最新更新日:2020/03/31
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3月24日(火)1〜5年生臨時登校日(9:10下校)  4月7日(火)にじの丘学園小中学校入学式  4月8日(水)にじの丘学園小中学校始業式                                

◎深川小のあゆみ(昭和41〜45年度 −1−)

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 昭和41年度の卒業アルバム(写真 1)に掲載された写真から当時のようすを紹介させていただきます。
 この年の大きなトピックといえば、新たにモダンな校舎が建設されたことです。
 古い木造校舎は、ちょうど現在の運動場のあたりに4棟が建っていました。
 当時は校舎の北側に校庭があっただけでなく、二つの校舎に囲まれた中庭でも運動することができました。
 新たに建設される鉄筋校舎は、木造校舎の北側の校地に建設されることになりました。当時の子どもたちはトンカントンカンと工事の音を聞き、教室の窓からできあがっていく新しい建物を見ていたことでしょうね。
 昭和41年11月25日、三階建ての鉄筋コンクリートの「校舎新築落成式」が行われました。(写真 2)
 完成した校舎の前には街路灯がぽつんとあるだけで、現在のような芝生園や植栽など何もなく、がら〜〜んとしていたんですね。(写真 3)

◎深川小のあゆみ(昭和41〜45年度 −2−)

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こちらも昭和41年度卒業アルバムに掲載された運動会のページから・・・
 万国旗が掲げられていることから運動会のようです。当時の服装は、上が長袖の白い運動着、下は白の長ズボンか短パンです。まだジャージが一般的ではない時代だったんですね。注目すべきは、校舎と運動場がフラットな位置関係で、校舎のすぐ近くで競技が行われていたようです。
 もう一つは、校舎の右側に大きなガケが見られます。このあたりもやがて造成されて、新しい保育園の建物が建設されていきます。(写真 1)同じアングルで撮影されたカラー写真(現在の風景)と比較してみると興味深いですね。(写真 2)
 こちらも運動会のショット。対抗リレーのアンカーがゴールテープを切るシーンです。そのむこうには門が見えるのですが、「勇退門」と書かれています。演技が終わっても堂々と退場するよう指導されていたのかもしれません。ガケの上に見えるのは旧保育園でしょうか?(写真 3)

◎深川小のあゆみ(昭和41〜45年度 −3−)

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 旧プールで水泳の授業を受ける子どもたちの写真。これも昭和41年度のアルバムからのものです。当時は、髪の長い女子が水泳用の帽子を着用して泳いでいたようですね。(写真 1・2)

 こちらは昭和42年度の卒業アルバムに掲載された校舎の写真です。運動場をよく見ると、指令台は見られるものの、まだ遊具などはなく、スタンドや国旗掲揚塔も完成していません。またグランドがでこぼこで小石がたくさん見られる中を子どもたちがランニングをしています。
 整地作業がすすんでいない中で体育の授業が行われていたようですね。

◎深川小のあゆみ(昭和41〜45年度  −4−)

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 「創立100周年記念誌」をみると、昭和41年度から始まった運動場の整地工事が4年近くの歳月を経て、45年5月にようやく終わりました。また、いろいろな遊具などの固定施設の設置工事も完了して、学校らしくなってきたことが、この年の卒業アルバムの巻頭写真からもわかります。(写真 1)
 2月末には、老大木の「ヒマラヤ杉」を保存するための築山が完成し、その根元に二宮金次郎の石像が立っていたようです。
 興味深いのは、“3月18日 二宮金次郎像 復元”という記録が見られることです。ふつうなら「設置」とか「建立」などと表現されるのですが、「復元」という言葉は何かを意味しているようです。
 平成28年現在、学校北側の「記念樹の森」に立つ二宮さんを間近で見てみると、かかえている書物がセメントで接着してあったり、顔もところどころフランケンシュタイン(?)のように継ぎ接ぎになったりして修復した痕跡が見られます。(写真 2〜4)
 これは推測ですが・・
 木造校舎(旧校舎)の前に立っていた二宮金次郎像が何らかの理由で壊れてしまい、新校舎建築や運動場整地などの工事期間中、バラバラになったパーツは校内のどこかに保存され、いろいろな環境が整ってきたところで復元作業が行われたのではないか・・と私は思います。
 この石像のほかにも、校庭にある石造物には謎があります。深川小学校の卒業生の中に、この時の経緯をご存じの方はお知らせいただけると、うれしいのですが・・・・

◎深川小のあゆみ(昭和41〜45年度 −5−)

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《玄関ロータリーの謎》

 本校の来客用玄関の前にロータリーがあります。ここには大きな岩といっしょに、背の高いシュロやツツジ、瀬戸市の木であるクロガネモチなどの樹木が植えられています。
 このロータリーは、校長室に保管されている記録写真や資料などから、新校舎が完成した昭和41年から、運動場の整地工事が終了する45年までの4年間の間に造られたようです。
 ロータリーの中心にどんと鎮座する岩をながめると、いろいろと興味深いことが考えられます。(写真 1・2)
 ここにある数枚のモノクロ写真はいずれも木造の旧校舎時代の卒業アルバムに掲載されたものです。
 最初の写真は、昭和38年度の卒業アルバムからです。学校の南東にあった門のところで撮影された一枚です。元気な男の子がすわっている岩には、くっきりと「深川小学校」という文字が彫られているのが見えます。そして、「学」の下あたりに縦にはしる“ひび割れ”が見られます。(写真 3)
 もう一枚は、36年度のアルバム写真です。この写真にも「深川小学校」の文字の下に大きな“ひび割れ”のようなものが見られます。(写真 4・5)

 これは私の個人的な見解ですが・・
 鉄筋コンクリートで、当時としてモダンな新校舎の完成、そして木造校舎の解体工事や玄関の改修にともなって、子どもたちの思い出のつまった校門の岩を適当な大きさにカットして、ロータリーの中心に移設させたのではないかと思います。
 このロータリーの岩に彫られた「深川小学校」の字体がそっくりなだけでなく、文字の下には、古いアルバム写真でも見られる“ひび割れ”を確認することができます。

 もしこの岩にまつわる謎(?)について情報をお持ちの方はご一報いただけると幸いです。

◎深川小のあゆみ(昭和46〜47年度)

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 昭和46年4月8日、運動場の南側に「藤棚(ふじだな)」が建設されました。この藤棚は、現在も季節になると美しい花を咲かせてくれています。
 この年の8月1日をもって、教員の「宿日直制度」が廃止となりました。
 「宿日直制度」とは、児童生徒の下校後に、防災や防犯(侵入)を目的に教員が夜間に学校に泊まり込んで警備にあたる仕事でした。当時は「宿直(しゅくちょく)」と呼ばれることが多く、おもに男性教員がそれに従事していました。
 私(校長)が教員になったころにはすでに「宿直」はなかったので、当時の様子は先輩の先生から聞いて想像するだけでした。
 先輩たちの話によると・・・

 昭和40年代後期までは、どの学校にも「宿直室」と呼ばれる畳の敷かれた和室がありました。薄暗くて、ちょっとカビ臭いけれど、ふとんやコタツもあって、そこで残業をしたり、午後9時ころに校内を巡視したりしました。当時の妻子のある教員にとっては宿直(当番)がまわってくることが負担であったようで、若手で独身の男性教員はこうした先輩たちに強引に(?)宿直を交代させられたりしたそうです。
 ときどき学校の近くに住む子どもたちが担任の先生が宿直をしているのを知って、“差し入れ”(夜食)を持ってきてくれたので、お返しに先生が宿題のアドバイスをするなど「夜の勉強会」が行われたりしたそうです。なんともまぁ、ほのぼのとした時代でしたね。
 教員の勤務条件の改善や警備会社の業務充実という時代の流れの中で、いつしか記憶の中から忘れ去られたのが、「宿直制度」でした・・・

 昭和47年から6年生の修学旅行の目的地が大きく変更となりました。これまでは三重県(伊勢・志摩方面)であったのが、静岡県へ出かけることになりました。卒業アルバムを開くと、「三保の松原海岸」や「久能山 東照宮」、「登呂遺跡」などを見学しました。(写真 1・2)静岡方面への修学旅行は10年間ほどつづきましたが、諸事情により、また変更となります・・
 この年のアルバムで興味深いのは、児童玄関前で撮影された集合写真を見ると、運動場へおりていくところが、現在のような階段ではなく、まだスロープになっています。(写真 3)
翌48年3月20日、体育館の建築工事をいったん休止して、完成間近の体育館でこの年の卒業式は挙行されました。

◎深川小のあゆみ(昭和48〜50年度)

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昭和48年5月26日、体育館・公民館が運動場の西に完成したこと、そして本校が開校70周年を迎えたこともあわせての記念式典が開催されました。
 この年の卒業アルバムでは、できたばかりの体育館の玄関を撮影した写真が巻頭を飾っています。(写真 1)

 昭和49年2月、「第1回 瀬戸市小学生サッカー大会」が開催され、深川小学校サッカー部が堂々の優勝を飾りました。このチームは、3月に行われた「中部・近畿サッカー大会 少年の部」にも瀬戸市を代表して出場し、みごと準優勝になりました。これよりサッカーの強豪校・深川の歩みがスタートします。(写真 2)

 昭和50年4月、「特殊学級」(現在の特別支援学級の前身にあたるクラス)1学級が新たに設置されました。
 6月13日、運動場北西に「屋外便所」が新設されました。
 7月10日〜11日、6年生が「愛知青少年公園」(現在のモリコロパーク)へ一泊二日の野外活動に出かけました。(写真 3)
 6年生につづいて、12日〜14日には、5年生が茶臼山へ二泊三日の野外活動に出かけました。(この頃は、5、6年生が野外活動を体験したんですね)
 12月8日には「PTA保険団」が結成されました。年度末の3月24日、校舎前に芝生園が完成、これから学校内にグリーンが増えていきました。

◎深川小のあゆみ(昭和51〜55年度 −1− )

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【いろいろな分野で活躍する深川っ子】

 昭和46年度、深川小学校は瀬戸市教育委員会より体育(体力つくり)の研究委嘱を受けました。
 50年代に入ると、研究委嘱校となった本校の子どもたちはスポーツをはじめ、さまざまな分野で活躍する姿が見られるようになりました。
 その輝かしい記録を紹介させていただきます。

昭和51年1月  市少年サッカー大会 優勝
  52年2月  市小学校ミニバスケットボール大会 優勝
  53年2月  市小学校ミニバスケットボール大会 優勝
  同年2月  市サッカーリーグ  優勝
  54年1月  瀬戸地方サッカー大会  3位
  同年2月  市小学校ミニバスケットボール大会 優勝
     

 ミニバスケットボール部(当時は女子のみ)は“常勝軍団”だったようで、昭和52年から54年まで輝かしい「3連覇」という記録を残しています。
 サッカー部も昭和49年の記念すべき第1回大会で優勝を飾ってから、サッカーの強豪校として市内では有名になっていきました。
 また、ほかのスポーツ分野では、「瀬戸市水泳記録会」に参加した深川小の子どもたちが、昭和53年、54年の「リレー部門」で堂々の大会新記録を樹立しています。
 さらに音楽部門では、鼓笛隊が「せと市民祭」や「瀬戸市こども会大会」のパレードに参加して演奏を披露しています。
 
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◎深川小のあゆみ(昭和51〜55年度 −2− )

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昭和51年から55年度までの5年間は、スポーツ、文化などさまざまな場面で、深川小学校の子どもたちが活躍しただけでなく、教育環境やPTA活動なども充実してきた時期でした。当時にスタートしたり整備されたりしたことは、現在にも脈々と継承され、残っているものも少なからず見られます。
 昭和51年度に3年生以上の教室にカラーテレビが設置されたのにつづき、翌52年度には他の教室にも設置が行われ、全教室でカラー放送が視聴できるようになりました。(それまでは子どもたちはモノクロ放送をみていたんですね)
 同じく52年9月からは、学費の「自動振替」による入金が始まりました。
 PTA活動では、11月にPTA主催の「第1回ソフトボール大会」が開催されたり、12月には、体育館東にコンクリートブロックを敷き詰める作業が行われました。このコンクリート路盤は現在も、急な雨降りによる流水で運動場の土砂が側溝に流れ込むを防いでくれています。公民館横のブロックに目をやると、“昭和52年12月 PTA会員による奉仕作業”という文字の刻まれたプレートを確認することができます。(写真 1・2)
 52年3月13日、PTA30周年記念像「あした」(写真 3)の除幕式が行われ、記念誌が発行されました。
 53年3月に校門脇に花壇が造成されたり、54年3月に図工室北側の造園作業も行われたりしました。

◎深川小のあゆみ(昭和56年度)

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 はじめの画像は、昭和56年度卒業アルバムの巻頭写真です。運動場に面した斜面の樹木もまだまだ小さいですね。それから校門から玄関前ロータリーにつづく道路にフェンスが設置されていません。(写真 1)
 次は水泳の授業風景です。
 昭和28年度に設置された(旧)プールで行う水泳の授業もこの年が最後となりました。プールサイドのむこうには34年の工事で設置されたコンクリート製のフェンスが見えます。(写真 2)
 (旧)プールは、およそ28年間の役目を終えて、3月から取り壊しとなりました。この跡地には、“記念樹の森”が移設されることが決まっていました。
 昭和57年1月、「瀬戸市小学生サッカー大会」において、サッカー部が堂々の優勝を果たしました。(写真 3)
 3月29日、(旧)プールの取り壊し工事と並行して、校舎の北西側では新しいプールの建設工事もスタートしました。

◎深川小のあゆみ(昭和57年度 −1−)

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昭和57年6月9日、解体された旧プールの跡地(駐車場 北)に“記念樹の森”が完成しました。
 同年8月4日、新しいプールの「竣工式」が行われました。
 竣工式に先だって、7月15日にプール開きが行われて、子どもたちは水泳の授業を受けていました。今となってはなつかしい水泳帽ですね。

 9月18日〜19日、「せともの祭」の開催にあわせて、本校の運動場が無料駐車場として開放されました。(現在も開催時には開放していますね)

◎深川小のあゆみ(昭和57年度 −2−)

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 昭和57年10月8日〜9日、6年生は一泊二日の修学旅行に出かけました。
 これまでの修学旅行の目的地は静岡方面(登呂遺跡、久能山東照宮など)でしたが、この年から「奈良・大津方面」に変更となりました。
 彦根城の見学をはじめ、琵琶湖では遊覧船ミシガンの前で記念撮影、奈良の東大寺・大仏殿、宇治の平等院鳳凰堂などをまわったようです。

◎深川小のあゆみ(昭和57年度 −3−)

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[サッカー部 二年連続優勝!]

 サッカーの強豪校である深川小学校は「瀬戸地方小学生サッカー大会」(冬の大会)でみごと二連覇を成し遂げました。

 画像は、準決勝《深川小 VS 萩山小》の試合ですね。(グリーンとホワイトのユニフォームが深川小、レッドが萩山小)
 この日、対戦相手である萩山小のベンチには私(浅井)がすわっていましたが、体格、技術(テクニック)、スピード、いずれにおいても勝る深川小に[3−0]と圧倒され、決勝進出を阻まれたことを覚えています・・

◎深川小のあゆみ(昭和58年度 )

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昭和58年度は、深川小学校にとって創立80周年という記念すべき一年でした。

 5月26日には「創立80周年 記念運動会」が実施されました。現在の運動会は年に1回実施するのですが、当時は“春の小運動会”と“秋の大運動会”と年に2回の運動会がありましたね。
 同月29日には、「創立80周年記念式典」が開催されました。式典では、卒業生有志の方々より寄贈された「校歌碑」(写真 1)の除幕式が行われ、りっぱな「80周年記念誌」(写真 2)が配布されました。
 この記念誌は資料的な価値が高く、“深川小のあゆみ”を書くにあたっても参考にさせていただいています。

 12月には、校旗がゴージャスに新調されました。(写真 3)

◎深川小のあゆみ(昭和59〜60年度 )

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[昭和59年度]

 1月7日 深川小は、愛知県の「体力つくり優良校」に表彰されました。
 1月9日 木造校舎の解体、新校舎建設工事によって、大ヒマラヤ杉の根元に設置してあった「二宮金次郎 石像」が、新たに駐車場北側に完成した“記念樹の森”(現在地)へ移設されました。

[昭和60年度]

 10月15日〜17日 5年生は二泊三日の野外活動に出かけました。
 これまで野外活動の目的地は茶臼山高原(天竜奥三河国定公園)でしたが、この年より市内に新設された「定光寺野外活動センター(鹿乗町)」に変更となりました。
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瀬戸市立深川小学校
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