 戦況の激化にともなって、防空訓練、農耕作業、工場への学徒動員や勤労奉仕作業などが重視され、子どもたちは、落ち着いて机にむかう授業どころではなくなっていました。
 昭和13年4月には新入学児童による深川神社参拝(写真 1)や町内別の日参団が組織されて、登校の道すがらの参拝などが日課となりました。
 また、瀬戸駅での出征兵士の見送りや名古屋陸軍病院への慰問など、“銃後奉公”が強化された時代でした。
 昭和13年度の「卒業記念寫眞帖」(卒業アルバム)には、運動場での朝礼風景を撮影した写真が掲載されています。当時のクラスは36学級、児童数は2093人という記録が残っています。
 運動の北西には、前年に建設された奉安殿が見えます。背景の湯之根町のあたりには窯場の煙突が林立し、さらにむこうには山並がつづいています。

☆深川小のあゆみ(昭和12〜13年度  −2−)

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 子どもたちが整然と並ぶ運動場の北西に見えるのが、昭和12年に完成した「奉安殿(ほうあんでん)」です。(画像 1)
 奉安殿には「教育勅語」および「御真影(ごしんえい:天皇などの肖像)」が保管されており、当時、奉安殿は敬虔な所とされ、その前を通るときはおじぎをするように教育されていました。(深川小学校 創立80周年記念誌より)
 昭和12年頃の校地図(画像 2)を現在のもの(画像 3)と比較してみると、当時は児童数の増加に対応するために、校舎の増築で「ロの字」に建物が並んでいることがわかります。
 これらの木造校舎は老朽化にともない、昭和40年代に入ると裏山が採土・整地されて、そこにコンクリート製のモダンな校舎が建て替えられていきました。
 最後は卒業アルバムに掲載された学級写真です。6年生は6学級があり、1組から3組までが男子組、4組から6組までが女子組でした。
 写真は6年6組です。(画像 4)

☆深川小のあゆみ(昭和15年度)

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 昭和15年度の「卒業記念寫眞帖」(卒業アルバム)からの画像です。
 昭和15年4月1日、「高等科」の5学級(259名)が併置されたことにより、学校の名前が「瀬戸市深川尋常高等小学校」と改称されました。
(翌年には、瀬戸市深川国民学校とまたまた変更になるのですが・・)
 当時の校舎は、敷地の南側(現在の運動場のある部分)に建設されていました。児童は道路に面して東西にのびる緩やかなスロープをのぼって木造校舎に入っていきました。上の丸枠にあるものは、運動場に設置された「奉安殿」です。(写真 1)
これは朝礼風景ですね。(写真 2)記念誌によれば、全校児童数は1742名いました。
 奉安殿の横では日の丸(国旗)が掲揚されて、職員、児童がじっと注目しています。(そういえば、私が小学生の頃も、毎週月曜日の朝礼のたびに国旗が掲揚されていました)
 6年生は、男子組は「松組」、「竹組」、「梅組」の3学級、女子組は、「雪組」、「月組」、「花組」(どこかの歌劇団のようですね)の3学級のあわせて6学級ありました。
これは、6年竹組(男子組)の学級写真です。(写真 3)

 高等科が併置されたことから、「勤労奉仕作業」がさかんに行われるようになりました。
 高等科の児童は、木炭運搬や水害復旧工事、森林公園での農耕作業などに従事しました。また全校児童による「砂場造り」をはじめ、初等科児童の「どんぐり拾い」、「食用の野草集め」さらには山へ行っての「兎狩り(うさぎがり)」も実施されたことが記録されています。
 6月に、校内では、学級対抗の「すもう大会」も開催されました。

☆深川小のあゆみ(昭和17〜18年度)

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 昭和16年3月に「国民学校令」が公布されたことにより、4月より学校の名称は「瀬戸市深川尋常高等小学校」から「瀬戸市深川国民学校」と変更になりました。また、初等科(小学校)の教科は、国民科(修身・国語・国史・地理)や理数科(算数・理科)、体錬科(体操・武道])、芸能科(音楽・習字・図画・工作・女子に関しては裁縫)に分けられて指導されました。
 特に戦時下ということで、質実剛健をめざして心身を強化する活動が重視され、体錬科での授業では男子に相撲が取り入れられて、校内をはじめ校外で開催された「学童相撲大会」へも本校児童が参加した記録が残されています。
 当時、朝日新聞社から贈呈された“学童相撲大会参加”を記念した陶製の楯が校長室には今も保管されています。70年以上の時を経過していますが、釉薬をかけて完成した焼き物は現在も当時のままの色彩、輝きを保っています。(写真 上)
 昭和17年2月28日の日曜日、宮前で公演中のサーカスから火災が発生しました。火のまわりが早く、たちまち燃え広がって、13名の犠牲者を出す惨事となりました。
 深川小の児童は、3名が死亡、2名が負傷したそうです。(写真 中)
 昭和17年11月6日から7日にかけて、初等科6年の児童176名が修学旅行に出かけました。
 戦況の激化は、国民生活のさまざな場面に影を落としましたが、修学旅行の内容も縮小されて、これまで二泊三日で伊勢・奈良方面を目的地にしていた旅行は、宿泊数が一泊二日に短縮されて、目的地も伊勢のみになりました。
 画像は、伊勢の内宮、宇治橋をバックに撮影された男子組の集合記念写真です。(写真 下)

 初等科の修学旅行はこの年を最後に中断され、戦後(昭和25年度)に再開されるまで、しばらく空白の期間がつづきます。また、この時期の卒業アルバムは校長室には残っていません・・・

新たな船出

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 4月になりました。平成27年度のスタートです。
 1日(水)は午前8時30分から、このたびの異動で本校へ転任してきたり、育児休業から復帰したりした職員の紹介が行われました。(写真 上・中)
 それにひきつづき第1回目の職員会議が行われました。
 会議終了後は、新しい学年ごとに机を移動させる作業が始まりました。職員みんなが協力して清掃をしています。(写真 下)

 平成27年度も職員一同、力をあわせて子どもたちの幸せのために頑張ります。保護者をはじめ、地域のみなさまのご理解、ご支援をいただきますよう、お願い申し上げます。

 また、今年度も学校での教育活動を当ホームページで紹介していきたいと思いますので、時間に余裕があるときに閲覧していただけたら幸いです。
 新しい年度になったことで、これまでの日記が表示されなくなっています。2014年度(平成26年度)に掲載された記事につきましては、ホームページ左下の「◇過去の記事 2014年度」メニューをクリックすると閲覧が可能となっております。
 またホームページ右上のカレンダーを操作することでも、過去の記事をご覧いただくこともできますので、ぜひご利用ください。
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月行事予定
3/21 春分の日
3/23 大掃除、給食最終日
3/24 修了式、教室移動
3/25 学年末休業(〜3/31)
瀬戸市立深川小学校
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